気に食わない奴に限って頻繁に顔を合わせてしまう。不本意極まりないが、俺とあいつは似たところがあるらしい。

「げ」
「あれ、大串くん」
「誰が大串くんだ」

 行きつけの定食屋で鉢合わせることも珍しくない。暖簾をくぐって真っ先に目につく銀髪に顔が歪むのは、もはや条件反射だ。そもそもこいつの銀髪はどこにいたって目立つ。本人に自覚がないのも腹が立つ。
 俺の定位置である席は、ちょうどそいつの席から一つ空けた場所にある。カウンターの奥にいるおばちゃんへ、いつもの、と注文して席へ着く。おばちゃんは愛想良く返事をした。
 万事屋の前には、白米の上に小豆を大量に乗せた猫のエサが置いてある。見ただけで口の中が甘ったるくなる。

「人の顔見るなりンな不愉快全開の顔すんの失礼じゃないですかぁ大串くん」
「だから誰が大串くん?てめーこそ人の名前覚えねぇのは失礼だろ。頭に綿でも詰まってんのか」
「全身マヨネーズとニコチンで出来てねぇだけマシだな」

 昼時の店内には客が点在していた。食事を既に終え、新聞紙を広げている客もいれば、爪楊枝で熱心に歯の間を掃除している客もいる。誰も俺たちの応酬には耳を貸さず、各々の世界に入っている。もちろんおばちゃんも口出しはしない。常連にとって見慣れた光景になるほど、俺とこの天パ侍の邂逅率は高い。
 天井に備え付けられたエアコンからは、時折ゴゴゴゴゴと地鳴りのような音が聞こえてくる。建物と同じく年季が入っている。 

「ごめんねぇ土方さん。あと五分でご飯炊き上がるから、少し待っててくれるかい?」

 おばちゃんが困ったように笑う。了承したものの、頭の中ではさっさと飯を食って店を後にしたいと考えていただけに内心で肩を落とす。
 懐の煙草を漁っていると、気の抜けた声に引き止められる。

「なあ」

 空になった丼へ箸を無造作に入れた万事屋が俺を見る。

「なんだよ」
「おまえんとこ、最近新しい女中入ったって?」
「あ?」
「この前、沖田くんに会ったときに見た」

 万事屋は目を伏せる。

「ナマエのことか?」
「名前で呼んでんの?」

 伏せた目がこちらを一瞥する。

「毎日のように会ってんだから別に普通だろ。なんか文句あんのか」
「別にー」

 万事屋は頬杖をつき、茶を啜る。ふてぶてしい顔には何か言いたげな雰囲気がありありと見て取れる。
 まさかコイツ、ナマエに気があるのか。
 万事屋の隣に並ぶナマエの姿を脳内に思い浮かべる。時間があればギャンブルに興じる万年金欠のプー太郎と、働き者で気立ても良い女。ダメ男に引っかかる女にしか見えない。ナマエが苦労することが目に見えている。
 ――ない。絶対にない。
 仮に万事屋がナマエに気があったとしても、清廉潔白を地で行くようなナマエがこんな奴を相手にするとは思えない。せいぜい友人止まりだろう。
 飛躍する思考を振り払うように煙草を咥える。火を灯し、一息吐くと若干落ち着いた。万事屋にどんな思惑があろうとも、うちの女中にちょっかいを出されるわけにはいかない。釘を刺しておくくらいは必要だろう。

「おまえの目にアイツがどう映ってるのか知らねーが、手ェ出すんじゃねーぞ」

 万事屋が湯呑みをテーブルに置く。コツン、と軽い音に続き、軽快なメロディが流れる。炊飯器が米が炊けたことを知らせているのだ。おばちゃんが炊飯器の蓋を開けると、炊き立ての米のいい香りがカウンター越しに鼻腔をくすぐる。一時忘れかけていた空腹が蘇ってくる。
 軽口をかわすような普段の会話では、間が空くことはほとんどない。おばちゃんが俺の前に土方スペシャルを置いてようやく、万事屋は口を開いた。

「おまえ、そいつの保護者なわけ?」

 赤い目が細められている。割り箸に手を伸ばし、二つに割る。ちょうど均等に割れた。

「うちの女中に半端なことすんなっつー牽制だろうが」
「随分大事にしてんじゃねーの」
「貴重な人材なんでな。それに、てめーにアイツは似合わねぇ」

 たっぷりのマヨネーズとご飯を箸で掴み口に入れる。米が炊き立てのせいかいつもより美味い。後ろを爪楊枝で歯間掃除をしていたオヤジが通っていく。ごちそうさん、と声をかけながら歩いていくオヤジをおばちゃんは威勢の良い威勢の良い声で送った。

「んなことわかってらぁ」

 万事屋の声はおばちゃんの声と重なり掻き消えた。しかし、確かに俺の耳には届いていた。わかってる、と。

「おばちゃん、ごっそさん。お代はこの公僕にツケといてくれや」
「誰も奢るなんて言ってないんだけど!」

 万事屋が席を立つ。俺の反論は万事屋にもおばちゃんにも聞き流され、結局二人分の食事代を払わされた。店を出ると、白い太陽がじりじりと大地を焼いていた。冷房の効いた場所から出たためか、一瞬目が眩む。スカーフを抜き取り、胸元のシャツのボタンを一つ外す。どこからともなく聞こえる蝉の声はまるでサイレンのようだ。
 万事屋は、一体なにを訊きたかったのだろうか。元々掴み所のない男だが、今日の歯切れの悪さは違和感があった。わかってると言ったあいつの声は低く沈んでいた。
 別れてからもあいつのことを考えている自分に嫌気が差し、屯所への道を急ぐ。帰ったところで書類仕事を片付けるだけなのだが、上昇していく気温と日光から逃れられるなら構わない。




 屯所の庭から賑やかな声が聞こえてくる。この暑さの中、外で鍛錬をするような殊勝な奴はいないと思ったが。
 広い庭には、近藤さんや総悟、終まで、十人ほどの隊士連中とナマエがいた。連中の手には竹刀などはなく、それぞれが椀と箸を持っていた。その輪の中心には、水の流れる竹樋。斜めに作られた天辺から、原田がそうめんを流している。呆気に取られる俺に近藤さんが気付き、「おうトシ!」と手を振る。

「おまえも一緒にどうだ?そうめん美味いぞ!」
「土方さんには流しマヨネーズで十分でさァ」
「いやそれベチャベチャのマヨだよね?ただの水に溶かしたマヨだよね?」

 総悟が茶々を入れる。原田の流したそうめんを終が取り逃がし、ナマエがキャッチする。食べますか?とナマエが終を見上げると、終は激しく首を横に振った。しかしナマエは終の椀に麺を入れた。戸惑う終に楽しそうに笑うナマエ。遠目に見ていてもどんなやり取りをしているかわかる。
 ナマエは極度のシャイな終ともそれなりにうまくやっているようだ。人当たりの良さと柔らかい笑みで相手の警戒心を解く、俺にはない長所だ。万事屋に言ったように、貴重な人材であることに違いはない。
 近藤さんに名前を再度呼ばれる。

「おーいトシ!聞こえてるか?」
「あー、俺は昼飯食ってきたから」

 暑苦しい男共の中からナマエが顔を覗かせて駆け寄ってくる。

「土方さんも一緒に食べませんか?」

 椀と箸を差し出し、マヨネーズは流せませんけど、とナマエが笑う。強制されているわけでもないのに、それらを受け取る。
 万事屋の言葉が耳に残っている。わかってるって、あのヤローがなにをわかってると言うんだ。小骨が喉に引っかかっているような気分だった。
 ――そばにいてほしいと、思った人はいました
 あの言葉を聞いたときに思い出したのは、武州の景色と夕焼けだった。そばにいたい、と俺に向けられたその声を今でも鮮明に覚えている。アイツとナマエが違うことくらい、わかっている。背を向けて歩いてきた道を後悔したことはないし、これからも後悔などしない。ただ、時折俺の中へ現れるその言いようのない感情を燻らせる存在があまりに身近にいることに気が付いてしまった。
 
「ナマエさーん、ミョウガってもうねーんですかィ」
「あ、まだありますよ!」

 ナマエが踵を返す。揺れる毛先を目で追い、遠ざかる背中を追うように歩み出す。背を向けられることには慣れていない。振り向いたナマエの顔は、逆光でよく見えなかった。






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