着物だけで外を歩くには肌寒い季節になった。羽織を着て屯所を出ようとしていると、沖田さんがポケットに手を入れて横から歩いてきた。

「お出かけですかィ」
「今日はもう上がりなので」

 沖田さんは私の手にある正方形の風呂敷を見遣る。「羊羹です」と言うと「羊羹」と復唱される。真選組には、時折幕府関係者から差し入れとして甘味が送られてくることがある。が、この羊羹は手作りだった。私は料理は好きだがお菓子類に手を出したことはなかったので、先輩女中さんに教わって作ったのだ。

「食堂に皆さんの分もありますよ」
「アンタの持ってるやつが食いたい」

 沖田さんが手を伸ばす。しかし、私は風呂敷を抱えて阻止する。

「これはだめです。お見舞い品なので」
「ああ、旦那、入院してるんでしたっけ。にしてもデカくないですかィ。糖尿なんでしょ」

 どこから情報が漏れるのか、沖田さんは銀時が入院していることを知っている。私の知らない情報網を持っているのだろう。

「予備軍です。同室の人たちにもお裾分けをしようと思って」

 同室には年配の人が多いようだったから、甘さは控えめにした。味見で食べたときには喉越しも良く、我ながら上出来だと感心した。風呂敷を我が子のように抱える私に、沖田さんは「ふうん」と息を抜いた。

「なんか嬉しそうですねィ」
「そうですか?」
「まあ、アンタがいいならいいけど」

 自分ではあまり感情が表に出るほうではないと思っているが、沖田さんにはいろいろと見透かされているような気がする。沖田さんは年上の人にばかり囲まれているせいか、年齢以上に人の機微に敏感だ。大人びているというのと少し違うけれど、察しがいい。
 羊羹を諦めた沖田さんが踵を返して去っていく。その行く先は、なんとなくわかる。昨日から屯所内が物々しい雰囲気に包まれていることと関係があるのだろう。
 女中は屯所内の各所を掃除するのも仕事の一つだ。しかし、足を踏み入れてはいけないと言われている場所もある。敷地の奥まったところにある、一見すると倉庫のように見える建物だ。そこは所謂拷問部屋という場所らしい。近藤さんや土方さんに聞いたわけではなく、先輩女中に聞いただけなので確かではないけれど。そこには厳重な鍵がかけられており、見張り番が立っていることもある。
 沖田さんも拷問に参加するのだろうか。人を痛めつける趣味があるようだし、向いていそうだけど、本来の目的には添わないのかもしれない。室内の凄惨な光景を想像して、身震いして頭から振り払う。傷や怪我には慣れているけれど、たとえ悪人であっても人が苦しむ姿を見るのはやはり嫌だ。屯所を出て、病院へ向かうバスへ乗り込んだ。

 病室に着くと、銀時は口を開けて眠っていた。向かいのベッドの男性が「いびきがやかましいんだ」と銀時を指差した。私は風呂敷に包まれた羊羹の容器を包帯の巻かれた腹部に乗せた。ぐ、と短く呻いて銀時が目覚める。

「おま、マジ全治何週間だと思ってやがんだ」
「寝るなら静かに」
「永眠しろってか」

 容器を退かし、サイドテーブルで蓋を開ける。紙皿に切り分けた羊羹を取り、同室の人達へ配る。窓際のベッドには足を骨折している中年の男性がいた。羊羹を持っていくと、大きな声でお礼を言い、銀時へ恨めしそうな目を向けた。

「気の利くカノジョがいていいなー銀さん!」

 え、と声が漏れる。銀時は頬張っていた羊羹を喉に詰めて噎せていた。咳を掻き消す勢いの大声で男性が続ける。

「おまけに別嬪さんだし!」
「カワイイ子だなぁ、いくつだ、まだ若いだろ」
「こんなちゃらんぽらんにはもったいねーよ」

 周囲の人も賛同し、哄笑が病室に響く。私の否定は笑い声の中に埋もれて、誰の耳にも届かなかった。以前も思ったけれど、街の人たちの銀時に対する評価はとても低い。けれど、それを正面から言えるのだから、銀時がいかに慕われ、愛されているのかわかる。好き放題に言われて、銀時はむきになって「嫁が見舞いに来ないからって僻んでんじゃねー」と言い返していた。
 居心地の悪くなった私と銀時は、病室を出て談話室に移った。広い談話室にはテーブル席が複数あり、大型テレビを囲うようにしてソファが並んでいる。年配の患者さんたちはソファに座り、相撲中継を熱心に見ていた。集まってはいるが、お互いに進んで会話をしようとはしていない。時々「あー」と落胆したような声を上げるだけだった。日本人力士が負け越している。
 談話室の片隅にはカップ式自動販売機があった。財布なんて持っていないだろう銀時に何か飲むか訊ねると、いちご牛乳と答えが返ってきた。しかし、いちご牛乳はなかったので、代わりにバナナオレを買った。銀時は文句は言わなかった。私は、温かい緑茶を買った。テーブル席に向かい合って腰掛け、お茶を啜る。

「あとどのくらいで退院だっけ」
「あー……一週間くらい?」
「じゃああと一回くらい来れるかな」

 頭の中の予定表を広げる。休みの日に来れそうだ。

「無理して時間作って来ることねえぞ」
「そう言われると意地でも来たくなる」
「天邪鬼か」
「人のこと言えないでしょ」

 銀時はカップを傾ける。入院着から覗く腕には白い包帯が巻いてある。動き方は平時と変わらないが、見た目は痛ましいままだった。

「アイツがいること知ってたのかよ」

 険の混じった声に首を傾げる。唐突で脈絡がないので、誰のことを言っているのか検討がつかなかった。その様子を見て取った銀時が、少し躊躇いながら続ける。

「名前知らねーけど……いたろ。おまえの田舎にあの若作りな男」
「あ、笹岡先生?」
「あー、たぶんそいつ」

 若作りは余計だが、なんとなくわかる。爽やかで人当たりがいいし、何年経っても老けた印象がないから、そう思うのも無理はない。私はかぶりを振った。

「知らなかったよ。銀時、どこかで会ったの?」

 銀時は「んーまあ」と曖昧な返事をした。否定しない辺り、どこかで会ったのだろう。同じ病院内にいるのだから会っていてもおかしくはないが、銀時が先生のことを覚えているとは思わなかった。私が知る限り、銀時と先生はあの夜に一度会っただけだ。暗闇だったし、顔がはっきりと見えたわけではなさそうだけれど。先生のほうが、銀時のことを覚えていたのかもしれない。なにせ銀時の風貌は目立つ。特に田舎では顔見知りばかりだから、知らない顔は否応にも目に付く。 
 銀時はカップをゆらゆらと揺らす。相撲中継はまだ続いている。ぽつりぽつりと会話が聞こえる。同じ時間を共有しているのだから、会話が生まれるのも必然だろう。しかし、私と銀時の間の空気は曇っていた。

「話したの」
「うん……。あ、心配するようなことは何もないよ」

 念押しするように強調する。しかし、銀時は訝るような視線を向けてくる。信じてない。あまり言葉を重ねると余計に信用されない気がしたけれど、言葉以外に信用してもらう術がないので改めて告げる。

「大丈夫。本当に平気。先生も無事」
「無事ってなんだよ。そいつの心配はしてねぇわ」

 つまり、私の心配をしてくれているのだろうか。深読みせずにはいられず、なんだかむず痒くなってカップの水面を見下ろした。緑茶の透明度が高いので、底まで見える。次いで、先程の病室での揶揄を思い返して時間差で羞恥に襲われた。銀時も否定こそしていなかったが、私たちの関係はそういうものではない。友人にも当てはめられないが、知り合いというには深くに入り込み過ぎている。
 銀時は、私の不安を攫うような言葉をくれた。何もできない私を丸ごと受け止めてくれた。はじめは理由をつけて万事屋に行くことしかできなかった。お前がいたいならいればいいと、少し投げやりな言い方でそう告げたあの口が、私がここにいることをちゃんと認めて、一緒に歩くと言ってくれた。それだけで、今までの苦しみや寂しさが全て溶けてしまう。
 しかし、本来なら、これは先生と私の間だけのことだった。そこへ銀時を巻き込んでしまうことは不本意だ。過去の私の行動は、今思い出しても衝動的としか言えない。あのとき冷静でいられたら、もっと違う方法を取れたはずだ。それを力任せに、怒りと虚しさをぶつけてしまった。そして、たまたま居合わせた銀時に迷惑をかけてしまった。銀時が私のことを気にかけるのは当然だ。この人は、情に厚くて義理堅く、人の機微に聡い。銀時の内側に入るということは、負担になり得るということではないだろうか。抱えてくれるとは言ったものの、重荷になり、ただ助けを請うだけでは——。 
 銀時は頬杖を着いて私を見る。お互いに一歩も二歩も引いていたはずなのに、まるでその距離を埋めるように。

「平気とか大丈夫とか、飽き飽きしてんだよ」
「……」

 言葉が出ない。気を揉ませたくないだけなのに、どう伝えることができるのかわからない。
 銀時は背凭れに腕を乗せ、窓へ体を向けてカップを呷った。広い雲が空を覆い、眼下を疎らに人が歩いていた。乾いた音を立てて、カップがテーブルに置かれる。

「期待はしねえよ。おまえがそうそう人を頼れねえのは知ってる」

 胸に針が刺さったような、つきりとした小さな痛みが走る。そんなことない。私は——しかし、やはりうまい表現は出てこず、そのまま口走る。

「そんなことないよ」
「そんなことあるよ」
「ないよ」

 ワッと歓声が上がる。テレビ画面の中の人と、テレビを囲う複数人が手を叩いている。日本人力士が勝ち星を上げたらしい。仏頂面で細面の力士が土俵の下に落ちている。土俵の上の力士は、あくまで冷静な様子だった。たとえ勝利したとしても、喜びを表すようなことはしてはいけない。田舎にいた頃に聞いたことがある。相撲界の決まりごとなのだそうだ。
 私は浮きそうになっていた腰を落とし、お茶を一口飲んだ。それと窓が揺れたのは、ほとんど同時だった。つむじ風が窓を叩き、枯葉を舞い上げる。窓を掠めていく葉の先、遠くの山の頭が白く染まっているのが見えた。
 
「こっちは大して降らねえぞ」

 銀時が私の視線を追う。おそらく、わざと話の方向を変えたのだろう。私はその流れに従う。

「全然積もらないの?」
「すぐ消える。あ、でも雪像作ったりする祭りはあるな」
「雪だるまみたいな?」
「いや、チン」

 言いかけて、銀時が硬直したように固まる。数拍沈黙したあと、視線を右往左往させて耳馴染みのない単語を口にした。

「ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲とか」
「ネオ……?」
「あれだ、あのー……あ、そう大砲的な。男の勲章的なね。嶋大輔だよ。おまえが見てもおもしろくないよ」

 嶋大輔の雪像を想像し、興味が湧く。

「楽しそうだね」
「いやいやいや目が腐るからやめとけ」
「なんで?」
「なんでもクソもあるか。見ないほうがいいっていうか見るな。あんなん普通は公然猥褻罪で捕まるんだから」
「銀時は嶋大輔をなんだと思ってるの」
「見たいなら俺も行くし。絶対視界に入れないようにしてやるから」
「えっ」
「え?」

 面食らった私に、銀時が釣られるように喫驚する。勢いに任せて流れるように言われたので、言葉の意味を理解するのに時間がかかってしまった。それは銀時も同じだったようで、半端に口を開けて瞬きをしている。

「一緒に行くの?」

 絞り出した問いに、銀時の上がっていた肩が落ちていく。先程までの威勢が途端に鳴りを潜める。

「……行ってもいいけど」
「……そう、なんだ」
「なんだよ。行きたくなきゃいいよ、別に」
「行く。行きたい」

 銀時は僅かに目を見開き、気まずそうに目を逸らして首筋を掻いた。銀時に会うときは大概が偶然で、約束をして会うことなどなかった。先のことで心が弾むなんていつ振りだろう。
 雪深い田舎に生まれた私にとっては、雪は生活に支障を来すものだった。幼い頃は雪遊びもしていたが、次第に雪かきに追われる生活に嫌気が差すようになった。家から出ることも一苦労で、患者さんの足は遠退き、音を全て吸い込んでいく雪空は不気味なほど静寂に包まれていた。おじいちゃんのいなくなったあとでは、それは殊更、私の心を追い詰めた。白い雪が降り積もっていく様を眺めていると、目を閉じることが怖くなった。家も私も、そのまま埋もれてしまうような気がして。
 それが、雪が降るのが待ち遠しいと思うなんて、私は相当単純にできている。綻ぶ顔を隠すようにお茶を飲む。銀時はカップをごみ箱に捨て、席に戻ってきた。先刻までの発言について気にしているらしく、ぶつぶつと呟いている。

「ていうか、嶋大輔じゃないからね。大砲には大砲だけど違う大砲っていうか……」
「なんでもいいよ」
「よくないわ。おまえはかぶき町を知らねえんだから」

 窓の外では冷ややかな風が吹き続けている。相撲中継の終わったテレビ画面の中では、アナウンサーが淡々と原稿を読み上げていた。近頃、攘夷を嘯いた犯罪が多発している。独りごちる銀時の声を聞きながら、屯所のひりついた空気を思い出し、温くなったカップを包み込んだ。






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