愛車を押して歩いてきた先には先客がいた。彼は私の顔を見て、バイクを見遣った。

「運び屋じゃん。何? バイクぶっ壊れたの」
「走るには走るんですけど、傷がついて」
「傷?」

 かぶき町で万事屋を生業としている銀髪の侍は私の愛車を見回した。そして塗装の剥げた部分を見つけて「ああ」と声を上げた。

「大したことねーじゃん」

 事も無げに言われてむっとする。私にとっては大事な相棒なのだ。

「万事屋さんみたいなガサツな人は気にならないでしょうけど」
「オメー俺のことそう思ってたの? 超心外なんですけど」

 私と万事屋さんは、互いに自営業で一見胡散臭さしかない仕事をしているという共通点があり、ひょんなことから知り合いになった。仕事があれば街をどこでも走り回る私と、依頼さえあればどこにでも現れる神出鬼没な彼は時々出会しては世間話をしたり、時間があれば飲みに行ったりする仲である。
 はじめは飄々としていて掴みどころがなく、変な人だという印象しかなかったが、ダメ人間である彼と一緒にいる時間は気負う必要がなく、私は伸び伸びとできた。斯くいう私も決して自制心があるとか、勤勉であるといった部類の人間でもない。類は友を呼ぶといったところだろう。
 話し声に気が付いたのか、自宅兼工場になっている建物から家主が現れる。江戸一番のからくり技師、平賀源外だ。源外さんはスパナ片手に油で汚れた頬を首のタオルで拭った。

「なんだ、またバイクの修理か」
「こんにちは源外さん」
「ったく。てめーら、うちはバイク屋じゃねーんだぞ」

 文句を言いながらも、しゃがみ込んでバイクの様子を熱心に見てくれる。そしてこれならすぐに終わると言って、建物の中へバイクを引っ張っていった。そこへ異を唱えたのは万事屋さんだった。

「オイじーさん、俺のスクーターが先だろが」

 万事屋さんはスクーターを派手に壊したらしく、私と同様に修理依頼に来ていたらしい。よく知らないが、彼は仕事中に大怪我をしたり物を壊したりすることが多々あるらしい。源外さんはふんと鼻を鳴らした。

「てめーと運び屋じゃあ金回りが違うんでな。上客を優先すんのは当然だろう」

 ぐうの音も出ない万事屋さんは苦い顔をして奥へ消えていく背を見送った。私は特に万事屋さんに申し訳ないとも思わず、のろのろと建物の壁に凭れて座った。取り調べのせいで疲れてしまった。

「けっ、金のことばっか言いやがって」

 万事屋さんは吐き捨てた。そして私を見遣り「おまえ、まだ白い粉とか運んでんの?」と平然と訊ねた。まだ、とは何だ。

「一回も運んだことありませんけど」
「中身見てないんだからわかんねえじゃん。いつか捕まるよ」
「いつかっていうか、さっき警察のお世話になってきたところで」

 万事屋さんは常に平行線の目を珍しく丸くした。

「なに? ついにやべえもん運んでるのバレたの」
「私がやべえもん運んでるの前提にするのやめてくれますか。今回のだって冤罪なんですから。危うく爆弾魔にされるところでしたよ」

 やれやれと首を振る。あの長髪の男には必ずお礼参りをしなければならない。一瞬でもあの男を美男だと思った自分に今はラリアットを食らわせたい。そしてあの長い髪をおかっぱにしてやらなければ気が済まない。
 忌々しい顔を思い出して歯軋りをしている私に反して、万事屋さんはしみじみと虚空を見上げていた。

「そういや、俺も爆弾に振り回されたことあったな」
「そうなんですか」

 私は膝の土埃を払いながら適当に相槌を打った。

「そーそー。まあ銀さんの素晴らしい機転によって事なきを得たんだけどね」
「へえーそうですか」
「流してんじゃねーよ爆弾女」
「だから冤罪だって。あのサラサラロングヘア……」 
「サラサラロング?」

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。その音は徐々に近付いてきており、私は身を翻して建物の中へ引っ込んだ。万事屋さんが不思議そうな顔で見ていたが、私はいそいそとヘルメットを被って膝を抱えて縮こまる。触れてくれるなと口を閉ざす。
 間も無くしてサイレンはすぐそばで止まった。車から降りた気配はないが、聞き覚えのある声が聞こえる。栗色の青年だ。万事屋さんと話している。

「旦那ァ、こんなところで何してんですかィ」
「原チャリの修理。それより騒々しいじゃねえか。事件でもあったの」
「桂の目撃情報が近辺であったんでねィ」
「ふーん。珍しく仕事してんだ」

 淀みなく進んだ会話が終わると、車が走り去る音。私はしゃがんだまま恐る恐る外の様子を窺った。万事屋さんは「追われてんの?」とこちらを見下ろした。私は大きく首を横に振った。

「違いますよ、会いたくないだけです」
「どう見ても逃亡犯だけど」

 指摘され、ヘルメットを外す。フルフェイスのヘルメットはバイクを走らせているときは必需品だけれど、一度降りれば外しておかないとすぐに強盗犯か不審者扱いされる。頭を振って髪を払っていると、万事屋さんは、さっきの、と口を開く。

「サラサラロングってさ、もしかして」

 万事屋さんの目線が私から、私の脇へ移った。釣られてそちらを向くと、視界に広がる白い物体。地面に着いている黄色い鳥のような足。ぎょっとして顔を上げると、まん丸い目と視線がかち合う。言葉を失っている私を他所に万事屋さんはその白い生き物――生き物?――に声をかけている。

「指名手配犯が堂々と往来を歩いてんじゃねーよ、もっと端っこ歩きなさいよ」
「美川憲一か貴様は」

 見た目に似合わず低く落ち着いた声で話す白い生き物。しかし、その声は私の記憶にあるものだった。地面に手を着いて身を乗り出すと、白い物体の隣には件の長髪の男が立っていた。笠で顔に影を作っているが、その長髪と端正な顔は見間違いようがない。
 私は怒涛の勢いで男の胸ぐらに掴みかかった。

「このロン毛ぇ!」

 着物を掴み首を絞めつける。男は何が起こっているのかわからないといった表情で「な、なんだ貴様は!」と狼狽している。どうやら私の顔など全く覚えていないらしい。それが私の神経を更に逆撫でする。私を牢屋送りにしようとしたくせに。隣で白い生き物がプラカードを持っているが、何が書かれているのかまで私の目には映らなかった。万事屋さんは呑気に鼻をほじっている。

「あーやっぱり爆弾魔ってヅラのことだったの」
「えっヅラ!? これ地毛じゃないの!」
「ヅラじゃない桂だ……ちょっマジで苦しっ……」

 カツラなら私のおかっぱ計画は無意味だ。青い顔をしている男から手を離すと、男はその場に頽れた。白い生き物が「大丈夫ですか、桂さん」とプラカードを出しながら噎せる男の背を摩っている。屈んだときにすね毛の生えた足のようなものが見えたけれど、たぶん気のせいだろう。
 私は万事屋さんに向き直り、このロン毛と知り合いなのか訊ねた。万事屋さんは鼻くそを指で飛ばし、まーな、とだけ答えた。顔が広いことは知っていたが、爆弾魔とも知り合いなのか。私のことを仄暗い仕事ばかりしている運び屋だと言うわりに、自分だって十分に怪しい人間と付き合いがあるんじゃないか。
 蹲っていた男がゆっくりと立ち上がり私を睨む。

「オイ貴様、初対面の人間に暴力を振るうとは一体どういう了見だ。全く最近の若者は急にキレるんだから」

 男は後半はオカマ口調になり、ふんと鼻を鳴らした。しかし、私の怒りは男の比にならない。地を這うような声が自分から出ていた。

「初対面……?」

 男がひゅっと息を呑む。顔を引き攣らせ、ちょっと待てと手を突き出してくる。

「あーあれか! 昔お茶屋で喧嘩したアキコか? ん? マツコか! すまんすまんあのときは俺が悪かった! ほんと俺があのとき四十円持ってたらなー! あれ、でもほんとどこかで会ったことあるような無いような」
「アキコでもマツコでもないわ!」

 私は振りかぶった拳を男の横っ面に思い切りめり込ませた。白い生き物のプラカードには「桂さぁぁぁん!」と記されている。殴られた勢いそのままに男は地面に倒れ伏せ、白目を剥いて意識を失う。私の怒りはちっとも鎮まらなかったが、傷害罪で捕まっては本末転倒なので、拳を握り込んで気持ちを落ち着ける。
 万事屋さんは知り合いが殴られたというのに平然としていた。それどころか、着物の袂を漁ってチョコレートが無いと肩を落としていた。全く関心がないようだ。

「火事と喧嘩は江戸の花ってかぁ」

 笑いながら源外さんがバイクを押して現れる。相棒は傷などなかったかのように輝いていた。私は感嘆してバイクに飛びついた。先程までの怒りなどすぐに薄れてしまった。

「わーすごい! ありがとう源外さん!」
「おまえさん、気が強いのは結構だが、そんなんじゃ嫁の貰い手がなくなるぞ」
「余計なお世話です」
「銀の字、おまえどうだ」

 話を振られた万事屋さんは眉根を寄せる。

「こんなじゃじゃ馬、乗りこなせる自信がねえよ。まあどうしてもってんなら夜なら乗っかってやっても」
「じゃあ支払いは後日ということで。ありがとう源外さん」
「あ、乗っかるほうが好き? 俺はどっちかっていうと攻められるより攻めるほうが好きなんだけど」

 「殴りますよ」とヘルメットを構えると万事屋さんは素早く身を引いた。怒られるのをわかっていてセクハラ発言をするのだから男は理解できない。赤面されるのを望んでいるのなら相手を間違えている。私にはそういった可愛げはない。そんな感覚はとうに忘れてしまった。
 万事屋さんが口を噤んだことを確認し、ヘルメットを被る。エンジンをかけると愛車が唸る。私は慈しむようにハンドルを撫でる。結婚などしなくてもいい。私にとってバイクは相棒であると同時に運命共同体だ。この街で、私に走る術を与えてくれたもの。

「しかし、前々から思っちゃいたが目立つ色じゃねえか」

 源外さんが腕を組んで言う。私のバイクは光沢のある赤色をしている。その赤は秋の日差しに照らされ、眩しく煌めいていた。

「職業柄、あんまり目につくような色は良くねえだろう。なんでそんな色にしたんだ」

 源外さんは首を捻った。お客さんにも幾度となく目立つ色だと言われているけれど、私は決まって同じ答えを返す。

「自由の色です」

 ヘルメットの中で微笑み、二人に別れを告げて走り出す。走りながら、ふと思い出す。あの、ヅラと呼ばれていた男に会ったとき、私はヘルメットをしていた。そうか、わからなくて当然だったのか。悪いことをしてしまったと一瞬思ったが、いや、それでも人を使って爆弾を運ばせるなんてろくな奴ではないと考え直した。
 腹の虫が鳴き止まず、私はまっすぐにカツ丼屋へ向かった。





top
ALICE+