柔らかな筋肉に覆われた胸が、規則正しい調子で上下している。薄く開いた唇から深い呼吸が繰り返される。普段頭ひとつ分高いところにある顔が、目線を上げればすぐそこにある。顎先、喉の中央の出っ張り、鎖骨、少しずつ視線でなぞっていき、緩い着物の合わせ目から覗く胸に掌を添える。意識を集中させると、鼓動が伝わってくる。
 お風呂上がりの火照った身体は既に余計な熱を放出している。それでも銀時の平熱はわたしよりも高いので、そばにいるとあたたかい。そして、同じシャンプーやボディソープを使っても、どこか甘くていい匂いがする。鼓動を確かめ終えると胸元に鼻を寄せ、甘い匂いを吸い込む。窒息するならこの匂いの中で死にたいと思った。
 喉の奥で呻きながら銀時が身動ぎする。背中を手が這い上がってきて、肩甲骨の辺りで止まる。伸びていた足が無遠慮に伸しかかる。包み込むように抱き込まれ、きゅっと息を呑む。起こしてしまったのかと思い顔を上げると、しかし瞼は重く下ろされたままだった。

 独り寝に慣れると、隣に誰かがいると眠れなくなる。眠りにつかなければいけないという焦燥感と、指一本動かすことさえ許されないような緊張感と、頭にかかる酒臭い寝息の嫌悪感と——仄かな安心感。大きな身体はくるっとわたしを包み込み、これは何かに似ている、と初めて一緒に眠ったときに考えた。柏餅だ。彼はさながら柏の葉で、わたしは白い餅。そんなどうでもいいことを考えて気を紛らわせる程度には落ち着かないのに、秒針が動き、長針が動く毎に心が凪いでいくのを感じていた。そうして短針が一周する頃には、摩訶不思議なことに眠りについていた。

 頭上の妙ちきりんな目覚まし時計をそろそろと見遣る。布団に入ってから、まだ短針は一周していない。今日は吐息に酒気は感じられないのに、こちらの目が冴えてしまっている。ときどき荒いいびきは聞こえるが寝顔は穏やかで、健やかに眠る姿が恨めしい。
 寝る前に飲んだお茶がよくなかったのかもしれない。尿意を感じ、腕の中でもぞもぞと動く。乗っていた足からすり抜け、布団から半身を出す。膝を畳に着き四つん這いで布団を離れようとしたそのとき、足元に抵抗があった。振り返ると銀時が寝巻きの裾を掴んでいる。頭は枕に乗ったままで顔は見えないが、はっきりとした意志を感じる。
「ごめん、起こした?」
 声を潜めて謝る。室内にはわたしと銀時以外おらず、居間も今夜は無人だ。いやに静かで、わたしが動こうとするたびにする衣擦れの音が耳につく。
「起きてるんでしょ? ねえ、手、離してよ」
 返事はないが、手も離れない。踏ん張って離れようとするが、こちらが力を込めるのと同様に、いやそれ以上の力で引き止められる。暗がりの中で拳が白んでいるのが見える。負けじと前に進もうとするが、ちっとも進めない。
「ちょっ、なに……」
「ンゴー」
「ね、もう、離してって」
「ンググ」
 銀時は白々しくいびきの声真似をする。しかし、尚も顔を見せようとはしない。一体何がしたいんだ。
 数分の攻防の末、尿意も限界で、痺れを切らしたわたしは声を荒らげた。
「ちょっとトイレ! トイレ行くだけだから! すぐ戻るからっあ!?」
 言葉尻を聞くか否かで銀時の手が離れた。前のめりに傾いたわたしはべちゃっと畳に倒れた。痛みは大したことなかったが、掌を少し擦った。振り返り睨むと、銀時はいそいそと布団の中に手を引っ込めていた。悪態をつきたい気持ちを抑え、唇を噛むに留める。もう夜半だし、わたしだって早く眠りたい。深い溜め息を吐いて和室を出た。
 饒舌かつ意外に表情豊かな銀時だが、たまに意味のわからない行動に出る。なにが琴線に触れるのか、それを知るにはわたしは彼のことに無知過ぎて、そして探りを入れるような度胸はなく。姑息な手段で付け入ろうと考えつく程度には小癪だが、実行できるほど思い切りがいいわけでもなかった。
 しかし、果たしてどんなことに不安を憶えるのか、そのくらいは知っておきたい。同衾するには少々遠い関係にあるわたしを連れ込むくらいなので、身近な人には晒すことのできない一面があり、尚且つ心のどこかに歪みを抱えているのは確かだが、彼がそれを明かすことはない。兆しもない。わたしは彼に安心感を与えてもらっているので、もしも彼が何か不安に駆られるようなことがあれば、多少なりとも力になりたいのだけれど。どうもままならない。
 用を足し、手を洗い終えて厠を出ると、外からサイレン音がした。赤い光が玄関戸越しにいくつも過ぎていく。スピードを出しているふうでもない。近くで事件だろうか。草履に足を引っ掛け、施錠してあった鍵を開ける。少々立て付けの悪い戸がカタカタと音を立てて滑る。顔だけ出して外を覗くと、大江戸警察の提灯を提げたパトカーが一台走っていくところだった。真選組ではないということは、テロ関係ではないのだろう。
 パトカーが道の角を曲がるまでを見送る。踵を返そうとしたところで、慌ただしい物音がした。銀時が廊下と居間の間に立っていた。
 再びサイレンが近付いてくる。二台、三台——赤い光が銀時を照らしては去っていく。明暗を繰り返すそこに映る銀時は、形容するなら、知らない場所で親に取り残された迷子のような顔をしていた。小さく開いた口、ほんの僅かだが、いつもより大きく見える双眸がわたしを見つめている。
「……どうかした?」
 訝るわたしに、銀時は「ああ、いや」と目を泳がせまごつく。
「ウンコ?」
「はぁ?」
「いや、遅いから」
 廊下をぺたぺたと歩き、裸足のまま銀時は三和土に降りた。玄関戸に手を掛け、外を覗く。パトカーは既に走り去ったあとで、サイレンだけが聞こえる。それも遠くに消えた頃、銀時は玄関を閉め施錠し直した。
「野次馬してねえで、さっさと寝るぞ」
 銀時は欠伸を噛み殺し、踵を返す。しかしわたしが動かずにいると、渋面を作って腕を引っ張った。脱げた草履が転がる。
 強引に引きずられながら、広い背中を見ていた。暗闇のせいなのか、光が淡くおぼろげだったせいなのか不確かだが、銀時の目が不安定に揺れているように見えた。
 和室に戻ると、銀時は早速布団に潜る。左側に寄って、空いた右側の掛け布団を捲る。
「眠れねえなら羊でもアルパカでもラマでも数えてろ」
 布団に座り横になると、足が絡まってくる。足裏でふくらはぎを撫でられると、ざらつきが気になった。裸足で玄関に降りたからだ。
「アルパカとラマってどう違うの」
「ラマはボサっとしてて、アルパカはあれだろ、こう……モフモフしてる」
「銀時と同じだ」
「オイコラァ天パをディスってんのか、それは俺の頭がアルパカだって言いてえのか。俺ァくっせぇ唾なんか吐かねえぞ」
「寝てたわりによくしゃべるね?」
「……寝起きいいんだよ」
 放っておけば昼まで起きないほど寝汚いくせに、どの口が言うんだか。狸寝入りしていたことを頑なに認めようとしないので、追求はしなかった。
 銀時の膝がお尻に当たる。布団の中で押し上げられ、顔が向き合うように近付く。かと思うと、また押し上げられ、先程とは逆の位置——わたしの胸元に銀時の頭が来る体勢になった。腕が背中に回り、隙間が消える。銀時はわたしの胸に顔を埋め、独り言のようにつぶやく。
「もうちょいあるといいんだけどな……」
「何か言った?」
 失礼な発言に銀髪をわしっと掴むと、「なんでもないです」と声を引き攣らせた。怒られるのをわかってて、なぜ怒らせるのか。やれやれと掴んだ銀髪を解放し、所在ない手で髪に触れた。アルパカは触ったことはないが、こんな手触りなのかなと想像した。
 あたたかな体温を感じる。顎に触れる髪がくすぐったい。そういえば、朝目覚めるとこの体勢になっていることがある。寝る前は逆でも、起きるとそうなっている。わたしは寝ながら移動する癖があるのだろうかと不思議に思っていたが、もしかしたら故意にそうなっていたのではないかと今になって気が付いた。鼓動を確かめていたのは、自分だけではないのかもしれない。
 銀時、と名前を呼ぶと、早くも船を漕ぎはじめている銀時が不明瞭な返事をする。しかし、続く言葉は出てこない。幾度となく夜を繰り返していれば、眠れない日があるのは誰だって同じだろう。それを乗り越える羽翼になるのなら、それでいい。
 余計なことは言うまいと、おやすみと幕を引く。返事の代わりに、ゆるやかに動いた掌があやすように背中を叩いてきた。寝かしつけが必要なのはお互い様のようだ。
 




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