チェーン店のうどん屋で少年と一緒に月見うどんを食べた。私が七味唐辛子をかけていると、少年は興味深げにしていた。試しに一振りかけてやると、少年は美味しいと目を輝かせ、椅子から浮いた足をぷらぷらと揺らした。
 うどん屋を出て、すぐさま少年にヘルメットを被せる。重くて嫌だと言われたが、顔を見られるのは避けたい。

「お姉さん、お団子が食べたい」
「少年、お姉さんの財布は四次元ポケットじゃないんだよ」
「よじげん?」
「貧乏暇無しなの、運び屋は」

 適当に買ったゴーグルを嵌めながら言うと、あからさまに肩を落とされる。とぼとぼと重い足取りでバイクの荷台に座るものだから、まるで私が悪人のような気がしてくる。なぜだ。誰もこちらを見向きもしないのに、心なしか視線を冷たく感じる。
 唇を歪め、空に向かって吠えた。
 
「あー、もーっ。遠回りなんかするんじゃなかった!」

 雑にバイクに跨り、ハンドルを握りアクセルをふかす。少年はきょとんとしていたが、しばらく走り茶屋の前でバイクと停めると嬉々として駆け出した。なんてことはない、どこにでもある小さな茶屋なのにとても楽しそうだった。店内でお茶を飲んでいた老夫は少年を見るなり破顔した。歳を取ると無条件に子供を好きになるようだ。私もそうなるのだろうか。想像して、ありえないな、と未来の自分を一蹴した。

「なんだい、坊ちゃん。お母さんとお茶かね」

 少年は肯定も否定もせずに笑った。私も曖昧に笑っておいた。お母さんというのが私を指していることはわかったが、認めたくはなかった。そんなに老けて見えるのか。自分の顔をバイクのミラーで見てみたが、老けているといえば老けている。実年齢よりも若く見られることもままあるが、大体それは私と関わりのある人に言われることだった。つまり私は中身と外見の釣り合いが取れていない。老け顔だが、中身は年齢に追いついていないということだ。
 少年は老夫の手の団子に釘付けになっていた。何が食べたいのか訊くと、うんうん悩んだ末に「きなこ」と答えた。あんこでもみたらしでもまだ頼んでもいいのに、とは言わなかった。選択肢を広げることは残酷なことのように思えた。
 店の外の長椅子に腰掛け、少年が団子を咀嚼する様子を眺める。少年の着物の袖に触れてみると、滑らかで上質な布で織られていることがわかる。うどんを食べたばかりでも甘いものは別腹というやつか、少年は私が着物に触れても無心で団子を食べ続けた。そういえば万事屋さんも甘党だったっけ。きっと話が合うだろう。
 少年は一本目の団子を食べ終え、二本目を手に取ってから思い出したように私を見た。

「お姉さんは?」

 お団子いらない? と訊かれてかぶりを振る。ホットドッグとうどんで満腹だった。

「お腹いっぱいだからいらない」
「遠慮してるの?」
「大人な言葉を知ってるね」
「母上がよく言ってる」

 よく言ってる。言ってた、じゃないのは、彼の中にまだ母親がいる証だ。しかし、再会する可能性は万に一つもないだろう。そのうち、自分の中で折り合いがつく。人はそうして、折り目のないものを無理矢理折ることもできる。だから、折れないものを持ち、ただ一心不乱にひとつのものへ向かっていく姿に焦がれる。それがどんな形でも。
 少年は団子を頬張り、私の愛車を見ていた。

「バイク、かっこいいね。乗ってるときも風が気持ちいい」
「お、わかる?」
「お姉さんは、あれでどこにでもいけるんだね」

 私は乾いた笑いを漏らした。

「まーね」
「でも、ぼくは海や空にも出てみたいんだ」

 ぴょこんと少年が長椅子を降りる。顔を綻ばせ、私を振り返る。

「広くて大きな場所に行ってみたい。お姉さんは船に乗ったことある?」
「宇宙船ならあるよ」
「ええ、いいなあ」

 少年は目を丸くした。頭上から響く機械音に顔を上げる。大きな船が空を横切っていく。果てのない空は真っ暗闇で、無数に瞬く星は塵のようだった。私は別に宇宙に行きたかったわけではなかった。望んだのは、そんなに大きなものではなかった。

「別にいいもんじゃなかったよ」
「だからバイクにしたの?」
「だからってわけではないけど、風を切る感じとか、速さとか、いいなあって思ってね。それに、海にも空にも行けないけど、遠くまで行ける」

 少年は「遠く」と繰り返した。大きな瞳には赤いバイクが映っている。私はごめんね、と少年の横顔に謝ることしかできない。私には、きみを自由にしてあげることはできない。自分が与えられたものを返せるほど、私には力がないのだ。
 竹串だけが乗った皿を店員が下げていき、私は腰を上げた。安いゴーグルはゴムがきつくて緩めても目の周りを締め付けてくる。私の頭が大きいとかそういう問題ではないと思いたい。
 
「あとは行きたい場所は? 日が暮れる前に行こう」

 バイクを褒められて気分が良いというわけでもなかった。けれど、ここまで来たのだ。情けをかけるつもりはなかったが、どうせなら付き合ってもいい。少年は私の問いに目を瞬かせた。
 太陽はまだ雲の上で燦々と輝いている。しかし、傾き始めればあっという間に沈んでしまう。時間制限はされていないとはいえ、あまりにも遅いとどやされてしまう。天人の一部は地球人など残飯に集る蝿くらいにしか思っていない。おそらく、あの鋭い牙を持つ茶斗蘭星人もその部類だ。下手なことをすればコンクリート詰めにされて海に沈められるかもしれない。そんな死に方はごめんだが、この少年を届けさえすれば死ぬことはないだろう。

「海に行きたい」

 ばちん、と調整していたゴムが後頭部に音を立てて当たる。

「いった! え、ごめん何て言った?」
「お姉さんってちょっと変だよね」

 少年が笑った。えくぼが二つ、できていた。


 
 港に着く頃には東の空は薄暗くなり始めていた。冬の海は灰色で、空と海の境目がぼやけている。港にはタンカー船が数隻浮いているだけで人気はない。
 バイクを停めてゴーグルを外す。少年がヘルメットを取るのにまごついているので手を貸すと、ありがとう、とお礼を言われた。私は胸が疼くような感覚に、少年の顔を見ることができなかった。
 少年は堤防に駆け寄り、じっと海を眺めた。波は緩やかに押しては引いていき、潮風が時折強く吹くと白波が立つ。私はバイクに凭れてゴーグルを首に落とし、手でヘルメットを弄んだ。
 しばらくして、少年が口火を切った。

「はじめて海にきた」

 山の生まれなのだろうか。私も生まれは山だった。記憶のおぼろげな生地を思い出し、一緒になって古い家の軋む箪笥や、かび臭い布団を想起する。思い出さなければよかった。

「もっと晴れてればよかったね」
「ううん、きれいに見えるよ」

 私は海を見遣った。暗くて広く、その先に続くものが何も見えない海は宇宙のようであまり好きではない。しかし、少年の目にきれいに映ったのなら、それでいいと思う。

「でも、もっときれいな海もあるんだよね」

 私の心中を刺すような少年の言葉が波音に混じる。バイクのエンジンをかける。そろそろ行こうと声をかけようとして、視界の隅に入った影に口を閉ざした。
 神経を尖らせるような革靴の足音。踵を鳴らしながら歩み寄ってくる、眼光鋭い天人が二人。茶斗蘭星人だ。彼らに地球人が皆同じ顔をしているように見えるのと同様に私にも彼らの見分けがつかない。しかし、そのうちの一人は今朝会った人物だったようだ。

「運び屋、なに油を売っている」

 少年は怯えた様子で体をすくめ、私の後ろへ隠れた。私には見慣れた異星人でも少年にはただの肉食獣だろう。動物園にさえ行ったことがなさそうだから、彼にとって本物の虎と相違ないはずだ。

「そのガキは大事な商品だ。スーツケースはどうした」
「安物だったんで壊れちゃいました」

 あっけらかんと言うと、相手はぴくりと口元を引き攣らせる。高圧的な客にはこちらが怯んではいけない。隙を見せれば舐められてお終いだ。勝男さんに口酸っぱく言われている。
 並んだ虎は私の軽い嫌味に若干気分を害した様子だったが、自分たちよりも明らかに非力な人間に本気で食ってかかるほど狭小ではないらしい。鼻で笑い、目を細めている。

「ケースは安物でも、そのガキは高く売れるぞ。地球人のガキは頭がいいからな。どの星でも需要があるのさ」
「……星?」

 少年が呟く。耳ざとい虎がその声を拾う。

「そうさ。おまえはこれからどこぞの星に売られる。家にいるよりもずっといい生活ができるかもしれんぞ」

 少年は「うちよりも?」と訊ねる。私は前のめりになっている少年の体を後ろ手で押さえ、日が暮れ始めて瞳孔の開いた目を見つめる。

「商品なんでしょう。余計なことは吹き込まないほうがいいんじゃないですか」

 虎が揃って喉の奥で笑う。それは唸り声のようにも聞こえた。

「情でも移ったか? まあ俺たちも同情はするぜ。養子として迎えられて存分に可愛がられたあとに嫡子が産まれてお払い箱だ。地球人ってのはなぜそこまで血を重んじるのかね」
「家庭にも剪定が必要ってことだろう。跡目にもならんガキを置いていても穀潰しにしかならねえや」

 下卑た笑い声が続く。
 ――剪定。その言葉の意味はよく知っている。穀潰しという意味も、知っている。不要なものは切り捨てられていく。抱えていても無意味なもの、無益なものはいらない。
 少年が小さく後退りをしたような気がした。が、退いたのは私のほうだった。少年が私を見上げた。愛車は駆け出すときを今か今かと待っている。
 アクセルを撫で、少年へ小さく「乗って」と声をかけた。少年は動かない。

「乗って」

 もう一度繰り返してシートに跨る。少年は釣られるように荷台に飛び乗った。素早くゴーグルを着けると、表情を一変させた虎が迫ってくるのが見える。私は手に持っていたヘルメットを二匹の虎の鼻っ面目掛けて投げつけた。アクセルを握り込んで捻り、けたたましい音を立てながら走り出す。少年が強く私の腰にしがみついた。

「運び屋ァ!」

 怒声が海に轟く。しかし、猛スピードで駆け出すと、むき出しの耳は風圧で音を掻き消した。少年が背中でお姉さん、と私を呼んだ。振り向いている暇はない。どこへ向かうのか決めてもいない。でも、どこだっていい。

「どこにでも行けるよ」

 私の声は、少年には届かないだろう。それでも、彼に言い聞かせるように口にした。
 ――どこにでも行けるよ。これから、もっとたくさんのきれいなものを見られるし、安いうどんなんかよりも美味しいものを食べられる。この世には、まだ誰も知らないものが溢れているし、楽しいことも苦しいこともたくさんある。きみは、私とは違う。
 少年の手に力が入る。きっと目も開けていられないだろう。前の見えない少年の代わりに、私は唇を噛み締めて走り続けた。
 港から離れて江戸の街中へ入ると、曇天の下を人々が多く歩いている。ちょうど帰宅ラッシュの時間に遭い、道路の交通量も多くなっていた。紛れていれば見つからないと思い、何食わぬ顔で大通りに入り信号待ちをする。しかし、ふと後方に目を向けると車窓から顔を出す虎が見えた。何度も言うが、私には彼らが皆同じ顔に見えるので、あれが先程会っていた連中なのかわからない。しかし、向こうはすぐにこちらを見つけ、幾重にも練られた道路交通法を無視して無理やりに車を走らせてくる。辺りの車がクラクションを次々に鳴らすがお構いなしだ。私はこめかみに汗を垂らした。
 バイクを急発進させ、赤信号の中を突っ込む。十字路を曲がっていく車が私に向かって甲高いクラクションを鳴らし、罵声を飛ばしてくる。少年は振り落とされないように必死に私に捕まっている。彼には今や身を護るものが一つもない。しかし、それに構ってもいられない。
 虎の乗った高級外車がクラクションを鳴らし続けていた。そのおかげか、私の走る道までモーゼの十戒のごとく開けてくる。太陽はビル群の隙間に隠れて落ちており、ほとんどの車がヘッドライトを灯している。ゴーグルのせいでモノクロの視界はとても暗い。ヘッドライトの照明だけが白んで見える。
 私はバイクのヘッドライトを灯した。しかし、点けても何も変わらなかった。そういえばそろそろ交換時期だった。嘆いている間に銃声が響く。少年の手に一層力が籠った。

「止まれ運び屋ァ! テメェ、自分が何をしてるかわかってるのか!」

 車窓から上半身を乗り出し、虎が銃を構えている。
 弾が一発マフラーを掠め、舌打ちをして声を荒らげる。

「地球の法律守れバカヤロー!」

 怒鳴りつける間にも虎は次々に発砲し、装填していく。しかし腕はいまいちなのか、その後は弾丸は車体に掠りもしない。当たらない弾丸など怖くもなんともない――と言いたいところだが、危ないのは私の背にしがみつく少年だ。
 前方にはターミナルが見える。奇しくも私は、少年の届け先に指定されていたビルに近付いていた。眉を顰め、迂回路がないか頭の中で江戸の地図を起こす。しかし、逼迫した状態を打ち消すような呑気な声が隣からかかった。

「おー運び屋。なんかドンパチやってると思ったらオメーかよ」
「よ、万事屋さん」

 並走してきたのはスクーターに乗った万事屋さんだった。万事屋さんは私の後ろの少年を見遣り、呆れたように首を横に振る。

「おまえ、さすがに人攫いはまずいよ。銀さん、それはフォローできねえわ」
「人攫いじゃないわ! なんなんですかあなたの相手してるほど暇じゃないんですけど!」
「あのねえ、おまえいっつも俺のこと暇人扱いするけどさぁ、俺だって暇じゃないよ? こうしてジャンプ探して江戸中走り回るくらいには忙しいわけよ」
「寸分違わず暇人でしょうが! 仕事しろ!」

 万事屋さんは鼻をほじりながら「へーへー」と気の無い返事をした。

「じゃあいっちょ頼まれてやっからさァ。おまえ、ちゃんとあとで金払えよ」
「……はっ?」

 並走していたスクーターは徐々にスピードを落とし、後方の外車に並ぶ。万事屋さんは腰から木刀を抜き、それを外車のタイヤ部分に捩じ込んだ。外車が歪な音を立てて右へ左へ蛇行する。助手席の銃を持った虎は激しく動く車から振り落とされないよう窓枠にしがみついている。

「なっ、なんだ貴様はァァァ!」
「なんだチミはってかぁ? そうです、私が通りすがりの万事屋です」
「オイ! 撃て! 撃てぇ!」

 銃声が響いてくる。万事屋さんは至近距離から撃たれる銃撃を躱し、木刀を突き立てている。制御の効かない車のタイヤから火花が散っている。
 唖然としながら目を奪われていると、しゃべることさえままならなかった少年が突然声を張り上げる。

「お姉さん! 前! 前!」

 正面へ顔を向けると、そこには複数台の車が道路を塞ぐように停まっていた。真選組と記されたパトカー、並んだ黒い隊服の中心に立っているのは、栗色の髪の青年だった。青年はホイッスルを口に咥え、ピピー、と可愛らしい音を立てた。

「はぁい止まって止まって〜」

 その存在に気がついたときにはかなり距離が縮まっていたのだが、私はブレーキレバーを思い切り握り込んだ。バイクは青年にぶつかる既の所で急停車し、私はやや前のめりになりながら足でなんとか転ばないように踏ん張った。口の中がからからに乾いている。なんで真選組が、と考えたが、街中で銃を使えば警察ぐらい来るかと思い直した。息が上がり、顔に張り付く髪を払い除ける。
 青年はバインダーを取り出し、私の周りをぐるりと回った。

「無灯火運転、ノーヘル、スピード違反、あとニケツ……」
「えええここで減点?」
「あーあ、免停だなあこれ。免停どころか免許剥奪かも」

 青年は表情も声色も変えずに書面に何か書いている。私はそれどころではないと青年に噛みつく。

「おまわりさん! それよりもあれ! あれなんとかしてください!」

 後ろのほうでは万事屋さんがまだ奮闘している。それを指差すと、青年はつまらなそうにそれを眺め、バインダーを横に立っていた隊士に押し付け、自分は代わりにバズーカを担いだ。蛇行しながら近付いてくる車と万事屋さんに照準を合わせている。それに気付いた万事屋さんが、冷や汗を垂らして戸惑っている。

「沖田くぅん!? 俺がいるの見えてるよね? 見えてるよねぇ!?」

 青年はにやりと笑った。瞬間、空気の放出する音と共に大きな弾丸が放たれた。それはまっすぐに万事屋さんと外車へ向かっていき、日の暮れた街に轟音を響かせた。





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