あまねく禍々しい電飾を見渡す。ごった返す往来。通行人に纏わりつく客引き。金蔓と腕を組み歩くキャバ嬢。道の端で嘔吐している酔っ払い。肩で風を切るチンピラ。
江戸中の無頼漢の集う街——かぶき町は、有象無象入り混じり、今日も混沌としている。街は酒に女、喧嘩に明け暮れるはみ出し者を無条件に受け入れる。ここはどこにも行き場のなかったならず者たちの、最後の砦だ。
一通り周囲を見回したあと、銀色の看板を煌々と光らせるクラブで目を止める。店前では、黒スーツに柄シャツの男がガードレールに腰掛けて煙草を吸っている。恰幅はいいが、顔にはあどけなさが残っている。
三下の、最底辺。待ち人はまだ来ない。
視線をずらし、雑踏に目を移す。深い夜に呑まれる歓楽街。大通りはキャバクラやクラブなど、飲食と接待を主とする店舗が多いが、一本裏の通りではセクキャバやソープが多く並んでいる。そちらでは人目も憚らず身体を寄せ合う男女があちこちに見受けられた。ゴミ捨て場でも行為に勤しむ連中がいるような区画だ。先程通りがかった路地からは男の喘ぎ声が聞こえて辟易とした。ここは人間の欲望が剥き出しにされる、妙な香りがする。
「土方の匂いがする」
胸がぶつかりそうなほど近くに立つ沖田くんが呟く。
「煙草臭ェですよ、姐さん」
「あー、長く話し過ぎたかな」
さっきまで副長と打ち合わせをしていた。車内だったので匂いが籠もっていた。
「副流煙で肺が真っ黒になりやすぜ」
「じゃあ沖田くんは既に真っ黒だ」
「俺は自分で肺をきれいにできるんで」
「空気清浄機なの?」
目と鼻の先には開襟シャツから覗く首筋がある。日に当たらないせいか白く、青年らしい骨っぽさがある。しかし、退屈そうに目を擦る手は精悍な男そのものだ。刀を握る人間は、日々の素振りで手の皮は厚くなり、指も硬くなっていく。沖田くんの手に触れたことはないが、経験則上、よく知っている。
沖田くんが今日のために松平長官に誂えてもらったというスーツは、驚くほど彼に似合っていた。甘いマスクにゆるめに着こなしたスーツが絶妙にだらしない青年を演出し、いかにも年上の女性が好みそうな庇護欲を掻き立てる装いだ。現に、社会の酸いも甘いも知り尽くしたような年齢層の女が、通り過ぎるたびにこちらを一瞥していく。何せ、その辺のホストよりも顔は整っている。目を引くのは当然だろう。
わたしはずいぶん慣れてきたが、初見では見慣れた隊服とはまったく違う雰囲気に、知らないひとみたいだと思わず言った。が、姐さんこそと言われた。わたしも、今日は隊服ではなく和装なのだ。それも普段着ではなく、金糸の椿が艶やかな、正絹のとびきり高価な着物。
ふと、沖田くん越しに客引きの男と目が合う。しかし男は顔を背け、すぐに二人組の女性へ声をかけにいった。
沖田くんがすんと鼻を鳴らす。
「化粧の匂いもきついでさァ」
着物に合わせて化粧も濃くしている。自分では、なかなか悪くないと思っている。
「白粉?」
「俺は顔面塗装しまくった女は」
「嫌いそうだよね」
「一枚ずつ化けの皮剥がして不細工な素顔暴いてやりたくなる」
「不細工前提?」
『オイてめーら、緊張感を持て』
わたしと沖田くんの耳で、同時に同じ声がした。耳につけた無線機の奥で、副長の呆れ声が聞こえる。
『くっちゃべってねえで、ちゃんと見張ってろ』
「うるせー死ね公害ニコチンヤロー。いやでも土方さん、右も左もサカリのついた猿ばっかですぜ。緊張感も削がれまさァ」
『息するように悪態をつくな。猿はいいから、マルタイを見張れ』
「うぃーす」
沖田くんは気の抜けるような返事をしたあと、ぐるりと首を動かす。そこかしこに密着する男女がいるが、沖田くんは顔色一つ変えない。同じ年頃の新八ならば、頬を染めるような光景だったり、爛れていると眉を顰めそうな有り様だったりするが、沖田くんは耐性があるのだろう。未成年とはいえ、職業柄、男女の縺れに触れることもあるせいか。いや、単純に女にあまり興味がないようにも見える。美青年の彼に寄って集る女は数多いが、彼の心を射止めるような女がいないだけだろうか。
沖田くんには、年の離れた姉がいる。姉は既に他界しているが、彼女はおしとやかで美しいひとだった。もしも理想を姉のレベルにまで引き上げているのなら、沖田くんのお眼鏡に適う女性は現れないだろう。
クラブの前では男が携帯電話をいじっている。待ち人は、まだ来ない。
「しかし、攘夷志士がクラブ通いたぁ世も末ですねィ」
「潤沢な資金を持ってるパトロンがいるんだよ。お城にね」
ついと江戸城のほうを顎で指す。沖田くんは「ずっと世は末ってわけですかィ」と声を落とす。はだけた胸元がちらと見えて、思わず目を逸らす。なんだかいけないことをしている気分になって居た堪れない。
変装は余計な客引きを寄せ付けないためだけにしているのではない。周囲から浮かないための偽装だ。息がかかるほど密着しているのは、沖田くんが金持ちの御曹司、わたしは高級クラブのホステスという設定だからだ。この辺りでは目的がなさそうな人間や、慣れずに目を泳がせている人間は格好のカモになる。しかし二人でいるだけで邪魔者は介入しないし、周囲もわたしたちに声はかけない。
はじめは用意周到過ぎないかと疑問だったが、存外うまくいっている。
なんでホステス? と訊いたら、「おまえ嫌味っぽいから」と副長に言われた。思わず顔が強張った。しかも、それを真選組一の色男に言われるなんて釈然としない。
副長は、離れた場所で待機している。他の隊士も散り散りになって潜んでいる。マルタイが見えたら、一斉にクラブを囲む手筈になっている。
クラブの前に待機している男が、すっくと姿勢を正す。道路を黒光りする高級外車が走ってきた。
車はクラブの前に停車した。男はドアを開け恭しく頭を下げるが、車を降りてきた中年の男は彼に一瞥もくれない。幕府の中堅役人だ。
しかし、ふんぞり返って熊のように歩く姿は、役人というより極道の親玉だった。事前情報では横領疑惑も持ち上がっている真っ黒な男だ。金に汚く、妻子があるにもかかわらず夜毎遊蕩に耽っている。幕府関係者は内々に処理しようとしていたらしいが、攘夷志士との癒着が明らかになってからは匙を投げた。抵抗するなら斬ってもいい。そう命を受けた。しかし——。
『総悟。斬るなよ』
副長が釘を刺す。沖田くんは「へいへい」とやはり気の抜けるような返事をして、横目で様子を窺う。
お上は幕吏の不祥事を表沙汰にはしないだろう。しかし、もしも真選組が幕吏を斬れば、汚名は必ず真選組が着ることになる。攘夷志士との乱痴気騒ぎの末に誤って幕吏を斬り殺した、と喧伝されるのは明白だ。
幕府にとっては、真選組が幕吏を殺すのが最も都合がいい。幕府の尊厳を失墜させる邪魔者は排除できる上、見廻組を押し上げたい派閥には真選組を貶める格好の機会となる。
幕吏がクラブへ入っていくのを見送り、わたしたちも動き出す。地下の裏口からは副長たちが回り込む。
「姐さん、やっぱ臭ェや」
夜風に乗って煙草の匂いが鼻をついたらしい。沖田くんは鼻を摘む。
「そんなに? 汚職警官と思われるかな」
『誰が汚職警官? 喫煙者を悪者にしてんじゃねえ』
「土方さん、さっさと裏に回ってくだせェ。取り逃したら土方さんが全責任を負って切腹ですよ」
『なんで土方さんだけ切腹? てめーらも道連れだわ』
緊張感がないのは副長も同じだ。手こずるほどの強者がいないと読んでの余裕だろう。
腕を持ち上げ、自分の匂いを嗅ぐ。沖田くんの言う通り、煙草の匂いが染み付いている。
そういえば、銀時は鼻がいいのか、煙草や油の匂いに敏感だった。
耳元で土方さんが『集中しろ』と剣のある声を出す。懐の警察手帳を探った。
◆
文机の小さなささくれが擦れて痛い。
不満を口にしたいのに、わたしの声はか細い泣き声を紡ぎ続けている。もう、長い間そうしている気がした。
銀時はわたしの背中に覆いかぶさるようにして、繰り返し腰を打ちつけている。わたしは文机にうつ伏せになる体勢で、穿たれる衝撃にされるがままになっていた。汗ばんだ肌が密着し、背中は熱いのに上半身は文机にぴたりとくっついて渇いている。
銀時が動くと、文机が騒ぐ。頼りない足はなんとか持ち堪えているような粗末さで、次の瞬間には崩れるんじゃないかと不安になる。
ぐっ、と銀時が深く侵入してくる。大きな波が押し寄せ、一際大きな声が出た。
しばらく放心し、息を整え、頭を動かす。毛羽立つ畳には白濁の飛沫が飛び散っていた。すぐ後ろで、銀時が息を吐く。
「誰か来たらどうすんだよ」
まだ働かない頭で言葉を咀嚼する。しかし、答えの出る前に銀時は「声」と続ける。それでもわたしは意味を掴めず、ぼうっと銀時の顔を見ていた。銀時は顎の下を掻き、後始末を始める。
畳の飛沫をティッシュで拭う。一度はわたしの中に注がれたものが、ごみとなって放られる。
あれから銀時と、毎夜のように身体を重ねている。しかし、銀時は吐精する瞬間にはわたしの中から出て、必ず外で出すようになった。性知識に明るくないわたしでも、その意味はわかる。軽はずみにしていいことではない。けれど、外で出そうが中で出そうが、一度でも繋がってしまえば、もう以前には戻れなくなる。後戻りはできない。
足首に引っ掛けていた下着をずり上げる。濡れた感触が気持ち悪い。太ももは粘ついているし、股にもまだ違和感がある。まだ身体の中に何かが残っているような感覚がある。舐られて柔らかくなった乳首は、擦れて痛い。
「痛いんだけど」
やっと不満を言うと、銀時は薄っぺらな布団を広げていた手を止めた。
「どこが? マン」
「違う!」
「でけえ声出すなって」
銀時は遊郭にも行くので女性経験があるが、わたしは銀時しか知らない。自分の身体のことは知っているつもりだったが、銀時の手によって未知の部分が露わにされていく。そのたびに、つくづく自分はただの女であることを痛感させられる。非力さは、どうしたって男とは比べものにならない。組み敷かれれば、熱の籠もった双眸で見下ろされれば、成す術がない。
銀時は文机の前でむくれるわたしの腕を引き、布団へ誘導する。
「寝るの?」
「疲れた」
口にはしなかったが、安心した。銀時ほど体力のないわたしは、せいぜい二、三回が精一杯で、それ以上は疲れるだけになる。一方、わたしよりも動くはずの銀時は、どこから湧いてくるのか、一晩で何回でも繋がろうとする。
それでも、わたしの了解を得てする分にはいい。心の準備ができる。
戸惑うのは、戦地から帰ったあとの銀時が、獰猛な獣のようになるときだ。そういうときは、わたしが先に寝ていてもお構いなしだった。布団を剥いできつく抱きしめ、渇いたそこに指や舌をねじ込み、本能のままに貪り繋がる。
荒い息遣いとは裏腹に、苦しそうに目は歪む。目が合うのは一秒にも満たない間で、すぐに逸らされ、意識は性急な刺激に押し流される。どんなに乱暴に扱われても、拒むことはできなかった。
「昼間、何話してた?」
一つの布団に包まって横になると、銀時が問う。
「……誰と?」
「辰馬とか、高杉とか」
日中は辰馬と共に建屋の雨漏りしていた箇所を修理して、そのあとは高杉といた。二人とは世間話を交わす程度で、込み入った話はしていない。内容のない話だったので、何と訊かれてもあまり思い出せない。
「天気のこととか……目玉焼きに何をかけるかとか」
「どーでもいいわ」
銀時が吐き捨てる。自分で訊いておいて勝手だ。
「じゃあ訊かないでよ」
「高杉は?」
「高杉は……」
渋々高杉との会話を思い返す。刀の手入れを教わって、やはりたわいのない応酬をしただけだった。
「高杉には、刀のこと教えてもらったりした」
「どーりでクセェわけだ」
「臭い?」
銀時の腕が背中に回る。引き寄せられ、銀時はわたしの頭に鼻を寄せる。
「ほら、油クセェ」
「刀の手入れの途中で油こぼしたんだ。そんなに臭う?」
「クセェクセェ。厨二とチビの匂いがする」
あまりに連呼するものだから、苛立って銀時の顔面を押さえつけて引き剥がした。こういうところは、年相応か、以下のような振る舞いをする。
引き離された銀時は布団からはみ出て、上半身を起こす。毛先を指が撫でる。
「髪の毛、洗うの付き合ってやろうか」
「……こんな夜中に、怪しまれるよ」
誰もわたしたちが同衾していることは知らない。仮に周知されてしまえば、銀時の格を落としてしまう。あの白夜叉が、わたしのようなどこの馬の骨とも知れない女に絆されているなど知られてはならない。
いや、わたしが知られたくないのだ。銀時の脆さや、誰にも打ち明けられない、自分自身の弱さを。この部屋を出れば、ひとりで立っていかなければいけない。この場所は、わたしと銀時だけのものにしたい。
ちっぽけな独占欲に気がつく。身体のことだけではない。銀時といると、自分の心の狭小さも露わにされる。
頭をぼりぼりと掻いていた銀時が、布団に戻ってくる。入り込んだ空気は、少し冷たい。
「……油クセェ」
銀時が、また呟く。
◆
副長のがなる声が絢爛なシャンデリアの下で響く。周囲に潜んでいた隊士も含め、真選組は二十人余り。建物内にいたのは、客含め四十人くらいだろう。中には何も知らない一般客もいるため、辺りは騒然となった。
「裏口は閉めた。浪士どもも、クズも捕らえた」
副長は無感情に言い、煙草を吸い始める。クズとは幕吏のことである。混乱する人混みを一目散に逃げ出そうとしていた。
「それより、厄介なもんが出たな」
副長が押収品のジップロックを摘む。白い粉が三分の一ほど入っている。
「売人らしい男が二人トイレに籠ってました」
「ヤクまで捌いてたとなっちゃ、あのクズは逃れきれねえだろうな」
個室ドアの向こうから甲高い声が響く。施錠されたドアを激しく叩き、怒声を上げている。
室内には、若い女が数人いた。未成年と思しき女もいた。おおよそ金持ちの家の娘か、幕府関係者の娘だろう。警察だと押し入っても、彼女らは虚ろな眼差しでおかしそうにケタケタと笑うだけだった。今になって閉じ込められたことに気付いて、激昂しているのだろう。
女の腕には、注射痕が無数にあった。テーブルには酒の注がれたグラスのほかに、袋から飛び出した白い粉末が無造作に散らばっていた。
「宇宙産だと思います?」
「ガキが飛びつくくらいの安もんならな」
「転生郷……じゃ、ないですね」
転生郷は、嗅ぐだけで快楽を得られる強烈な依存性を持つ麻薬だ。体内に打ち込んで使用する薬ではない。
「何にせよ、面倒なもん持ち込んでくれやがって。浪士までヤク漬けにされてたら、証言取るのも一筋縄じゃいかねえぞ」
「抜けるまで待ちます?」
「拷問にかけたほうが早くねえか」
「同感です」
副長の拷問で音を上げない者はいないと聞く。薬物中毒者であっても容赦はしないだろう。
余談だが、わたしは拷問に参加できない。マゾに目覚める輩が過去にいたせいで、拷問部屋は出入り禁止になった。見られていると興奮するという変態もいるので、見学さえできない。不条理だ。
「鑑識に回しておけ」
副長からジップロックを受け取る。
「あの子たちはどうしますか」
背後を軽く目で示す。副長は煙草を噛み、目を細める。
「どのみち病院行きだろ。話は聞けそうか」
「正気じゃないので無理ですね」
「だろうな……つーかおまえ、顔腫れてねえか」
副長が視線をずらす。わたしは自分の左頬を撫でた。僅かに鈍く痛む。暴れる攘夷志士を押さえるときに手の甲が当たったのだ。着物は足を動かしずらくて仕事着には不向きだ。咄嗟に躱せない。
「腫れてます?」
「青くなりそうだな」
「心配してくれてるんですか?」
「警察らしく箔がつくじゃねえか」
「してないんですね」
一時間もすれば建物内は閑散とした。攘夷志士、クラブ関係者、一般客が一掃され、残ったのは規制線の外に群がる野次馬だけだ。その野次馬も、直に散り散りになっていくだろう。かぶき町では警察沙汰など日常茶飯事だ。
今回は幕吏の件は伏せられ、別の事件として片付けられる。それに憤りは感じない。真実が明らかにされなくても、わたしはわたしの仕事を全うする。幕府がどうなったって、興味はない。
風が街を吹き抜ける。湿った空気が肌とビルに纏わりつく。沖田くんは早々にパトカーに乗り込み帰っていったらしく、姿がない。討ち入りでもなければ、あまり意欲的ではないのが常だ。
平隊士が野次馬を追い払い、さっそく鑑識係が来る。ポケットに入れていたジップロックを預けると、わたしの仕事もひとまず終わりとなる。
しかし、少女たちの様子が気になる。建物の裏手に回ると、隊士に見張られるようにして数人が地面に蹲っていた。事切れたようにおとなしくなっている。ジェットコースターのような情緒の緩急。薬の副作用だろう。
ぴしゃりと閃光が走る。光の先へ目を向けると、カメラを構えた男が立っていた。にっこりと微笑まれる。
「どうもミョウジさん。お疲れ様です」
長身で細面。何度か会ったことのある記者だ。時事ネタや有名人のスキャンダルを記事にしている。
「こんな夜更けまでお仕事なんて、大変ですね」
面倒臭い奴に会ってしまった。男はにやけた顔で近付いてくる。
「あの子たち、どうなっちゃうんですか?」
鉄壁の防御を誇る副長や、一見すれば堅牢で強面の局長に比べ、わたしは突っ込まれやすい。御しやすい隙があるように見えるのだろう。
「お話できることはありません」
「薬に手を出す奴の末路は悲惨ですよ。あれ、異星産の麻薬ですね」
男は首から提げていたカメラを手で支えながら少女たちに目を向ける。かわいそうに、と大仰に嘆いてみせているが、上っ面だけだろう。ひとの不幸を食い物にしている人間の言葉はかけらも信用できない。
「僕もね、この辺はずっと張ってたんです。でもまさか未成年まで抱き込んでいたとは知りませんでした。噂では、お偉いさんが足繁く通ってたそうじゃないですか。もしかしてその人が薬売り捌いてたりします?」
「お話できることはありません」
「さすが幕府のワンちゃんですね。飼い主の言いつけはよく守る」
喉で男が笑う。煽りも嫌味もまともに聞き入れるだけ無駄だ。喚く羽虫程度に認知していたほうがいい。
一台のバンが狭い路地を進んでくる。隊士が少女たちを無理やり立たせ、覚束ない足取りの彼女らを車に乗せていく。それを待っていたかのように、男がカメラを構える。奴隷のように列をなす少女たちに向かって、シャッターが切られる刹那。
「何のつもりですか?」
レンズに手を翳す。男の口端は上がっているが、目は笑っていない。
「邪魔はしないでもらえますか。こっちには事実を世に知らしめるという仕事があるんですよ」
「事実は人の言葉と偏った解釈を通じた途端に事実ではなくなります」
「あ、もしかしてあなたのことを好き勝手に書いた記事のことを怒ってます? 幕府の高官と寝たとか、色目使って資金繰りしてるとか……世間は高所得で高飛車な美人が嫌いですから、ミョウジさん、記事にされやすいんですよ。まあでも、有名税だと思って割り切ってもらわないと。ちなみにそれ書いたのは僕じゃなくて他の記者ですよ」
表情を動かさないよう努める。こういう輩は機微の変化に聡い。
「あなたの仕事を邪魔するつもりはありません。わたしのことも好きに書いてください。でも、あなた方は無辜の人間にあたかも罪があるように虚飾しますよね」
「人聞きが悪いなあ。言葉の綾じゃないですか。記事をどう取るかは読者次第ですよ。それに、あの小娘たちに関しては立派な罪があるでしょ。薬物所持、使用! これは犯罪ですよ」
「まだ断定されてません。仮にそうだとしても、然るべき場所で然るべき罰は受けます。あなたにも、誰にも断罪する権利はない」
男はカメラの向きを変え、尚もシャッターを切ろうとする。そのレンズを鷲掴みにする。
男は、今度はあからさまに眉を顰めた。
「あのガキどもはわかってないんですよ。親からもらったお小遣いか知りゃしませんけどね。その金は地球を食い物にする天人や、やくざ者の資金になり、巡り巡って善良な市民の生活を脅かし、新たな薬物中毒者を産むんですよ」
「だからって、一度間違えた人間を十把一絡げにして社会から葬るんですか」
「間違いを犯す奴はねぇ、何度だって繰り返しますよ。更生なんて無理ですよ。それを何、綺麗事ばかり……警察は犯罪者を追ってりゃいいんですよ……あっ、あぁー」
男は冷笑を浮かべたが、少女たちを乗せたバンが去ると名残惜しそうに声を落とした。バンは狭い路地を器用に走っていく。
カメラから手を離す。男はしばらく車輌の背を見送っていたが、大きく舌打ちをした。
「気付いてます? あなたのソレも、身勝手で押しつけがましい正義だってこと」
「……あなたのそれは、女全般に対する嫌がらせのように見えます」
「ええ、嫌いです。自分の弱さをひけらかす女は特に。不幸なのは自分だけだと思ってる」
親の仇を睨むような目付きで男は言う。
「ああいう女って、結局逃げてるだけじゃないですか。男に汚い股開いて取り入って、媚びてるだけでしょ。そういうの反吐が出ませんか? 自分の力で生きる気がないだけなんですよ」
吐き捨てて、カメラをいじる。遠ざかるテールランプに照らされる顔に、ほうれい線が浮かび上がる。二日は剃っていないだろう無精髭が見える。
「……あなたは間違ったことも、道を踏み外したこともないんですか」
「ミョウジさんはおありなんですか? 決定的な間違いを犯したことが」
窺うような目に覗かれる。じろりと睨み返すと、男は肩を竦めた。
「あったとして、言うわけないですね」
排気ガスが鼻を抜ける。少女たちを送った隊士が、見知らぬ男といるわたしを見て駆けてくる。怪訝な顔で男を見遣ったが、わたしが平気だと言うと屯所へ先に戻っていった。
敵意を隠さなかった隊士の態度に苦笑いし、男は悠々とわたしを見る。
「ミョウジさん、あなたのこと、いろいろ調べさせてもらってますよ」
「ご自由にどうぞ」
「いいんですか? 都合の悪いこともあるのでは?」
そもそも、都合のいいことを調べやしないだろう。細かい苛立ちが募る。
「心当たりはないけど」
「またまた」
ひらひらと手を振る。距離を詰め、わざとらしく声を潜める。
「攘夷戦争に女の戦士がいたと噂があります」
わたしが戦場にいた頃も、増援の中に稀に女はいた。腕に自信のある気風の良い女ばかりだった。でも、早々に死んでしまうか、現実の戦に打ち拉がれて戦線を離れていく者が多かった。捕虜として捕らえられた者も、自害した。
志高い者ほど早逝する。そこには、男も女も関係ない。
「その中でも白夜叉や鬼兵隊総督らと同じ時代にいた女がいるんです。やれ相当な切れ者だ、やれ白夜叉たちが虜になるほどの名器だと、尾鰭がついた根も葉もない噂話がほとんどですが……」
視界の隅に白煙が過ぎる。
振り返ると、副長が立っていた。
「副長」と漏らすが、鋭い眼光はわたしではなく男へ向けられていた。音もなく現れた鬼の姿に、男はひゅっと息を呑んだ。
副長は根元まで吸い上げた煙草をアスファルトに投げ、踏み潰す。煙を吐きながら徐に口を開く。
「悪いな。取材ならきっちり場所を設けるから、今は勘弁してくれ。コイツにはまだ仕事が山程ある」
「えっ、今日は終わりじゃないんですか」
「バカか。とっとと帰るぞ」
副長に促され、男を置いてパトカーへ向かう。運転席に乗り込む間際に振り向くと、男が路地の暗がりへ消えていくのが見えた。
記者やマスコミに付き纏われるのは初めてじゃない。裏付けのない虚偽の記事を出されるのも、いいかげん慣れている。いちいち反応したり否定するよりも、無関心でいればいい。
——やれ相当な切れ者だ、やれ白夜叉たちが虜になるほどの名器だと、尾鰭がついた根も葉もない噂話がほとんどですが……
男の声がそのまま頭で再生される。噂が噂を呼び、ありえない話に作り替えられているのだろう。あの様子では、わたしが攘夷志士だったとおそらく気がついている。しかし、公表されても痛くも痒くもない。真選組を追われる羽目になっても、仮にかつての攘夷志士が幕府側に潜り込み、謀反を企てていたと冤罪を被っても、わたしの身一つで治まるのならば然したる問題じゃない。
問題なのは。
カチリと隣で音がする。見ると副長が煙草に火を点けている。
「臭いって言われるんで、窓開けてください」
「ああ? ……総悟か」
副長が溜め息混じりに渋々窓を開ける。生温い夜風が車内に吹き込む。
記者との話は聞こえていただろうか。訊ねようと口を開くとほとんど同時に、副長が話し出す。
「あんなもん、相手にすんな。時間の無駄だ」
紫煙を吐きながら、唇を尖らせる。風向きで煙はわたしの顔に向かってくる。
出鼻を挫かれてしまった。
「すみません……煙いです」
「俺たちゃ嫌われ者なんだ。やっかまれてナンボだと思ってるくらいがちょうどいいんだよ」
「わかってますけど……いや、風向き。嫌がらせですか」
「嫌がらせだ。てめーを探してて遅くなっちまった」
煙は風に乗ってわたしの肺に滑り込んでくる。咽せながら、窓を全開にしていく。夜風が強く顔を覆い、腫れた頬を包む。
禍々しい電飾と、入り乱れる人々。溢れる熱気と活気が混ざり合い、冷たい夜空を黒く染める。己の存在さえ曖昧にする、目を灼く明かりと暗闇。銀時が、住まう街。
そう。問題なのは、銀時に飛び火しかねないことだ。
この街で暮らす、銀時や周りのひとの生活を壊してしまうかもしれない。
今は、それが一番恐ろしい。
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