※下ネタ注意





 二股の暖簾が割れる。目の前で捲れたそれに足を止めると、現れたのは見知った顔だった。
「……おう」
 銀さんは平坦な、いつもと変わらない声色でそう言った。白髪に暖簾が未練がましく引っかかり、肩へ滑り落ちていく。銀さんの下ろした手元に、数枚のDVDがある。パッケージまでは見えない。
「何借りんの?」
「ナウ○カが観たかったんですけど、なかったので」
 言いながら名作、豚が空を飛ぶ映画のDVDを見せる。空を飛ぶという意味では似たところがある二作で、わたしはどちらも好きだ。
「寒いからみんな家でおとなしくしてるんでしょうね。ジブリコーナー、けっこう貸出中になってました」
「人間、老いも若きも考えることは一緒っつーことだな」
 それだけ言葉を交わすと、銀さんはじゃあと狭い通路の奥へ進んでいく。棚に挟まれた通路は息苦しいほど窮屈で、銀さん一人が通れば通路は目一杯になっていた。
 かぶき町の商店街の、隅の隅。古いレンタルビデオ店。ここは最新作は並ばないが、かつての名作から海外のマイナー映画、ゴールデンラズベリー賞をとった映画まで漏れなく取り揃えている穴場で、映画マニアは足繁く通う。わたしは別に映画マニアではないが、家から一番近いので気が向いたときに来る。知り合いに会うことはほとんどない。ここで銀さんに会うのも、初めてだった。
 ちらりと今しがた銀さんが出てきた先を見る。黒い暖簾に十八歳以下立ち入り禁止と赤い文字で記されている。いわゆるアダルトコーナーの出入り口だ。入ったことはないので知らないが、店の面積を考えると、そう広いスペースではないことが窺える。
 ぬっ、と五十絡みの男が出てくる。視線がバチッとぶつかると、男は目を伏せた。手のDVDを隠すように腹の前で持ち、いそいそと歩いていく。
 銀さんも、観るんだろうか。生々しいものを感じ、いやいやと考えを改める。銀さんだって立派な成人男性だ。性欲は人間が持つ三大欲求の一つだし、心身ともに健全な証拠だから悪いことでもない。それに銀さんは女好きかつセクハラもしょっちゅうなので、意外でもなんでもない。ただ、今までそういう直接的な匂いを感じてこなかっただけだろう。
 ひとり納得し、先程の男が店を出ていくのを確認してからレジに向かった。なんとなく、後ろに並んでは気の毒かなと思ったのだ。しかし顔見知りでもないのに、気まずいものだろうか。銀さんは微塵も気まずそうな顔はしなかったけれど。相当図太いのか、わたしに会ったところで害なしと判断したのか。とにもかくにも、気にしてないのだろう。そう思っていた。
 ——が、表に出さなかっただけなのだと気付いたのは、店を出て数分後のこと。
「俺、さっきどこから出てきた?」
 まだ往来の先に店が見える場所で、後ろから呼び止められた。銀さんの手にはビデオ店の濃紺の手提げバッグがある。
「……アダルトコーナーですか?」
「あーやっぱり。やっぱそうか」
 大仰に顔を手で覆い、銀さんが肩を落とす。わたしは眉を顰める。
「なんですか?」
「いや、勘違いされてたらアレだからさァ。俺別にいやらしいこと考えてたわけじゃないからね。ただ昨日の金ローでラ◯ュタやってたじゃん? それ神楽が見逃がして、DVD借りてこいってうるさくってよ。で、探してたんだけどなくて、もしかしてバイトが十八禁のほうにやっちゃったんじゃねーのって見に行ってさァ」
「ラ◯ュタなら貸出中になってましたけど」
「あっマジで? どうりでどこ探してもないわけだよ」
 乾いた笑いでわたしの沈黙の間を埋めていた銀さんの顔が強張っていく。
「疑ってる? 銀さんがやらしいDVD借りてると思ってる?」
「違うんですか」
「ちっ、違いますゥ! 銀さんそんなに困ってねーから!」
 銀さんはこめかみに汗を流し、鼻で笑う。挙動がちぐはぐになっている。見るからに困っているが、指摘しないほうがいいのだろうか。
「引く手数多だし渇くヒマもねーから。いやほんとモテてモテて困ってんのマジで。映像で慰める必要ねーから。あっ、なんなら確かめる?」
 銀さんが手にしているバッグを掲げる。膨らみから見て、数枚は入っているようだ。いや、でも、なんで確かめる必要があるんだろう。わたしは別に、銀さんがAVを観ようが引く手数多だろうが、他人事なので関わりがない。けれど、まるで冤罪を被せられたように自分はAVを借りてないと銀さんは証明したがっている。元からよくわからないひとだが、今日の言動は輪を掛けてよくわからない。
 当惑していると、銀さんはわたしが不信感を募らせていると思い込んだようだ。
「疑ってんなら見ろよ。こういうの後引くとめんどくせーし? 俺も誤解されたままじゃなんか気持ちわりーし? 銀さん不潔ーッとか思われてたら不名誉だし? そんなんパンツにウンコつけたまま歩いてるようなもんだからね。オッサンがパンツにウンコつけて歩いてたら公害だからね」
「銀さんを清潔と思ったことは……」
「いーから中身確かめやがれ! AVなんか入ってないけどね! ラ○ュタとペドロしか入ってないけどね!? あっドラ○もん入れたかな!? いやージブリとドラ○もんはいくつになっても夢が膨らむよねウン!」
 そう言う銀さんの口端は歪に吊り上がっている。見てほしいのか見られたくないのかどちらなんだ。もはや真相などどうでもいい。しかし、このままでは帰してもらえないんじゃないだろうか。
 心配が過ぎり、銀さんの気が済むのならと押し付けられたバッグに手を伸ばす。しかし、数秒逡巡し、思い直してすぐに下ろした。「確かめなくていいです」と断ると、あからさまに銀さんの全身が弛緩した。「あっそう?」と気の抜けた声を出す。わたしはこくりと頷く。だってそんなことしたって意味がない。
 銀さんはいそいそとDVDの入ったバッグの余分な布地を折り畳む。真四角にして、自分の懐にしまう。
「ま、まあね。わかってくれたんならいいよ。だけどさ、ああいう場所も男には必要なんだよ。俺は全然必要性を感じないけどね。おまえもあんまりああいうとこで知り合いに会っても、ホイホイ挨拶しないほうがいいよ。気まずくなっちゃうだけだから。TPOは弁えないとね。大人なんだから」
「そうですね。すみません」
「えっ、何が? なんで謝られてんのかわかんない。俺は違うから。ほんとラ○ュタ探してただけだし」
 白昼の道には人が多い。しかし、銀さんは気にせず滔滔としゃべっている。湯水が湧き出るように言葉が溢れ、口が止まらない。
「でもさ、可愛い女の子は空から降ってきやしないし、一緒に滅びの呪文唱えてくれる子もいない男はよ、大砲一本で戦うしかないわけじゃん? でもいざってときに大砲が使い物にならなきゃ意味ないじゃん? 決戦のときにガス欠だったり発射できなかったりしたら何の意味もないからね。だから定期メンテナンスは必要なわけよ。いや銀さんの大砲はいつでも本番いけるけどね? ただ死ぬ間際に走馬灯であのとき銀さんAV借りてたなとか発射する気満々だったなとか思い出されんの癪に障るじゃん。本番でもねーのにオメー発射する気満々だったじゃねーかって思われんのすげえ心外なのよ。銀さんの大砲は本番以外に使わねーから。いかがわしいビデオだの雑誌だの、そんなんで大砲も砲丸もメンテナンス必要ないからね。いつでも臨戦態勢に入れっからマジで。あ、だからって早撃ちじゃないからね言っとくけど」
「いや……走馬灯に銀さんは出ないので大丈夫ですよ。そんなに仲良くないし……」
「マジレスしないでくんない! ていうか仲良くないとか傷付くから! 意地でもおまえの走馬灯に出てやるわ! おまえの人生にびっくりするくらいこびりつくわ! そりゃもうブリーフにこびりついたウン筋並みにこびりついてやっから! いや誰がウン筋!?」
 しまいにはがなり出してノリツッコミをする銀さん。くるくると変わる表情に、よく回る口。わたしが返事をしない間も、身振り手振りを交えて弁明だったり力説を繰り返している。話が二転三転するので、もう内容はちっとも入ってこない。
 次第に笑いが込み上げてくる。なんでこんなに必死になってるんだろうとか、大砲とか最低のセクハラだとか、全部ひっくるめておかしくて笑いを堪えられなくなってきた。
「銀さんみたいなアクの強いひと、もうこびりついて忘れられないですよ」 
 声を出して笑う。涙が滲むほど笑うのは久しぶりで、一頻り笑って目尻を拭った。銀さんはいつの間にか黙ってこちらを見るだけになっている。
「銀さんっておもしろいですね」
 引いていく笑いを飲み込んで言うと、銀さんはむっと唇を尖らせる。
「……さっきまでゴミを見る目だったくせに」
「してませんよ。あんまり仲良くはないですけど、銀さんのことは嫌いじゃないですから」
 好きか嫌いかと訊かれれば、どちらともつかない。でも、おもしろいひとだとは思っている。
 銀さんは尖らせた唇を一度引き結び、おもむろに口を開く。「嫌いじゃねえならさ、今度」とおずおずと。
 そのとき、通り過ぎる人の肩が、銀さんの肩にぶつかった。懐にしまい込んでいたバッグが地面に落ち、DVDが滑り出る。「オッ、ごめんねぇ」とぶつかったひとが軽く謝っていく。
 ペドロの下に、縄で縛られた全裸の巨乳美女が現れる。その下は、団地妻、痴漢もの。目も当てられないような、卑猥な言葉の羅列と惜しげもなく晒された裸体。
 絶句。なぜか銀さんまで絶句している。ざわざわと、雑踏の喧騒が遥か遠くで流れていく。
 AVがどういうものかはわかっている。銀さんが何を観ようと誰とまぐわっていようと関係ない。でも、やっぱり性癖を露わにされると、サーッと気持ちが引いていく。あぶくのように湧き始めていた親近感が、次々に弾けていく。跡形もなく。
 やがて銀さんは、言うに事欠いて、一言。
「お、……俺の大砲で一発、どうですか」
「バルス」
 よくもまあ、ぬけぬけと。





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