夜風が風鈴を揺らし、透き通った音がする。この家は風通しが良いため昼でも夜でも気温ほど暑さは感じない。風呂上りの火照った体に当たる風が心地良い。いつもは晩酌をするジジイのいる居間には、孫のナマエがいた。腕を枕にして机に突っ伏して眠っている。腕の下には診療所の患者へ処方している薬表がある。癖のない、まるで寺子屋の先生のような字が並んでいた。
 開け放たれた窓。玄関も施錠する習慣がないらしく四六時中開けっぱなし。ジジイは村の寄り合いだとかで不在。家には俺とこいつだけ。油断しすぎじゃないかと思う。いくら俺が負傷者だとしても、舐められている。
 濡れた頭をタオルで拭いながら隣に座る。顔を覗き込むと、ナマエは薄く唇を開けて静かな寝息を立てていた。顔だけ見ているとあの粗野なジジイと血が繋がっているとは思えない。派手さはないが、整った顔立ちと飾り気のない言動で周囲から親しまれているようだ。診療所の看板娘と言われる理由はよくわかる。
 風で頬に落ちる髪を払ってやる。指を滑った頬に触れてみたくなり、流れでつついてみる。指に合わせて陥没する柔らかい頬。おお、とその弾力に感激したのも束の間、ナマエは眉間に皺を寄せて身動いだ。慌てて指を引っ込める。

「ん……」

 ナマエが呻きながら頭を持ち上げる。俺の姿を見ると「あれ」と寝ぼけ眼を擦りながら訊ねる。

「何してるの?」
「……おまえの間抜け面見てた」
「悪趣味」

 気恥ずかしそうに笑うナマエ。虫の一匹も殺せないような女だ。戦場で剣を振り回している俺とは全く無縁の場所で、それなりに幸せになるのだろう。
 腕を上げて伸びをしたあと、ナマエはまじまじと俺の頭を眺めた。

「銀時、もう髪が跳ねてる」

 自分の頭を掻き回すと、乾き始めた髪は好き勝手な方向を向いていた。ナマエの視線は変わらず頭へ向いている。

「なに?俺の頑固な毛根に文句でもあんの」
「ううん。羨ましい。私、直毛だから」
「嫌味かコノヤロー。ストレート様に天然パーマの苦労がわかってたまるか」
「でも銀時の髪の色きれいだし…私は好きだけどなぁ」

 清澄な声と、曇りのない瞳。喉に声が詰まる。いや、髪の毛の話だとはわかっている。童貞じゃあるまいし、いちいち動転することではない。そうだ、この妙な胸の早鐘の正体は単なる気の迷いだ。最近遊郭にも行っていないし女と喋る機会もなかったせいだ。
 ナマエが怪訝そうに俺を窺う。「どうしたの」と首を傾げられた。

「帰ったぞ〜」

 嗄れたどでかい声が響き渡る。ジジイが帰ってきた。そしてすぐに激しい物音がする。相当酔っているようだ。ナマエはやれやれといった顔で玄関へ向かっていく。俺は首にかけていたタオルで顔を拭い、深く息を吐いた。タオルの中には、湿った吐息と熱が籠もっていた。





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