「ただいま戻りました〜」

 じゃがいも、玉ねぎ、人参の入ったビニール袋を抱えた僕を迎えたのは、満身創痍の銀さんだった。ささくれ立った畳の上にうつ伏せになって倒れている。その周囲を囲んでいるのは、まだ幼い子どもたち。久しぶりに舞い込んだ依頼は大家族の子守だった。依頼へやって来た母親は、本気で野球チームを作るつもりだったんよとカラカラと笑っていた。
 遊び道具にされていたらしい銀さんは、頭に不似合いな赤いリボンのヘアピンをくっつけている。背中に伸しかかられたり、髪を触られたりしてもなされるがままになっていたが、僕が脇を素通りすると恨めしそうに見上げた。

「新八ィ、随分遅かったじゃねーか」
「すいません、スーパー混んでたんです」
「見ろこの有り様。銀さん超頑張ってたんですけど」
「僕には子どもの体力について行けずに完全降伏しているようにしか見えませんけど」
「うるせーダメガネ。てめーが早く帰って来てればこんなことには……。神楽は外で遊んでやがるし」

 玄関前では神楽ちゃんが男の子たちとめんこ遊びをしていた。年下の子どもたち相手でも神楽ちゃんは容赦なく、かなり白熱していた。
 めんこ遊びなんて、僕が小さい頃でもあまりしなかった。最近では子どもたちの遊びと言えばゲームが主流だけれど、未だにあんな昔懐かしい遊びをする子どもたちがいるとは思わなかった。ビニール袋から野菜を取り出しながらコンロ周りを眺める。煤汚れた壁、使い込まれた鍋や食器。日に焼けた畳、穴の空いた障子。古い長屋は子どもたちが駆け回ると床が抜けるのではないかと心配になる。しかし、明るい母親の顔と子どもたちの笑顔を見ると、そんな心配は杞憂に過ぎないと感じる。
 足元にやって来た女の子が、お夕飯するん?と丸い目で僕を見上げる。

「今日はカレーだよ」
「おてつだいする!」
「ほんと?ありがとう。じゃあまず手を洗おうか」
「しってるよぉ。いつもおかあさんのおてつだいしてるんやから」

 誇らしげに胸を張る姿が微笑ましい。女の子の小さな手が一生懸命に動く様を見ながら、カレー作りに取りかかる。母親が西の出身なのか、子どもたちも訛った喋り方をする。
 居間の子どもたちの声が静かになる。見ると遊び疲れた子どもたちが部屋の隅で転がって眠っていた。銀さんはその子たちへ布団をかけ、一人遊びをしていた赤ん坊を膝の間に乗せてテレビを眺め始めた。赤ん坊はまだよだれ掛けをしているような年齢で、ゾウのぬいぐるみを振り回しながら「あ」とか「う」とか短い言葉を発している。仕事以前に、あの人は何だかんだ面倒見が良いのだ。
 夕方のワイドショーを見ている銀さんの隣に、髪の長い女の子が座る。見たところ十歳くらいだが、一番落ち着いていて、長女のようだった。銀さんは少女を一瞥し、テレビのリモコンを差し出した。

「なに?Eテレ?」
「そんなちちくさいものは見ぃひんわ」
「Eテレばかにすんなよ意外に面白いぞ」
「おじさんでも見るん?」
「おじさんじゃなくておにいさんな」

 少女から見れば銀さんは十分おじさんだ。それも変なおじさんの部類に入るだろう。
 少女は銀さんの膝に収まっている赤ん坊の頬をつつく。赤ん坊はそれを鬱陶しそうに手で払う。払われた手を自分の膝に置き、少女は「お母さんな」と話し始める。

「今日、同窓会やって」
「ああ、聞いたけど。夜遅くなるからっておにいさんたち来たんだし」
「あのな、テレビでやっててんけど、同窓会って元彼と会うところなんやろ?」

 どんな偏見の詰まったテレビを見たんだ。僕はじゃがいもの皮を剥きながら話の行く末を見守る。銀さんが少女の誤った偏見を正さなければいけない。

「まーそれも無きにしも非ずだな」

 ――否定しないのかよ。

「お母さんだって女なんやし、昔の男と語りたいときもあるやんなぁ」

 少女はウンウンと頷いた。心の中にOLでも住んでいるのだろうか。女の子は成長が早いと言うけれど、いろいろ段階をすっ飛ばしすぎている。
 銀さんは赤ん坊の口元をよだれ掛けで拭った。しかし赤ん坊は拭かれたそばからよだれを垂らし、ぬいぐるみにかぶりついた。

「おじさんにも忘れられん女の人とかおるん?」
「おにいさんな」
「おらへんかぁ見るからにモテなさそうやもんなぁ」
「おーいぱっつぁん。人んちのガキって小突いたら犯罪になるんだっけ」
「児童虐待で捕まりますね」
「俺にだってそういう相手くらい……」

 銀さんは言いかけて口を閉ざす。銀さんは自分のことを語らない。ましてや女性関係の話が出てくることは滅多にない。
 少女は「おるん?」と首を傾げている。つい僕も耳をそばだてる。

「どんな人?今はどこで何してるん?」
「……さーなぁ」

 口の重い銀さんを急かすように少女は訊ねる。

「全然会ってないん?」
「会ってねーし会わなくてもいいっつーか」
「好きなんちゃうん?」
「女ってのはいくつだろうとそういうの好きだねぇ」
「もーちゃんと答えてや」

 銀さんの視線は下を向いているが、赤ん坊を見ているわけではなさそうだった。どこか遠くにいる、その女性を思い出しているのだろうか。真っ当な恋愛経験などなさそうな銀さんが、どんな女性を忘れられずにいるのだろう。僕には想像できない。
 ワイドショーでは子どもの誘拐事件が取り上げられている。既に捕まっているが、犯人は両親の友人を名乗り、子どもが留守番をしている家に上がり込んだらしい。そして仕事に行っている両親を一緒に迎えに行こうと子どもを連れ出した。
 少女は真面目に答えない銀さんに飽きたのか、テレビを眺めて肩を竦める。

「知らない人は家に入れちゃダメなんになぁ」

 赤ん坊はぬいぐるみを口から離し、銀さんの指に食いつく。銀さんは顔をしかめながらそれをやんわりと離した。よだれでべとべとになった指を着流しで拭っている。

「そーよ。最近はガキに手ェ出す輩も多いからね。ウチの神楽なんかこないだダイゴとかいう得体の知れない男に餌付けされてたからね。どこのダイゴだっつー話だよ。芸人か?ウィッシュか?メンタリストか?今度来たら玄関で鼻フックしてやらぁ」
「そういえば最近な、たまにロン毛のおじさんがこの辺うろうろしてんねん」
「あーそいつは完全不審者だな。ロン毛のおじさんなんて不審者しかいないから。十割十分不審者だよマジで」
「でもな、白いオバケみたいのもたまに一緒におんねん」
「おおおおオバケなんているわけねーだろ見間違いだ見間違い。みまちがーえたのさだよ」
「なんやったっけその歌」

 古い長屋で童謡が響く。赤ん坊はきょとんした顔で頭上で歌う変なおじさんとお姉ちゃんを見ていた。
 僕はカレーの鍋を掻き回しながら、先ほどの銀さんの言葉を思い返す。神楽ちゃんが万事屋に上げたと言っていたダイゴという人物は、よくよく聞いたら女性だったらしいのだ。悪人が神楽ちゃんに近付いていると言うのなら問題だけれど、女性で、しかも朝ご飯まで用意していってくれるような人が悪人とは思えない。江戸に暮らしているのなら直にその人にも会えるだろうし、そうすれば銀さんの誤解も解けるだろう。
 古い長屋には、童謡とカレーの匂いが漂う。子どもたちの母親は、存外すぐに帰ってきた。昔の男と語らうよりも、この古い家と、子どもたちが愛おしいのだ。






top
ALICE+