眼下に広がる黒い学ランと白いセーラー服。まだ桜は蕾のままだが、生徒たちの胸には花が添えられている。陳腐な造花だが、晴れやかだったり友との別れを惜しんだりと忙しいこの特別な日を彩っている。男子共が群がり、女子同士で抱き合い、中には恒例の第二ボタン行事なんかも行われていて、微笑ましい気分になる。きっと同年代なら僻んでいるところだが、自然と口角が上がるあたり、俺も年を重ねたと実感する。おっさんみたいで嫌だけど。
 手に持ったラジオが、ガガガと不快な音を立てる。アンテナを伸ばすが変わらない。

「クッソ、電波悪りぃな」

 腕時計を確認して舌打ちをする。結野アナのラジオがもうすぐ始まってしまう。学校内はなかなか電波が入りづらく、わざわざ屋上まで来たというのに。結野アナがレギュラー出演している朝の番組だって、途中で家を出るから最後まで見られない。日々あくせく働いているのに、憧れの人の声をラジオで聞くことすら叶わないのか。
 ラジオを持ったまま徘徊していると、不意に屋上の入り口のドアが開く。喫煙しに来た同僚かと思ったが、そこに立っていたのは胸に造花を飾ったセーラー服だった。卒業生ということはすぐにわかるが、顔を見てもすぐにはピンとこなかった。二、三秒黙り込んだあと、ようやく名前を思い出す。

「ミョウジ。だっけ」
「うろ覚えですか?」

 ミョウジは微笑み、スカートを風で揺らしながら俺の隣に立つ。見ちゃいないだろうが、下から見ればパンツ丸見えだろうなと思った。
 相変わらず機械音しか出さないラジオを白い手が攫う。ミョウジがボタンをカチカチと押すと、徐々に音がはっきりとしてきて、結野アナの声が聞こえてきた。「おお」と感心する俺にミョウジがラジオを返す。結野クリステルの〜お天気お気楽ラジオ〜とバカみたいなタイトルコール。いや、可愛いから何でもいい。

「先生って機械音痴?」

 ミョウジは手摺りに腕を乗せて俺を覗き込む。セミロングの髪がふわりと靡く。

「得意なほうではねえな」
「結野アナ好きなの?」
「そりゃもう。って何?急に質問攻め?」

 目を細めてミョウジが微笑む。十七、八の女らしくない笑い方と、年相応の肌の質感やセーラー服が歪に混ざり合っている。眼下ではしゃぐ連中の中に紛れて日々を過ごしていたのが少し不思議だった。
 ミョウジは俺のクラスの生徒ではない。問題児の寄せ集めのZ組とは違う、優等生の集まりのクラスの生徒だった。直接の関わりはないが、職員室で何度か担任の若い男がミョウジの話題を出していたのを覚えている。学級委員を進んで買ってくれた、頭も良くて運動神経も良い、絵に描いたような秀才だと。そんな自慢話には微塵も興味はなかったが、時々職員室へ来るその姿は目を引くものがあった。色白で華奢で、あとは単純に顔が良い。アイドルとしても食っていけそうだとぼやいたら、そんな俗っぽいものにはならないと担任に憤慨された。ただの軽口のつもりだったのに、思いの外本気でキレられて、おまえはアイツの何なんですかと聞きたかったが面倒なのでやめた。
 
「おまえは行かなくていいの?」

 俺は校門を指差した。別れ難いのか、いつまでも溜まっている生徒がまだ多くいる。ミョウジはそれを見下ろしもせず、俺を見たままあっけらかんと「先生と話したくて」と言った。記憶にある限り、俺はミョウジと話したことは今の今までなかった。女の考えていることは全くわからない。特にこの年頃の女の考えていることなど皆目見当がつかない。

「なに?先生のことずっと好きでしたーとかそういう感じ?悪いけど生徒と付き合う気はないから」
「もう生徒じゃないんですけど」
「ガキは趣味じゃねーの」

 ミョウジはつまらなそうに頬杖を着いた。からかわれているだけか。それにしても高校生活最後の思い出が俺とのくだらない会話でいいのだろうか。

「私、人を殺したんです」

 ラジオからは結野アナのオープニングトークが続いているが、耳に届いた途端に右から左へ流れていく。
 ミョウジは俺の目を見ていた。あまりに唐突で脈絡がなかったせいで、俺は会話の途中で何か聞き逃していたのかと思った。もしくはタイムスリップでもしているのかと。しばらく硬直したが、校門から大きな声が聞こえて我に返る。ゴリラが志村に殴り飛ばされていた。うちのクラスは卒業の日まで騒々しい。しかし、一瞬校門を見下ろしている合間にミョウジは踵を返していた。

「えっ、ミョウジ」
「はい?」

 投げられたボールを取りこぼしたのは俺だが、投げた張本人はきょとんとしてボールなど無かったかのようにしている。転がったそれを俺が拾い上げたときには、それはただの砂になっていた。

「はい?っておまえ……今、何つった?」
「なんとなく、先生に言いたくなっただけです。気にしないでください」
「冗談でもあんまりそういうこと言わないほうがいいと思うけど」
「冗談だと思います?」
「そりゃ……」

 ミョウジは俺の目の前まで歩み寄ってくる。胸の造花を取り、俺の白衣の胸ポケットに差し込む。

「また会えるといいですね、先生」

 優しく胸元を叩き、ミョウジは屋上を出て行った。切り取った写真のようにその光景が俺の目に焼き付く。揺れるスカート、髪、晴れ渡った空――。
 今日のゲストはシンガーソングライターのマダオさんで〜す。どうもこんにちは〜。
 ラジオから聞こえてくる話し声はしばらくすると雑音混じりになって、終いには機械音だけをまた流し始めた。






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