目に止まった週刊誌を手に取る。表紙には、高校教師惨殺事件の真相と見出しが載っていた。ページを捲り、見覚えのある男の顔に手が止まる。目隠しは入っているが、顔見知りの人間が見れば誰なのか一目でわかる。記事には殺された教師の職歴、人間性、そして女遊びの激しさについて長々と記されていた。その教師を殺したのは、肉体関係を持っており、妊娠していた元風俗嬢だとも書かれていた。俺はざっと内容を読んでから週刊誌を閉じて棚へ戻し、ジャンプと海苔弁を取ってレジへ向かった。ついでに煙草も購入する。
 数分離れていただけなのに、スクーターの上には薄らと雪が積もっていた。手でそれを払い――と言うより溶かして――、座席に尻を置く。ちらちらと細かい雪が降る中、白い息を吐き、俺はエンジンをかけて学校へ向かった。

 教師が殺されたというのは、日々を能動的に過ごす同職陣にも、無論、生徒たちにもあまりにセンセーショナルなニュースだった。二次会で最後に殺された男を見送ったという先生は、開いた口が塞がらないといった様子だった。しかし、妙なことにミョウジの名前は出てこなかった。その場に居合わせていない俺には憶測しかできないが、二人は一旦二次会で別れたあと、どこかで待ち合わせていたのだろう。どこまでがミョウジの計算の内なのかは定かではない。が、ミョウジなら、全てをその場の思い付きでやっていてもおかしくないと思い始めている。
  殺された江口は担任のクラスこそ持っていなかったが、複数のクラスで副担任をしていたし、バレー部の顧問もしていた。関わりを持っていた生徒は数多く、校内はしばらく重く淀んだ沼のような状態になっていた。しかし、そんな空気も徐々に薄れ、冬休みが明けると何事もなかったかのように日々は巡っていた。

 暖房の効いた職員室では服部先生が雑誌を開いていた。ジャンプかと思いきや、それは俺が今朝流し見をした週刊誌だった。

「教員のイメージだだ下がりだなこりゃ」

 愚痴る服部先生を横目にデスクにバッグを置く。気温の変化で鼻水が出てくる。ティッシュを数枚取って鼻をかんだ。
 事件はワイドショーでも取り上げられ、ネットには教職者の質の低下を嘆く声が上がった。子供にものを教える立場にあるはずの教師が、倫理に反した行いをしてしまったのだ。世間の反応はごもっともで、そんな教師に子供を預けたくないという親の言い分には反論の余地もない。高校はテレビに大々的に映され、理事長、校長、教頭は揃って謝罪をした。俺たち平の教員も保護者からひっきりなしにかかってくる電話やメール対応に追われた。

「入学希望者、定員割れしてるらしいぜ。しゃあねえけど」
「まぁな……」

 背凭れに掛けっぱなしになっていた白衣を羽織り、キャスターを引いて椅子に座る。服部先生は週刊誌を読み込んでいた。ニュースも週刊誌も、内容はほとんど同じだった。俺はミョウジの名前がどこにも載っていないことに、なぜか安心していた。
 朝礼が始まり予鈴が鳴ると、長く短い一日がやっと進み出す。生徒たちは死んだ男のことや教育実習生のことなど、もう忘れてしまったかのように見えた。実際には忘れてはいないのだろうが、表面上に浮かび上がらせてくることはなかった。ただ一人、俺だけが、あの日に未だに足を掴まれているような気がしていた。

 想像通り、ミョウジには会わなくなった。高杉にも会っていない。会わなくていいと思っている。きっと、また辰馬が日本に帰ってきたときには俺にも高杉にもお呼びがかかるのだから、そのときまでは会わなくてもいい。本当は声がかかっても顔を出すかどうか怪しいのだが、高杉との腐れ縁は切ろうと思って切れるものではないのだ。一時的に避けていても、いつかはぶつかるときが来る。
 ミョウジにとって俺は何だったのか、最近よく考える。興味対象以外の何者でもなかったのか、それとも殺害対象だったのか。ミョウジの言葉を借りるなら、風が吹けば、俺のことも殺すつもりだったのではないだろうか。あの白く華奢な手が俺の首を絞め上げたり刃物で腹を突き刺したりする姿は、あまり想像できなかった。ミョウジがか弱い女であると俺の意識の根底にあるからだろう。いざとなれば、ミョウジを抑えることなど簡単だと思い込んでいる。しかし、本当の殺意を前に、何の前触れもなく現れるのであろう影に、抵抗できるかと問われればそれは容易ではないとも思う。
 いつもそこまで考えて、俺は考えることをやめる。ミョウジは生まれたときから“そう”だった。結局は、全てがそれに帰結するからだ。どれだけ論理立てて推測したところで無駄なのだ。

 午前中の授業を終え、国語準備室で昼食を取る。海苔弁の蓋を開け、黙々と食べる。室内は暖房の音がするだけで、無音状態に近い。雪はいつの間にか止んでいたが、晴れているのか曇っているのか微妙な空模様だった。半端に差し込む太陽の光が僅かに積もった雪に反射している。
 空になった弁当をゴミ箱に突っ込み、窓を数センチ開けて煙草を咥える。机に放られていた地元新聞を広げ、煙草を吸いながら文字を追う。毎日発行される新聞はさすがに真新しいニュースばかりを載せていた。一面は、最近頻発している通り魔事件について。これまで被害に遭ったのは三人。怪我の具合は重軽症様々だが、死者は出ていない。いずれも夜間に出歩いている若い女を狙ったもので、警察は同一犯の犯行と見ているようだった。直近の被害者は隣の地区の高校に通う女子高生だったこともあり、今日から銀魂高校でも教員が交代制で生徒の帰宅時間に市内を見廻りすることになっている。
 ドアがノックされる。新聞から目線を外し「どーぞぉ」と返事をすると、長い黒髪の女子生徒が控えめに顔を覗かせた。以前、ネックレスが髪に絡まったと言ってミョウジに外してもらっていた篠塚だった。

「どうした?」
「朝に出した現文のノート、違う教科のやつだったかもしれなくて」
「ああ、ノート。勝手に持ってっていいよ」

 煙草を灰皿に揉み消し、デスクに向かう。積んであったノートをそのまま運び、机に置いた。入り口で足を止めていた篠塚は静かに机の前に身を屈めた。長い髪が肩から落ちる。首元にはネックレスがかかっている。
 声に覇気がない。目の下にも隈ができている。俺はふと思い出して、「バレー部だっけ」と訊ねた。篠塚は頷いた。

「もうとっくに引退してますけど」
「寝られてないみてえだな」
「え?」
「隈」

 俺は自分の目元を指差した。篠塚は咄嗟に顔を伏せたが、すぐに自嘲気味に笑みをこぼした。

「もう何ヶ月も経ってるのに、ダメなんだ」

 すぐに江口のことを言っているのだとわかった。バレー部には急遽別の顧問が宛てがわれたが、バレーに関して全くの初心者で、指導らしい指導もできていない状態だった。春には新しい顧問が付くことになっているが、篠塚は今年度で卒業なので、その顧問に会うことはない。そもそも、二月に入れば三年生はまず学校に来る事は無くなる。この場所を離れていく時間が、刻一刻と近付いているのだ。
 篠塚はノートを抜き取り、落ちた髪を耳にかける。

「もう誰も先生のこと言わないの。忘れちゃったみたいに。私ばっかり覚えてて……」

 篠塚はネックレスを握った。悲痛な表情に遅れて背筋が冷える。
 ――彼氏にもらったのに
 呼吸が止まった。確か、篠塚は以前そう言っていた。

「時々聞こえるのは、気持ち悪いとか、クズとか、そんなのばっかり。先生のこと、何も知らないのに」
 
 篠塚は唇を噛み、ノートを引き抜き腰を上げた。

「ごめんね銀八。大丈夫、そのうち私も元に戻る」

 力のない笑みを向けられる。篠塚はノートを胸に抱え、スカートを翻し引き戸へ手を掛ける。

「篠塚」

 呼び止めると篠塚は足を止めた。

「忘れる必要なんかねえ。おまえが信じたいものを、信じればいい」
「無理だよ」

 引き戸に掛けた手が震えている。

「何を信じればいいか、わかんないもん」

 篠塚は振り向かないまま、部屋を出て行った。絶望するには十分な事実を突きつけられ、それでも真実も虚偽も、俺たちの手には届かない場所で駆け回り続ける。
 灰皿に溜まっていた吸殻を捨てるために腰を上げる。準備室を出ると、廊下の曲がり角から啜り泣く声が聞こえた。





 明朝、三度目のアラームを止め、重い目蓋を押し上げた。しばらく布団の中で縮こまっていたが、万年床の布団に放られていたスマホに手を伸ばして時間を確認すると、六時二十二分。まだ真新しいスマホのアラーム音はデフォルト音のままで、いまいち目が覚めない。寝起きの悪さを機械のせいにしながら、ようやく布団から抜け出す。ファンヒーターの電源を入れてブラインドを上げると、結露した窓の向こうでしんしんと雪が降っていた。
 テレビを付け、トースターに八枚切りの食パンを入れる。牛乳に砂糖を入れ、レンジで温める。焼けたパンに苺ジャムを塗りたくると、数分で簡素な朝食が完成した。背の低いテーブルでテレビの音をBGM代わりにトーストをかじる。先ほどまでエンタメニュースを朗らかな表情で読んでいた男性アナウンサーが、途端に真剣な表情に変わる。その口から出てきた土地の名前に、俺は画面を見遣る。

『XXX県X市で頻発していた通り魔事件の犯人と見られる男が逮捕されました』

 それは、最近横行している若い女を狙った通り魔事件だった。昨晩から銀魂高校でも教員がパトロールに出始めたが、どうやら犯人はお縄に着いたらしい。俺は自分の当番が回ってくる前に事件が収束したことに肩透かしを喰らった気分だった。しかし、解決したなら何よりだ。指についたパンかすを払い、ホットミルクを飲む。

『なお、逮捕前に犯人に襲われたと見られている大学生、ミョウジナマエさん、二十二歳は、胸部を包丁で刺され、意識不明の重体となっています』

 熱いミルクが喉を通る。俺はテレビ画面に釘付けになった。画面には見覚えのある街の様子とアスファルトに染み付いた血痕が映されている。何かの見間違いか、聞き違いかもしれない。俺は枕元に放られていた眼鏡をひったくり、急いで掛けた。しかし、そこに映っている名前は目を凝らそうがひっくり返ってみようがミョウジの名前だった。

『ミョウジさんは犯人に襲われていた地元高校に通う女子高校生を庇い、その際に揉み合いになり、犯人に刺されたと見られています。女子高校生に大きな怪我はなく、軽い擦り傷を負っているとのことです』

 アナウンサーの声だけに神経が集中していく。しかし、すぐさま次のニュースへ話題は移り変わってしまった。画面が切り替わると、俺は手に持っていたままだったマグカップをテーブルに置いた。すると、スマホがバイブレーションと共に鳴り出した。画面には知らない番号が出ている。普段ならば出ないが、動転していた俺は迷いなく通話マークを押した。

「もしもし」
「俺だ」

 数秒だけ間を空けて「高杉?」と確認する。そうだ、と答えが返ってくる。

「ニュース見てんだろう。病院を教えてやる。てめえも来い」

 有無を言わせない強引さがあった。電話はすぐに切られ、俺は身支度もそこそこにアパートを出た。
 道路に積もった湿った雪が足に纏わり付き、歩きにくかった。 






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