川辺の茶屋で桂とエリザベスは並んで茶を啜っていた。傍の桜の木から落ちた花びらがベンチに落ちている。行き交う人々は誰も彼も穏やかな表情で、ひとときの春を謳歌している。
「指名手配犯が呑気に茶ァ飲んでていいのか?」
笠を目深に被った男が背中合わせに座る。過激派攘夷浪士、高杉晋助は手にした煙管を咥え、息を吐いた。名乗らなくとも気配と声だけで背後の人物が旧知の男だと悟った桂は鼻を鳴らした。
「それは貴様もだろう。こんな往来にわざわざ茶を飲むために来たわけでもあるまい。何を企んでいる」
「何も企んじゃいねえよ。立ち寄っただけだ」
茶屋の店員が湯呑みを運んでくる。高杉の脇に置き、愛想良く「ごゆっくりどうぞ」と微笑む。相手がテロリストなど露ほども思っていない。
「かぶき町で運び屋をしている女。どこかで見た覚えがあると思っていたが、貴様の手の者だったか」
桂は水面に流れる桜の花びらを見下ろしながら言った。初対面のときには気が付かなかったが、ずっと胸の奥に引っかかっていた。しかし、鬼兵隊の攘夷志士として捕らえられたと聞き、合点がいった。高杉の脇に立っていたのを見たことがある。主戦力ではないようだったが、目を引く華やかな容姿だった。バイクに跨る姿とはかけ離れていて、印象のズレがありしばらく気づかなかった。
高杉のもとへお茶を運んだ店員が、流れでエリザベスの湯呑みへおかわりを注いでいく。プラカードで「かたじけない」と礼を言い、エリザベスは器用に湯呑みを掴んだ。桂の元へも回ってくるが、桂は結構だと口にはせず手で制した。店員は会釈をして去っていった。
「人身売買の仕事でしくじった女を庇ったのは高杉、おまえだろう」
高杉は答えない。桂は静かに笑った。
「商売を水の泡にされて春雨が黙っているわけあるまい。裏で根回しをして女に危害が加わらないようにしたのだろう。かつての仲間だろうと女子供だろうと切り捨てていくのが貴様ではなかったか」
「どう捉えてもらっても構わねえよ」
「足抜けをさせたのは貴様の意志か」
高杉はすっくと立ち上がった。
「元々アイツは悪党になんてなれやしなかった。散々痛めつけられてきたくせに、情け深い奴だった」
「痛みを知るからこそではないのか」
紫煙を吐き、高杉はたっぷり間を置いて口を開く。
「遠くに行きたいなんぞと宣ったくせに、地上から離れたら息苦しそうにしてやがった。だが、今はずいぶんと息がしやすそうに見える。アイツには果てのねえ空を飛んでるより、地べた駆けずり回ってるほうがお似合いだ」
笠を手で押さえ、高杉は人混みに紛れ去っていった。食えない男だ、と桂は内心で溜め息をついた。
遠くからサイレンの音が聞こえる。耳を澄ましてみるが、街中で鳴っているようだ。また何かの事件だろう。
◆
カウンターに置いていた携帯電話が激しく振動する。画面を開くと、七三の二文字。今日は朝から依頼が立て続いていて、ろくに休憩もしていない。げんなりしながら渋々通話ボタンを押す。
「もしもし」
「なんや、気の抜けた声出しよってからに」
「すいません、お昼中で」
替え玉一丁、と威勢の良い声と共に丼に麺が入れられる。頭に手ぬぐいを巻き、額に汗を浮かべている店主に軽く会釈をする。
「なに替え玉頼んどんねん」
「お腹空いて……」
「相変わらずやのう。まあ、それはさておきや。仕事や、運び屋」
電話口の相手は言いたいことだけを述べて電話を切ってしまった。私はまだ熱い麺を急いで啜り、代金を払ってラーメン屋を出た。店主は繁盛してるねえ、と笑顔で私を見送った。
太陽光を受けて光る赤いバイクには桜の花びらが散りばめられていた。見上げると、大きな桜の木が優雅に聳えている。
江戸で迎える、何度目かの春。しかし、こんな風に桜をゆっくりと眺めるのは案外初めてかもしれない。
シールド付きのジェットヘルメットを被り、バイクに跨る。唸るエンジン音。視界は明るく、視野も広い。街を走り出すと、風に乗っていろいろな匂いがした。
かぶき町の子どもたちの集まる公園に黒駒勝男は佇んでいた。足元には愛犬のメルちゃんがいる。勝男さんは私の姿を認めると片手を挙げてあいさつをした。
「塩か? 醤油か?」
「味噌バターです」
メルちゃんが尻尾を振りながら足元に近付いてくる。つぶらな瞳が見上げてくるので、屈んで恐る恐る頭を撫でた。手に収まる小さな頭に滑らかな毛艶。二回ほど頭を撫で、そっと手を離した。
「それで、荷物は?」
「これや」
勝男さんに渡されたのは重量感のあるボストンバッグだった。しかも、行き先は入国管理局本部。私は全身で嫌な予感を感じ取っていたが、断るわけにもいかない。なにせ、勝男さんは私のパトロンだ。街の人たちから依頼がひっきりなしに来るようになったのも、彼の助力があってこそだ。無下にはできない。
「運び屋、わかっとるやろうな」
「はいはい、見猿聞か猿言わ猿ですね」
「はいは一回やあほんだら」
勝男さんと別れ、再びバイクを走らせる。荷台のバッグが落ちないようにスピードは緩める。見猿聞か猿言わ猿、と心の中で繰り返す。
交差点で赤信号に引っかかる。停車すると、銀色のスクーターが隣に並んだ。
「よお、運び屋。何それ、やべえもんじゃないの?」
「何回も言いますけど私は非合法はものは運んでません」
「いや、そう言ったってさァ」
鼻をほじりながら万事屋さんは荷台に目を向ける。私も釣られるようにして後ろを見遣る。すると、開いたチャックから蠢くピンク色の触手が飛び出ていた。きっと漫画のような表現をするのなら、私の目玉は飛び出ている。
「全然説得力ないよねえ」
呑気な万事屋さんが鼻くそを息で吹き飛ばす。私は慌てて飛び出ている触手をバッグの中に押し込めようとするが、逆に手を掴まれてしまった。大きなバッグのチャックが徐々に開き、中から現れたのはなんとも間抜けな顔をしたタコだった。もちろん地球産ではない。こういう類のエイリアンは何度も見たことがある。
ひっと悲鳴を上げたのも束の間、触手はどんどん絡み付いてきて吸盤が吸い付いてくる。
「いっ、痛い痛い! 吸盤! 吸盤!」
万事屋さんは「なんか見たことあんなソイツ」とあっけらかんとしているが、私は絶叫していた。吸盤が吸い付いてきて痛い。
あの七三、なにをとんでもないものを運ばせようとしているんだ。あの人、もしかしたら私をただ便利遣いしているだけじゃなく、本当は私を社会的に抹殺したいんじゃないだろうか。
一目散に逃げたいのに、信号はなかなか青に変わらない。悲鳴を上げながら信号を睨んでいると、タコが徐々にバッグから出てくる。足がにょろにょろと別の生き物のように蠢いている。
「いやいや足の多い生き物が! 出てきてる! 万事屋さん!」
「俺に助け求められても」
「ぶった斬っていいですから! とにかく足減らして! たこ焼きにしていいから!」
「どういうお願いだよ」
万事屋さんが木刀を構える。すると後ろに並んだ車から、頭部にアンテナのようなものを生やしたふくよかな天人が顔を出した。妙に高い声でおちょぼ口を必死に動かしている。
「オイ貴様ァ! 何をするつもりだぁ! それは余の大事なペットになるものではないか!?」
まさか依頼主? さすがにまずいと頭を過ぎる。が、振り返っている間に信号が青に変わる。万事屋さんが木刀を振りかぶる。瞬間、アクセルを吹かした。木刀は空振りし、アスファルトを殴った。が、足を護ったわたしのことなどお構いなしにタコは腕に絡みついてバッグから出てきている。片腕を完全に引っ張られ、それどころか腰に巻き付いてきている。ぶよぶよとした生温い感触に怖気と寒気がする。タコに気を取られてハンドル操作がままならない。ついハンドルを握り込んでしまいスピードが上がっていく。
「いやぁぁ、待っ、危な! 万事屋さーん!」
「万事屋さーんじゃねーよ、てめーでなんとかしろぉ」
「余のペットを傷物にするでないぞぉ!」
前方の車を避けながら走っていると、後方からサイレンの音が響き渡ってくる。スピーカーを構えて助手席から顔を出しているのは、真選組の栗色の青年だ。
「そこの赤いバイクー、止まりなさーい。スピード違反だぞー」
「止まる! 止まるけどこのタコ何とかして!」
「ああん? 止まるならさっさと止まりやがれィ……あーもうめんどくせえや」
スピーカーから打って変わり、青年が今度はバズーカを構える。私は思わず引き攣った笑みを浮かべる。それからほんの数秒後に弾丸は放たれ、爆煙が街に広がった。
騒ぎを聞きつけて駆けてきた土方は、頭を抱えた。アンテナ天人は愕然としていた。街を行き交う人々は突然の騒動に目を眇め、何事かと騒ぎ立てる。
「何事だ、オイ。あの暴走バイク、何者だ」
道路脇でスクーターを停車していた万事屋さんに通行人が訊ねる。万事屋さんは、ふっと笑った。
「運び屋さ」
波に千鳥 終
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