「ごめんください」

 分厚い門扉を二度叩く。耳を澄ませ、敷地内の様子を窺う。物音がしないのを確認し、もう一度叩いた。

「ごめんください」

 応答はない。肩を落として息を吐き、どうしたものかと門の脇を見遣る。そこには、恒道館道場と看板が立てられている。
 局長が朝議のあとぱたりと姿を消すときは、お妙さんの元へ向かっていると相場が決まっている。今日は夕方から幕府の高官と会議があるというのに、局長不在では話にならない。副長は連日の書類整理で苛立ちを募らせていて、たまたま門前で洗車をしていたわたしに「おまえ行ってこい」と命じた。

「えー……なんでですか」

 蛇口に繋いだホースから水が流れている。防水サロペットは男用でぶかぶかで、長靴は歩くたびにガポガポ音を立てる。しかし洗車は好きなので、進んでやっている。

「近藤さんがいなかったら俺とおまえで行く羽目になる」

 副長は煙草のフィルターを噛む。わたしはげんなりしながら、もう一度「えー」と愚痴る。

「副長一人で行けばいいじゃないですか」
「会議のあとに鰻を食う予定だ。おまえ、知らねえ奴と飯食うの嫌いだろ」
「……行ってきます」

 鰻は食べたいが、知らない金持ちと鰻を囲うなら、見知った顔とスルメでもしゃぶってたほうがいい。
 副長に行ってこい行ってこいと雑に送り出され、今に至る。
 ——動物園を脱走したゴリラの捜索をしてる気分だ。
 腕組みをしてしばらく思案した。局長がお妙さんのあとを追っているのは間違いないが、そもそもお妙さんの行動範囲をわたしは知らない。すまいるに出勤するにはまだ時間が早過ぎるし、家にいないとすれば買い物にでも出かけたんだろうか。
 悩んだ末に試しに門を押してみると、そこに重さはなかった。拍子抜けするほど門はあっさり開いていく。
 この家は、敷地のあらゆるところにストーカー対策の罠が仕掛けてあると聞いたことがある。迂闊に足を踏み入れるのは憚られるが、見た限り変わったところはない。失礼します、と声をかけ、恐る恐る敷地内に踏み入る。
 慎重に歩を進め、建物を周り道場へ向かう。開け放たれた引き戸から、空を切る音がする。そこには竹刀を振るう新八の姿があった。
 白い道衣に紺色の袴。正面を見据えて一心不乱に素振りをしている。姿勢にはブレがなく、彼の真摯さをそのまま映しているようだった。

「わっ、ナマエさん? びっくりした」

 しばらくして、新八がこちらに気が付いた。ひらりと手を振ってみせる。

「やっほー」
「やっほーじゃないですよ。え、顔、どうされたんですか?」

 新八が自分の頬を指差す。同じ場所に、わたしは湿布を貼っている。先日打撲し、青痣になっているのだ。

「ちょっとね」
「はあ……仕事ですか?」
「うん」
「女性なんですから、顔は気をつけたほうがいいですよ。痕になったら大変じゃないですか」

 さらりと言われ、面食らう。新八は歯が浮くような台詞をさも平然と言うことがある。それも、下心など微塵も出さない。銀時の影響でないことは確かだ。
 新八は顔を覆うようにして額の汗を拭う。今更傷痕が一つ二つ増えたところで、と心配を無下にするようなことを考えていると、「珍しいですね、ナマエさんが来るなんて」と新八が言う。

「脱走ゴリラの捜索で……知らない? こっちに来てると思うんだ」
「近藤さんなら見てませんけど……」

 ゴリラといえば局長と理解してくれるので話が早い。ずれた眼鏡をかけ直し、新八は「あ」と声を上げる。

「姉上、さっき出かけたので、そっちかもしれません」
「遅かったか」
「大変ですね」

 新八に乾いた声で労われる。しかし、目に深い同情はない。お互いに慣れっこになってしまった。

「姉上は今日仕事だから、すぐに帰ってきますよ。その頃には近藤さんも戻るんじゃないですか?」
「そうか。じゃあ出直すよ」
「え、帰るんですか? たまにはお茶でもどうですか?」

 人が良い笑顔で新八が誘う。お妙さんも年の割に落ち着いていて達観しているが、彼も気配りの染みついた子だ。感心するほどだが、首を横に振った。「長居しちゃ悪いよ」と断る。

「今ちょうど銀さんがいるんですよ」
「銀時?」
「と言っても起きてるかわかんないんで、ちょっと待っててもらえますか」

 返事をする前にさっさと道場を出ていくものだから、半ば押し切られるような形になった。銀時、神楽と志村家が親しいのは知っているが、頻繁に家を行き来するとは知らなかった。それより、あの男は他人の家でも昼寝するのか。
 燦々と大地を照らす太陽を見上げる。穏やかな風が庭の木漏れ日を揺らしている。
 少しの間待っていると、新八が顔を出した。

「すみません。銀さん、まだ寝てるんですけど、突き当たりの部屋で待っててもらえますか? 頂き物の大福があるんで、お茶持っていきます」

 足早に屋敷を駆けていく足音。銀時や神楽は愛称として彼を「ダメガネ」と呼ぶが、傍から見ていても、彼に目立った欠点はない。生来のものか、両親を亡くし姉と二人きりで生活しているせいか、年齢のわりに成熟している。気が利いて頭も良く、不器用ながらも一生懸命。父の残した剣術道場を再興させるため、姉と二人たくましく生きている。
 指定された部屋は客間なのか居間なのか、広い和室だった。こざっぱりとした部屋だが、きれいに掃除されている。恒道館に入るのは初めてではないが、客としてきちんと招かれたことはない。改めて感じるのは、二人暮らしには広すぎる家だということ。部屋数が多く、庭はあるし道場もある。今の彼らは平穏に暮らしているように見えるが、苦難もあっただろう。しかし、この家で姉と弟でずっと肩を寄せ合い暮らしてきたからこそ、強い絆がある。
 読めない掛け軸の文字を眺めていると、新八が大福とお茶を持って現れる。道衣から普段着に着替えていた。

「この時間はいつも素振りしてるの?」

 お茶を啜り訊ねる。淹れたてで、まだ薄い。

「たまにです。今日は万事屋ですることなかったんで……って、いつも暇なんですけどね」

 自嘲気味に笑う新八。悲しいかな、それは否定できない事実だった。しかし、昼寝に充てがうよりいい。

「こういう日に、一緒に遊びに出かける女の子がいたらいいのになって、たまに思いますよ」
「お通ちゃんファンクラブの活動は?」
「う、それは全うしますけど! お通ちゃんは大好きだし、一生応援するって決めてますけど! だからってお通ちゃんと結婚できるわけじゃない……って、いや、希望がゼロとは思いませんけど、現実的じゃないって銀さんたちは言うし……」

 声を上擦らせた後、ぼそぼそと小声になっていく。もちろんアイドルと結婚できるなんて、本気では思ってないだろう。それに、追いかけ続けていた大好きなひとと万が一にも結婚できたら、有頂天になるのは目に見えている。しかし、高いところへ行けば行くほど、落ちるのは急激でショックも大きい。新八には、ささやかな日常を積み重ねてくれる女性が合っていると思う。
 お茶を飲み、大福を一つ齧る。柔らかく薄めの餅の中に、つぶあんがぎっしり詰まっている。咀嚼するたび、湿布が動く気がする。

「焦らなくても、そのうち新八を好きだってひとが現れるよ」

 確証はないけれど、確信はあった。「そうですか?」と新八は怪訝そうにこちらを見る。

「ナマエさんに言われると、大丈夫かなって気はしますけど……」
「大丈夫大丈夫。それに、恋人の有無が日常を充実させるわけじゃないよ。女の子とデートするのも楽しいだろうけど、そんなのは人それぞれだから。年を取ったり環境が変われば、そういう考えも変わっていくだろうけど、誰かと一緒にいるのが一番楽しいひともいれば、ひとりでいるほうが心が休まるひともいる。恋人や家族よりも大事にしたいものがあれば、また違うしね」
「恋人や家族よりも大事なものってなんです?」

 まっすぐな目で問われ、思わず苦笑いしてしまった。言葉にするには当てはまるものがない。ううん、と悩み、強いて言うなら、と答えた。

「一緒に生きていきたいひと」

 新八が不可解そうに眉根を寄せた。

「……それは、家族や恋人じゃないんですか?」
「そういうのじゃない」
「ナマエさんにも、そういうひとがいるんですか?」
「わたしにとっては……生きていきたかったひと」

 にわかに新八の表情が曇る。すぐに勘違いさせていることに気付いた。

「ごめん、死んでないよ」
「あっ、そうですか。よかった」

 新八が肩の力を抜く。なだらかな肩のラインは、まだ華奢さが残っている。
 ——この話題は避けよう。
 目には見えないが、微かに感じる気配の動き。長年の勘か、近くに息遣いを感じる。
 少々強引に、話題を変えた。

「それにしても、することなくて素振りなんて熱心だね」

 真選組でさえ、決められた稽古以外で剣術を磨こうとする連中はあまりいない。空き時間は各々趣味に費やしたり、出かけたり、はたまた気に入りの女の元へ向かう。剣のことしか頭にない堅物は、副長くらいではないだろうか。
 新八はわざとらしい方向転換に不審感など見せずに、「いやあ」と首の後ろを掻いた。気恥ずかしいというより、渋い顔をしている。

「周りが化け物みたいに強いひとばっかりなんで、僕なんか霞んじゃいますよ」
「新八だって、十分強い」
「肝心なときに何もできないんじゃ、意味がないです」

 表情や声色は変わらないが、気弱になっているのが透けて見えた。

「何かあった?」

 訊くと、新八は伏し目になる。癖のない前髪がさらりと揺れる。口澱んでいる姿に、言いたくないなら言わなくていいと告げようとしたときだった。新八が面を上げる。

「ナマエさんって、銀さんとは昔から知り合いなんですよね?」

 藪から棒になんだろう。「うん」と頷く。

「あのひと、昔からああなんですか?」
「ああって?」
「その……ひとりで無茶して知らないうちに怪我してたり、黙ってふらりと消えてしまったり……」

 大人が子どもに気を揉ませるなんてどうなんだろうか。銀時に対する呆れで、溜め息が出る。

「放っといていいよ」
「放っておいたら、いつかあのひとは、僕らの知らないところに行くんじゃないでしょうか」

 新八は柔らかな楕円を描く中に、真剣さを潜ませた瞳でわたしを見ていた。

「銀さんが丈夫で滅多なことでは倒れないのは知ってます。でも、僕らだって戦えます。あのひとは僕らのために身を削ってるのかもしれないけど、そんなの、ありがた迷惑なんですよ。ちっとも嬉しくない」

 滲み出る憤りを抑えているせいか、表情は引き攣っている。笑っているのか怒っているのか、半端な口元をしていた。

「銀さんは、僕らを置いてひとりでどんどん勝手に行ってしまう。銀さんにとっては僕らなんて頼りにならないのかもしれないけど、でも……何のための万事屋なんだって、何のために僕ら三人いるのかって、何にもわかってない。大馬鹿野郎ですよ」

 悔しそうに唇を噛み、最後に絞り出した言葉には悔しさが溢れていた。
 虚飾のない、あまりの純真さに胸を衝かれる。ただ、力になりたい。大切なひとが傷付かないように、自分も強くなりたい。そばにいたい。たったそれだけの願いを、まっすぐに伝えられる。
 もしかしたら、夜露の強さも、凍える風も知らない、まだ青い芽の願いだと一蹴されてしまうかもしれない。けれど、そこに年齢や経験の浅深は関係ない。誰かを思う気持ちを否定することは何者にもできない。
 切実な様子に黙っていると、新八はゆるゆると拳の力を緩め、掌を後頭部に回した。気まずそうに苦笑いを浮かべる。

「なんて、昨日ぶん殴っちゃったんですけどね」

 控えめに言うにはパンチの効き過ぎた台詞に耳を疑う。

「殴ったの?」
「はい。実は銀さん、大怪我してて、今うちで療養してるんです。一人で危ない依頼に行ってて、腹が立ってつい」

 ぽかんとしてしまう。対して新八は、あっけらかんとしている。

「……そういうところ、姉譲りだね」

 新八は「そうですかね」と、顔をほころばせる。彼はシスコンだから、姉に似ていると言われても嫌がらない。

「銀さんはよくわかんない人ですけど、僕らは何があったって、あの大バカ野郎についていくって腹を決めてるんです。なのに、あの天然パーマときたら……」

 家賃は滞納するわ給料は払わないわ掃除はしないわ……と、銀時に対する鬱憤がじわじわとどす黒いオーラになって漂い出す。ひどい言われ様だけれど、新八や神楽は銀時のそばにいると決めている。あの流れ者の手綱を握っているのは、二人なのだろう。

「新八にもよくわからないんだね」
「わかりませんよ、あんなバカのこと」

 新八は吐き捨て、憤りを鎮めるように外の庭を見遣る。若々しい緑と澄んだ青が広がっている。
 険しかった表情を緩め、新八は訊ねる。

「ナマエさんにもわからないんですか?」
「わかんないなあ。自分のことだってわからないし、他人のことなんて……」

 どれだけの時間を費やしても、言葉を尽くしても、自分とは違う相手をすべて理解するなど無理だ。人間はからくりのように合理性を優先させる生き物じゃない。いかに冷徹な犯罪者も、仏のような徳の高い人格者も、皆同じだ。感情を持つ限り非合理的な言動をする。それは、時に自分にも予測できない事態を招く。他人から見ればその人の根幹を揺るがす行動をとる。
 ふと、高杉の顔が浮かんだ。道を違った、高杉や銀時たちのことが過る。
 高杉は、銀時の中に信ずるものがあった。固く強い繋がりがあったはずなのに、粉々に打ち砕かれた。繋がりが深ければ深いほど、潰えるときは激しい。

「ナマエさん?」

 名前を呼ばれ、我に返る。わたしの頭にあったのは、敵陣に怯むことなくひた走る高杉の背中だった。手配書の中の、隻眼の高杉ではなかった。

「ごめん、ぼうっとしてた」
「大丈夫ですか?」
「平気」

 窺うような目に、安堵させるよう微笑む。戸惑うように新八の顔が強張る。少し恥ずかしそうに曖昧に笑い、何かを躊躇ったあと、そろそろと訊ねる。

「あの、さっきの、ナマエさんが一緒に生きていきたかったひとって」
「ただいまー」

 濁りのない澄んだ声が玄関先から聞こえる。新ちゃーんと呼ぶ声は、お妙さんだ。

「お買い物たくさんしてきたから、荷物運ぶの手伝ってくれるー?」

 その声に混じり、「お妙さん! 俺が手伝います!」と無骨な男の声もする。「アレッお妙さん! 俺のこと見えてます!? 俺の声聞こえてます!?」どうやら無視されている。局長だ。

「また卵ばっかり買い込んだのかな」

 憂鬱そうに溜め息を吐き、新八が腰を上げる。

「新八。銀時のこと、万全に治るまで面倒見てね」

 わたしも立ち上がり、隊服の皺を伸ばす。並んでみると、新八の体躯はわたしよりもたくましい。少年とはいえ、しっかり鍛えている証だ。
 振り向いた新八は、不思議そうに首を傾げている。

「面倒は見ますけど……なんでですか?」
「寝首掻かれるかもしれないでしょ」
「寝首って、誰にですか」
「わたし」

 肩をぽんと叩く。新八は呆気に取られたように口を開けていたけれど、お妙さんの呼び声にはっとして「今行きます!」と廊下を駆けていった。早く行かないと、ダークマターが製造されてしまう。
 ——さて。
 新八の姿が見えなくなると、隣室の襖を開けた。部屋の真ん中に布団が敷いてあり、銀時が横たわっている。こちらに背を向けているが、不貞腐れているのが雰囲気で伝わってくる。

「いつ起きた?」
「さっき」

 本当かどうかわからない。しかし、途中から話は聞いていただろう。
 敷居を跨ぐと、ツンと消毒液の匂いが鼻をつく。枕元には消毒液や包帯、洗面器が置いてある。おとなしく看病されているようだ。しかし、薙刀が置いてあるのはなぜだろう。
 銀時は背を向けたまま、不満げに口を開く。

「俺はおまえに命狙われるような覚えないんだけど」
「ないの?」
「えっ、あるの」

 振り返った拍子にどこかを痛めたらしい。銀時は呻きながらうつ伏せになった。傍目ではどこを怪我しているのかわからないが、寝巻きの下に包帯でも巻いてるのだろう。
 枕元に膝を折ってしゃがみ、洗面器にタオルを浸す。ぬるくなった水で濡らし、きつく絞って銀時の額に乗せる。怪我のせいで熱が出ているのか、呼吸はやや不安定だ。

「顔、どうした」

 銀時が目を細める。「ぶつけた」と言うと、「ふうん」と息を漏らし、数拍黙る。

「……見てくれが唯一の取り柄なんだから、大事にしろよ」

 言いながらもぞもぞと布団に潜っていく。タオルが額から力なく落ちる。

「あんまり心配させないでよ」
「おまえが俺を心配するなんざ、天地がひっくり返るな」
「わたしじゃない。周りに」
「……あ、そ」

 銀時はふんと鼻を鳴らした。落ちたタオルを拾い、洗面器に放る。
 居着きたくない場所なら、是が非でも抜け出すのが銀時だ。熱心に看病されることに慣れてないせいで居心地は良くなさそうだが、悪い気はしてないのだろう。
 賑々しい音が聞こえてくる。お妙さんの怒声が響く。新八の姉を止める必死な声に無邪気な声が混じり、神楽が来たことがわかる。子守唄はないが、ここにいれば飽きることはない。
 盛り上がっている布団に話しかける。

「もう行くね。局長を連れて帰らないと」
「ゴリラの子守りですかァ。ご苦労なこって」
「子守りされてる奴が言うんじゃないよ」
「はぁ!? だれがッ」

 飛び起きて反発する銀時を無視し、襖を閉める。廊下の先から激しい打撲音が響いてくる。
 どれだけの時間を費やしても、言葉を尽くしても、自分とは違う相手をすべて理解するなど無理だ。けれどあの頃、言葉はなくても、確かに通じ合うものがあった。目には見えず、手の中にも何も残っていない。持続もしない。
 今は思う。それでもよかった。ただそこにいてくれるのなら、それでよかった。
 局長の断末魔の叫びが、こだまする。
 




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