生きていると、時として想定していない事態に陥ることがままある。右手には賞状の入った丸筒を握り、左手は小さな手に握られている。少年の歩幅は狭く、人と並んで歩くことのほとんどない私は少し戸惑った。
見慣れた街を歩いていると、コンビニの横で万事屋さんと出会した。彼の脇にはチャイナ服の少女が立っていた。万事屋の従業員で、夜兎族の神楽ちゃんだ。二人は揃って中華まんをかじっている。
「おう、誘拐?」
開口一番、なんてことを言うのだろう。私は眉を顰めて言い返す。
「そっちこそ、給料も支払わずに少年少女をこき使っているんでしょう」
「よく知ってるアルな、金くれヨ」
差し出された白い手に苦笑いする。
「なんで私にせびるのかな?」
「銀ちゃんが運び屋は儲かってるってよく言ってるアル」
中華まんを咀嚼しながら神楽ちゃんはけろりとして言った。私は肩を竦める。
「いま休業中だから儲からないんだなーこれが。てか、他人に金を要求するなんてどういう教育してんですか」
「うちでは金はふんだくるもんなんだよ」と全く悪びれる様子もなく、万事屋さんは中華まんの包み紙を丸めてごみ箱に投げた。この雇い主にして、従業員あり。
少年の手が少し揺れた。見ると、神楽ちゃんの咥えている中華まんをじっと見ていた。
「食べる?」
訊くと、はっとして首を横に振る。しかし、目は湯気の立つそれに釘付けだ。
私は財布から五百円を出して、空いている少年の手に握らせた。買っておいでと言うと、迷いながらも少年はコンビニへ入っていった。掌がすうすうと外気を通す。
「オメーは子ども嫌いだと思ってたけど」
ガラス越しに少年の様子を見ていると、万事屋さんはぽつりと言った。
「嫌いじゃないですよ。好きでもないけど」
「あのガキ、どうするつもりだ」
先日の私の仕事は、天人による人身売買として事件扱いされた。茶斗蘭星人は真選組によって拘束され、私は警察庁長官から少年を救った功績を讃えられ感謝状を渡された。少年は表向き家に帰ることになったが、少年が家に帰りたがらなかったことと、私の服を掴んで離さなかったので、やむを得ず連れて帰った。しかし、私は少年を養う気も連れ立っていく気もない。どうするつもりと訊かれても、どうするつもりもない。
丸筒で自分の肩を叩きながら、そうですねぇと空を仰ぐ。
「当てはあるんで、これから会いにいくところです」
「当て?」
「いつまでも置いておけないんで」
万事屋さんと神楽ちゃんが揃って私を見る。親子でなくても、一緒に住んでいれば仕草は自然と似るものだ。
コンビニから出てきた少年は、両手に大事そうに肉まんを持っていた。食べ歩きは行儀が悪いと躾けられていたのだろう。私が行こうか、と言うと、躊躇いながらついてきた。半分に割ってくれようとしたので、私は「いらないよ」と断った。少年は寂しげな表情でひとり肉まんを食べた。そういうところは、やっぱり好きになれないと思った。私には彼を連れ立っていくなんて、できそうもない。
市街地を離れて高い石塀に囲まれた小道をしばらく歩くと、民家の合間に建つ甘味処に着く。深緑色の暖簾を潜り店内に入ると、奥まった場所にある席から小柄な女の子が手を上げる。
「運び屋のアネキ! こっちでやんす!」
岡っ引きのハジだ。彼女の向かいにはサングラスをかけ、濃い髭を蓄えた同心、小銭形さんがいる。私はひらりと手を振り、ハジの隣に座った。少年も私の隣に並んで座った。小銭形さんは口に葉巻を咥えているが火は付いていない。
「ハードボイルドな男は甘味処なんて来ない」
「来てんじゃないですか」
「バーに移ろう。カミュが飲みたい気分なんだ」
「子どもがいるんで」
渋い声でバーだのカミュだのと繰り返す子銭形さんを一蹴し、私は店員へぜんざいを頼んだ。少年は落ち着きなく店内を見回している。江戸の隅で人通りのない場所にあるこの店は、知る人ぞ知る隠れ家的な甘味処だ。まだ昼前の店内には人っ子一人いない。店の奥からはテレビの音が漏れ聞こえてきている。
ハジは私の横の少年の顔を覗き込み、こんにちはと笑顔で挨拶をした。
「今日から、あちき達と一緒に暮らそう。アニキも見てくれはこんなだけど、根は良い人だよ」
少年が私を見る。私はきゅっと口角を上げた。私と少年の間には丸筒が置かれている。
少年はぜんざいを黙々と食べた。小銭形さんは返答もないのに、ハードボイルドは何たるかを語っていた。私は透き通った色の緑茶を飲んでぽつりぽつりと相槌を打った。
「晴れると寒いでやんすねえ」
甘味処を出て、ハジは空を見上げて言った。眩しいくらいの冬の空。雲は穏やかに流れていた。
行こうか、と小銭形さんとハジが先に歩き出す。少年は、もう私の手を握らなかった。しかし、歩き出すこともしない。私は少年の艶があって指通りの良さそうな髪を見ていた。
「きみは何も持ってない。お金もないし力もないし経験もない。それでも、私がいい人じゃないことくらい、わかるよね」
「……けど、悪い人じゃない」
「いやいや、言えないような悪いことをたくさんしてるんだよコレが。口に出すと捕まるから言わないけどね」
「お姉さんはぼくを」
「それはたった一瞬の幻だよ。すぐに忘れる。忘れなきゃいけない」
少年の言葉を遮る。少年の潤んだ目がこちらを見上げる。
「今はわからなくても、わかるよ。いつか」
もう、ずっと昔のことだ。私のことを一瞬の閃光に目を焼かれているだけだと言った人がいた。その閃光を私は未だに忘れられず、抱き続けている。
少年はあっという間に見る影もなく成長するだろう。私と過ごしたほんのひとときのことなんて、忘れ去ってしまうだろう。だが、それがなんだというのだろう。何も憂うことはない。
少年は眉根を寄せて、掌で目を擦った。そしてまっすぐに小銭形さんたちのもとへ駆け出した。振り返りもしない姿を見送り、私は小銭形さんとハジへ手を振った。
遠ざかる三人を見送ったあと、店内へ戻る。椅子に置きっぱなしだった賞状を筒から出して広げる。仰々しい字体。そこに刻まれる名前。勝男さんには春雨が絡んでいると聞かされていたので、今回の件で春雨から殺し屋でも来るのではないかと思っていたのだけれど、数日経っても全くその気配がない。嵐の前の静けさとでも言うのだろうか。何にせよ、刺すなら一思いに刺してほしい。
賞状をぐしゃぐしゃに丸める。しかし紙が硬くていまいち丸くならなかった。ごみ箱が見当たらず、無理やり筒に突っ込む。やるせなくなって席を立ち、ショーケースを覗く。私の顔ほどの大きな桜色の饅頭があった。財布を開いてみると、小銭が残っているだけだった。所持金三百三十三円。
「このでかい饅頭を一つ」
音もなく現れた黒い人物に体が跳ね上がる。勢い余ってショーケースに側頭部をぶつけた。真選組副長、土方十四郎。カウンターにいた若い女性店員は私がぶつかったことには気を留めず、頬を赤らめて慌ただしい手付きでケースから饅頭を出した。そこで食うからいい、と彼は素っ気なく言って、饅頭の乗ったお盆を私へ押し付けた。
その整った顔を見て、饅頭へ視線を下ろし、お盆を受け取る。
「お金下ろしてきます」
「いらねえ」
「借りたものは返せって七三が」
「七三? 別に、たまたま通りがかっただけだからいらねえよ」
たまたまなわけがない。私は仕方なしに席に着いた。彼は隣のテーブル席に腰掛け、腰に差していた刀を傍らに置いた。
「新聞に出てたな」
饅頭をちぎる。中の餡子はまだ見えない。
「隠れて仕事をしてる身なのでやめてほしいですね」
「ありがた迷惑ってやつか」
「ただの迷惑です」
感謝状を贈られるほどの功績だ。一面ではなかったし職業は飛脚ということになっているものの、私の顔も名前も出てしまった。本当に迷惑だ。勝男さんにちくちくと嫌味を言われた。自分の立場をわかっているのかとか、仕事がしづらくなるとか。平謝りするのも疲れてしまった。
運ばれてきたお茶を彼はゆっくりと飲んだ。
「私のことは何かわかりましたか?」
ちぎった一口大の饅頭を食べる。口の中の水分を奪われる。
「八歩塞がりだ」
「それは…………ご苦労様です」
「直接叩いたほうが埃が出るんじゃねえかと思ってる」
「それは物理的にですか? 精神的にですか?」
「どっちがいい」
「どっちも嫌ですけど!」
ていうか、と私は丸筒を彼の目の前に突き出す。
「あなた方のトップから私はこれを頂いてるんです。私は善良な一般市民です」
「あそこに総悟がいなきゃあのガキを連れて地の果てまで逃げただろ」
「……成り行きで」
「しかし感謝状をやった奴をすぐにしょっぴくのは俺たちの目も節穴だってことになっちまう」
先程からちらちらと女性店員がこちらを見ている。熱い視線は土方へ向けられているが、本人は気付いていない。気付いていないふりをしているだけかもしれないけれど。見目麗しいくせに、頭の中は仕事でいっぱいのようだ。女ならみんな振り返るだろうけれど、私はどうもこの男が苦手だ。
「しばらくはおとなしくしてるこったな」
「おとなしくせざるを得なくしたのはどこの誰ですか」
無灯火運転やらノーヘルやらで免許停止になってしまった。足がないことには仕事もままならないので、私は休業を強いられた。その件についても勝男さんに嫌味を言われた。しかし、そのおかげでなんだかんだで、あの人も私のことを当てにしていることを知った。
饅頭をちぎりながら食べる。土方にしか目が向いていない店員へ手を上げてお茶をおかわりする。彼女は前髪を整えながらおかわりを持ってきた。が、相変わらず土方は彼女には一瞥もくれない。
「忠告しておくが、今回の人身売買、闇オークションには宇宙海賊春雨が一枚噛んでいる。てめーの身を狙う奴がいつどこに現れるかわからねえ」
「承知してます」
即答すると、彼はぴくりと眉を動かした。
「知ってて、あんなバカな真似をしたのか」
「バカで結構ですぅ」
「殺されるぞ」
「そうなったらそうなったです。人生、行雲流水です」
お茶を飲み干し、半分ほどになった饅頭を手に持って席を立つ。ごちそうさまです、と会釈をして店を出た。彼は何も言わなかった。
緩やかな坂道を饅頭片手に歩いていく。道端に佇む草花、塀の上を歩く猫、物干し竿に掛けられた大きさの違う服。存外、自分の足で踏みしめる土やアスファルトの感触も悪くない。しかし、やはり全身で感じる風を恋しく思ってしまう。
左手を掴んでいた少年の湿った掌を思い出す。彼のこの先の人生を慮ると余計なことをしてしまったかもしれないと後悔も過るが、もう過ぎたことはどうしようもない。感情に流されやすいのは、昔からだ。私は一時の気持ちや衝動に負けて、いつも後先考えずに動いてしまう。いいかげん頭を使えるようにならなくては、あの人に笑われてしまうだろう。
――ああ、そうか。あのにおい。
坂の上にある銭湯の煙突から昇る湯気を見上げ、甘味処で感じたにおいを思い出す。隊服に染み付いていた煙草のにおい。店内は禁煙だったから吸わなかっただけだろうけれど、そういえば彼も愛煙者なのだ。道理で私は彼を避けたくなるわけだ。
濛々と空へ立ち昇る煙。普段はほとんど通らない歩道には物珍しいものが溢れている。お風呂にでも入っていこうか。でも、お金がないんだった。
不意に後ろから肩を叩かれた。見たことのない顔の同心だった。脇には十手を持った岡っ引きが立っている。
「鬼兵隊、ミョウジナマエだな」
掴まれた肩が痛い。生きていると、時として想定していない事態に陥ることがままある。
「ご同行願えるか」
しかし、どうだろうか。私は、いつかこんな日がくるのではないかと予感していたように思う。
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