さざめく並木がひとつの生き物のように揺れ動く。風は踊り子のように舞う花びらを攫い、目の届かない場所まで連れ去っていく。
 万事屋一行とお妙さんに花見に行こうと誘われた。川沿いの桜並木。緑の土手の下に小川の流れる閑静な場所だ。公園などに比べれば人気は少なく、少人数で集まり桜をつまみに酒宴を楽しんでいるひとが多い。
 花見となると、毎年のように真選組と鉢合わせる。万事屋と真選組は犬猿の仲で、会えば喧嘩をするのが常になっている。なので、今年は場所を変えたのだ。余計な諍いを避けるための対策だった——のに。
 土手の下では神楽ちゃんと沖田さんが格闘している。銀さんと土方さんは呂律も回らない舌で悪態をつきあいながら飲み比べをしている。川に沈む近藤さんに殴りかかろうとしているお妙さんを、新八くんが羽交い締めにして必死に止めている。双方、同じことを考えていたのだろう。結局例年通りの景色となっている。気が合うのか合わないのか、不思議なひとたちだ。
 桜の花びらが一枚、翻りながら目の前を過ぎていく。湯呑みのお茶にぺたりと落ち、浮かぶ。それを見つめていると、水面にぬっと顔が現れる。
「花見っていうがは上を見るものやろう」
 驚いて顔を上げると、坂本さんが立っていた。腰を曲げ、こちらを覗き込んでいる。
「久しぶりじゃのう」
 にかっと笑い、姿勢を伸ばす。坂本さんは背が高いので、こちらが座っていると首を真上に持ち上げなくてはいけない。
「久しぶりです……。え、なんで地球に?」
「桜ば見に来たんじゃ。この時期しか見られんからのう」
 坂本さんが桜並木を見上げる。鮮やかに豊かに咲き誇る桜。サングラスの奥の瞳は満足そうだった。もっさりとした毛量の多い髪が、風で靡く。
 会うのは実に一年ぶりだろうか。昨年も春先だった。宇宙を股に掛ける商人の坂本さんは一所に留まることがなく、嵐のように現れ去っていく。事前連絡は一切ない。まさに神出鬼没で、わたしにとっては変わった知人だ。しかし、それだけで片付けられないものもある。
 目の前に手を差し出される。掌の傷痕は、ロングコートの袖の下にまで走っている。
「女子ば一人放っちょく男どもは侍の風上にも置けん。あんな連中放って、ちっくとわしと一緒に歩かんか」
 躊躇いながら、その手を取る。重い腰を持ち上げるように引っ張られ、鈍臭く立ち上がる。手は離され、「あっちば行こう」と坂本さんは人気の少ない道を指差す。坂本さんの姿は目立つけれど、皆それぞれに夢中でこちらには気付いていない。旧友だという銀さんでさえ、酒のせいで気が散漫になっているのか見向きもしない。
 どこまでも続く並木道を揃って歩く。風が吹くたびに枝木が撓む。花びらは急ぎ足で散っていく。
「地球の桜はまっこと美しいと宇宙でも有名でのう。苗があるなら言い値で買うちゃるという客も多い」
「売るんですか?」
「いんや。桜を見たいなら地球に来いと言うがよ。桜は地球で見るからええもんじゃろう」
 その言葉に隣の坂本さんを一瞥する。「何じゃ?」と訊かれるので、「いや」と小さく返す。
「桂さんが、坂本さんは銭ゲバ商人だからって言ってたのでちょっと意外でした」
「ヅラか? おんし、ヅラとも仲良うなったのか」
 坂本さんが声をひっくり返らせる。
「銀さん伝いで知り合って、たまに会う程度ですけど」
「銭ゲバ商人は納得いかんが、まあアイツはいい奴じゃきのう」
 坂本さんは頻りにうんうんと頷く。大きな歩幅でゆったりと歩く坂本さんと、桜の影。一年前に会ったときは、桜はまだ咲いていなかった。けれど、今日の花見のようにお祭り騒ぎで、胸が詰まる思いをしたのを憶えている。笑ったり泣いたり、感情が追いつかなかった。
「弟が」
 切り出した言葉の続きが一瞬喉で閊え、次に出すべき音を見失う。しかし、然程間は開けずに続けられた。
「ご祝儀のお返しをしたいと言ってます」
 坂本さんは頭を掻きむしる。
「気にせんでええ言いゆうのに」
「坂本さんの顔を見たいとも言ってるので、そう言わないでください」
 一年前。弟の結婚式があった。坂本さんにも電報を出したが返事はなく、多忙なひとだから式には来られないのだと思った。けれど、挙式当日、大きな船に乗って坂本さんは現れた。ちょうど新婦の父親が挨拶をしているときで、参列者は唖然とし、空気は凍りついた。しかし、そんな空気を物ともせず坂本さんはいつもの笑い声と共に「結婚おめでとう」と言いに来てくれた。たっぷりのご祝儀を包み、宇宙土産と言ってわけのわからない品をたくさん携えて。ほとんどがガラクタで使い道の不明なものだったらしいけれど、弟は大事にそれらを抱えていた。坂本さんを交えた結婚式は最終的に大盛り上がりで、笑いと感動の涙で無事に大団円を迎えた。
「あれはわしが勝手にやったことやき。それに、新婚生活、入り用になるもんも多い。金は大事に使うよう言うちょけ」
「じゃあ食事くらい、一緒に行ってあげてください。命の恩人にそのくらいのことはさせてもらわないと」
 坂本さんは困ったように眉尻を下げて笑顔を作る。見返りを求めないひとだとはわかっている。でも、申し訳が立たない気持ちもわかってはくれている。
 弟は攘夷戦争で、幕府軍の兵士だった。戦場で足を負傷し、身動きできなくなっていたところを敵軍であるはずの坂本さんに救われた。敵に命を救われるなどあってはならない。何度も命を絶とうとしたが、そのたびに坂本さんに嗜められ叱咤され、生き残ってきた。
 戦争を終え、車椅子生活はやむを得なかったが、少しずつ前を向いて生きられるようになった。坂本さんは宇宙を旅するようになってからも、時折弟に会いにきた。くだらない与太話をしたり、宇宙での出来事を話してくれた。希望や野望に満ち満ちた子どものような表情で夢を語る坂本さんの姿に、弟は励まされていた。そして、坂本さんの影響で異星と地球の交流の橋渡し役になりたいと翻訳の仕事をはじめた。その後、仕事を通じて知り合った女性と生涯を寄り添う誓いを立て、新たな生活を手に入れることができるまでになった。弟が幸福を手に入れられたのは、坂本さんのおかげだ。
「恩人なんて言われる器やない」
 ぶらぶらと揺れる長い腕。垣間見える傷痕。
 坂本さんは、他にも敵軍の兵士を救おうとしていた。けれど、すべてがうまくいったわけではない。救おうとした命を奪われ、剣を握ることさえできなくなった。
「なんもかんも、わしが勝手にやったことやき」
「……でも、助けられたひとがいます」
 弟は勘当された。敵に情けをかけられるなど言語道断だと。元々両親と折り合いの悪かったわたしは、弟と共に家を出た。弟の生活の介助をしながら働き、忙しくも楽しい日々だった。坂本さんの大きな声が聞こえるのも、楽しみだった。困ったことがあったらなんでも言うてくれ。すぐ駆けつけるき。弟に繰り返し言っていた。宇宙のどこにいるかもわからないのに、そんなの無理だろう。でも坂本さんなら、本当にすぐに駆けつけてくれそうだと思った。
 果てなく続いているように見えた桜並木も、ふいに途絶える。道はまだ続いているのに、先には桜はなかった。無限に広がる空に足が止まる。目が眩みそうになる。
「今はひとりで暮らしてるんじゃったか」
「はい」
 弟は妻の家に婿入りした。車椅子でも生活がしやすようにリノベーションされた住宅だ。たまに遊びに来いと誘われているが、新婚の家に気楽に行けるほど厚顔じゃない。
「寂しゅうはないか?」
 坂本さんは青空の下に出て、白く塗られたポールに凭れる。わたしは桜の影に残ったまま。
「寂しくはないです。銀さんやお妙さんたちがいるから。みんなで海水浴に行ったり、お祭りに行ったり……。桂さんとは、この前ファミレスのドリンクバーで一番おいしいミックスジュースを作るって……」
「にしては、あんまり笑わんなった」
 坂本さんがポケットに手を入れ、わたしの顔をじっと見る。穏やかな陽光はサングラスの色を薄めている。
「仕事だの弟のことだの、えらい言いよったときのほうが、明るう笑いよった」
 そんなことはないと言いかけ、言葉に詰まる。
 弟がいなくなって、変わったことは二つある。
 家の中が、がらんどうになったように静かになったこと。弟に割いていた時間が目に見えて減って、自分の時間が増えたこと。前者は仕方ないことだ。わたししかいない家なのだから。後者は、はじめは喜ばしいことだと考えるようにしていた。今までできなかったことをたくさんしよう。遠くへ出かけたり、遊びに行ったりすればいい。
 けれど、弟を生活の軸にしていたわたしには、その自由は心細いものだった。心の隙間はすべて弟の存在や、介助をすることで埋め合わせていた。喉から手が出るほどほしいものや、焦がれるほど望む未来はない。無数にある未来を選べと言われても、何をどうしたらいいのかさっぱりわからない。足場を固めていたものが急に脆くなり、不安だけが先立つようになってしまった。
「そんなことないですよ」
 辛うじて返した声は細い。坂本さんはわたしを見据え、「なら、ええけど」と微笑む。大口を開けて弟と笑い合っていた顔が懐かしい。
「でも、なんでもええきに。困ったことがあったらいつでも言うてくれてええぜよ」
 弟に告げられていた言葉がわたしに投げかけられる。このひとは見境なしにやさしい。
「……わたしは弟じゃないですよ。不自由することはたぶんないです」
 苦笑すると、坂本さんは首を軽く横に振る。 
「あれはおんしに言いよったんちや」
「え?」
「五体満足であろうとなかろうと、足が使えんでも手が使えんでも、人間、困ったときはお互い様やき。助け合わんといけん」  
 坂本さんが腰を上げる。ガニ股で近づいてくる。長い足で、歩幅が違うはずなのに歩調が合うのがおかしいと思っていた。ガニ股だから、前に進むのもゆっくりになるのだ。
「わしはもう剣ば握れん。でも、剣なんかなくても、おんしを護れる。好きなところに連れていけるし、うまいもんだって一緒にたらふく食える。見たい景色があるならどこにだって向かう」
 明るく日の当たる場所に立つ坂本さんが、手を差し伸べる。その手を取るのに、やはり躊躇ってしまう。
「……わたしはそういうの、わからないんです。今まで全部、誰かを中心にしてきてしまったから」
「やったら探しに行ったらええ」
 ぐっと手を掴まれる。乾いた傷の感触が、指を掠めた。けれどそれは力強く、わたしの手を引く。頭上には眩しい青空が広がっている。
「やりたいことも食べたいもんも見たいもんも、探しに行ったらええ。宇宙は広い。あの空より、ずっとじゃ」
 坂本さんが不敵に笑う。ちっぽけな手は、大きな掌に包まれている。
 あの空よりも広い宇宙なんて、想像がつかない。前も後ろも見えないなんて、指針を見失い、迷ってしまわないんだろうか。けれど、前も後ろもないのなら、ひたすら進むしかない。前だと思う道を進んでいくしかない。
 桜並木を抜けると、視界は開けていく。花びらの混じった風が、前をゆく赤いコートを揺らしていた。
 歩きながら、坂本さんがわたしの名前を呼ぶ。聞いてくれるか、と横顔を覗かせ、再び前を向く。
「実はな、攫う機会をずっと待っちょったんや。ずるい男やろ」
 坂本さんは苦く笑いをこぼし、どこからか飛んできた花びらを掴む。抜けるような空を、花びらが彩っていく。
 わたしは、花びらのように華麗に踊ることも、儚く散ることもできない。攫ってもらえるほどの輝きは持っていない。でも、もしも連れ去ってくれるのなら。わたしに価値をつけてくれるなら。
 他の誰でもない。わたしは、あなたに攫われてみたい。





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