代わり映えのない顔ぶれの中に突如現れた異質な存在。まるで転校生のように、ミョウジは実習初日から男女問わず生徒に質問攻めにされ、休み時間になると囲まれていた。彼氏いるんですか、大学って楽しいですか、先生になるんですか、銀魂高校の卒業生って本当ですか、など。男子の中には下心が透けて見えるような奴もいたが、結局は女の子同士の会話をしたい女子にあしらわれ、すごすごとその場を立ち去るしかないようだった。
 ミョウジは生徒からどんなことを訊かれても如才なく立ち振舞った。何事にも迷ったり淀んだりすることがなかった。それは生徒を相手にしているときのみならず、周りの人間に対して往々にしてそうだった。それが悪いこととは思わないが、俺は一種の不気味さを覚えていた。俺の中には、あの日のミョウジの言葉がこびり付いていたからだった。
 ――私、人を殺したんです
 正直なところ、そんな告白はミョウジに会うまですっかり忘れていた。それを聞いたときには若干戸惑ったが、人の気を引きたいがための狂言だと片付けていた。しかし、あれは本当に狂言だったのだろうか。今更考え直したところで意味がないのだけれど。

「銀八、ビールか?」
「ん、おう」

 向かいに座る保健医の月詠が店員に生ビールを注文する。愛想の良い若い男性店員が威勢よく注文を繰り返す。酒に滅法弱い月詠は、烏龍茶を飲んでいた。
 焼き鳥の香ばしい匂いと雑多な声が入り混じる店内の一角、六人掛けのテーブルを繋げて集まっているのは銀魂高校の教員と教育実習生だ。実習生の歓迎会と銘打ってはいるが、実際のところ飲み会が始まれば、会話のほとんどは仕事の愚痴大会になる。これから教員になるかもしれない卵に聞かせる話ではないが、予習だと思って聞けと年配のハゲ頭の教員が年寄り染みたことを宣ったのだ。案の定、実習生は苦笑と相槌を打ちながらちびちびと酒を飲む、無為な時間を過ごすはめになっていた。
 塩だれの焼き鳥を食べながらミョウジの様子を窺う。他の実習生と同じく大人しく年寄りの話を聞いているが、酒のせいで少し頬が上気している。ミョウジの隣には中年の男性教員が座っていた。世界史教諭でバレー部の顧問の江口だった。中年だがルックスはそこそこで、若い頃は男前だったことを匂わせる面立ちをしている。時折ミョウジに何かを耳打ちしては、楽しそうに笑っている。
 俺の視線の行き先に気が付いた月詠が「実習生に粉かける気か」と冷めた目を向ける。

「おまえ、覚えてねえ?アイツ、卒業生」
「ミョウジか?」
「そうそう」
「あまり話したことはなかったな。よく担任が話題にしておったのは覚えているが」
「あーそれな、俺も覚えてるわ。超うざかった」

 当時のミョウジの担任は既に銀魂高校を離れている。一つ思い出し始めると、色々と蘇ってくる。あれは紛うことない贔屓だったな、とか。

「そういえば、そのミョウジの元担任の男。行方不明になってるらしいぜ」

 服部先生がビールグラス片手に俺の横へ座る。俺と月詠は揃って「行方不明?」と訊き返した。

「援交だ借金だといい噂を聞かねえ野郎だったからな。生徒と駆け落ちしたって噂もある」
「ドラマの見過ぎじゃ」

 月詠が溜め息を付く。俺も同調した。

「時代錯誤なんだよ、考え方が。世の中そう甘くねーって」

 二次会の誘いがあったが、俺はなんとなく乗り気ではなく断った。他にも一次会で帰宅する者は多かった。少し前なら実習生や若手の教員なんかは強制連行だったが、無理やりに誘えばアルハラだのパワハラだのと騒がれる。結局二次会へ向かったのは年寄組と実習生二人。一次会で解散組は各々タクシーを拾ったり駅へ向かって行ったりした。
 夜道に残った俺は、ポケットから取り出した煙草を取り出し火を付ける。闇に浮かぶ白い紫煙が消えていく。足元はしっかりとアスファルトの感触を捉えていたが、意識はふわふわと少し浮いているような感覚があった。酔い醒ましに歩いて駅まで向かうことにした。
 夜の街は千鳥足のサラリーマンや水商売の女たち、異国の客引きが多い。人混みは好きではないが、この雑多な雰囲気は居心地は悪くない。皆思い思いの目的を持って、或いはただ夜をやり過ごすために、街を闊歩している。誰も俺のことを認知していない世界では気兼ねも必要ない。
 すれ違う女の香水に鼻腔を刺激され振り返る。張りのある生地のスカートの下にある尻の形にしばらく目を奪われ、気を取り直して前へ向き直る。すると、正面の横断歩道に見覚えのある人影を二つ見つけた。一次会で帰ったはずのミョウジと、隣に座っていた江口だ。足元の覚束ないミョウジの肩を支えるようにして江口が寄り添って赤信号の前で立ち止まっている。二人はこちらに背を向けており、俺には気が付いていない。見て見ぬ振りをする手もあったが、信号が青に変わり、江口の手がミョウジの腰に回ったところで、俺の足は二人に向かっていた。

「お疲れさまですぅ」

 歩き始めた二人の前に回り込み、わざと口角を上げる。信号待ちの車のライトが俺たちを白く照らしている。ミョウジの目は少し虚ろで、男のほうは坂田先生、とばつが悪そうな表情をした。面倒な奴に見つかった、とありありと顔に書いてある。

「あっれ、ミョウジセンセー酔ってます?あーじゃあ俺が送っていきますわぁ、ウチ近いし、元教え子なんで」

 ミョウジの腕を引っ張り、江口から離す。ミョウジは少しよろけたあと、姿勢を持ち直した。不思議そうにこちらを見上げてくる。
 江口は名残惜しそうに手を伸ばしかけたが、一瞬顔を歪めたのみで、すぐに平静を装い「じゃあよろしくお願いします」と笑みを作った。心にも思っていないことを言う能力は、モンペだPTAだを相手にするには必要だ。俺の偏見だが、教師というのは責任の重みに反して社会的地位は低い。

「坂田先生、ミョウジ先生に変なことしないでくださいね」
「まっさか〜年下は趣味じゃねーんで心配いらねっすよ〜」

 いつまでも横断歩道から動かない俺たちをウィンカーを出した車がクラクションを鳴らし急かしてくる。乾いた笑みで江口を見送り、ミョウジの腕を引いて横断歩道を引き返す。ミョウジのパンプスのヒールがカツカツと音を鳴らす。立ち止まった俺にミョウジが凭れかかる。腕に胸が当たっている。細いわりに意外にでかい。

「先生、私のうち知ってるんですか?」
 
 ミョウジが俺を見上げる。知らん、と答えると、ミョウジがですよね、と笑った。煙草を携帯灰皿に押し込み、溜め息を吐く。

「実習中に問題起こされても困んのよ。送ってやっから。家どこだよ」
「あっちです」
「自分で歩けんだろ?つーか歩いてくんない?くっついてっと色々まずいし」
「まずいんですか?」
「まずいね」

 ミョウジはくすりと笑って、わかりました、と頷いた。
 時折よろけるミョウジを横目で見ながら並んで歩く。高校生のときから少し茶髪に近かった髪が、今は少し暗めの色になっている。顔はあまり変わっていないような気がする。多少化粧はしているようだが、俺の目にはすっぴんと然程変わりがない。元が良いからあまり着飾る必要もなさそうだ。若くて、美人で、愛想も良い。そりゃあ、あんな手の早そうな男に目をつけられるのも仕方がないのか。しかし、酔った女を襲おうなんて根性が悪い。江口の顔を思い出し、内心で唾を吐く。
 ミョウジが自宅だと言ったのは、とても大学生が住んでいるとは思えない高層マンションだった。それも、高杉が住んでいるマンション。嫌な予感がしてエントランスに入る前に別れようとしたのだが、ジャケットの裾を掴まれる。

「電球切れてるので交換してもらえませんか?」

 思わず眉根を寄せる。

「そんなん自分でしろよ。できないならオーナーさんに言いなさい」
「こんな時間に呼び出すのなんて非常識ですよ」
「こんな時間に男を家に上げるのも非常識です」
「一人暮らしじゃないので大丈夫ですよ」
「彼氏いるんなら彼氏にやってもらいなさい」
「彼氏なんかいません」

 ああ言えばこう言う。酔っているせいなのか、聞き分けが悪い。学校で見ているそつのない姿とはかけ離れていて、俺は自分の中の歯車が少しずつ狂わされていることに気が付く。ミョウジのペースに乗せられている。
 くたびれた顔のサラリーマンが通り過ぎていくが、俺たちには一瞥もくれない。ミョウジは俺のジャケットを掴んだままで、俺は頭を掻き回した。電球ね、電球。替えりゃいいんだろ。半分投げやりになりながらエントランスに入り、エレベーターに乗り込む。ボタンがずらりと並んでいて、ミョウジは迷いなくボタンを押した。
 室内に入ってまずはじめの感想が「何畳?」だった。モノトーンでまとめられたリビングダイニングには大きな革張りのソファ、テーブル、観葉植物、真っ黒な馬の置き物が置いてある。しかし、それらがあっても有り余る空間。大きな窓からは街が見渡せる。立ち並ぶビル群はまだ明るかった。
 ミョウジに通されるまま部屋に入ったものの、俺は入り口で立ち竦んでいた。ミョウジは脱いだジャケットをソファへ掛け、結んでいた髪をほどいた。

「何畳なんだろう?数えたことないんで」
「あーそう……てか……」

 女の趣味の部屋じゃない。黒い家具然り、謎の黒い馬然り。ミョウジは俺の言いかけた言葉を待っていたが、俺は「なんでもない」と口を閉じた。ミョウジはさほど気にしていないようで、洗面所の電球が切れてるんです、と俺の横をすり抜けていく。廊下の明かりが漏れているので洗面所は真っ暗ではなかったが、確かに電球は切れていた。ミョウジは替えの電球を持ってきて俺に手渡すと、壁に凭れて俺の作業の様子を眺めていた。リビングには女の影がなかったが、さすがに洗面所には化粧品が置いてあった。電動式の髭剃りもある。黒いごついドライヤーもある。男の私物の中にぽつんと混ざる、女の私物。間違いなく、男の部屋だ。
 手早く電球を交換し、洗面所の入り口のスイッチを入れる。パッと電気が付くと、鏡に俺の姿が映る。ミョウジの思惑はわからないが、さっさと帰るに限る。

「はい終わり。じゃあ俺ァこれで」

 いそいそと洗面所を出ようとする。が、両腕をミョウジに掴まれ、引き戻される。突然のことと、アルコールのせいとで俺は瞬時に抵抗することができず、洗面台に背を向ける形で押し込まれる。腰をぶつけ台に手を着くと、身を乗り出してきたミョウジに口を塞がれる。下唇を食まれ、開いた口内に舌が差し込まれる。舌先が絡み、細い指が俺の耳から頬を撫でていく。背筋がぞわりとした。
 時間にして数秒間。やっとミョウジを押し退け、口元を拭う。軽くよろけた後にミョウジはまっすぐに俺を見た。照明のせいだろうか、ミョウジの目は光を宿しているが、真意の読めない表情をしていた。
 
「嫌でした?」
「は……?」
「先生、年下は嫌って言ってましたもんね」
「…………わかってんならやめてくんない、こういうの。迷惑。」

 動揺していることを悟られないようにするあまり、やけに突き放したような言い方になってしまう。ミョウジは、外で歩いていたときに比べれば、目は据わっているし立ち方もしゃんとしていた。酔いが醒めたのか、それとも、あれが演技だったのか。
 ミョウジは小首を傾げて「さっきの、先生」と目を細める。

「名前忘れちゃったけど、あの人には二万って言ったんです」

 その意味を言葉に変換するよりも早く、ミョウジがその行為をしている姿が脳に浮かぶ。

「でも銀八先生ならタイプだし、タダでいいかなって。どうせするなら、かっこいい人がいいし」
「……溜まってんの?いつもそういうことして適当に男引っかけてんの」
「引っかかってるのは私です。お金のこと言うと引く人もいるんですけど。お金で買える女を見下してる人、多いんですよ。風俗行って射精するのと、素人の女にお金払って射精するのと何が違うのって感じしません?」

 ミョウジがおかしそうに笑う。笑いどころがわからない。

「……なんで俺?」
「好きだから」
「……意味、わかんねえんだけど」
「人としてって意味です。高校生のときからずっと見てました。いっつもしわしわの白衣着て、サンダル履いて。だるそうな目とか丸まった背中とか。あれ、好きになる要素ないですね?あはは、まあ、なんとなくです」

 一人で笑い、完結しているミョウジに言葉が出てこない。鯔のつまりミョウジはビッチ。頭の悪い単語が脳を往復している。冗談じゃない。どうして俺が巻き込まれなければいけないのだ。どこでどんな男とセックスしようが構わないが、俺を相手にするのはやめてほしい。頭を抱えたくなるが、困り果てていることを見せれば付け込まれそうで出来なかった。
 距離を詰めようとするミョウジを今度は手を突き出して制する。

「待て。俺は無理な冒険はしない。ンな危ねー橋、渡る前に叩き壊す」
「あ、先生の髪の毛は好きかも」
「先生は人の話を聞かない子は嫌いだけどね」

 ミョウジが俺の突き出した手首を掴む。存外、力が強い。しかし、所詮女だ。振り払おうと思えば簡単に振り払えるが、黒目がちな眼差しに囚われてたじろぐことしかできない。背中にはじっとりと汗が滲んでいる。女に迫られてこんなに狼狽たことなどない。本音を言ってしまえば、年下が趣味じゃない、なんてのは嘘っぱちで、無論未成年には手なんか出さないが、好みの女なら多少年下でも構わない。積極的な女は嫌いだが、据え膳を食わないほど草食でもない。しかし、目の前に差し出されているのは、極彩色を放つ据え膳。毒があることを自ら示しているような女だ。
 ミョウジの体が密着する。柔らかい感触に喉が鳴る。

「先生」
「……女の子が簡単に自分を安売りしちゃいけねえよ」
「どうして?先生だって豚も鶏も買うでしょ?」
「は?」

 玄関のほうからドアが開く音がする。物音、スリッパが床を滑る音。その足音は洗面所へまっすぐに向かってきて、入り口で俺たちを認めて足を止めた。見知った顔に、絶句した。高杉だった。

「おかえりなさい」

 ミョウジは俺に身を寄せたまま呑気な声で言った。高杉はミョウジではなく、俺を見て一瞬眉を顰め、肩を竦めた。

「他人を家に入れんなっつったくせに、なんでおまえは男入れてんだよ。しかも銀髪バカ。最悪だな」
「知り合い?」

 ミョウジが体を離す。高杉が洗面所から離れていくと、親鳥の後を追う雛のようにその背中を追っていった。詰め寄っていたのが嘘のような切り替えの早さに、俺は言葉を失ったままだった。体には温もりが残っていて、口内にはミョウジの舌の感触が残っている。振り向いた鏡の中に映っていたのは、やつれた自分の顔。
 ふらふらと話し声のするリビングへ向かう。高杉がキッチンでコーヒーメーカーの電源を入れていた。ミョウジは窓のカーテンを閉めている。混乱する俺を置き去りにして二人は日常を過ごしているように見えた。何がなんだかさっぱりわからない。わからないことが多過ぎて頭が混乱を通り越して無になりかけている。夢だと思いたい。しかし、聞き慣れた声に現実へ引き戻される。

「ナマエ、風呂入ってこい。酒臭ぇ」
「そう?」
「焼き鳥屋の匂いもする」
「犬みたい」

 高杉がナマエ、と呼んでいるのがミョウジのことだと理解するまでにやや時間がかかった。俺はミョウジのことを苗字でしか呼んだことがないし、名前なんて気に留めたことがなかった。ミョウジは俺と目が合うと、にこりと笑った。あの大人びた笑顔で。

「先生、ありがとうございました。もう帰りますか?」
「あ……あー」

 ミョウジは返事に窮する俺の顔を覗き込む。

「高杉と知り合いなんですか?」
「ナマエ」

 早く行けと言わんばかりに高杉が顎をしゃくる。ミョウジは渋々といった様子で風呂場へ向かった。キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。高杉は自分の分のコーヒーをカップに注ぎ、俺を一瞥する。

「飲むか?砂糖はねえが」

 頭にかかった靄を払いたかったので、一杯だけ飲むことにした。高杉はテーブルにカップを二つ置き、ソファに深く腰掛けた。俺は高杉の斜向かいに腰掛けコーヒーを啜る。想像できていたが苦い。苦くて飲めたものではなかったが、無理やり流し込む。一気に全部飲み干したところで、大仰に溜め息をついた。
 風呂場のほうから水音がする。高杉は一口だけコーヒーを飲み、テーブルの上のリモコンを手に取った。無駄に画面の大きいテレビが付くのかと思えば、エアコンが静かに起動していた。
 口内に纏わりつく苦味に顔を歪めながら、本題に切り込む。

「おまえの猫って、ミョウジのこと」
「あぁ」

 あっさりと返事があったので俺のほうが言葉に詰まる。

「おまえは大方、アイツに唆されてきたってところか?」

 隻眼が俺を見る。

「ちげーよ、アイツが電球替えてくれって言うから仕方なくだな」
「仕方なく、な」
「ちょ、てめ、信じてねーだろ。言っとくけどマジだから」
「いや、アイツが他人を家に入れるのは初めてだからな。気に入られてんだな」

 高杉は喉の奥で笑う。この短時間で理解のできない笑いを何度も向けられている。

「ナマエがてめーの高校に通ってたことも実習に行ってることも知ってたが、そんなに仲が良いとは知らなかったな」
「知ってたのかよ……てか、アレが仲良く見えたんなら眼科行け」

 じろりと高杉を睨む。高杉は答えずに不敵に笑みを作っているだけだった。
 女は総じて気紛れだが、ミョウジのそれは気紛れを通り越して暴力的だった。自分の思いのままに他人を転がすことを楽しんでいるかのような、言うなれば愉快犯だ。しかし、キスのあとに向き合ったときの真顔のミョウジの目は、ふざけているようには見えなかった。人を殺した、と言ったときもそうだった。暗闇にぽつりと浮かぶ蛍の光を灯したような眼差しは、冷ややかな人形のようでもあった。だのに、瞬きをすれば、振り向けば次の瞬間には口角を上げているから、いつもちぐはぐな印象になる。
 卒業式の告白を思い返す。当時は全く真剣に取っていなかったが、逡巡し、訊ねてみる。

「おまえ、ミョウジと付き合い長いんだろ?」
「ああ、まあな」
「……ミョウジが、人を殺したって言ったことがある」
「へえ。いつだ」
「……卒業式だった」

 高杉はズボンから携帯端末を取り出し、タップとスクロールを繰り返す。そして、一分も経たないうちに端末を俺に渡した。画面には数年前の地元新聞の記事がある。長い文章を飛ばしながら読んでいく。

XXXX年X月X日
 X市XXX区のXXX川で地元公立中学校に通う男子中学生(以下Aとする)の遺体が発見された。死因は溺死。死亡推定時刻は遺体発見の前日二十二時前後。橋の欄干の高さから偶発的に落下したとは考えにくく、Aは自ら飛び降りたと見られている。
 Aは学習塾に週二回通っており、遺体が発見される前日も学習塾へ行っていた。学習塾へ向かう道中でXXX川に架かる橋の上でAの姿を近隣住人がジョギング中に見かけている。住人は時折Aの姿を見ているが、いつも足取りは重くどこか暗い少年だったと話している。橋のある通りは夜間は人通りが少なく交通量も多くない。Aが飛び降りた当時の現場の目撃者はいないが、両親は自殺だと涙を滲ませた。
 Aは中学進学時からクラス内でいじめに遭っていた。帰宅時に度々制服が汚れていることや、頻繁に小遣いを求めるようになったこと、部屋に引きこもりがちになったことからAの両親がいじめに気が付いた。両親は学校側へ調査を行うよう求めたが、学校側は調査結果を隠蔽した。Aの両親は、学校がきちんと対応していればAは自殺などしなかったと憤りを露わにした――
 
「表沙汰になってるのはこれだけだな」

 掻い摘んで記事を読み、端末を高杉へ返す。悪い冗談、とも思えない。

「俺も事後報告されただけで本当のことは知らねえが、アイツならやるだろうよ」
「…………やるって?」
「そういう奴だ」  

 高杉の声が落ちていく。
 ――やるって何を?
 俺は考えることが嫌になり、前髪をかき上げて額を掌で擦った。エアコンは冷風も温風も出していない。酒臭いだの焼き鳥臭いだのと言っていたので空気清浄でもしているのだろう。この部屋には他人の家独特の匂いがせず、無臭と言っていいほどだった。高杉はヘビースモーカーのはずだが、煙草の匂いもしない。考えることをやめたいのに余計なところに頭が回る。
  水音が止まると、俺は腰を上げる。洗面台に打ち付けたところは痛まないが、心臓が痛い気がした。これ以上、この部屋にいると色々と削ぎ落とされていく。

「終電あんのか」
「ねーよ。てめーの女のせいで。ヅラんちに行く」
「俺の女じゃねえよ」

 高杉の言葉に振り返る。高杉はソファの背凭れに腕を乗せ、俺を見遣る。

「言っただろう、勝手に棲みついてるだけだ」
「……世間知らずのボンボンは知らないかもしれねえけど、それを世間では同棲と呼ぶんだぜ」
「どう呼ばれようと知ったこっちゃねえ」

 リビングを出ると、ちょうど風呂から上がったミョウジと鉢合わせた。濡れた髪にタオルを被り、俺でも知っているようなブランドものの毛足の柔らかそうなパジャマを着ている。無意識に赤い唇に目が止まる。

「帰ります?送っていきましょうか」

 飄々としている様に腹が立つのと同時に、言い様のない気味の悪さを覚える。胃の中が気持ち悪い。それは、圧倒的嫌悪感。

「明日から授業入ってもらうから。ちゃんと用意しておけよ」

 玄関を出て、心なしか急く足をひたすらに前へ向けて進めた。関わらないほうがいい、近づかないほうがいいと細胞が警告音を出している。教育自習期間は二週間ある。この二週間を何の不祥事も起こさずに終えることさえできれば、きっとミョウジに会うことなど無くなる。実習に来てはいるが、ミョウジが教師になりたいかどうかもわからない。学校内ではまともな顔をして平然としているが、とても教師になり得るような奴ではない。あんな薄い化けの皮、すぐに剥がれる。





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