◯月◯日 週間・大江戸通信
——真選組、またも失態。幕吏宅の希少樹木を爆破——
 江戸の平和を護る特別武装警察『真選組』が、またも失態を犯した。
 某月某日、幕吏A氏の護衛任務に当たっていた真選組が、A氏の自宅庭園の樹木を誤って爆破した。攘夷志士の襲撃に遭ったためと真選組側は経緯を説明したが、A氏は「天人の友人からもらった貴重な木だったので、とても残念だ」と語った。天人と地球人の友好関係にひびが入りかねない事態だ。その心中は穏やかではないはずだ。
——中略——
 真選組は、これまでも市中や民家を破壊して市民から反感を買っている。そのほとんどが真選組一番隊隊長、沖田総悟氏による所業であるといわれている。今回も沖田氏が護衛についていた。関係者は対応の遅さを懸念している。「A氏に対する謝罪は未だないようです。あまり大事にしたくないとA氏は言ってますが、肝心の沖田氏はあれから全く姿を見かけない。どこかに雲隠れでもさせてるのかもしれません」真選組切っての剣の使い手ながら問題児でもある彼は、今どこにいるのか。今後の動きを注視したい。

・・・

 先刻、隣のおじいさんから回ってきた回覧板を開く。
 近くの寺子屋の行事、来月に控えたお祭りの案内、例年訪れる紅葉狩りの観光客対策。そして、蛍を守りましょうの文字が続く。
 大方を読み終え、回覧板を閉じる。人気のない店内であくびを噛み殺し、出入り口の向こうを見る。行き交うのはトンボだけ。お客の気配は、ない。
 お茶でも淹れようか。ここ数日で、お茶っ葉の種類が増えてしまったし。腰を上げかけると、計ったように引き戸が開く。
「邪魔するぜィ」
 天井にも壁にも所狭しと物が並んだ雑多な店に、爽やかな秋風が吹き込む。季節外れの風鈴が鳴る。現れたのは、これまた爽やかな青年。沖田さんだった。わたしは浮いた腰を椅子に落とした。
「ビッグカツが食いたくなった」
「それなら向こうに」
 狭い通路を縫うように沖田さんが歩く。子どもでさえすれ違うのがやっとの通路だ。大人が一人そこに立てば、もう目一杯である。しかし、それも当然だ。元は娯楽の少ない村で、子ども達のためにと父が作った駄菓子屋だ。車庫を改築したものなので、小屋程度の広さしかない。
 ——尤も、大人はそうそう来ないので何ら問題はなかった。沖田さんが、ちょっと特殊なのだ。
 沖田さんは目当てのお菓子を手に取ったあとも、くるくると視線を回していた。あと数時間後には夕食という時間だが、沖田さんはいつも結構な量を買っていく。
「宿のごはん、おいしいでしょ?」
「田舎飯って感じでさァ」
 んまい棒のコーナーから目を離さず沖田さんが答える。決まってサラミ味を買うくせに、いつも一通りのラインナップに目を通す。
「それがいいって評判なんですよ」
「俺ァ生まれは田舎だから珍しくねえや」
「意外。江戸生まれ江戸育ちって感じなのに」
 沖田さんは、一週間ほど前から近所の旅籠に泊まりにきているお客だ。女将曰く江戸から静養に来ているのだそうだ。なんの静養なのかは、女将も聞いていない。
「きっとどこかの役人よ。だって刀を持ってたもの」
 赤い紅を引いた唇が複雑に歪んでいた。女将は見合い結婚して二年で別れた旦那が役人で、以来、役人を毛嫌いしている。
「でもあの子、顔がいいのよ」
 悔しそうに歯噛みしていた女将の顔を思い出す。嫌悪感と惹かれる心の狭間で揺れ動いているようだった。わたしはどちらかというと髭が生えていて、筋骨隆々な男臭いひとが好きなので、沖田さんにはあまり惹かれない。
 沖田さんはビッグカツ、サラミ味のんまい棒とドッキリマンチョコを買い、棚の隙間にある子ども用の椅子に座る。幼児用のものなので座面はとても小さいのだが、器用にそこに収まる。
 女将は役人だと言っていたが、役人にしては若過ぎる。しかし今時帯刀しているなんて、役人か浪人くらいだ。浪人と言えば、髪はぼさぼさで身なりも薄汚れてて、時代に取り残された雰囲気がある。けれど、沖田さんはどこか品がある。艶のあるまっすぐな髪や、甘い造りの顔面、仕立ての良さそうな着物。どちらかといえば、やはり役人か——。
「なんでィ。んまい棒はやらねえぞ」
 沖田さんが無表情にわたしを見返す。見つめ過ぎた。
「んまい棒はチーズ派なんでいらないです」
「コンポタ顔してるのにかィ」
「コンポタ顔ってなんですか」
 んまい棒を食べ終えると、沖田さんは「茶」と当たり前のような顔でわたしに言う。喉にもったり張り付く感じはわからなくないが、言い草にカチンとくる。しかし、喧嘩してもどうしようもない。渋々お茶を淹れる。
「梅昆布茶ねえのか」
 えっ、と声が出る。湯呑みの中身は緑茶だ。
「梅昆布茶の気分なんでィ。察しが悪いな」
 人にお茶を催促し、淹れてもらったお茶にケチをつけるこの人のどこに静養が必要だろうか。口端が引き攣る。それはどうもすみません、と口先だけで謝ると、沖田さんは気が利かねえなあと溜め息をつく。
 そう。我が家のお茶の種類が増えたのは、沖田さんのせいである。来るたびにお茶を要求し、それもほうじ茶がいいだの蕎麦茶がいいだの、要求が多いのだ。
「次は用意しとけよ」
「次って……いつまでいるんですか?」
「一ヶ月くらいはいるんじゃねえのかィ」
「一ヶ月も?」
 思わず訊き返す。沖田さんは素知らぬ顔でお茶を啜っている。一ヶ月もいるのか。一ヶ月も、お茶を催促され文句を言われるのか。そもそも、このひとはなんでこんなに太々しいのだろう。地元民でも、況してや友達でもないのに。わたしは頭を抱えた。
 やがて沖田さんがお菓子を食べ終える頃、店の外から賑やかな声が聞こえてくる。夕暮れ前になると、寺子屋帰りの子どもたちが小遣いを握ってやってくるのだ。
 例に漏れず、子どもたちが複数人、店に押し寄せてきた。各々好きなお菓子を買い、店先のベンチで連なって食べはじめる。その姿は電線に並ぶスズメによく似ている。父は店の中からその様子を眺めるのが好きだった。
 騒がしく菓子を頬張る子どもたちから少し遅れて、一人の少年が店に入る。迷いもせずドッキリマンチョコを買い、その場で封を切る。
「ああ、まただ」
 がっかりと音がしそうなほどわかりやすく肩を落とす。手に持っているのは銀色に光るシール。
「これ、もういっぱい持ってるのに」
 ドッキリマンチョコにはおまけとしてキャラクターが描かれたシールがついてくる。子どもから大人まで夢中になって集める人気で、レアキャラは一部では高額で売買されるほど。駄菓子屋でも人気商品で、特に男の子なんかはこぞって買っていく。この少年もまた然りだった。
「どういうのがいいの?」
「金色のやつがレアキャラ。ねーちゃん、どれがレアかわかんないの?」
「透視しろと?」
 無茶振りに苦笑いする。無理かあ、とぼやきながら苦い顔で袋を破り、少年はチョコをかじる。ドッキリマンチョコは子どもが手を伸ばしやすい値段の割に、チョコレートのクオリティも高い。食べ続けても飽きないように工夫してあるのだ。
 ふと少年が目を向けた先には、お茶を飲む沖田さんがいる。少年がこそこそとわたしに訊ねる。
「なあ、あのにいちゃん、最近いっつもいるよな」
「え? ああ、暇人なの」
「おい聞こえてんぞコンポタ」
 その呼び方はやめてほしい。聞けば聞くほど響きがアホみたいだ。
 少年は「ふうん」と興味なさげに相槌を打った。しかし、沖田さんの手にある煌めくものを見て、あっと大きな声を上げる。
「それ! 超レアなやつ!」
 沖田さんに駆け寄った少年が、食い入るようにそれを見つめる。ドッキリマンチョコのシールだ。湯呑み片手に、沖田さんは自分の持っているシールを見遣る。少し動かすだけで、きらきらと金色に輝く。
「なんでィ、欲しいのか」
「くれるの!?」
 シールに引けを取らないほど目を輝かせる少年。一方の沖田さんは表情を変えることなく、うーんと息を漏らす。
 いくら性悪の沖田さんといえど、子どもの無垢なお願いを足蹴にできるほど人でなしではないだろう。それに沖田さんがドッキリマンチョコを買うのは今日が初めてだ。シールを収集しているわけでもない。ならば答えはひとつ——。「あれで勝ったらいいぜィ」
「え」
 心の声が漏れてしまった。沖田さんは店先を指差した。子どもたちが面子で遊んでいる。
 少年は「勝ったらくれるの?」と立ち上がる沖田さんを見上げる。わたしは内心で、負けたらあげないの? と訊いていた。
「ああ、勝てばくれてやるぜ。言っとくが手加減はしねェ」
「よっしゃ、わかった。絶対勝つ」
 二人の間で話はとんとん拍子に決まっていき、口を挟むことはできなかった。腕捲りをして店を出ていく少年。沖田さんは余裕綽々といった態度だった。
 わたしはあげればいいじゃん、と呟いた。大人げない。

・・・

「また負けた!」
 少年が地団駄を踏む。澄み渡った空の下、柔らかな陽光が辺りを優しく包み込んでいる。道に生えた青い猫じゃらしが風で揺れていた。
 あれから、沖田さんと少年の面子対決は数日続いている。手加減はしないという言葉通り、沖田さんは容赦なく少年を打ち負かしている。手加減してあげればいいのに。少し呆れながら、店の鍵を閉める。
「ちょっとお店空けますね。遅くなる前に帰してあげてくださいよ。暗くなるの早いですから」
 ギャラリーの子どもたちの中で飛び出ている沖田さんに声をかける。しかし、沖田さんは唇を尖らせる。
「俺ァガキのお守りはしねえぞ」
 相手してもらってるのはそっちでしょうと過るが、「年長者の役目です」と一蹴した。たとえ沖田さんが子どもと歩いていても、通報はされまい。近隣の住人は沖田さんのことを泊まり客と認知しており、こうして昼間からほっつき歩いてる様子を見ている。一風変わった江戸の兄ちゃんくらいにしか思われてない。何より、子どもたちと打ち解けている。
 彼らの脇を通り過ぎようとしたところで、ギャラリーの女の子の一人が「最近蛍もいないもんねえ」とのんびり言った。街灯の少ないこの辺りの夜道では、僅かでも明かりがあると頼もしい。
「ああ、そうだね。だから余計に暗いのかも」
「あ、父ちゃんが言ってた。蛍って天人に売ると、すげえ高いんだって」
 沖田さんと対決中の少年が試合を一時中断して声高に言う。すると、えーっと驚きの声があちこちから上がる。売るの? どのくらいするの? かわいそう、などと皆口々に言う。その話はわたしも聞いたことがある。あんなにも美しく光る虫は、宇宙にもなかなかいないそうだ。密輸されているなんて噂も聞いたことがある。 
「でも、いなくなったらさみしいねえ」
 女の子がぽそっとこぼす。わたしは艶やかな髪をやさしく撫でた。
 買い物袋を提げて、歩きながら遠くの山を眺めた。まだ紅葉には程遠い。しかし、吹く風はずいぶん冷たくなった。
 まだ幼い頃だ。父と手を繋いで、家のそばの畦道を歩いた。真っ暗闇だったけど、父の手の大きさや温かさに、不安はなかった。
 視界におぼろげな黄緑色の光が映った。灯っては消える、儚い光。まるで息を吹き返しては途絶えるかのように、何度も繰り返す。幼心に、命の脆さを感じていた。
 帰路に着く途中、旅籠の前を通った。明るい室内のカウンターで、女将が眼鏡をかけて俯いてるのが見えた。帳簿とにらめっこでもしているのだろう。
「あら、買い物?」
 玄関先に顔を出すと、女将が相好を崩す。
「ええ、沖田さんは?」わたしは人気のない館内を見回した。外は既に日が暮れ始めていた。旅籠の夕食は早いので、もう戻ってきていると思っていた。
「まだ帰ってないの。夕食はいらないって電話があったんだけど」
 何か知らない? と訊かれ、首を横に振る。
「知りません。わたしが知るわけないじゃないですか」
「あらそう。彼、あなたのところに行ってるみたいだから……。あたしには全然懐いてくれないのに」
「身の危険を感じるんじゃないですか?」
 冗談混じりに言うと「さすがに十代には手出さないわよ」とからから笑われた。二十歳以上ならいいんだなと思った。
 女将から「会ったら門限は二十二時って伝えておいて」と言伝を預かり、旅籠を後にした。都会の宿はどうか知らないが、田舎の宿の門限は早いのだ。
 店の前に着くと、ちょうど反対の道から人影が向かってくるのが見えた。薄暗いが、それが沖田さんであることは遠目にもわかった。向こうもすぐにわたしに気が付いた。
「なんでィ、遅かったな。野糞でもしてたのか」
「わたしのこと、野良犬とでも思ってます? ていうか、沖田さんこそ何してるんですか?」
「てめーがちゃんとガキども帰せって言ったんだろうが」
 目をしばたかせる。沖田さんの顔をまじまじと見ると、僅かに眉根を寄せられる。普段表情の変化に乏しい沖田さんの貴重な顔だ。
「わざわざ送ってくれたんですか?」
「悪ぃかよ。これでも……」
 沖田さんが口を噤む。その先は出てこなかった。
 ただの面倒で嫌なひとかと思ったら、案外常識的なところもあるんだ。わたしは妙に感心してしまった。普通のひとがする行いを、ちょっと嫌な感じのひとがすると数倍良い行いに見える。不良が野良猫を拾うと優しい人物に見えるとか、某アニメ映画でガキ大将が急にいい奴に感じるとか、そういう現象だろう。何にせよ、このひとも良識を持ち合わせていたんだな。
「あ、そうだ。沖田さん、夕食どうされるんですか?」
 村にはスナックが一軒あるが、飲食店と呼べるものは他にはない。どこかに行くのだろうか。しかし、電車もバスも夜は走ってない。タクシーは呼べば来るけど、二、三十分は待たなくてはいけない。
「アンタのうちは晩飯何にするんでィ。コンポタか?」
「コンポタから離れてくださいよ……。油揚げを煮てあるので、いなり寿司です」
「五目?」
「五目です。えっ、食べる気ですか?」
「腹減った」
 なんて自由なひとだろう。沖田さんはわたしのあとに続き、無遠慮に家に上がり込む。トイレは? あ、なんか魚食いてぇ。この家BS映らねえの? と次から次へ言葉がぶつけられ、わたしは住み慣れた我が家なのに戸惑っていた。
 女ひとりの家に男をあげるなんて、どうなのだろう。早速居間で横になる沖田さんを覗き、いやいやと後ろめたい気持ちを振り払う。勝手に沖田さんが入ってきたんじゃないか。それに、ひとのことを野良犬扱いしたのだ。食指が動くとは考えにくい。しかし改めて考えても、女に野糞はない。品があるなんて幻想だった。
 無心でいなり寿司を作り、焼き魚は夏にもらって冷凍してあった鮎を塩焼きにした。副菜は残り物を出しておいた。沖田さんはいなり寿司をどんどんお腹に入れ、鮎も丁寧に骨を取って食べた。育ちがいい部分と、ガサツで粗野な部分が奇妙に折り重なっているひとだ。ちぐはぐで、掴み所がない。沖田さんは、江戸ではどんなふうに過ごしているのだろう。少しだけ、気になった。
 会話もそこそこに食事を終え、「どこに行ってたんですか?」と訊ねる。沖田さんはお茶——ほうじ茶を出したが文句は言わなかった——を飲み、「何が」と問い返す。
「あの子たち、みんなこの辺に家があるんですよ。送っていくにしても、そんなに遅くまでかかりません」
 少し間を空け、蛍、と沖田さんは言った。
「蛍がいるから見にいこうってガキが言うから、その辺歩いてた」
「見れました?」
「いなかった。つーか夏にいるもんだろィ」
「秋蛍ですよ。この辺りには秋にもいるんです。小さくて光も弱いけど、きれいなんですよ」
 沖田さんは窓の外へ目を向けた。今夜は白い月が出ている。
 お皿に山盛りに作ってあったいなり寿司は、三つ残っている。わたしは一つを頬張り、後の二つを小皿に移した。
「わたしも昔は、父と見に行ったりしました。今はいないけど……」
 隣室に繋がる襖を開ける。漏れる明かりを頼りに、小さな仏前に小皿のいなり寿司を供える。遺影の笑顔に微笑み返し、部屋に戻った。襖を閉めると、沖田さんが肘を着いてこちらを見ていた。そういえば、と言伝を思い出す。
「女将さんが門限は二十二時だって」
 沖田さんは壁の時計を見上げる。もう二十一時を回っていた。露骨に顔をしかめている。
「あのおばさん、あれそれと世話焼きにくるもんで、ちっとも落ち着かねえんでィ」
「あはは、沖田さんみたいなひと、滅多に来ないから嬉しいんですよ」
「笑い事じゃねえや。母ちゃんかっつーの」
 肩を竦める沖田さんに笑う。圧の強い女将が沖田さんに嬉々として話しかけていく姿は、想像に容易い。沖田さんが困ったりうんざりしたりしながら遇らう姿は、見てみたいものだ。
 しかし、帰らないわけにはいかない。その後もしばらく部屋でごろごろとしていた沖田さんだったが、二十二時を前にしてようやく起き上がった。玄関先まで見送りに出ると、月は翳り、周囲はほとんど暗闇だった。
「懐中電灯持ってきますか?」
「夜目は利くほうでさァ」
 沖田さんは自身の燕脂色の瞳を指差した。ぱっちりした二重は羨ましいほどだ。なんの細工もせずにこの顔面なのだから、厭味なひとだ。しかしこの見た目で、あの性格。
「顔と中身の釣り合いが取れてないんですよね……」
「どういう意味でィ」
「痛い痛い!」
「三秒以内に三十文字で簡潔に言ってみろィ」
「秒数と文字数が合わない!」
 アイアンクローを喰らい、ボールのように雑に頭を解放される。こめかみが痛い。
 じゃあな、と沖田さんが去っていく。余計なこと言わなきゃよかったと後悔していると、ふと沖田さんが足を止めて振り向いた。
「暗いな、やっぱ」
 今更何を言うのだろう。わたしは「はあ」と気の抜けた返事をした。だから懐中電灯を持っていくかと訊いたのに。
 その場に佇む沖田さんを数秒見ていた。けれど、やはり明かりがあったほうがいいと思い、一旦家に戻る。懐中電灯片手に玄関を出ると、既に沖田さんはいなくなっていた。
 
・・・

「ここんとこ、毎晩なのよね」
 病院帰りに旅籠の前を通ると、花壇に水を撒いていた女将に呼び止められた。気落ちしている様子で、頬に手を添える。
「沖田さんですか?」
「そう。夕食はいらないって言われるし、夜も帰ってこないの。門限なんて言ったけど、鍵は空けてるのよ、一応。で、陽が昇る前に帰ってきてるの。それで昼間は部屋で寝てるの。何してるのかしら。不良息子を持つ母親みたいな気分だわ」
 女将は嘆息する。子どもを持たない女将だが、やはり年頃の男がそばにいると母性本能を擽られるのだろうか。
「ねえ、あなたのところに泊まってるんじゃないわよね?」
 女将からの意味ありげな言葉に、素っ頓狂な声を上げる。そして激しく首を横に振る。まさか、まさか。沖田さんがうちで夕食を食べたのはあれっきりで、以来、夜は来ていない。しかし、たしかに昼間お店に来ることは減っている。まだ勝負がついていないと、少年は待ち侘びているのに。
 わたしの必死の否定に、女将は「あらそう」とつまらなさそうにしていた。
「まあ、どこかで会ったらそれとなく話を聞いてくれると助かるわ。気を揉みすぎてシワが増えちゃう」
「はい……わかりました」
 ——とは言ったものの、そこまで心配するようなことだろうか。疑問に頭を捻る。
 慣れた道を歩きながら、辺りを見回す。見渡す限り田んぼ、山、川。熊は出ても人はいない。しかし、だからこそ心配するのかもしれない。夜遊びするような場所もないのに、いったいどこで何をしているのだろう。
 夕暮れ前、駄菓子屋の前で屯していた子どもたちが解散していく。わたしはまた周囲を見回してから、店仕舞いをして家に引っ込む。
 台所の引き出しには数種類のお茶っ葉が詰まっている。カレンダーを眺め、あと沖田さんがいるのはどのくらいだろうかと考える。滞在期間には曖昧な言い方をしていたから、もしかしたら早く帰るなんてこともあるのだろうか。全部飲めとは言わないけど、少しくらい減らしてもらわないと困る。

 秋の日暮れは早い。夕食の用意をして食事を終え、お風呂のお湯を溜めていると、外から蚊の鳴くような声が聞こえてきた。弱った犬のような、細いものだった。それは二度三度続き、そして最後には勘弁してくださいと泣きそうな声になった。さすがに異様だったので、急いで家を飛び出した。
 月のない夜、真っ暗闇の中に銀色の光が見えた。土手の草むらの中で、沖田さんが抜刀した刀の切先を男性の鼻っ面に向けていた。沖田さんに馬乗りされているそのひとは、半分泣きながら小さく両手を挙げている。
 あんぐりと口を開け、しかしはっとして「何してるんですか!?」と駆け寄る。沖田さんはわたしを一瞥し、切先を背けることなく冷たく言い放った。
「コイツが蛍を獲ってたんでィ」
 見ると、男性が肩掛けしている虫籠には、何かが蠢いていた。よくよく目を凝らすと、蛍の幼虫にも見えなくもない。
 泣きながら許しを請うそのひとが再び口を開こうとすると、沖田さんが刀を構え直す。悲鳴が断末魔に変わろうかという瞬間、わたしは慌てて叫んだ。 
「そのひとは役場の人です!」
「……は?」
 沖田さんがきょとんとする。胸倉を掴んでいた手を離すと、その人は力なくその場に倒れた。ひいひいと肩で息をして、途切れ途切れにようやく言葉を紡ぐ。
「ぼ、ぼくは蛍を捕食する、外来種を捕獲するために、来てるんです。こ、この籠の中身は宇宙からきた、蛍を食べる虫です」
 どうにかこうにか虫籠を突き出す。沖田さんは眉を顰めている。まだ疑っているようなので、わたしが補足する。
「蛍を守るために町場のひとがいろいろ対策をしてくれてるんです。その宇宙からきた虫は夜行性で、夜にならないと動かないから、こうして暗くなってから少しずつ捕まえなきゃいけないんですよ」
 先日の回覧板にそう書いてあった。減少する蛍をみんなで守ろうと一生懸命考えてくれたのだ。捕まえるなんてとんでもない。
「あ、あの、もういいですか」と洟を啜りながら男性が言う。沖田さんがやっと退くと男性はよろめきながら畦道を歩いていった。ひどい目に遭ったと思っていることだろう。こんな田舎にいては、真剣を向けられることなんてまずない。
 隣で沖田さんが刀を鞘に納める。そういえば駄菓子屋に来るときの沖田さんはいつも丸腰だった。
「……沖田さん。もしかして、毎晩」
 言いかけて、懐の携帯電話が鳴る。あ、ごめんなさい、と言いながら電話に出る。
「もしもし。……え、パンツ? 知らないよ、お父さんのお気に入りなんか。……うん、わかった。うん、じゃあね」
 電話を切る。話の続きをしようと沖田さんを見上げると、丸い目を更に大きくさせて、沖田さんがわたしを見ていた。首を傾げると、「今の誰でィ」と呆然と訊ねられる。
「お父さんです」
「は? ……死んだんじゃねえのかィ」
「え? 死んだなんて一言も……足を骨折して、入院してるんです」
「は?」
「えっ?」
「仏壇は」
「あれは去年死んだ犬のやつです」
 わたしには懐かなかったけれど、父にはよく懐いていた。皺くちゃの顔が愛らしい子で、父の溺愛っぷりといったら目も当てられないくらいだった。病で死んだときにはひどく落ち込んで、大枚を叩いて仏壇を用意した。階段で転んで骨折し、入院すると決まったときも、毎日お供え物をするようにと口酸っぱく言われた。父は来週には退院予定なので、もうすぐわたしの役目も終わる。
 沖田さんは、しばらくぽかんとしていた。しかし、やがて深い溜め息をつく。そしてなぜかわたしの頭を鷲掴みにした。二度目のアイアンクローだ。
「い、痛い! 痛いですって!」
「犬にいなり寿司なんかやってんじゃねえよ、このバカ女」
「誰に何をあげようとわたしの勝手じゃないですか!」
 ミシミシと音を立てそうなほど頭を締め付けられ、手を離されたときにはこめかみどころか頭の至る所が痛かった。なんだかすごく理不尽な怒りをぶつけられている。
 大きな舌打ちをして、沖田さんが踵を返す。わたしは頭を押さえながら、その背を見る。
 理不尽だ。でも、どうしてか、とてもあたたかい気持ちになった。つい笑みがこぼれる。
 沖田さん、と呼び止める。振り向きも立ち止まりもしない。それでも、わたしは伝えたかった。
「ありがとう」
 畦道に、淡い光が瞬いた。

・・・

 明朝早くに、沖田さんは旅籠を出た。女将に、ドッキリマンチョコのレアカードを預けて。
 きっと二度と、ここには来ない。そんな気がする。
 でも、わたしはちょっとだけ、まだ沖田さんのことが気になる。江戸に行く予定は今のところないので、とりあえずは手紙を書くことにする。光る蛍の写真を添えて。

・・・

◯月◯日 週間・大江戸通信
——真選組、お手柄! 地球の生態系を守る——
 某月某日、幕吏A氏の自宅庭園の樹木を誤って爆破した件で、新たな情報が入った。
 A氏が庭園で育てていた宇宙産の樹木には、宇宙産の昆虫が大量に卵をつけることがわかった。それらは孵化すると在来種の昆虫を捕食し、大量繁殖する。
——中略——
 今や地球には宇宙産の生き物が多く生存しているが、在来種の保護が大きな課題となっている。尚、A氏が件の樹木の詳細を知っていたかは、現在調査中である。
 そして我々は、一ヶ月ぶりに公の場に姿を現した真選組一番隊隊長、沖田総悟氏に話を聞くことができた。果たして、彼は最初からあの樹木の正体を知っていたのか。
 記者の取材に、沖田氏は一言、「蛍がいなくなるんで」と答えたという。





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