若い女中は長続きしないというのが常だった。女中の仕事は汚れ仕事、力仕事も多い。傍目から見た仕事内容との違いや、真選組という男社会に馴染めないことが起因している。しかし、最も多いのは玉の輿を狙って玉砕するパターンだった。専ら狙いにされるのは真選組一のモテ男、土方さんだ。ただあの人は見た目に反して女には耐性がないし、職場恋愛などできるほど器用ではない。それ以前に、肩書や収入に惹かれて寄ってくる女など相手にするほど暇ではない。それは俺も然りだ。

 春にやってきたナマエという女は、よく笑ってよく働く女だった。平隊士にも分け隔てなく接するおかげで、普段女と会話することすらない男連中は頬を緩ませることも屡々ある。ただ、彼女が頻繁に接することがあるのは平隊士ではなく、多忙な隊長クラスの人間や近藤さん、土方さんだった。無論、俺のところにも度々足を運んでくるのだが、元来俺は人に干渉されることを好かない。詮索されるようなことがあればすぐに垣根を設けるつもりだったのだが、彼女は波のように押してくるかと思えば引いていき、一定の距離を保つのだ。

「沖田さん。朝議遅れますよ」

 人気のなくなった食堂で納豆をかき混ぜていると、ナマエさんが台拭き片手にカウンターから出てきた。大方の隊士は既に朝食を終え、皆出払っている時間だった。
 さん付けはしなくていい、隊士でもないしアンタのほうが年上だし、と言ったのに、彼女はあくまで俺を沖田さんと呼ぶ。丁寧に。しかし、見えないラインを引くように。
 口を開けると出てくる欠伸を噛み殺す。

「あと十分ありまさァ」
「社会人は十分前行動が基本だーっ切腹しろーって土方さんが怒りますよ」

 ナマエさんは眉間に皺を寄せ、土方さんの口真似をする。二言目には切腹しか言わない語彙力のなさを屯所へ来て間もない女中にいじられている。この人は仕事はきちんとするし見た目は大人しいが、案外無邪気で冗談も通じる。飾ったところがなく話しやすいこともあり、俺は土方さんのネガティブキャンペーンを密かに行っていた。ニコチン中毒やマヨネーズ信者などと情報を吹き込んでいたのだが、ナマエさんは笑うだけだった。
 テーブルを拭くナマエさんの手の動きをなんとなしに眺めながら朝食を取る。今のところ彼女に下心は見えないが、いつか去っていくのだろうか。まだ仕事を始めたばかりだし、嫌なところなど見えていないだろう。
 廊下を駆けてくる足音が響く。食堂に顔を出したのは山崎だった。山崎は俺の姿を認めるなり、沖田隊長、と力ない声を漏らした。

「何呑気にメシ食ってんですか、朝議始まっちゃいますよ」
「朝ご飯はちゃんと食えってナマエさんが」
「えっ」
「ナマエちゃんのせいにせんでください。今度の討ち入りの打ち合わせもあるんですよ、アンタがいなきゃ話が始まらないんでしょう」

 とにかく早く来てくださいよ、と念押しして山崎は食堂を離れた。味噌汁を啜ってのろのろと席を立つ。

「いってらっしゃい」

 微笑まれ、どう返すか一瞬悩んだ。しかし、無難な返事をするしかできなかった。

「……いってきやす」








 月明かりのない夜だった。地面にはしだれ桜の花弁がそこかしこに散りばめられていたが、踏まれて擦れ、鮮やかな色は消え去っていた。
 踏み入った長屋には血の匂いが充満していた。足元に転がる死体を見下ろし、刀に着いた血を振り払う。畳に飛沫が飛び散った。
 安い賃貸料で借りられる長屋は、貧乏攘夷浪士の溜まり場になりやすい。人の目も行き届かず、奴らにとっては悪巧みするのに丁度良い場所というわけだ。
 隣の棟へ移動すると、倒れる攘夷浪士の中に紛れて、隊士が一人畳にうつ伏せになって沈んでいた。

「オイ、しっかりしろ」

 仰向けにすると、腹には深い傷を負っており、止めどなく血が流れ出ていた。俺の手はあっという間に仲間の血で染まっていく。顔面は鼻も口も潰れて原形を留めないほど歪んでいる。武士は無駄な暴行は加えない。相当質の悪い奴が紛れ込んでいたようだ。
 ふと殺気を感じ、刀を構えて背後へ振りかぶる。
 音もなく倒れた男の腕から刀が落ちる。腕に鋭い痛みが走る。反応が遅れたか、右腕を少し斬られた。隊服を裂いた傷口に舌打ちをする。
 虫の息の隊士を肩に担ぎ、長屋を出る。攘夷浪士は一掃できたようだが、真選組の中でも怪我人は多かった。ほとんどの者は軽傷だったが、中には必要以上に痛めつけられた者もいた。雑魚どもの集まりかと思っていたが、武士の魂も持たない雑魚以下のクズもいたようだ。
 肩に担いだ隊士の体が熱を持っている。か細い呼吸を繰り返してはいるが、噴き出す血の量からそう長くは保たないことを悟った。地面に体を横たえさせる。冷たい風が吹いていた。終わるときのことにばかり察しが良くなっている。

「沖田さん!」

 聞き覚えのある声だった。凄惨な現場に駆け寄ってくるナマエさんを制止する。咄嗟に彼女に見せてはいけないものだという意識が働いた。

「こっち来んな!」

 しかし、ナマエさんは足を止めなかった。歩調を緩めることなく近付き、横たわった隊士に目を留めて膝を着く。見下ろす俺には彼女のつむじしか見えない。ナマエさんは隊士へ声をかけることはなく、腹部の傷に手を添えた。隊士が譫言のように震える声で女の名前を呼ぶと、その血塗れの手を取り、包み込むように握り込んだ。ナマエさんの名前を呼んだわけではない。俺には、そいつに恋人や妻がいるのかはわからない。ナマエさんだって知るところではないだろう。それでも何度も同じ名前を呼ぶ隊士の手を彼女は離さなかった。
 やがて隊士は息を引き取った。ナマエさんの膝元には血の池が出来上がっていた。表情など窺えないのに、闇夜に浮かぶ隊士の顔はどこか安らかに見えた。ナマエさんは脱力した隊士の手に力を込め、俯いた。そしてゆっくりとその手を離し、胸の上で手を組ませ、合掌した。

「この人は、家族の元へ帰れるんですか?」
「……家族のいる奴なら」
「……そうですか」

 真選組に入隊すると言って田舎から出てくる奴は多い。しかしそれは、必ずしも手放しで喜ばれることではない。命を落としたあと、家族がいても迎え入れられることがなく、無縁仏になる者もいる。
 ナマエさんは立ち上がっても目を合わせようとしなかった。下唇を噛む様子だけが俺の目には映った。










 大嫌いな書類作業を終え、自室で惰眠を貪っているときだった。アイマスクを引っぺがされた。目を眇める俺の顔を覗き込むのはナマエさんだった。

「腕の怪我、具合どうですか?」
「へーきでさァ」

 ごろりと畳の上で寝返りを打つ。ナマエさんに背を向けるが、消毒液の匂いが鼻をつき、渋々振り返る。ナマエさんは木製の救急箱を広げていた。そして体に添えていた俺の腕を掴み、包帯を剥がしていく。彼女は引くときもあるが押すときもある。今日は押す日らしい。俺は仕方なくされるがままになっていた。ナマエさんは慣れた手つきで手当てをし、新しい包帯を巻き直す。

「沖田さん、朝も昼も何も食べてないんじゃないですか?」

 外は静かに雨が降っていた。屯所の中も静まり返っており、俺の無言がやたら長く感じる。

「傷、痛みますか?」

 包帯を巻き終えたナマエさんが訊ねる。甲斐甲斐しく治療をしなければいけないほど深手を負ったわけではない。なんとなく気を遣わせていることには気が付いていた。しかし、それに対する相応しい対処法など知らない俺は、つっけんどんな言い方でガキみたいになるしかない。

「慣れてるんでねィ」
「でも、痛いでしょう」

 音がしないせいか、ナマエさんの声がやたらはっきりと耳に届く。

「お腹空きませんか?」

 背後に感じる体温と少しきつめに巻かれた包帯。生きていれば腹は減るし寝ないとしんどいし、何もしなくても明日は来る。仲間の死に感傷に浸るほど殊勝ではないが、もうずっと目ん玉に焼き付いて離れない。消すつもりもないが。
 俺は体を起こし、胡座をかいた。胃が動いたせいか、黙っていた腹の虫が鳴いた。

「なに食べますか?」
「……たらこのおにぎり」

 ナマエさんは嬉しそうに了解です、と笑った。腕を摩ると、ほんの少し痛んだ。





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