街角の児童養護施設には大きな桜が咲いていた。淡い色の花びらが風で舞い、空を鮮やかに彩っている。
 しかし、桜の木の下に蹲っている少女は、頭を下ろして地面を見つめていた。少女の丸い目に映っているのは、小さな穴から行き来を繰り返している蟻だった。見るもの全てが新しい年頃の少女は、かれこれ一時間ほどそうしていた。少し離れた場所では、同年代の子供たちが砂場で遊んだり鬼ごっこをしたりしている。はじめのうちは、少女も一緒に遊ぼうと声をかけられていた。しかし、少女が力なく首を横に振ることを何度も繰り返しているうち、誰も声をかけなくなった。少女は変な子のレッテルを貼られたのだ。しかし、少女はそれでいいと思っていた。

「女王蟻と働き蟻がいるのよ」

 不意に頭上から降ってきた声に少女が顔を上げた。長く俯いていたので首が少し軋んでいた。
 少女の目に真っ先に入ったのは真新しい焦茶色のローファー。そこから伸びるしなやかな白い足。見下ろしていたのは、セーラー服を着た少女だった。艶のある髪はうっすらと茶色がかっているが、人工的な色味ではなかった。
 セーラー服の少女は、幼い少女の隣にしゃがんで一緒に蟻を眺めた。

「働き蟻はね、女王蟻のために食べ物を運ぶの」
「じょおう」

 少女は繰り返した。舌足らずで辿々しい発音だった。

「女王はずーっと巣の中にいる。働き蟻はみんな、女王のために働いてるの」
「ふうん」

 セーラー服の少女は転がっていた枝を手に取った。先端が鋭利に尖っているそれを蟻が出入りする穴に勢いづけて突き刺す。突然のことに、巣の周りにいた蟻が一斉に慌ただしく動き出す。少女はパチパチと瞬きをしている。

「女王がいなくなったら、みんな何のために働くんだろうね」

 穴の奥を抉るように少女は突き刺した枝を動かす。僅かな隙間から溢れてくる蟻が二人の足元をすり抜けていく。
 幼い少女はちらりと隣の少女を見る。彼女のどこかが欠陥していると漠然と少女は感じ取っていた。この場所が良くない場所ということも、なんとなく知っていた。
 少女は少し前に、年上の少年に人殺しだと言われていた。言葉の意味はよくわからなかったが、少年の態度が少女を軽蔑するものだったので、それが悪いことなのだと理解していた。

「ねえ、なんでここにいるの?」

 穴を穿っていた少女はきょとんとしてその質問に首を捻った。

「なんでって?」
「ここにいるのはかわいそうな子なんでしょう」
「かわいそうな子ばかりじゃないよ」
「ちがうの?」
「ここにいられるうちは、多分安全よ。後ろ指差されても本当に刺されることはないもの」

 少女は難解なパズルを与えられたときのように顔をしかめた。セーラー服の少女はくすりと笑った。先程までの子供っぽい横顔は消え、妙に大人びた落ち着いた笑みだった。その笑顔がとても美しいものに見えて、少女は見惚れてしまっていた。しかし、その弧を描いた瞳がゆらりと揺れ、施設の塀の先へ向けられる。途端、大人びて見えた表情が破顔し、無邪気になる。スカートを翻し、白い足が駆け出す。
 施設の塀の向こうには、陽光に目を細めている男がいた。

「先生」

 少女は、弾む声で呼んだ。







情動 終





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