熱い茶が喉を落ちていく。抜けるような空には雲一つない。
 最後の一本になった団子を頬張る。のどかな街並みを何となしに眺めていると、往来に見慣れた黒い隊服を見つけた。颯爽と歩いているように見えたが、近付いてくると異変に気が付く。雨にでも降られたかのように、頭から濡れていたのだ。

「姐さん」

 素通りしそうになったその人を呼び止める。姐さんと呼んではいるが、深い意味はない。ただ、年上というだけでそう呼んでいる。
 姐さんこと、ミョウジナマエは俺に目を留め「おお」と驚き足を止める。見れば手には紙袋を持っている。

「沖田くん、見廻り?」
「休憩中でさァ。それより、どうしたんですかィ」

 俺は自分の頭を指差す。姐さんは髪をかき上げ、苦笑いする。

「ソーダ。すごいべったべた」
「ガキの喧嘩の仲裁にでも行ったんですかィ」
「違う違う。この前、うちの隊の奴が死んだでしょ。家族のところに遺品を持ってったらさ、そいつの子どもに二階からソーダぶっかけられて」

 びしゃーって。おどけたように言い、姐さんが紙袋を掲げる。動くと仄かに甘い匂いが漂う。どこかで拭くなり洗い流すなりできたんじゃないだろうか。
 真選組の隊士は基本的には屯所に住み込みで働いている。なので、家庭を持っている者は別居ということになる。しかし所帯持ちは稀で、大概は独り身だ。更に、生まれは田舎で元は卑賤な輩が多い。家を出て働きに来ている者が大半を占める。かと言って、たとえ江戸出身の隊士が死のうと、普通は遺品を家族に持っていくことはない。姐さんが特殊なのだ。

「そのまま帰るんで?」
「銭湯寄ってから帰るよ。このまま戻ったら目立つし」
「今も十分目立ってまさァ」

 先程から通行人が奇異の目を向けている。ただでさえ黒い隊服で目を引くのに、びしょ濡れでは仕方がない。しかし姐さんは周囲のことなど気にせず、ひらりと手を振った。

「休憩もほどほどにね」

 脇目も振らずに去っていく背中を見送る。俺は串を皿に置き、茶を啜った。
 




「今回の配置は各隊入り乱れてましたから、隊長が悪いということはないんですけどね」

 山崎が額の汗を拭いながら言う。手にはミントンのラケット。土方さんは出払っているので、奴が屯所の庭でミントンをやっていようと咎める者はいない。鬼の居ぬ間に何とやらだ。
 二週間前、ターミナルを狙うテロが行われる予定だった。異星の王族が地球に到着する日で、幕府との会合が行われる。その王族を狙ったテロだったが、真選組がいち早く情報をキャッチし、テロを未然に防ぐため厳戒態勢を敷いていた。
 警備は万全だった。結果、攘夷志士の制圧には成功した。王族も無事だった。しかし、ターミナルの職員を攘夷志士の凶刃から庇い、隊士がひとり死んだ。それが姐さんの隊の男だった。
 隊士の力量は平等ではない。要所となる場所には腕の立つものが置かれるのは当然で、手薄になる場所は人数で固める。いくら作戦や編成に落ち度がなくても、相手にしているのは生身の人間だ。敵も味方も、時として予想外の動きをする。それを予測し、未然に防ぐなど神の御業だ。つまり、今回のことは防ぎようのないことだった。

「ガキがいるとは知らなかった」
「ああ、年は俺と同じくらいでしたね。でも新参でしょう。隊長とそこまで親交があったとは思えないけどな」

 俺は縁側に横になり、頬杖を着く。あのひとには、そんなのは関係ない。黙々と部屋と片付け、遺品を箱に詰める背中を思い返す。哀愁はなかった。まるでそれが義務のように、淡々としていた。

「明日には全員死んでるかも知れねえってのに、よくやるぜィ」

 欠伸を噛み殺して言うと、山崎は眉を下げた。

「全員は言い過ぎでしょ」
「ソーダなんて可愛いもんでィ。俺は刺されそうになった」
「沖田隊長は恨み買い過ぎてキャパオーバーしてますからね」

 山崎が乾いた笑いを漏らす。この世界に足を踏み入れたときから、覚悟はしていた。それは年を経るごとに固くこびりつき、取り払えない業となっている。人を斬った数だけ、この身体に恨みは伸し掛かる。しかし、好き好んで恨みを買いに行ったことはない。結果的にそうなってきただけで、いちいち感傷に浸ったり、恨まれることを嘆いたりもしない。況して、死んでいった隊士たちにいつまでも後ろ髪を引かれることもない。死んでから恨み言を並べられたって、ひとつも聞こえやしないのだから。せいぜい吠えていればいい。死んだ者も、残された者も。

「で、その遺品、受け取ってもらえたんですかね」

 俺は姐さんの持っていた紙袋を頭に浮かべ、まだ重そうだったと答える。家族が死にました、ああそうですかと何の感慨もなく遺品を受け取れる人間のほうが稀だろう。殉職といえば聞こえはいいが、あっさり納得するのは難しい。

「突っ返されたんじゃねえのかィ」
「門前払いされたのかなあ。頭下げられたって、死んだ人間は戻ってきやしませんからね」

 山崎はたまに驚くほど冷めているところがある。尤も、今まで何十人と仲間が死んでいくのを見ている側からすれば、そのくらいドライでいなければ割り切れないのだ。

「じゃ、俺はこれから河川敷でミントン仲間と試合なんで」

 山崎は意気揚々と屯所を出ていく。のどかなそよ風に眠気を誘われ、目を閉じる。どこからか新緑の芽ぐむ匂いがする。
 ひとを斬り続けているはずの隊士が目を逸らすような惨たらしい現場でも、血の匂いが充満する密室でも、姐さんがたじろいだことはない。いつ、どんなときでも、骸に触れるのも粉々の肉塊に触れるのも、あのひとは躊躇わない。仲間の死に直面しても、湿った涙は流さない。それが強がりなのか意地なのか、はじめはわからなかった。取り憑かれたように死後の世話をしては遺族の元へ向かうその目は、渇き切っている。一連の動作はからくりのように無駄がない。まるで遥か昔から、同じことを繰り返しているように。
 それらは不透明な過去に起因しているのだろう。が、探る気はない。興味もない。なんとなく、近づきすぎてはいけない気がする。なぜかは判然としない。
 閉じていた目を開ける。目の前に誰かの背中が見えた。振り向いたのは、姐さんだった。

「沖田くん、仕事してないよね?」
「……今日は非番だった気がする」
「昼間見廻り出てたよね」

 頭を掻きながら起き上がる。銭湯には無事に行けたのだろう。髪は乾いていた。甘い匂いもしない。
 すっくと立ち上がった姐さんは、水色の瓶を三本持っていた。飲む? と一本渡される。ラムネだった。駄菓子屋でよく売っている、ビー玉が栓の代わりになっているものだ。
 姐さんが隣に座る。「なんか飲みたくなっちゃってさぁ」と蓋を開け、ビー玉を押し込む。余った一本を傍らに置いて。

「ソーダとラムネって別物かな」
「さぁ……味は一緒じゃないですかィ」
「そっか。よかった」

 ほっとしたように姐さんが相好を崩す。余ったラムネを見遣り、真意を悟る。

「また行くなんて、物好きですねィ」

 細い喉が鳴る。俺も蓋を開けてビー玉を押し込む。瓶の中で炭酸の泡が弾けていく。
 ラムネは久しぶりに飲むと、記憶の中より甘かった。真夏の武州、姉上と小さな駄菓子屋の前でラムネを飲んだことを克明に思い出した。日傘の備えられたベンチで、真っ青な空に入道雲が怪物のように立ち昇っていた。

「あの子のソーダ、取っちゃったから」
「次は熱湯かもしれねえのに」
「冷たいのは堪えるから、そっちのほうがいいや」   

 姐さんが小さく笑う。自衛するという選択肢はないのか。ちらと思ったが、口を噤む。   
 口内で甘い泡が弾け、喉をぴりぴりと刺激しながらラムネが胃へ下っていく。残るのは、舌にまとわりつく甘さだけ。

「……もっと楽に生きたっていいと思いやすぜ」

 他人の行動にいちいち口出しするほど暇じゃない。けれど、飄々としているように見えて、姐さんが細い柱一本で立っていることは、とうに見え透いてしまっている。何かをきっかけに折れて倒れても、きっと俺は、数日もしないうちに日常へ帰る。そうして生きてきた。今までも、これからも。揺らがない自信はある。
 ただ、目に余るのだ。知らぬ間に感化されていく気がする。
 姐さんは「うーん」と唸り、手の中の瓶を揺らす。

「たしかに無駄な足掻きなんだけどね……。でも、軽くなったら自分がどこか何もない場所に行くんじゃないかって思うと、自己満足でもいいから足掻いていたくなる。この重みがないと、立ってられなくなる……ような、気がするんだよね」

 抑揚の少ない落ち着いた声。姉上の少女のような澄んだ声とはまるで違う。その違いに気付き、どこか安堵している自分がいる。人間は、死んだ人間の声から忘れていくという。
 俺が一番よく知る女は、姉上だ。どんなに辛いことや悔やむことがあっても、あのひとは俺の前では弱さを見せなかった。姉であり親代わりであるために、俺がそうさせてしまっていた。自分のことは二の次で、俺のことを一番に優先していた。俺を重荷に感じることもあっただろう。それでも姉上は、最期まで俺の前では笑っていた。自分の揺らぐ足元など、見せやしなかった。
 でも、もしも、俺がその不安や心細さに気付くことができたなら。もっと早くに、違う道を選ばせてやることができたんじゃないだろうか。もっと早くに、幸せを。
 ——結局俺も、届かない月に吠えているのか。

「沖田くん?」

 黙り込む俺を姐さんが覗く。形の良い唇が行儀良く動く。「どうした?」と訊かれ、「あめぇ」と答えた。

「思ったより甘いよね」
「ですねィ」

 隣にいる姉ではない女を見て、ふと思う。このひとは呼び水だ。人間の奥底の糸を振動させる。きりきりと歯車を軋ませる。深入りしたら、どこか自分を蝕まれていくような。目を背けていたものを呼び起こさせる。だから俺は、本能的に距離を置いてしまうのだ。

「ねえ。沖田くんもそうじゃない?」

 質が悪いのは、本人に自覚がなさそうなことだ。このひとは自分のことにも、自分に向けられるものにも盲目だ。

「身体の中に何にもなくなったら、何をしたらいいかわかんなくなるでしょ」
「そんなん誰だって同じでさァ。絶対の指針があるから、それを護りてえから、そこに向かっていける。何にもねえ奴には、何にもできやしねえ」
「グサッとくるなあ」

 姐さんが腰を上げ、背筋を伸ばして伸びをする。またソーダをかけられに行くのか。それとも熱湯か。はたまた、包丁で刺されるかバットで殴られるか。頭に血が昇った人間は何をするかわからない。
 
「これから行くんですかィ」
「明日にする。沖田くんと話してたらちょっと冷静になった」

 冷静になった上で恨まれにいく。奇特というか馬鹿げているというか。異常者じゃないかと思う。

「明日になろうが十年先になろうが、赦してもらえることじゃねえと思いやすけど」
「赦してほしいんじゃないよ。ただ帰れる場所があるなら、帰してあげたいだけ」

 たとえ骨だけになったって、心を許せるひとのそばにあったほうがいいに決まってる。姐さんは言い切り、余っていたラムネを一本持って屋内に上がる。俺なら骨になったら散骨してもらって構わないと思う。そんなところに死人の意志はないのだから。
 姐さんが振り返り、俺に向かって微笑む。

「さっきのセリフ、沖田くんにもブーメランじゃない?」
「はあ」
「もっと楽に生きたっていいと思うよ」

 姐さんの姿が見えなくなり、空になった瓶を置く。青い匂いと空。人斬りの上にも平等に日差しは降り注ぐ。
 お互いに赦されないのも、戻れないのも重々知っている。道端に楽になれる方法が転がっていたとしても、きっと俺もアンタも、手放しで飛びついたりはしない。熟考の余地もなく、見ないふりをして素通りする。業も咎も己の足場を固めてくれるよすがにして、生きていく。失くしたものを仰ぎ見て、情けなく吠えることもある。それでも。

「アンタにだけは言われたくねえや」

 俺たちは、俺たちの筋を通して生きるしかない。





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