ドーム型の蓋を外すと、丸いサンタクロースの顔が現れる。黒くつぶらな瞳と目が合い、持っていたプラスチックのフォークを下ろした。蓋を閉め直し、代わりにコーヒーを啜る。コンビニのコーヒーは百円なのに美味しい。
 前を若い男女が手を繋いで歩いていく。二人は、青白い電飾に包まれたケヤキ並木の下を過ぎていく。同じイルミネーションでも、青っぽい光は目に痛くて寒々しいなと思った。オレンジや金色に輝く光のほうが、煌びやかでクリスマスらしい。なので、この青い光の元に来たのだけど。
 ぐるりと周囲を見回す。並木の隙間に設置されたベンチには人影が見える。道を行く人も間々いる。思っていたより人が多い。この日はどこもかしこも人で溢れかえるので、仕方ないのかもしれない。
「あり、ケーキ持ってら」
 降ってきた声に顔を上げると、銀さんが立っていた。サンタクロースの仮装をしている。
「せっかく持ってきたのに」
 銀さんはベンチを回り込み、わたしの隣に座った。帽子と付け髭を外し、脇に置く。その手には洋菓子店の四角い箱がある。中身がケーキであることはすぐにわかった。
「バイト?」
「そ。あー寒ッ」
 身震いした銀さんの鼻の頭が赤い。銀さんはこちらを一瞥し、わたしのストールを摘んだ。
「これ貸してくんない? 一瞬でいいから」
「いや。銀さんの匂い移る」
「ちゃんと風呂入ってますぅ」
「そういうことじゃない」
 譲らないわたしに銀さんは不満げにして、じゃあいいよとコーヒーのカップを奪っていった。一口含み、すぐに「苦ッ」と顔を顰める。
「ココアあるよ」
 カップを返してもらい、まるで取り残されたみたいに佇む自販機を指す。銀さんは自販機を見つめ、赤いコートのポケットに手を突っ込んだ。しかし、いくら弄っても目当てのものはないらしい。わたしは渋々自分の小銭を渡した。百二十円。
「悪いな」
 銀さんは少し笑って、足取り軽く自販機に向かっていった。ちっとも申し訳ないと思ってない。大の大人が無一文で出歩いてていいんだろうか。きっと他の誰かなら咎める気になるが、銀さんならと許してしまう。人柄と人徳の成せる特権だろう。
 銀さんと出会ったのは、数ヶ月ほど前。はじめは、仕事の依頼をした。家で飼っていたセキセイインコがいなくなってしまって、わたしの不注意だとひどく怒られた。駆けずり回って探したけれどどうしても見つけられず、藁にもすがる思いで万事屋へ依頼した。けれど、空を自由に飛び回る鳥を見つけるのはとても難しく、結局見つからなかった。二度と戻ってこないのかと諦めていたら、インコは家のベランダに戻ってきていた。インコは帰巣本能を持ち合わせていない。それでも、あの子は帰ってきた。帰る場所が、ここにしかないというように。
 以来、銀さんとは時折会うと世間話をする仲になった。軽薄そうな雰囲気だったけど、気兼ねする必要がないので楽だった。何も考えてないようで、ひとの機微には聡いところもある。ふとしたきっかけで、硬く錠をした場所を開けられてしまうのではないかと思うほど。
 空いた席に目を向けると、銀さんが持ってきた箱が置いてある。せっかく持ってきたのに、と言っていた。ケーキ販売の仕事でもしてきて、余りをもらってきたのだろう。糖尿病予備軍と医者に言われるほどなのに、甘いものだけはやめられないらしい。
 箱を膝に乗せ、蓋を開けてみる。円形のケーキを彩る真っ白い生クリームと赤く熟れた苺。色合いはサンタそのものだった。そして、その中央に鎮座しているのはまさにサンタだった。淡色の砂糖菓子で固められている。
「一応フォークあるけど」
 銀さんが戻ってきた。ココアを握っている。
「ううん、いらない。銀さん食べたいんでしょ」
「ひとりで食ってたら俺が悪者みてえじゃん」
 妙なところで世間体を気にする。箱の蓋を閉じ、銀さんに返した。
 銀さんは缶のプルタブを押し上げ、顎を上げてココアを飲む。白い息が昇る。青白い光に照らされる横顔を盗み見て、視線を落とした。砂糖菓子ではない、スポンジとクリームで象られた丸いサンタの顔がある。
「知ってる? サンタクロースのはじまり」
 銀さんはあまり興味がなさそうだったけど、構わず続けた。
「とあるおじさんの隣の家に住む家族が、すごく貧しくてね。娘たちを身売りさせなきゃいけないほどだったんだって。おじさんは娘たちを救うために、煙突から金貨を投げ入れた。その金貨は暖炉の前に干してあった靴下に入った。娘たちは、そのお金で身売りはせずに済んで、幸せな結婚までできたんだって。サンタさんのはじまりって、そんな、ただのやさしいおじさんだったんだよ」
「へー」
 背凭れに深く背を預けた銀さんが、やはり興味なさげに相槌を打つ。わたしは青白い光を見上げる。
「クリスマスなんて特別な日がなくても、誰かのために何かをしてあげたいって、そういう気持ちがあれば、みんなサンタなんだよ。人類みんなサンタなんだよ」
「どっかで聞いたことあるサブタイなんですけど。てかそんないい話風にまとめられると恥ずかしくなってくるんですけど。俺がコスプレしてんのバカにしてない?」
「してないよ。銀さんだって、誰かのためにサンタになってるんだから」
「いやこれ仕事だから。ノリノリでやってるわけじゃないから」
 銀さんは渋い顔で仕事だと強調した。そう言いながら、万事屋の少女のためにサンタの格好をしてサプライズをしたこともあるようだ。偽悪的に振る舞うことに慣れ切って、真正面から相手を喜ばせることを避けてしまうきらいがある。本当はやさしいくせに。
 小さい頃は、何も考えなくても誰かが施与してくれていた。大人になり、庇護してくれていた人の手から離れ、自分の力で生きていかなければいけなくなったとき、初めてそのことに気付いた。あの幼かった日々のように、無償で与えられ続けるものなどない。
「つーか、その理屈でいくと、大人にだってサンタがいてもいいってことだよね」
 銀さんが姿勢を前のめりにする。わたしは「そうだね」と頷く。
 サンタクロースという存在は、いつしか子どものためのものになってしまった。いい子にしていれば、きっとプレゼントを持ってきてくれる。そんな希望や夢を心から信じていた日がわたしにもあった。夢を砕かれたきっかけは憶えてない。時間の経過とともに、自然と失ってしまったのだろう。
「大人は欲しいものを欲しいって言えないし、苦しいことも苦しいって言いにくいし、逃げることも難しいから、サンタさんには届きづらいのかもしれないね」
「はぁ〜? 銀さんめっちゃ言ってんだけど。金は欲しいし酒も飲みてえし結野アナにも会いたいしィ、あっ、温泉も行きてえな。あとはー……」
 銀さんが指折り欲望を数える。素直で羨ましい。
 苦笑いしていると、銀さんがぱっとわたしを見た。思わず顎を引いてストールに顔を埋める。
「おまえだって、なんかあんだろ」
 その目が急に色を失せたように見えた。
「いろいろ言い訳したって、何も変わらねえ。声に出さなきゃわかんねえよ」
「……ないよ。なにもない」
 銀さんが腰を上げる。風が湧き、身構えるわたしのストールを銀さんが掴む。
「やっ」
 手首を掴んで抵抗するが、男の力には敵わない。引っ張られたストールと首が擦れて摩擦を起こし、僅かに痛んだ。銀さんがきつく眉間に皺を寄せる。ストールの隙間に視線を留めて離さない。
 わたしの首には、蛇が這ったような内出血の痕がある。家を出る前に、鏡で確認してきた。そう時間は経っていないので、薄れてもいないだろう。そこは紫色に変色して爛れている。
 滑り込む冷気が、太い指が喉を圧迫してくる感覚を想起させる。背筋に怖気が走り、銀さんの手を振り払った。ストールを巻き直し、深く息を吐く。インコがいなくなった晩に初めて見た、激昂する恋人の顔がまざまざと蘇る。人生であれ以上の恐怖はない。
 銀さんは立ち竦み、数拍して隣に座り直した。そして、しばらく往来を眺めていた。
 いつから気取られていたんだろう。もしかしたら、はじめから? 万事屋に依頼に行ったときのわたしは、毎日街を駆けていて、疲れ果てていたから。様子がおかしいことは、気付いていたのかもしれない。
「俺はサンタじゃねえけどよ」
 銀さんがこぼす。口元まで埋めたストールの中で、わたしの苦い香りの息が籠る。
「まあ、金もねぇから……ほしいもんはやれねえし、幸せな結婚? そんなん、させてやるなんて言えねえけど。おまえをそこから引き摺り出すことくらいは、できるから」
 込み上げてくるものが、目に熱く溜まる。握りしめた拳が震えている。
「だから、声に出せ。必ず届くから」
 青白い光が滲んでいく。黒い背景に青と白、銀と赤。入り乱れた世界に、わたしの喘ぎが溶けていく。想いを乗せた涙が溢れて止まらない。銀さんは、子どものように泣きじゃくるわたしの隣から動かなかった。
 雪が降り始めても、ずっと。





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