※2022年節分に寄せて





 二月の空はよく晴れている。
 一日から今日まで三日間、雨は一度も降っていない。気温は例年以下で、底冷えするような寒さが続いていた。
 しかしどんな気候でも、結野アナは画面の向こう、極寒の外で笑顔を振り撒いている。ニコニコと笑い、今日の天気を伝える姿は尊敬にも値する。大変な仕事だなと他人事に眺めていると、不躾な音で携帯電話が鳴る。画面には土方十四郎の文字。
「今どこにいる」
 電話越しの声は不機嫌とも上機嫌とも取れない。まだ朝の七時前なので、出掛けていることはまずない。
「家ですけど……」
「出てこれるか」
 寝起きの自分の姿を顧みる。すっぴんだし、寝癖はそのままだし、人前に出られるような格好ではない。早朝でも夜更けでも徹夜明けでも見られる状態でいられる土方さんと違い、わたしはあらゆるものを整えなければ外には出られないのだ。
 正々堂々とごねる勇気はなく、もぞもぞとこたつの中で足を組み替える。
「どうかしました?」
「総悟に追い出された」
 結野アナが、ところで今日は節分ですねと鬼の面を取り出す。プラスチックの安っぽいお面。節分といえば鬼。鬼といえば鬼の副長。「ああ」と息を漏らすように相槌を打つ。
 沖田さんは土方さんに対し、たびたび趣向を凝らした嫌がらせをする。しかし、今日はずいぶんベタにきたもんだ。朝から嬉々として豆を投げる沖田さんと、ぶつけられる土方さん。その場景は容易に想像できる。
 ありきたりですねと口を衝いて出そうになるが、押し留める。右手に携帯、左手にリモコン。テレビを消す。
「じゃあ今どこにいるんですか?」
 途端に部屋が静かになった。エアコンの風音が耳につくようになる。
「煙草屋の前」
「寒いのに?」
「鬼は外らしいからな」
 息を吐く音が微かに聞こえる。煙草を吸っているようだ。拗ねているわけでもなさそうだが、寒空の下にいるのは辛いんじゃないだろうか。ふと見ると、窓は結露している。
「うち来ます?」
「家は外にならねえ」
「だからって律儀に外にいなくても……それとも、なんか弱味握られてます? ていうか、うちは土方さんの家じゃないので無効でしょ」
「おまえんちは俺の家も同然だ」
 なんというジャイアニズム。いや、ジャイアンだってのび太の家を俺の家とは豪語しない。
 独裁者かと思うような発言に言葉に詰まり、そうですかとよくわからない返事をした。そうじゃないのに。わたしの家はわたしだけの家で、土方さんが来たのなんて片手で数えるほどだ。多忙な土方さんとは、会えても半日、数時間なことが多い。電話だって久しぶりで、エアコンを消してしまおうかと思うほど声を聞き漏らしたくない。寒いので消さないが。
「で、今から出てこれるか」
 澄んだ空を見上げる。雲一つない。今日の外気温は江戸にしては珍しく、氷点下に達している。寒さは一際きびしい。ちなみにわたしは今、上半身には半纏を羽織り、下半身はこたつでぬくぬくと温まっている。更に、先述したとおりエアコンが部屋を適温にしている。ぐるりと部屋を見回し、もう一度窓の外を見る。
 答えなかったのが悪いのか、土方さんが「聞いてんのか」とやや苛立ちを見せる。
「うち来ます?」
「さっき聞いた」
 二度目の誘いも却下された。会いたい。でも寒い。薄情な天秤が揺れる。土方さんが譲歩してくれれば万事解決なのに。
「わたし鬼じゃないんで、外に出る必要ないんですけど」
「福でもねーだろ。いいから来い。四丁目の煙草屋の前にいる」
 有無を言わせず電話は切れた。福でもないときた。そりゃそうだが、もっと言い方ってものがあるだろう。お世辞のいらない相手と思ってくれているのなら救いがあるが、それにしたっていまいち配慮に欠ける。
 渋々出かける準備を始める。幸い四丁目なら近いので、ゆっくり歩いても十分で着く。しかし、近くにいるなら来ればいいのに。声には出さずに愚痴りながら着込みに着込んで外へ出た。
 吹きつける風は身が縮むほど冷たい。自然と歩調は速まり、早々に煙草屋の前に着いた。
 朝靄に包まれた人気のない街に、日の出の淡い光が差し込んでいる。凍えるような寒さとは裏腹に、やわらかくあたたかい日差しは眩しい。雑味のない空気が辺りを包み、身体の内側から洗われていくようだった。まるで深い森に迷い込んだかのように錯覚する。
 佇む土方さんの黒い影が、こちらを向く。昇る紫煙は意志を持ったようにまっすぐ伸びていった。
 土方さんは、雑踏に混じっても目を引く人だ。が、それでちょうどよかったのだと気付く。無機物と自然の中にいる土方さんは、情緒が溢れていて近寄り難い。人混みに紛れて顰めっ面でいるくらいがちょうどいいのだ。
「朝飯食い損ねてんだ」
 開口一番それなので肩透かしを食らった気分になった。
「わたしも急に呼び出されたんで、何にも食べてないです」
 嫌味を混じえて言うが、土方さんは意に介さない。平然と顎で道の先を指す。
「おまえ、この先の喫茶店のなんとかトーストってパン好きだったろ」
「あずきのやつ?」
 初めて朝帰りをした日に、喫茶店で二人で朝ご飯を食べた。焼きたての分厚い食パンに自家製の餡子とバターをたっぷり乗せた一品で、パンの香ばしい香りと甘じょっぱさが癖になるのだ。コーヒーも美味しくて、窓際の席から見える景色はのどかで、とち狂った嗜好の土方さんも珍しく気に入っている。余談だが、土方さんはマヨネーズがふんだんに使われたタマゴサンドが好きである。
「そこでいいか」
「いい、というか……えっ、それだけ?」
「あ? それだけってなんだ。つーか寒い。早く行くぞ」
 店前の灰皿で煙草を揉み消し、歩み出すのでそれに倣う。土方さんは隊服ではなく、黒い着物に藍錆色の羽織を着ていた。足元は白い足袋。心なしか肩の力が抜けている。
「今日、休みですか?」
「ああ。一日オフだ」
「……沖田さんに追い出されたわりに、ちゃんと着替えてこれたんですね」
「悪いかよ」
「いえ」とかぶりを振る。尖った黒い髪が繊細に輝く。半歩後ろから見ると、耳が少し赤い。寒さのせいか。
 外気が頬を撫でる。悴む指先を顔に当てると、温度差を感じる。寒さのせいだ。
「……デートなら、もうちょっと普通に誘ってもいいんですよ」 
 マフラーを引っ掴まれて前に身体が傾く。つんのめったわたしを支え、土方さんは明後日の方を向いて「アホか」と呟いた。






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