上空を飛ぶ船に足を止め、顔を上げる。低い雲の中、ゆったりと飛んでいるそれを目で追いかける。

「止まるな」

 険のある声で背を押される。私は視線を下ろし、交互に出る爪先を見ながら歩を進めた。縛られた後ろ手が縄で擦れて痒い。吹く風は冷たいが、肌を滑る感触は気持ちが良かった。これから死罪を言い渡されるかもしれないというのに、妙に清々しい気分だった。
 万斉の言葉を借りるのなら、私は依然、閃光に目を焼かれている。あの日に見た、真っ赤な鮮血は私を解放する自由の象徴で、あの人の存在は、今も届かない憧憬だ。
 与力は私が遊女になりすましていたことを知っていた。吉原経由で私が鬼兵隊の女だと知れたということは、当時一緒に働いていた遊女から漏れたのだろう。鬼兵隊を気に食わない浪士と繋がっていた女がいたのだ。私のことを平気で話すことも有り得る。うんざりするほど、私は詰めが甘い。
 私の不用意な発言が、あの人を追いつめてしまうことだけは絶対に嫌だった。取り調べで恫喝されても黙秘を続けた。同心の迫力は真選組の鬼の副長と比べれば大したものではなかった。
 あの人は私の今のことなど知る由もないだろう。興味もない。それでいい。煩わしいものは一切、切り捨てていってもらって構わない。
 色褪せた茣蓙の上へ座らせられる。両側に立った役人は険しい顔付きをしている。建物の中、私を見下ろしている与力の老夫は顔の皺を深くし、笑んでいた。奉行所の門は開け放たれており、極悪攘夷志士の最期を見届けにきた野次馬が多くたむろしていた。

「このときを待っていた」

 老夫は大衆には聞こえない声量で呟いた。

「黙秘を続けていたらしいな。しかし見ろ、あの群勢を。貴様が何も語らずとも罪はいくらでも繕い、信用させることができる」

 私は国を変えたいと思ったことはない。しかし、その本心をここで話す気は毛頭ない。話すに値しない。
 脇の役人が「そろそろ」と老夫へ声をかける。老夫は頷き、背筋を伸ばした。
 最後の審判が始まる。走馬灯は流れてこない。ここまで、あっという間だった。人の最期なんて、こんなものなのだ。後悔はない。ああ、でも、あの少年や、お世話になったアパートの大家さんや、勝男さんに何も言えないままなのは気にかかる。でも仕方がない。それが私が生きてきた道の報いだ——。
 老夫が扇子をぱんと鳴らす。審判が始まる。
 と、思ったのだが、それは吹き飛んできた弾丸によって中断された。
 弾丸は奉行所の屋根に打ち当たり、屋根を崩し黒煙を撒き散らした。老夫や同心たちが慌てふためく声が煙の中で行き交う。崩れた瓦のくずが地上に降りかかってくるが、拘束されている私は顔を俯けるしかできない。煙が目に沁みる。

「その判決、異議あり〜」
「総悟、それ実際は言わねえらしいぞ」
「しかもまだ始まってませんよ」

 立ち込める煙と舞い上がる土埃の中から、複数の呑気な声が聞こえる。現れたのは肩にバズーカを担いだ真選組副長、土方。そのあとを栗色の青年と地味顔の隊士が続く。
 三人は唖然とする私の横をすり抜けていく。役人たちも突然のことに思考が追いついておらず、一つも動かない。室内で尻餅を着いていた老夫は上擦った声を上げた。

「なんだ、貴様ら。真選組が何の用だ」

 土方は煙草を咥え、バズーカを地面に放った。未だ硝煙を上げているバズーカが鈍い音を立てて転がる。その粗い動作に反して、土方は流暢な敬語で話す。

「いえ。貴殿が過激派攘夷志士を捕まえたと伺ったものですから。一応この辺りは真選組の管轄ですし我々は対テロ組織。詳細をご報告いただかないわけにはいきません」
「成り上がりの野蛮な侍が、手柄を横取りに来たというわけか」

 老夫は苦虫を噛み潰したような顔をした。侮辱されたにも関わらず、土方は冷静に言葉を返す。

「手柄? 俺たちの間では攘夷志士一人捕まえたことを手柄とは言わねえな。なあ総悟」
「せいぜい組織一つぶっ潰さねえと、俺たちゃご褒美いただけねえんでさァ。世知辛いもんでィ」

 青年は肩を竦める。が、感情が籠もっていない。
 姿勢を戻し、老夫はやっと立ち上がった。

「だったら首を突っ込むのはやめていただこうか。羽虫の始末は私がする」
「そうもいかねえ。冤罪で民間人を勾留し、挙げ句の果てに処罰しようってんだからな」
「なに?」

 私は阿呆みたいに口を開けっぱなしにしていた。目の前の事象を目に映すだけが精一杯だった。
 冤罪という言葉に老夫は片眉を吊り上げ、野次馬たちはしんと静まり返った。しかし、静寂は三秒と保たず、すぐさまどよめきに変わる。皆が冤罪だってと口々に言い出す。老夫は煩わしそうに手に持っていた扇子を振り回した。

「冤罪などではない! その女は!」
「貴殿が裁こうとしているこの女、名前を聞かせていただけますか」

 土方は老夫の話を遮る。老夫は険しい表情のまま、私の名前を告げた。

「鬼兵隊、ミョウジナマエ。間違いない」

 紫煙が昇っていく。土方は「山崎」と手をひらりと振った。地味顔の隊士が返事をし、あっけらかんと言い放つ。

「お奉行、ミョウジナマエという人間は、この世にはいません」
「……なんだと?」
「ミョウジナマエは、十年前に暴漢に襲われ死んでいます」

 十年前。私が、家族に売り飛ばされ、あの人に出会ったとき。

「ミョウジナマエの実父から証言を得ています。少女は隣村へ出かける途中、不運にも暴漢に襲われたんです。現場には数人の男の遺体と少女の髪が束になって落ちていました。金品の一切を奪われていたことから、仲間割れをしたものと思われています。少女の遺体は未だ見つかっていないそうですが、実父は既に死亡届けを出しています。十年も経っていますからね。帰らぬ娘を待ち続けるのは、さぞ辛いでしょう。娘は死んだのだと飲み下すことで自分を納得させているんです」

 隊士は父が悲しみに暮れているような話し方をしたが、真実は異なるはずだ。いや、事実、父は私を亡き者としたのだろうけれど、その真意は違う。娘を遊郭に売り払ったことが露見することを避けるため、さも失意のどん底にいるかのように語ったのだ。おそらく、隊士はそれをわかっている。大仰な口振りは逆に嘘くさい。しかし、父の質を知っている私以外の人間にはそうは聞こえまい。先程まで好き勝手に喋っていた野次馬は隊士の言葉に耳を傾けている。

「あなたはそんな、なんとか娘の死を受け入れようとしている父親の傷口に塩を塗るような行為をしているんです。でたらめな調査で、父親をぬか喜びさせるのはいかがなものでしょう」
「でたらめなどではない!」

 老夫が激昂した。

「遺体がないのなら誰も死んだとは言い切れんではないか! それに、そんなことは瑣末な問題ではない! その女は二年前、確かにかの人斬り、河上万斉と共に火事に遭った遊郭から逃げ出したのだ! それがその女が攘夷志士たる動かぬ証拠だ!」

 震える手で指差される。大勢の前で糾弾されていることに耐えられないのだろう。私のことを卑しい遊女だなどと腐すくらいだ。その自尊心の高さは窺える。温和そうに見えていた表情は一変し、般若のような形相になっている。

「二年前の火事、浪士も遊女も客も入り乱れて、相当な混乱だったそうじゃないですかィ」

 栗色の青年が口角を上げる。そのふてぶてしい笑みに老夫がたじろぐ。

「アンタ個人の遊興のことをとやかく言う気はありやせん。ただ、そんな騒ぎの中で遊女の顔一つをしっかり覚えてるたァ、お奉行、年の割には記憶力には相当自信があると見える。それとも、その女にゃ随分世話になってたんですかィ。顔をちゃんと覚えるくらい通い詰めてたんですねィ。いやはや、記憶力だけではなくソッチのほうも現役たぁ頭が下がりやす」
「き、貴様ぁ! 私を愚弄するか!」

 老夫がわなわなと唇を震わせて叫ぶ。反対に青年は歪な笑顔のままだ。不穏な空気を感じ取っている役人たちも顔色が悪い。野次馬たちはひそひそと小声で何か話している。
 警察、老夫、野次馬——。それぞれが異なる心理の中にいる。異なる視点で、この場に立っている。しかし、それらの目を一挙に一点に集めるものが空から舞い散った。真っ白い雪ではない。それは真っ白い、風に舞い踊るたくさんの紙だった。
 半壊した屋根の上には、万事屋の従業員二人組が立っていた。抱えた紙束を次々に空へ投げている。

「お奉行さまァァァ! そいつは勘弁したってくださいアルゥゥゥ!」
「運び屋を解放しろという嘆願書がたくさん集まってるんですよぉぉ!」

 役人たちが怒声を飛ばすが、二人は全く聞く耳を持たない。土方が横で舌打ちをしたのが聞こえた。

「何してんだ、アイツらは」
「あはは、やっぱり来ましたねえ」

 隊士は呑気な口調で返す。降ってくる紙は建物の内外、野次馬の元へも飛ばされていく。そして私の膝下にも落ちてきた。そこには、運び屋を解放しろ、と雑な文字が連ねられ、知りもしない名前が記されていた。それは何枚も何枚も落ちてくる。
 運び屋として働く私は、依頼主の名前など知らない。しかし、目に映る雑な筆致のそれらの名前は、なぜか知っている気がした。これは、私が今まで出会った人たちに違わない。この街の人に違いないと言い切れる。ガサツでぶっきらぼうな人たちだ。人のことなどお構いなしで、自分の想いをまっすぐにぶつけてくる、我が強くて図々しい人たちだ。
 砂を蹴る音。視界の端に、洞爺湖と刻まれた木刀が入る。

「お奉行さまぁ、これでもまだ、コイツを偽りの名で裁こうって言うんですかぁ?」

 万事屋さんは安穏とした口調で訊ねる。その頭には止めどなく紙が降りかかっている。終いには顔にまでばさばさと当たって、我慢ならないと万事屋さんが屋根に向かって怒り始めた。

「オイてめーら! どんだけばら撒いてんだ! 程々にしろって言っただろーが!」
「ゴメン銀ちゃーん」
「思ってたより人が多いんでいっぱい撒いたほうがいいかと思って」
「限度ってもんがあるでしょうが! バカなんですかてめーらは! おま、もう、バカ!!」
「ボキャ貧ですねィ旦那」

 万事屋三人は大声で応酬を始めた。野次馬は地面に散らばった紙を拾い上げている。役人たちは拾うなと止めているが、既に遅い。老夫は唾を撒き散らしながら声を張り上げる。
 
「どこの誰だか知らんが、こんなことをして許されると思っているのか!」
「おっと、そんなこと言っていいのかな?」

 万事屋さんは私の服の襟の裏へ手を差し込んだ。抜き取った手には、指先ほど大きさの機械があった。ボタンを押すと、老夫の声が機械を通して聞こえてくる。
 ——黙秘を続けていたらしいな。しかし見ろ、あの群勢を。貴様が何も語らずとも罪はいくらでも繕い、信用させることができる——
 老夫の顔が一気に青褪めていく。万事屋さんは不敵な笑みを見せた。

「さすが江戸一番のからくり技師。バッチリ録音できてらぁ」

 万事屋さんが牢の前に来たとき。胸ぐらを掴まれたあの数秒の間に仕込まれていたのだ。私は開いたが口ずっと塞がらない。
 呆然としていた老夫は、口元をひくつかせながら振り絞るような声を上げた。

「なにが運び屋だ、既に死んでいるだ。どこにも本当のことなどありはせんではないか。真実など、どこにも……」
「あるさ、真実なら」

 土方は淀みなく言い切り、老夫を見据えた。

「コイツが一人の子どもを助けたという、真実がな」

 土方は振り返る。首を捻ると、人混みの中、そこにはあの少年が拳を握りしめて立っていた。固唾を飲み、こちらを見つめている。

「なんで……」

 囁くような声が口から出た。少年の後ろには、小銭形さんやハジがいる。辺りは時間が止まったかのように音を消した。
 土方が私を見下ろし、訊ねる。

「答えろ。おまえの名は、なんだ」

 嗚咽が漏れる。震える体が訴えている。差し伸べられた手を、掴んでもいいのだろうか。
 乾いた口を開く。掠れた声を振り絞る。
 私は。私の名は——。





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