「だいぶ傷が塞がってきたのう」

 ポロシャツにハーフパンツ、ビーチサンダルという軽装の老人が嗄れた声で独り言のように呟いた。老人に背を向ける形で丸椅子に座らされた銀時は、置き場がなく膝に置いていた甚平を羽織った。本来ならば五部袖くらいのものが、半袖になる。ここへ来てから着るものはこの老人のものを借りているので、いつもどこかしらが寸足らずだった。

「わりぃな、じいさん」

 銀時の口から出た言葉に、老人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「どういう風の吹き回しじゃ、珍しく殊勝なこと言いおって」
「一銭にもならねぇ見ず知らずの男にここまでするような酔狂な奴、なかなかいねえだろうよ」
「わしゃあ医者だからな。病人怪我人放っておけんだけよ」
「……そーかい」

 老人の台詞は、いつぞやにも聞いた台詞だった。伊達に長年一緒に暮らしているわけではないようだ。頭に孫娘の顔が浮かぶ。
 診察室の外から雷鳴がする。銀時が着替えを済ませる頃には、まばらに降り始めていた雨粒が土砂降りの雨に変わっていた。診療所の入り口のドアを雨が激しく叩く。
 老人の家は、診療所兼自宅となっている。今頃、家の中では老人の孫娘が夕食の用意をしているところだろう。今日は鶏肉が手に入ったので、唐揚げにすると張り切っていた。毎日毎日よく愚痴も溢さずやるものだと銀時は感心していた。祖父同様にお人好しが過ぎる孫娘は、当然のように銀時の食べるものまで用意し、包帯を替えたり布団を干しにきたりと世話を焼く。今のところ、ろくに礼も言えていない。
 銀時はつまみ食い目的に、いそいそと診察室を後にしようとしたが、老人がそれを引き止めた。

「おまえさん、攘夷志士かい」

 それは予想だにしていない言葉だったので、つい足を止めてしまった。振り返ると、老人が椅子の背もたれに深く背を預けながら銀時を見ていた。銀時の反応を図星と捉えた老人が続ける。

「この国の侍はもうほとんど剣を捨てたと思うとったが、まだ戦うバカがおったとはなァ」
「……じいさん、何か知ってるのか」

 老人は首を横に振った。

「あんな傷だらけでぶっ倒れておったんじゃからのう。大体予想はつくわ」
「……そうか」
「また、戻るんか」

 銀時は磨り硝子の向こうへ目を向ける。頭から一秒たりとも離れたことがない、仲間の顔が浮かぶ。
 戦いの最中に派手に斬られたところまでは覚えている。しかしその後の記憶がない。気がついたら、この家にいた。一刻も早く戻らなければいけない。自分がいない間も、仲間たちはきっと戦い続けている。

「……行かなきゃならねぇ」

 喉の奥から絞り出したような声だった。老人は銀時の目の奥にあるものを夢想し、長く息を吐いた。
 体中に刻まれた無数の刀傷。戦場で生きてきた男の体だった。孫娘と歳差もなく、口を開けば生意気なことしか言わない男が、自分が経験したこともないような重いものを背負っていることは容易に想像できた。しかし、それはあくまで想像に過ぎない。男は軽口は叩くくせに、自らのことを語ることをしない。
 銀時は自宅へと繋がる引き戸へ手をかけ、老人へ訊ねる。

「あいつは、知ってんのか」

 あいつ、というのが、自身の孫娘であることを老人はすぐに悟る。

「あいつは俺に似て奥ゆかしいとこあるからな。訊きたいことも言いたいことも押し黙っちまうところがあんのよ」

 ふん、と銀時は鼻で笑った。奥ゆかしいには全く賛同できなかった。それは目の前の老人にも、その孫娘にも当てはまらない。なにせ二人揃って怪我人だ患者などと言うくせに、蹴るわ殴るわの暴行をするのだ。

「ただなぁ、あいつの両親……まあワシの息子夫婦は、攘夷戦争に巻き込まれて死んだんよ」

 老人の言葉に銀時の表情が曇る。老人はデスクの引き出しから煙草を出し、火をつけた。普段はナマエに止められているのであまり自由に吸えないが、目の届かない範囲でこっそりと吸っているのだった。引き出しの奥にしまってあったアルミの灰皿を引っ張り出す。

「攘夷志士だったのか?」
「ただの医者さ。戦場で傷ついた攘夷志士を癒すために駆り出された。当時は国のためと皆喜んで身を投じていた。だが結局、巻き込まれて死んじまった」

 戦場では誰が命を落としても不思議ではない。医者といえど、天人から見れば地球人に変わりないのだ。なんの罪もない人々が死んでいく様を銀時も数え切れないほど見てきた。
 老人は鼻の穴から煙を勢いよく吐いた。

「こんなジジイのおかげで、ナマエには色々苦労させちまった。昔から聞き分けのいいガキでな。親が死んでも、泣きもしねえし寂しいも言わなかった。ただ歯ァ食いしばって爪が食い込むくらい拳握るようなやつだ。自分の弱さは見せないし周りに助けを乞うこともしねえ。いや、できないって言うほうが正しいな」

 両親の墓前で小さな手を強く握りしめる、幼い日の孫娘の姿は今でも鮮明に思い出せる。怒ってるんだか泣きたいんだかわからない表情で、じっと佇んでいた。ガキらしく泣き喚いてくれた方がどんなに楽だっただろう。夜泣きの一つでもして、夜中に起こしてくれれば、どんなに安心できただろう。結局、月日が流れてもナマエは寂しいの一言も涙の一粒も流さないまま、すっかり成長してしまった。無理矢理にでも泣かせればよかったと、近頃よく考える。

「……それでも、あいつにはあんたしかいねえんだろ」

 銀時の横顔は真剣だった。老人を叱咤するような響きもあった。

「どうしようもなくなったら、あんたを頼るだろ。その時にぶつかって、愚痴でも泣き言でもどうしようもない話でも、聞いてやるのがあんたの役目じゃねえのか」
 
 雨脚は次第に弱まり、雲の切れ間からは日差しが降り注いでいた。雨露が花や名もない雑草を輝かせている。じきに空には虹がかかるだろう。
 磨り硝子から漏れるおぼろげな光に、銀色が反射していた。老人は溢れそうになった笑いを喉で堪えた。自分よりも半世紀、いや、それ以上年下かもしれない男に説教垂らされるとは、なんとも情けないのか。しかし、何故だかそれほど悪い気はしない。

「大層なこと言ってんじゃねぇや、小童」
「うるせージジイ」







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