鮮やかな薄い紅色の着物は、まず自分では選ばない代物だった。鏡に映る自分の姿を何度も何度も確認する。しかし、いくら見返してもしっくりこなかった。
土方さんの縁談を破談にするために偽の恋人を演じることになったことを女中の先輩に話したところ、じゃあきれいにしなくちゃね、とこの着物を貸してくれた。試しに着て見せたときには、似合うと褒められて内心舞い上がっていた。しかし、出かける当日になって着てみると、どうもちぐはぐな気がしてならない。
普段着へ着替えたいのは山々だったけれど、見合い相手の目に止まりやすくするためには目立つ色を身に付けなければいけない。散々悩んだ末に、ええいままよと家を出た。
土方さんのお見合い相手の女性がいるのは、中華料理のレストランだ。今夜、彼女はここで友人たちと食事会を開いている。さすがにナイトクラブに私と土方さんの二人で入るわけにはいかなかったので、山崎さんに彼女のスケジュールを調べてもらっていたのだ。山崎さんの精明強幹さには頭が下がる。
「変じゃないですか?」
レストランの前で土方さんに確かめる。しかし、土方さんは小首を傾げて「なにが」と言った。私の格好になど興味がないようだ。土方さんに女性の気配が微塵もない理由がなんとなくわかった。
「なんでもありません……」
「店で敬語はやめろよ」
不安が拭えないまま、レストランに足を踏み入れる。店内は壁も床も赤で統一されており、私は着物の色が目立たないのではとまた心配になった。土方さんは普段通りの黒い着流し姿なので、尚更目につきにくい。傍から見れば、私ばかり意気込んでいるように見えるのではないだろうか。釈然としないが、後の祭りだ。
淡い照明が木目調の床を照らしている。壁のくぼみに収められた壺も、隅に飾られた生け花もすべてが高級品に見えた。運ばれてくる水の入ったグラスでさえも輝いている。
私たちは二人がけのテーブルに通された。壁側に土方さんは座り、私は向かいの席に座った。土方さんのほうからは、木格子を挟んで店内全体が見渡せる。一つテーブルを挟んだところには、品の良い熟年夫婦らしい二人組が座っている。他にも人は点在しているが、混雑しているほどでもなかった。
落ち着きなく視線を彷徨わせていると、土方さんは私が見合い相手を探していると勘違いし、声を落として呟く。
「右斜め後ろ。一番奥のテーブル」
「はい?」
「さりげなく振り向け」
さりげない振り向き方がいまいちわからない。ゆっくりと静かに動いたつもりだったが、油の切れたからくりのようになってしまった。土方さんが眉間に皺を寄せている。
木格子の向こうにあるソファー席に、五人ほどの若い男女のグループが座っている。中央に座っている、紫色の着物の女性がお見合い相手だ。彼女はまだこちらに気が付いておらず、友人たちと談笑している。その手にはワイングラスがある。
「紹興酒じゃないんですね」
「どこを見てんだ」
「でも、こっちに気付いてませんよ」
「おまえは座っていればいい」
所在なく水を一口飲む。座っているだけでいいなら結局私じゃなくても良かったんじゃないだろうか。
前菜に始まり、エビチリ、麻婆豆腐、北京ダックなど中華の有名料理が次々に運ばれてくる。さすがの土方さんも高級料理店であることを意識しているのか、マヨネーズは注文しなかった。そのせいかただの食事のようになってしまい、本来の目的が薄れるほど私は料理を楽しんでいた。お酒も頼んであったものの、土方さんはほとんど口をつけなかった。匂いがきつく、私も舐める程度にした。
コースも終盤に差し掛かり、蟹の入った炒飯が運ばれてくる。店員の男性がテーブルに炒飯を置き、離れようとしたところで土方さんは懐に手を差し込んだ。出てきたのは、マヨネーズ。
土方さんは赤い蓋を外し、炒飯に渦を描くようにマヨネーズをかけ始めた。去ろうとしていた店員は目を点にして立ち止まっている。老夫婦も唖然としてこちらを見ていた。
土方さんは高級料理店だからと気を遣っていたわけではない。周囲からの視線を集めるために機を待っていたのだ。身も蓋もない言い方をするなら、なんともバカみたいな気の引き方だ。背を向けているのでわからないが、おそらくお見合い相手もこちらを見ているのだろう。
立ち竦んでいた店員が、引き攣った笑みを浮かべながら腰を屈める。
「お客様、持ち込みは……」
「あん?」
しかし、土方さんの目力に気圧されて口を噤んでしまう。私は店員の男性が気の毒になり、つい間に入る。
「ひじ……、と、十四郎さん、困ってらっしゃるから」
「あ? 炒飯にはマヨネーズだろ」
「それは十四郎さんの中だけの常識です」
すみません、と小さく頭を下げると、店員は曖昧な笑顔のままバックヤードへ戻っていった。老夫婦は奇異なものを見るような視線を向けていたが、私が苦笑いをすると、同じように苦笑いで返して姿勢を戻した。
「なんで十四郎さん?」
唐突に訊ねられる。私が返事をすぐにできずにいると、土方さんは目を伏せた。
「……いや」
テーブルの上の右手が緩く拳を作っている。長い睫毛が影を差す。
「煙草吸ってくる」
土方さんが席を立つ。離れていく背中を見送り、座り直した。炒飯にはふんだんに蟹が入っている。冷めたフカヒレスープには私の微妙な顔が映っていた。
突然沈んだ声色。マヨネーズがたっぷり乗った炒飯。土方さんがマヨネーズを放置してその場を離れることなど、まずない。
演技とはいえ、十四郎さんと呼ばれたことが嫌だったのだろうか。剛毅な土方さんにも、触れてほしくないものがあるのだろうか。ひとの傷は、どこにあるかわからない。目に見える形で存在しているわけではないのだから、すべてを知るなど無理だ。かと言って、心の中も頭の中も見えてしまえばいいとは思わない。相手にそれを求めてしまえば、自分もそれを差し出さなければいけなくなる。
触れてほしくないもの。そんなものは、私だって――。
食事を終えた老夫婦が店を出ていく。杖をつく旦那さんの腕を奥さんが支えて歩いていく姿を見て、短く息を吐いた。今はいろいろと考えていられない。あとは、見合い相手の彼女が私たちをどう見るかだ。
レンゲを手に取ると、ふと視界に紫色の着物が入ってくる。顔を上げると、そこにはお見合い相手の女性が立っていた。仏頂面の彼女は私の向かいに座り、テーブルに肘を着いた。
「当て付け?」
声が出てこない。美人の無表情は威圧感がある。私が黙っている間にも、彼女は言葉を連ねていく。
「あなた、本当に土方さんの彼女なの?こんな女がタイプとかちょっと引いちゃう」
嘲笑が漏らされる。吐息がお酒臭い。相当飲んでいるようだ。彼女はお皿の上のエビチリをフォークで刺した。
「私と結婚すれば真選組だって将来安泰だし、土方さんの地位だってもっと上げられるのに」
彼女の一目惚れだと聞いていたけれど、そんな素振りはない。私は躊躇いつつも訊ねる。
「……お見合いは、あなたの意思で?」
「そうよ。あんなにイイ男、なかなかいないもん。それに真選組の副長。逃すわけにはいかないでしょ。どうせあなたもそのクチでしょ?」
ふっくらとした唇がエビチリを吸い込む。勝手に一緒くたにしないでほしい。
「でも、もういいや。向こうはその気もないみたいだし。顔が良くっても頭が悪い人はダメね」
私はきょとんとした。
「……頭が悪い?」
「そうでしょ。忖度できないんだもん」
「忖度」
ただ繰り返す。彼女の言っていることがいちいち引っかかる。
「まあこれからの時代に侍なんて流行らないし、解体されるのも時間の問題かもね。最近は見廻組の方が目立ってるし」
「流行り廃りで剣を持ってるんじゃありません」
長い睫毛が瞬く。片眉を上げ、私を見る彼女の目つきは険しい。しかし、食い気味でしゃべり出してしまった手前、引くことができない。瞬時にまずいと思ったが、毅然として向き合う。
「あの人たちは時代とか流行りとかそんなもの、眼中にありません」
「……だからなに?」
「肩書や外聞ばかりで、語ってほしくない」
私は、土方さんの心の中も頭の中も知らない。けれど、土方さんが、真選組がどんな人たちの集まりなのかは知っている。誰かを護るために剣を持ち、戦うことのできる人たちだ。護るべきものを護るため、命を張ることができる。
私の真剣さに気勢を削がれたらしく、彼女は冷めた目つきになった。そして「だから何なのよ」と言い残し、席を立った。私は、彼女の姿が見えなくなってから肩を落とした。彼女が引き下がったから良いものの、喧嘩を売るようなことを言ってしまった。仮に私が本当に土方さんの恋人だと噂が出回ってしまったら、土方さんの名前に泥を塗るような行為だ。ほんの一時の苛立ちや怒りで、誰かを貶めるようなことになってしまう。彼女が誰かに言いふらさなければいいけれど、そんな確証はない。
押し寄せる後悔に悶々とする。やはり、私は土方さんの恋人なんかではないと言いに行くべきだろうか。先程の様子からして、彼女は土方さんに好意があるようには見えなかった。
デザートのマンゴープリンが運ばれてくる。間もなくして土方さんが戻ってきた。私は開口一番、すみませんでしたと謝る。
「いらないことをしました」
「いらないこと」
「でも、悪気はなくて……」
「肩書や外聞ばかりで語ってほしくない」
土方さんは炒飯にレンゲを差し込み、豪快に口に含む。そして、口端についたマヨネーズを拭う。美味しそうに炒飯を咀嚼している姿をしばらく見つめていたが、ようやく恨み言を吐く。
「見てたんなら、仲裁に入るとかしてください」
「おまえが怒ってるのが貴重だったからな」
「怒ってません」
「悪かったな」
滑るように紡がれた謝罪に面食らう。私が驚いている合間に、土方さんは穏やかに微笑んだ。
「おまえが、アイツに惚れてる女でよかった」
穏やかに笑う土方さんを初めて見た。ぽかんとしている私を他所に、土方さんは何事もなかったかのように食事を再開した。それ以上に何かを語る気配もなかったので、私はまた悶々としながら残った料理を食べ進めた。なぜか土方さんは、少しだけ機嫌が良かった。
私たちが食事を終える頃になっても、ソファー席では飲み会が続いていた。彼女の様子を窺ったが、目は合わなかった。
レストランを出て、星一つ見えない夜空の下、タクシーの拾える大通りまで土方さんと並んで歩く。道行く人は千鳥足で、店先で蹲っている人も何人かいた。すまいる、と看板の出たキャバクラの前では、キャバ嬢たちが土方さんに黄色い声を上げていた。その中で、ショートヘアの女性が手を振りながら声を張り上げる。
「土方さーん! あとでゴリラ回収してねー!」
「あー……あとで寄る」
土方さんは深い溜め息のあとに素っ気なく答え、再び歩を進める。歩調は一定で止まることがない。その隣を歩きながらぽつりとこぼす。
「土方さんは、まっすぐ歩きますね」
迷いがなく、一歩一歩地面を踏み締めている。ふわふわとどこか浮いているような、気怠げな歩き方ではない。
「あの天パと比べんな」
驚いて見上げる。土方さんは不満げに口元を歪めていた。
「よくわかりましたね」
「わかっちまうところが自分でも気にくわねえが」
銀時は目に入るものに気を取られ、その度に足を止める。一緒に歩いていても全く前に進まない。
「時間がかかって仕方ねーだろ」
土方さんは呆れたように言うが、私は笑いながら答える。
「でもね、楽しいんです」
走り去る車のライト、派手な電飾、道路を照らす街灯。星一つなくても、街は夜でも明るく、目がちかちかした。広い道路へ出ると、明かりは更に目を刺す。
土方さんが片手を上げると、すぐに一台のタクシーが停車した。座席を詰めて乗り込むと、土方さんは領収書もらってこいよと言ってドアを閉めようとする。
「土方さんは乗らないんですか?」
「近藤さん拾ってくるんだよ」
「えっ、さっきのゴリラって、まさか近藤さん?」
「おまえは早く帰れ」
土方さんは咥えた煙草に火をつけ、夜空に煙を吐き出した。白煙は闇に紛れて消えていった。
「あとな、楽しいとかそういうのは本人に言え。惚気なんざ興味ねえんだよ」
言い訳する間も無く、ドアは閉められてしまった。運転手のおじさんに「どちらまで?」と訊ねられる。土方さんに惚気なんかではないと反論したかったが、既にこちらに背を向けているので諦めて住所を告げた。タクシーは交差する道路に入り、夜の街を走り始める。
顔が浮かぶと、会いたくなってくる。我ながら単純だと自嘲した。
この前は、なんだか妙な空気のまま別れてしまった。あのときは銀時の私を責めるような口調に気色ばんでしまったが、あれは銀時なりに心配してくれていたのではないだろうか。真選組副長と言えば一部界隈では名が知れている。恨みも買いやすい。
――まあ、たった一夜のことで厄介事に巻き込まれるとは思わないけれど。
窓辺に頭を置き、すれ違う車を眺める。点滅する黄色い信号が眩しかった。
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