「銀時なら入院してるよ」
明日の天気を話すような軽快さで放たれたお登勢さんの一言に、私は言葉を失った。
「なんか仕事でヘマやらかしたみたいでね」
慣れているのだろう、お登勢さんは淡々としていた。煙草の箱をとんとんと叩き、一本を口に咥える。
「たまにあることさね」
「そうですか……」
カウンターに置いた梅干しの詰まった瓶の蓋へ目を落とす。園山のおばあちゃんにお手製の梅干しを送ってもらったので、スナックお登勢と万事屋へお裾分けに来たのだ。しかし、万事屋の呼び鈴を鳴らしても応答はなく、一階のスナックへ降りたところ、予想だにしていなかった返答をもらってしまった。
万事屋の仕事内容については聞いている。その名の通り何でもありの仕事だが、入院するほどの大怪我をするような依頼もあるとは知らなかった。それも、たまにあることだなんて。
落ち着きなく膝の上で手を組んでいる私を見兼ね、お登勢さんが口を開く。
「大江戸病院の三〇八号室。退屈してるだろうから行ってやんな」
お見舞い品を買っていくような気は回らなかった。お登勢さん曰く「ちょっとした怪我だから本人はピンピンしてる」らしいが、それでも気持ちが落ち着かなかった。思い出されるのは、初めて会った夏の日の、血塗れの銀時の姿だった。
大江戸病院に来るのは夏の潜入捜査以来だった。当時は救急車で運ばれたし、沖田さんが付き添ってくれていたのであまり周囲を見るような時間はなかった。しかし、改めて建物の大きさと、比例するように広いロビーを見渡して戸惑う。当たり前だが人も多く、目を白黒させてしまった。
頭の中で三〇八号室と繰り返しながら病室の前を通り過ぎていく。目的の病室の前に着いたとき、中から聞こえてきた銀時の声に足が止まった。
「だぁから泣くなっつってんだろーが」
「だって、おじさん死んじゃうと思ったんやもん」
「おにいさんな! いい加減覚えようか!」
元気そうな声に肩の力が抜ける。話しているのは、まだ幼さの残る女の子のようだ。関西の子なのか、少し方言が混じっている。落ち着いた女性の声も聞こえるが、女性は申し訳なさそうに謝罪している。
「万事屋さん、ほんまに迷惑かけてすいませんでした。入院費も追加でお支払いします」
「そんなんいーって」
「でも、この子たちを護ってもらったんに」
「いやいや、俺が勝手に下手打っただけだから。そんな気遣ってくれるなら、苺大福買ってきてくれたほうが嬉しいんですけど」
「苺大福?」
「病院出たとこにさァ、甘味屋あんの。退院したら、それ持ってまた万事屋来てくれや」
私が買う! と女の子の張り切った声が聞こえる。
「だからちゃんと首洗って待っとって! 約束な!」
「おー、頼まァ。首洗うの使いかた間違ってるけどね」
女の子と女性が病室から出てくる。廊下の隅に立っていた私と目が合うと、女性は小さく会釈をした。音もしなかったので気がつかなかったが、背中には赤ん坊を背負っていた。会釈を返し、止まっていた足を病室へ向ける。
銀時は六人部屋の廊下側のベッドにいた。思わずすぐに見つけてしまったので、突っかかるように立ち止まる。銀時はきょとんとして、「あれ」と呟く。なんでおまえが来ているのか、と言いたげだった。
銀時は頭に包帯を巻き、頬にも大きな絆創膏を貼っていた。入院着から覗く胸元にも包帯が巻かれている。その痛々しい姿に、率直な思いがこぼれた。
「ちょっとじゃない」
「は?」
怪訝な顔をされる。自分の表情があからさまに曇っていくのがわかる。
「ちょっとした怪我だって聞いた」
「あー……なに? ババア? 新八たちか。見た目より痛くねえんだよ。こんなん慣れてるし」
下唇を噛む。殴られたのか斬られたのか知りはしないけれど、その包帯で覆われた下には傷があることに違いないのだ。見た目や、慣れているかどうかの問題ではない。
食ってかかりたい気持ちを抑え込む。カーテンで仕切られた隣のベッドから小さくラジオの音がする。向かいのベッドは人がいた形跡はあるが、空だった。病室の奥からも人の声は聞こえてこなかった。
銀時は身を屈めて私の顔を覗き込む。それを遮るように顔を逸らすと、気の抜けるような表情で、いつもと変わらない声色で訊ねる。
「泣いてんの?」
「泣いてない……けど」
「けど?」
「心配させないで」
銀時は僅かに目を細める。先程の会話の流れから、銀時があの子たちを庇って怪我をしたことくらいは察しがつく。自分を犠牲にするななんて言えないけれど、銀時が傷付くことで胸を痛める人間もいるのだとわかってほしい。けれど、銀時からすれば、そんなことを私に口出しされる筋合いはない。
「……おまえが言うかね」
ぽつりと呟き、銀時は頭に手を回してベッドに倒れ込む。スプリングが軋んで音を立てる。ベッドサイドのテーブルには真っ赤に熟したりんごが置かれていた。
「私が言うことじゃないっていうのはわかってるけど」
少し早口になりながら言った。しかし、銀時は泰然としていた。
「……いや、おまえ、たぶん違う意味でとってるわ」
「違う意味って、なにが?」
「なにがって……」
難しい顔をしながら銀時は口籠る。そしてしばらく考え込んでから、寝返りを打ってこちらに背を向けた。
「まあ、あれだ。おまえも危機感がないって話」
「危機感?」
背中を見ながら繰り返す。しかし、銀時は詳しいことは話してくれなかった。
「土方くんの彼女役、どうだったの」
急な話題の転換に目を瞬かせる。今度は私が口籠る。
「どうって……うまくごまかせたみたいだけど」
中華料理店で食事をした数日後、お見合い相手のほうから縁談を取り止めにすると連絡があったらしい。元々彼女のほうに土方さんに対する恋心などはなかったようだし、私が妙な喧嘩を吹っかけてしまったことが原因だろう。土方さんのことを気が短いと思っていたけれど、案外私も短気なのかもしれない。役に立てた実感はないものの、何はともあれ、あっさりと作戦が成功してしまったので良しとすることにした。土方さんからは今度お礼に何か奢るので食べたいものを考えておくように、と言われた。
「おまえもさー考えたほうがいいと思うよ? なんかあるたびに駆り出されちゃ身が保たねーだろ。女中の仕事じゃないからね? いくら世話になってるったって、それだって仕事の話だろ? プライベートにまで首突っ込まれる筋合いなくね?」
背中から放たれる空気は刺々しい。先程までの様子とは打って変わって不機嫌であることが手に取るようにわかる。ファミレスでもそうだった。土方さんが絡むと、銀時は機嫌が悪くなる。ただ単に仲が悪いというのもあるのだろうが、私にも嫌味を向けてくるのは勘弁してほしい。
「お人好しも結構だけど断ることも必要だろ。そんなんじゃ変な壺とか買わされるよ? それにあんなニコチンヤローのそばにいたらおまえの肺も真っ黒になるよ」
しつこく繰り返される嫌味に徐々に苛立ちが募る。以前のことを謝りたかったのに、これではそんな気も失せる。口元が引きつるが、あくまで冷静に返すよう努める。
「しょうがないでしょ、だって一日の三分の一は屯所にいるんだから」
「へーじゃあもう真っ黒かもしれないですねー」
「だから、それは仕事で」
「彼女のふりすんのも仕事? もしかして、おまえも満更じゃないんじゃねえの?」
喧嘩をしたいわけではない。私はお見舞いに来ただけだ。しかし、まるで私が好んで土方さんのそばにいるような言い草に、我慢ができなくなってしまった。
「なに? 私が土方さんといちゃいけないの? ヤキモチ?」
あくまで笑顔を保ちながら突き放すように言う。苛立ち半分、冗談半分だった。そんなわけない、バカじゃないのかと軽く流されるはずだった。けれど、銀時は途端に閉口してしまった。時間が止まったかのような静寂に病室が包まれた。最小限に絞ったラジオの音だけが僅かに聞こえる。
いくら待っても返事はない。背中もぴくりとも動かない。不安になり、恐る恐る名前を呼ぶ。
「……銀時?」
そっと手を伸ばして肩を叩こうとすると、勢いよく銀時が飛び上がる。布団を翻し、必死の形相だった。
「バッカおま、誰が! 誰に! そんなん!」
「えっ、いや、冗談で」
「そんなんどーでもいいからジャンプ買ってきて! 大至急!」
「えぇ?」
「売店にあっから!」
銀時は布団を被る。ふわりと風が起こり、私の前髪を払う。銀髪の隙間から見える耳が赤くなっている。それを見た私の顔にも、徐々に熱が集まってくる。視線を右往左往させ、私は小さく「わかった」と言って急ぎ足で病室を出た。しかし、病室を出てすぐに歩調を緩める。点滴を付けた老人とすれ違い、カルテを持った看護師とすれ違う。手摺りを掴んで歩く人を避けるように廊下の中央を歩く。
躍起になって否定する姿と、真っ赤な耳。予期していなかった反応だった。あしらわれるだけだと思っていた。頬が熱くて、手を団扇がわりに顔を煽ぐ。あれは、本当に嫉妬だったのだろうか。銀時が、嫉妬。似合わなさ過ぎる。私の自惚れも過ぎる。
勢いに圧倒されて病室を出てしまった手前、言われた通り売店に向かう。エレベーターの前には車椅子の老夫や、腰の曲がった女性が立っていた。私はその横を素通りし、目についた階段を降りる。受付の近くに小さな売店があったような気がする。しかし、長い階段を降りて出たところは、検査室の並ぶ棟だった。来た道を引き返してきたつもりだったが、違うところを歩いていたらしい。辺りの人通りは少なく、通りがかるのは外来の患者ばかりだった。
ここからまた歩き始めても、ますます迷いそうだ。一旦戻って振り出しからやり直すか。思案していると、「ミョウジさん?」と耳馴染みのない名字で呼ばれる。江戸で私のことを名字で呼ぶ人はそうそういない。振り返ると、何年も見ていなかった顔がそこにあった。
「笹岡先生」
白衣に、清潔感のある容姿。年齢はもう四十近いはずだが、老けた印象が全くない。
先生は曖昧な笑みを見せる。しかし、私は笑みさえ作ることができずに、立ち尽くしていた。
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