けたたましい着信音で目が覚めた。枕の下に埋もれていた携帯電話を引き抜き、画面を開く。朝の六時。明るい画面に目が眩むが、着信音に急かされ通話ボタンを押す。
「もしもし」
「なんや、腑抜けた声出しよって」
「今起きました」
口答えできる立場ではないのでありのままを返し、のそりと体を起こした。窓の外は霞んだ青空が広がっている。
後頭部を掻きながら欠伸を噛み殺す。電話口の男は、それには気付かずに流暢に話していた。耳を流れていく関西弁はいつ聞いても胡散臭い。
「おまえもなんかペットでも買うたらええんやないか。そうやな、ワンちゃんがオススメや。散歩に行かにゃならんと思えば自ずと早起きするようになって健康的やで」
電話口の相手の愛犬の顔を思い出す。私はあの、無垢でつぶらな瞳が苦手だ。悪意のかけらもない何かを期待するような双眸と、三秒以上目を合わせられない。それに、犬なんか飼えば生活の主軸が犬になってしまう。私は私のために時間を割きたい。こっそりと二度目の欠伸を噛み殺した。
「前向きに検討します」
「まあそれはさておきや。仕事や、運び屋」
通話を終え、長い一日の始まりに溜め息を吐いた。
道路沿いにバイクを停めると、公園の東屋にいた依頼主が振り向く。私の姿を認めると、軽く片手を挙げて挨拶する。
「早かったやないかい」
私はフルフェイスのヘルメットを外して会釈をした。歩み寄ってくる寸分の乱れもない七三分けの男。かぶき町では知らぬ者はいない、泥水次郎長の部下、溝鼠組の黒駒勝男だ。彼の足元には胴長短足の愛犬、メルちゃんがいた。しっぽを振って短い足を懸命に動かしている。私はこちらを見上げるつぶらな瞳に愛想笑いを返した。毎日この目に見つめられるのは、やはり勘弁だと思った。
公園では老人が集まってラジオ体操をしている。遠くにその音を聞きながら、勝男さんは私の前に銀色のアタッシェケースを突き出した。それを受け取ると、重みに腕が下がる。
「重っ。なんですかこれ」
思わず口から出る。が、すぐに失敗したと思った。勝男さんは口角を吊り上げた。
「訊かんほうがお互いのためやで、運び屋」
「……御意」
両手を広げてー、とラジオの声。淡々と荷物の届け先を伝え、勝男さんはメルちゃんと共に去っていった。
荷台にアタッシェケースを括り付け、ヘルメットを被りエンジンをかけ直す。擦れ違うトラックの走行音に耳を奪われながらひたすらに目的地へ向かって走る。街路樹を横目で見ながら昼ごはんのことを考える。今日はカツ丼の気分だ。
勝男さんに指定された雑居ビルの前に着く。煤けた外壁とひび割れたままの窓ガラス。早朝だというのに、私を出迎えるように入り口は開け放たれていた。エントランスに入り、エレベーターのスイッチを押す。が、無反応だった。渋々階段を上がっていくと、黒いスーツ姿の馬がいた。馬というか天人だ。頭部から首にかけては馬だが体は人間のようだ。
足を止めると大きな黒い目がこちらを向き、すぐさま誰何される。
「地球人か」
「運び屋です」
「ああ、溝鼠組の」
馬の天人は鼻を鳴らしてアタッシェケースを受け取った。私は溝鼠組の専属ではないのだけれど、遅れて荷物のことかと思い直す。余計な会話はしない。馬は私に背を向けてアタッシェケースの中を確認し、確かに受け取った、と蓋を閉めた。喋るときにいちいち前歯が目に付く。あんな格好でも食べるものはやはり草なんだろうか。天人にもやくざにも慣れたが、あまり関わりたくないことに変わりない。
早々にビルを出てバイクに跨っていると、「そこの女子」と背後から声をかけられた。振り向くと目深に笠を被った長髪の男が立っていた。笠の下から端正な顔立ちが覗く。男前というより、美男といった雰囲気だった。
「噂に聞く運び屋だな」
しかし、声は紛うことなく男のものだった。
「そうですけど、仕事の依頼ですか? 一見さんは前払いですよ」
「前払いということは確実に荷物を届ける自信があるということだな」
「はあ、まあ……それが仕事なので」
「ふむ。では金を払うのでこれを頼めるだろうか」
男が懐から出したのは、片手程の大きさの箱だった。
「どちらまで?」
「真選組屯所まで頼む」
伸ばした手を引っ込めたくなったが、断るわけにもいかない。私のモットーは仕事は断らないことだ。瞬時にいろいろと逡巡したがどうにかなるかと思い、箱を受け取り、携帯電話で屯所までの距離を計算して代金をもらった。艶のある黒髪は細く滑らかでまるで女性のようだが、箱を渡す際に見えた指先は顔のわりに無骨な印象を受けた。
ライダースジャケットのポケットにお金を突っ込んでいると、男が訊ねる。
「中身は改めんのか」
「ああ、はい。飛脚じゃないので、見猿聞か猿言わ猿が掟です」
長髪の男と別れ、バイクを走らせる。しかしあの長髪、どこかで見た覚えがあるような気がする。きれいな顔をしていたから、どこかで会っていてなんとなく覚えているだけなのかもしれないけれど。
三十分とかからずに真選組屯所へ着いた。朝稽古でもしているのか、野太い声が規則的に外へ漏れ出ている。前を通り過ぎることはあったが、中へ入るのは初めてだ。どぎまぎしながら門を潜ると、庭地が広がっていて建物までは少し距離がある。門番もいなかったし、こんなに開けっ広げでいいのだろうか。様子を窺いながら歩を進める。
ずっと人の声は聞こえるが、視界の中には誰もいない。挙動不審になりながらそろそろと歩いていると、建物から一人の男が出てきた。男は私に気が付くと、「何かご用ですかぁ?」と駆け寄ってきてくれた。三白眼で黒い髪。真選組と言えば粗雑なチンピラ集団というイメージだが、目の前の男は地味で威圧感が全くない。しかも、なぜかバドミントンのラケットを持っている。
私は姿勢を正し、箱を差し出した。
「お荷物持ってきました、運び屋です」
「荷物?」
箱を手渡すと男は怪訝な顔でそれを眺めた。
「どちらからですか?」
「個人の運び屋でして、依頼主のことは全く」
男は箱を四方から眺めて、次に私をまじまじと見た。
「きみ、なんか怪しいなあ」
不躾な視線にたじろぐ。雲行きが怪しくなってきたことを感じ、私は手を突き出した。
「とにかく荷物。お渡ししましたから。ほんと中身は知りませんから」
これ以上踏み込まないで欲しいという意思表示をする。男の静止の声を無視して足早に門を出て、バイクに跨った。ヘルメットを被りエンジンをかけると、愛車が唸るような音を立てた。赤い車体が陽の光に照らされて輝いている。見上げると、いつの間にか朝日は高く昇ろうとしていた。
次の行き先を考え始めて間もなくして、屯所から爆音が轟いた。爆風に煽られ、私はバイクごと横に倒れる。間一髪、車体に体を潰されることはなかったが、爆音で鼓膜が揺れていた。先程までの青空を塗り潰すような黒煙が朦々と上がっている。
私はしばらく唖然としたのち、間抜けな声を漏らした。
「…………え?」
事態を把握するまでに、そう時間はかからなかった。
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