今、この瞬間、狂喜乱舞している人間が同じ地平線上にいるのかと思う。飛び上がって踊ったり叫んだりしているのか。それとも、驚愕と恐怖に打ち震えているのか。どちらにせよ、どちらかの人間がいるのは違いない。
 ごつんと机に額をぶつけた。机に並んだ宝くじはどれもハズレで一銭にもならない。一等が出たことがあると言う売り場で買ったが、わたしにツキは回ってこなかった。
 当たるなんて思ってない。もし当たったら、億万長者になったらって考えるのが楽しいんだ。そうだ、これは夢を見るという楽しみを買っているんだ。だから無駄な投資じゃない。
 一頻り自分に言い聞かせて顔を上げ、皺だらけの新聞紙をせっせと伸ばした。神楽ちゃんが帰ってきたら読むのに、当選結果を確認した途端に感情のまま握り締めてしまっていた。
「なに?」
 こたつで寝ていた銀さんが訝しみながら起き上がる。頭突きで起こしてしまった。
「ごめん、起こした」
「喉カラッカラだわ」
「お茶いる?」
「いや、いい」
 銀さんの頬は紅潮している。重そうな目をしばたかせ、机の上のみかんを手に取った。指がみかんに食い込み、皮を剥いていく。適当に身を割ると、筋はそのままにいくつかの房を分けて口に放り込む。甘酸っぱい匂いが鼻腔に流れてくる。誘われるようにわたしもみかんを取る。
 普段、競馬や競艇などの賭け事はしない。でも、いつからか季節の節目に宝くじだけは買うようになった。小さな紙切れを買うだけで、数億という大金が手に入るかもしれない。お手軽かつ大きな夢だ。もちろん、当選する確率は銀さんが何らかの突然変異でストレートヘアになるくらい低い。いや、そう言うと可能性は皆無のように思える。それよりは、一縷の望みはあるはずだ。が、わたしの今までの最大当選額は千円。三億や五億なんて遥か遠い。
 二つ目のみかんに手をつけた銀さんが、机上の宝くじを見遣る。「また買ったの」と訊かれ、ハズレだったと声を落とす。
「おまえも懲りねえな」
「だって年末だよ。買わないわけにいかないでしょ。それに、銀さんだってパチンコとか懲りずに行くでしょ」
「玉がコロコロ転がってんの見てっと落ち着くんだよ。こう、余計なこと考えずにボーッとしてられんの。頭ん中のモヤモヤしたもんが消えてくっつーかさァ。人間たまにはそういう時間も必要だろ。ボトックスっていうか……ボトックス? なにそれ」
「デトックス」
「そうそれ」
 まあそれで金が増えりゃ儲けもんじゃん? と銀さんはみかんを剥き続ける。室内を柑橘の爽やかな香りが満たしていく。子どもたちも定春もいない万事屋は静かで、年の暮れのせいか街もおとなしい。
 みかんを食べながら、銀さんの言葉を反芻する。いつも飄々としている銀さんにも、余計なことを考える時間があって、モヤモヤとした気持ちを抱えることがある。毎日毎日ただ息を吸って吐いて暮らしているだけでも悩みは尽きないのだから、当たり前か。でも、銀さんの口からそんなことを聞くとは思わなかった。
 積んであったみかんが残り一つになった。ほとんどは銀さんが食べたので、わたしは「銀さんが取りに行って」と台所に行くよう促す。しかし、案の定銀さんはこたつに足と手を埋めて動かない。寒いのはお互い様だ。
「公平にじゃんけんにしよう」
「何回勝負?」銀さんが目を向ける。わたしは少し考え、「三回」と言った。
「二言はねえな」
「そっちこそ」
 歩いて三十秒にも満たない場所へ行くために、真剣にじゃんけんをした。結果は銀さんの負けで、勝者のわたしはこたつでぬくぬくとみかんが来るのを待った。台所には箱で買ったみかんが置いてある。冬といえばこたつにみかんアル、と宇宙生まれなのに古典的な文化にうるさい神楽ちゃんが豪語するからだ。
 文句を言いながら出ていった銀さんは、ものの一分ほどで戻ってきた。腹癒せに冷気に晒され続けたみかんを首に当てられ、思わず飛び上がる。
「冷た! ていうか多過ぎるよ」
 銀さんは両腕に抱えるほどみかんを持っていた。「このくらいすぐ終わるだろ」と平然と言う。わたしの首に当てられたみかんは肩を滑り、床を転がっていった。銀さんはいそいそとこたつに入り、寒かったとこれ見よがしに肩を縮こまらせる。
 こたつから伸びてみかんを拾う。みかんは眼鏡をかけていた。黒いマジックペンで、眼鏡を描かれていたのだ。
「なにこれ、新八くん?」
 眼鏡といえばの名前を出すと、銀さんはみかんを一瞥して「ああ」とこぼす。
「神楽が描いたやつ」
「銀さんの顔は?」
「その死んだ魚の目みてェな……誰が死んだ魚の目?」
「自分でノリツッコミしないでよ。あっ、ほんとだ」
 平行線の目をしたみかんもある。やたらきらきらした目のみかんは神楽ちゃんの自画像だろう。探してみれば、犬の顔もある。定春だ。
「食べ物で遊ぶなって言うのによ」
「でも、どれもかわいい。食べるのもったいないな」
 みかんを掌に収めて眺める。凹凸でうまくペンが動かなかったのだろう。線は歪んでるけれど、愛嬌があって微笑ましい。もしかしたら、箱にはまだ顔のついたみかんがあるのかもしれない。誰も見ていないところで、ありきたりな日々が彼らの中で息衝いている。
 ふふふと笑っていると、窓の外から声が聞こえてきた。新八くんと神楽ちゃん、定春が揃って買い物から帰ってきたのだろう。賑やかな話し声がする。
「あいつら、もう帰ってきたのか」
 うんざりしたように銀さんがぼやく。机に頬を乗せて項垂れる。
「寂しかったくせに」
「うるせーのがいなくて清々してたわ」
「はいはい」
 天邪鬼っぷりには慣れてる。銀さんの言葉を流し宝くじを片付ける。今日の夕食は鍋にするので、みんなが戻ったらさっそく準備しよう。
「銀さん、前は宝くじ買ってたよね。もうやめたの?」
 べったりと机に頬をくっつけている銀さんに訊ねる。実は三億を当てたことのある男だ。手に渡る前に、塵になってしまったけれど。
「しばらく買ってねえな。運なんか使い果たしちまったし、たぶん当たんねえよ」
「珍しく弱気だね」
 どういう心境の変化だろう。元々賭博の類は嫌いじゃないはずなのに。
 山になったみかんの皮を積む。万事屋三人のみかんは、そのまま置いてある。
「一攫千金するより、難しいもん獲っちまったから」
 こたつの中で、膝が触れる。どきりとして銀さんを見ると、動揺するわたしに小さく笑みを向けた。わたしは目を泳がせる。
「新八くんは、いい子だしね」
「眼鏡かけ器にしては優秀だな」
「神楽ちゃんもいい子だ」
「バカ娘は飯の量を減らしてもらわねえと」
「さ、定春はモフモフ」
「アイツらと、おまえとさ」
 甘酸っぱい匂いを染み込ませた指が、ゆっくりと重なる。 
「宝くじ当てるより、よっぽどだろ」
 重なる指を見ながら、当分宝くじは買わなくていいと思う。大金なんか手にしなくても、こんな些細なことで、はち切れそうなほど鼓動を速めている。素敵な夢もいいけれど、そばにある小さな幸せや、ときめきだって、十分に世界を潤してくれる。
 ——ああ、そうか。
 どうやらわたしは、宝くじで三億、五億——いや、十億当てるよりも、難関な確率をくぐり抜けていたらしい。





top

ALICE+