「土方さーん、お蕎麦の出前って頼みましたか?」

 返事を待たずに障子を開けると、半裸の土方さんが立っていた。ズボンは履いているが、上半身には重い隊服もシャツも着ていない。露わになった鍛え上げられた体に思わずぽかんと口を開けたまま固まる。それは土方さんも同様だった。私は土方さんと目を合わせたまま、そっと障子を閉じた。すると、室内から「あっづ!」と声が聞こえてきた。
 恐る恐る障子を開けると、土方さんが自分の足の甲を懸命に払っていた。咥えていた煙草から灰が落ちたようだ。

「……どうしたんですか、全身鏡なんか出して」

 土方さんは慌てて煙草を灰皿へ戻した。全身鏡には、しなやかで逞しい体を丸める土方さんの姿が映っていた。私の知る限り、土方さんは見た目は色男と言って差し支えないけれど、自分の容姿にさして頓着するようなタイプではない。身嗜みを整えるために鏡を見ることはあるが、服を脱いで頭から爪先まで自分を見るほどナルシストでもなかったはずだ。

「おまえ、断ってから入れよ」
「ごめんなさい」

 土方さんはいそいそと手繰り寄せたシャツを羽織る。着痩せするんだな、と思った。

「動揺しすぎじゃないですか?」
「逆におまえは平然としすぎじゃねえのか」
「軽い怪我の手当てならいつもしてるので」

 屯所へ来たばかりの頃は遠慮気味だった隊士たちも、最近では傷を見てください、と声をかけてくれるようになった。大したことはできないけれど、頼ってくれることは嬉しい。ただ、ほとんどの隊士は何の躊躇いもなく服を脱いで身を預けてくれるのだが、たまに土方さんのように体を見られることを恥ずかしがる人もいる。私としては、昔からおじいちゃんの手伝いをしているので今更何とも思わないのだけれど。
 ひとまず、ざる蕎麦を机の上に置く。机上にはいつもは書類が積まれているが、今日はすっきりとしていた。
 畳に落ちた灰を拾っている土方さんを一瞥する。翻ったシャツから、脇腹の大きな絆創膏が見えた。全身鏡なんかを出していた訳に得心した。

「絆創膏、変えましょうか?」
「あ?」
「これから変えるんでしょう?」

 土方さんは視線を逸らし、何かを逡巡したあと、いや、と答えた。

「自分でする」

 土方さんの手当てだけはしたことがない。土方さんは前線に立つことは多いが、あまり怪我らしい怪我をしているところを見たことがない。たまに包帯を巻いている姿を見るけれど、私はそこに触れたことはない。
 ――解せない。むっとして脇腹の絆創膏を人差し指で押す。すると土方さんは鈍い声を上げた。

「ぃっ!」

 そのまま絆創膏を一息に剥がす。まだ塞がり切らない刀傷がそこにあった。土方さんが私を睨み抗議する。

「てめーもうちょっと優しく剥がせ!」
「痛かったですか?」
「たりめーだろうが!」
「じゃあお蕎麦でも食べながら大人しくしててください」

 土方さんは不満げだったが、諦めたのかその場に居直った。一度羽織ったシャツを脱ぎ、机に向き合いお蕎麦を啜り始める。
 剥がした絆創膏には乾いた血が滲んでいた。深い傷ではないようだが、脇の下は下手すれば大量出血してしまい、失血死する可能性もある。土方さんがそう易々と急所を斬られるとは思えないが、戦場に出ることができない私には、彼等がどんな戦いをしているのか把握できない。この憂苦は、ずっと付き纏うのだろう。
 土方さんの斜め後ろに座り、肌の上にひたりと手を当てる。指が冷たかったのか、背中が僅かに動く。動かないようにと念を押し、皺にならないように慎重に絆創膏を貼る。貼ったあとに馴染ませるように軽く摩りながら、まじまじと背中や腕を見る。やはり小さな傷跡はいくつかある。しかし、近藤さん然り、真選組の面々は日頃から鍛えているおかげか怪我の治りが早い。土方さんの怪我もじきに治るだろう。

「この傷って、この前の捕り物のときのですか?」

 先日、真選組は攘夷浪士を一斉捕縛した。それも攘夷浪士の中では名の知れた狂乱の貴公子とも呼ばれる桂小太郎率いる攘夷党の一部だ。
 ずるずると蕎麦を啜る音がする。土方さんは猪口に残ったネギを全て入れていく。

「桂には程遠いがな」
「桂小太郎ってそんなに厄介な人なんですか?」
「逃げ足が速い上に危ない橋は渡らねえ。だが、穏健派に移ったことを未だに仲間内でも気に入らねえ奴がいるようだ。奴等も一枚岩じゃねえからな」

 土方さんは苦々しそうに言った。屯所へ来るまでは知らなかったけれど、攘夷浪士の中でも思想や倒幕のための手段は様々だ。穏健派の代表格、桂小太郎や過激派の高杉晋助などは私でも名前は知っている。

「そういやおまえ、休み取ってあったな」

 話題が転換される。土方さんは猪口の蓋を閉め、空になったざるの上に割り箸を置く。

「久しぶりに田舎に帰省します」
「……アイツも知ってんのか」
「アイツって?」
「万事屋」

 万事屋という言葉と銀時が結びつくのに時間はかからなかった。そういえば神楽ちゃん曰く、真選組と万事屋は腐れ縁だった。しかし、そこでなぜ銀時が出てくるのだろう。私と銀時が知り合いだと土方さんに話したことがあっただろうか。

「言ってませんけど、なんでですか?」
「いや、あのヤローが」
 
 土方さんは言いかけて口を噤み、蕎麦を啜る。続く言葉を待っていると、土方さんは蕎麦を咀嚼しながら私を一瞥した。

「古い付き合いらしいな」
「……そう言ってました?」
「なんとなくそう感じただけだ」

 外界へ向けて銀時が私のことをどう話しているかを聞くのは初めてだった。土方さんの口振りからして明言した訳ではないようだけれど。

「おまえが前に言っていた、そばにいてほしかった奴ってのはアイツのことなんだろ」

 土方さんが振り返り、畳の上に放られていたシャツへ手を伸ばす。胸筋やおへその辺りが目につき、見慣れたとはいえ少し目のやり場に困った。訊ねられたことへの返答にも窮し、間を埋めるように先んじてシャツを取って渡した。土方さんは私が言葉を言い澱んでいることに気付き、シャツのボタンを閉めながら「野暮だったな」と小さく謝った。私はかぶりを振る。

「すごく助けられていたんです。あの人がいなきゃ今の私はいないし、これからもそれは変わりません」
「惚れ込んでるんだな」

 ボタンを上まで留め、土方さんはベストを手繰り寄せる。着込むたびに表情が変わっていくように見えるのは気のせいではない。

「そういうんじゃないですよ」
「てめーはバカか」

 土方さんは真選組の頭脳だなんて呼ばれているけれど、短気で口が悪い。仕事中を除けば割と短絡的だと思う。働き始めた頃は暴言を吐いてきたことなんてなかったのに、三ツ屋への潜入以来、平然と私のことをバカだと言ってくる。

「会いたいだのそばにいてほしいだの思うのなんて、相手に惚れてるからに決まってんだろ」

 ジャケットを着込んだ土方さんが呆れ顔で私を見下ろす。裸を見られて狼狽ていた人と同一人物とは思えないほど堂々としている。服を着ただけで気も大きくなるのか。
 まさか土方さんの口から男女の機微について説かれる日が来るとは思ってもみなかった私は苦笑した。不慣れな話の方向を変えるように矛先を土方さんへ向ける。

「土方さんには、そういう人がいるんですか?」
「……さぁな」

 土方さんは目を伏せ、自嘲気味に笑みを漏らした。少しの空白は、思い浮かべる顔があったことを窺わせた。しかし、それを問い詰めることこそ野暮だ。
 私の頭には銀時の顔が浮かんでいた。会いたい、そばにいてほしい。それが叶うなら、私は銀時と結ぶ関係がどんなものであろうと構わない。たとえ苦しくても傷付いても、私は銀時の隣を選ぶ。私は銀時のそばにいられるのなら、どんな形でもいいのだ。今の距離でも進歩したほうだと思う。しかし、これ以上は躊躇ってしまう。
 靴下を履こうとした土方さんのズボンの裾が捲れる。垣間見えた足首に、縦に入った傷が見えた。私は咄嗟に土方さんの足首を掴む。突然のことに土方さんはぎょっとしている。

「足も傷あります?」
「ンだよ。脱がねーぞ」
「脱がなきゃいけないような場所にも傷があるんですか?」
「は?ねーよ」
「さっきの傷見て思ったんですけど、病院にも行ってませんよね?自己流の治療はやめてください。膿んで腐り落ちますよ」
「怖えーこと言うな!」

 脅しが効いたのか、土方さんは大人しく足の傷を見せてくれた。手当ての最中に部屋に入ってきた沖田さんは「そういうプレイですかィ」と目を細めていた。無論、土方さんは全力で否定していた。






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