スナックお登勢の前で、たまさんが掃き掃除をしている。照りつける日差しに汗一つ浮かべていない。
「こんにちは、たまさん」
「ナマエ様、こんにちは」
たまさんが会釈をするので、つられて私も頭を下げる。からくり家政婦である彼女は人のために働くことを存在意義としている。とは言え、炎天下の中でも黙々と働く姿にはただただ感心する。暑くないのか訊ねると、あまりに高温になると機体が熱を持つからそこそこで室内に戻るのだと言った。
たまさんは私が手に持っている食材の数々を一瞥した。
「随分大荷物ですね」
「しばらく来れないから、まとめて色々買ってきた」
「お忙しいんですか?」
たまさんが小首を傾げる。所作と端正な顔立ちが相まって可愛さに拍車がかかっている。スナックの看板娘だというのも頷ける。こんな子がいたら通い詰めてしまうだろう。
たまさんの質問に答えようとして、口を噤む。口外してはいけないと箝口令をしかれていたのだった。曖昧に「うん」と肯定しておく。
「最近、ナマエ様が時々万事屋に来られるので近所で評判になっていますよ」
「評判?」
「通い妻だと」
「通い妻……じゃないけど」
「奥様ではなくても、ナマエ様は銀時様の恋人なのではないのですか?」
「こ」
恋人?頭の中で意味を咀嚼し、慌ててかぶりを振る。
「違う」
「違うのですか?」
「違うの」
「では、」
「友人」
「ご友人」
たまさんは、では今度訊かれたら皆さんにご友人だと訂正しておきますね、と言った。そうしてくださいとお願いする。
銀時は私を拒否することはなかった。おまえがいたいなら、そうすればいいと言ってくれた。ただ、それは銀時のそばに、ということではなく、この街にいればいい、という意味だったように思う。
あれから万事屋には時折来るようになった。屯所での仕事があるので頻繁には来られないけれど、スーパーへ寄って食材を買って、料理をして銀時や神楽ちゃんとご飯を食べて帰る。新八くんがいるときには、新八くんも一緒に食事をする。通い妻と噂されるのも致し方ないようなことをしていたのかもしれない。しかし、両手で足りるほどしかまだ万事屋には来ていない。田舎に比べれば人口は遥かに多いから、その分見ている人も多いということだろうか。
あの日のように、万事屋で私と銀時が二人きりになることはなかった。神楽ちゃんがいつも待っていてくれるからだった。神楽ちゃんのいないときには、定春がいたり新八くんがいたりする。銀時はまだ疑惑を払拭し切れていないようだった。
万事屋の呼び鈴を押すと、室内から軽い足音が駆けてくる。引き戸が開き、神楽ちゃんが元気に出迎えてくれた。
「ダイゴ!待ってたアルヨ」
テレビの音が漏れてくる。室内には銀時、新八くん、定春と勢揃いしていた。銀時は社長椅子でジャンプを読んでいて、「おー」と私を一瞥しただけだった。新八くんは私の荷物を甲斐甲斐しく持ってくれた。
「いつもすみません、ナマエさん。買い出しくらいなら僕らも手伝いますよ」
「新八ィ、ダイゴにいい顔しようとしてんじゃねーヨ。下心丸見えなんだヨ。マジキモいアル」
「うるさいな!だって毎度毎度悪いじゃないか」
「私が好きでしてるんだからいいの。一人で食べるより、みんなで食べたほうが美味しいからね」
「そうかもですけど……。あれ、なんか今日は荷物多いですね」
「あ、これからあんまり来れなくなりそうだから」
新八くんと話しながら台所へ入る。たまさん同様に、新八くんは忙しいんですか?と訊ねる。先程同様に、私は曖昧に肯定する。
「そうなんですか。真選組の女中さんって、やっぱり大変なんですね」
新八くんは律儀で真面目で優しい子だった。自由奔放な神楽ちゃんや自堕落な銀時の中にあって、唯一の良心だ。その分苦労も多いようだけれど、全く擦れていない。それほど歳差もない沖田さんとは似ても似つかない。沖田さんは今朝も土方さんにちょっかいを出していた。毛嫌いしているように見えて近付いてはからかっている。仲がいいのか悪いのか、よくわからない。
食事を終えて後片付けをしていると、ふらりと銀時が台所へ顔を出した。神楽ちゃんは居間でテレビを見ており、新八くんは家に帰ったあとだった。新八くんは手伝いますと言ってくれたのだけど、お姉さんが久しぶりに休みだと聞いていたので断った。
「どうしたの?」
「仕事、忙しいの」
柱に凭れて銀時が訊ねる。私は、皿を洗っている手を止めて顔を上げる。土方さんの顔が過る。
*数日前
「私にやらせてください」
突然の申し出に、近藤さんと土方さんは揃ってきょとんとして私を見た。お茶を運んできた女中の何の脈絡もない発言に対する当然の反応だった。向かい合って座っている近藤さんと土方さんが目を合わせ、土方さんが発言権を預かる。
「おまえ、聞いてたのか」
「すみません、聞こえてしまって」
土方さんは苦虫を噛み潰したような表情で煙草のフィルターをしがむ。近藤さんも難しい顔で腕を組んだ。
近年江戸の裏社会で天人が持ち込んだ違法薬物が蔓延っている。その中でも大量生産されやすく、安価で手にしやすい薬物は裏社会のみならず堅気の一般人にも出回っている。まだ春の終わりの頃、山崎さんが見張りをしていた干物屋が売買していたのもそれだ。
真選組の狙いは、無論違法薬物の取り締まりもあるが、そこへ介在している攘夷志士だった。件の干物屋に出入りしている攘夷志士というのが、かつて攘夷戦争に出ていた強者でどこかに仲間と共に潜伏している可能性が高いというのが真選組の読みだった。倒幕を掲げ、天人を追い払わんとする攘夷志士が宇宙から持ち込まれた違法薬物に手を出すなど本末転倒だ。
そして先日、山崎さんがついに干物屋に現れた攘夷志士の男の尻尾を捕まえた。潜伏場所は家族経営の旅籠屋。男は干物屋へ立ち寄ったあと、旅籠屋の裏口へ姿を消した。しかし、近隣の住人曰く、少し前まではガタイのいい男をよく見かけていたが、最近ではほとんど見ていないという。外れにしても当たりにしても、強制捜査に入るにはもっと決定的な証拠が必要だった。
普通、物証集めや潜入には監察方が入る。しかし、山崎さんは長期の見張りが祟り、栄養失調、神経衰弱で入院している。ただでさえ少ない他の監察も別任務で出払っていた。
「旅籠屋なら、男性が入るよりも女性が働きに入ったほうが自然です」
「それは尤もだが、これは俺たち警察の仕事だ」
土方さんは私の提案を一蹴した。
「私にできることがあるなら、やりたいんです」
土方さんを見据える。易々と頷いてはくれない。膠着状態になることを見て取った近藤さんが口を挟む。
「ナマエちゃん、気持ちはありがたいが、きみはあくまで一般人だ。もし本当に旅籠屋に攘夷志士が潜伏していたら、一番危険な目に遭うのはきみだ。万が一きみが真選組の手の内の者だと知れれば、どんな目に遭うのかわかるだろう」
「わかってます。でも、それは誰が潜入しても同じでしょう」
「同じじゃねえ」
土方さんが私を睨む。
「日々鍛えてる俺たちとおまえが一緒だと?思い上がんな」
「トシ」
近藤さんが諫める。土方さんの真っ当な正論に私は返す言葉がなくなる。
屯所で働き始めてまだ日の浅い頃だった。万事屋が銀時の家とは知らず、神楽ちゃんと夕食を食べた帰り道、沖田さんの率いる一番隊の討ち入り現場に遭遇した。凄惨な現場だった。真選組が幕府お抱えの武装警察とは知っていたけれど、普段の彼らにはそういった殺伐さはなくて、私は彼らが一組織であり侍であることを意識していなかったのだ。でも、あの夜に、一人の隊士が静かに息を引き取っていく姿に私はただ手を取るだけで何もできなかった。それが歯痒かった。
私は、自分と土方さんや近藤さん、隊士のみんなが同列とは露程も思っていない。剣を振るったこともない非力な一人の人間だ。その非力な私の手で、少しでも彼らの役に立てることがあるのなら、力になりたいのだ。しかし、それさえも傲慢なのかもしれない。
「いいじゃねぇかァ」
渋い声と共に襖がすっと開く。そこに立っていたのは警察庁長官、松平片栗虎だった。私はほとんど面識はないが、その顔だけはテレビのワイドショーで知っていた。口に咥えた葉巻に、ティアドロップのサングラス、独特な巻き舌を混えた話し口調は一度見たらなかなか忘れられない。
松平長官の登場に、私だけでなく近藤さん達も目を丸くする。
「とっつぁん、来てたのか」
「近藤、女が体張って役に立ちたいっつってんだ。その気概を無碍にするもんじゃねえよ」
長官は私の前にしゃがみ、サングラスの奥の瞳でまじまじと私の顔を眺めた。
「いい目をしてるなァ、お嬢さん」
「オイ、とっつぁん。まさか」
土方さんがあぐらを崩して片膝を立てる。長官は二人を振り返り、「いいかァてめーら」と懐から出した銃を構える。
「潜入はこのお嬢さんに任せなァ。その代わり、傷一つでもつけさせんじゃねえぞ。死んでも護り抜け。擦り傷の一つでも見つけたときにゃぁ、この俺がてめーらを撃ち殺してやんよ」
「で、でもとっつぁん」
うろたえながら立ち上がろうとした近藤さんの頬を弾丸が掠める。長官の手の銃口からは硝煙が立ち昇っていた。
「二度は言わねぇぞゴリラァ」
顔を引きつらせる近藤さんの背後の壁には弾丸がめり込んでいる。土方さんは立てていた膝を落とし、舌打ちをして乱暴にあぐらを組み直した。
「すごく忙しいってわけじゃないよ。土方さんの手伝いがいっぱいあって」
誤魔化すように洗い物を再開する。スポンジを握り、泡立たせる。
「そんなん自分でやらせりゃいーだろ」
「土方さんが自分でできないからやるんだよ」
銀時は釈然としない様子だったが、居間へ戻っていった。私は安堵の溜め息をつく。潜入捜査は身内にも外部にも口外しないのが鉄則。しかし、銀時の前だと嘘をついても全て見透かされてしまっているような気がする。幸い、知り合いとはいえ真選組と万事屋はしょっちゅう顔を突き合わせているわけではないようなので、バレることはないだろうけれど。
後片付けを終え、少しだけお茶を飲んで席を立つ。神楽ちゃんにまた来るね、と手を振り階段を降りていくと、銀時が後を追ってきた。すれ違いざまに銀時が「まっすぐ帰るんだろ」と一言。送ってくれるつもりのようだ。
「まだ明るいからいいよ」
「コンビニ行くついでだ」
銀時がスクーターのエンジンをかける。ハンドルに引っ掛けてあったヘルメットを投げられ、かろうじて掴み取る。銀時はスクーターに跨り、早く乗れと促してくる。数拍迷って、ヘルメットを被って銀時の後ろに乗る。着流しを掴むとスクーターはゆっくりと走り出した。スナックの明かりが点っているのが見えて、そういえば、と口を開く。
「私が通い妻だって」
スクーターが急ブレーキをかける。前のめりになる車体に合わせて、顔面が銀時の背中にぶつかった。
「危ないな!」
「おまえが珍妙なこと言うからだろうが!」
「私じゃないよ、近所の人が言ってるってたまさんが」
銀時はどこのどいつだとぶつぶつ言いながら、改めてスクーターを走らせた。そんなに怒ることないのに、と私は眉根を寄せる。
三十キロで走るスクーターは景色を緩やかに映す。銀時の着流しが風で靡いている。頭のヘルメットは少し重かった。
アパートの前でスクーターが停まる。お礼を言うと、銀時は「おまえさぁ」と私の返したヘルメットを被った。
「忙しいからって、あんま無理すんなよ」
目を合わせないまま気遣われる。昔から銀時は聡いところがある。聞き覚えのある台詞だった。昔、別れ際に言われた言葉だ。
「大丈夫だよ。少なくとも今は無理してない」
「爆発してからじゃ遅ぇから言ってんだろ」
「あはは、そうだね」
人は大概が理性的な生き物で、どんなに辛いことがあっても、表面上はみんな何でもないような顔で日々を生きている。押し殺した感情を発散させる方法は人それぞれだけれど、私にはそれがなかった。飲み込んで溜め込んで、ふとしたときに決壊してしまう。それがいつも銀時の前であることは、多分、偶然じゃない。でも、もう同じ轍は踏まないようにしなければいけない。
「まあ、なんかあったら言えや。頼まれたら何でもする万事屋だから、俺」
走り去るスクーターを見送っていると、懐の携帯電話が鳴る。急かすような電子音に急いで通話ボタンを押す。電話口の相手は土方さんだった。
「もしもし、お疲れ様です」
「お疲れさん。日程が決まったぞ」
携帯電話を握る。旅籠屋への潜入は、三日後になった。
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