天に向かって聳え立つ超高層ホテル。周囲を取り囲むのは立ち入り禁止の黄色いテープだけではない。ホテル関係者、野次馬、マスコミ諸々。それらを制するように、真選組の厳つい顔面の男たちが立っている。
 スクーターを道路の端に停め、ヘルメットとゴーグルをハンドルに引っかけた。人混みを縫ってテープの手前に立つと、険しい表情で群がる連中を追い払っていた隊士が「旦那、お疲れ様です」と顔を綻ばせたり頭を下げたりする。俺は真選組の仲間ではないので恭しくあいさつされる立場にはないのだが、適当に手を挙げて返しておいた。いちいちまともに相手をするのも面倒なのだ。
 テープの内側、ホテルの自動ドアの前にいた山崎がこちらに気がつく。隣にいるハゲ——確か原田と言った——も揃ってこちらを見る。

「あれ、旦那。どうしたんです」

 山崎が近寄ってくる。俺は周囲を見回し、事件かと訊ねた。山崎は肩を竦める。

「とっつぁんの娘がここで友人の誕生日パーティに参加してるんですけどね。娘を狙ったテロリストが会場を占拠してるんですよ」
「セレブは誕生日パーチーの規模がちげえな」
「俺らなんて屯所で野郎どもとケーキ食うのが関の山だってのに」

 山崎は苦笑いしながら遥か上階を見上げた。俺も倣って見上げる。曇天の奥の太陽は見えない。昼前まで降り続いた雨のせいか、頂上は霧がかっていた。

「なに、心配はいらねえさ」

 野太い声に頭を下げる。灰色の空の下でも光る禿頭がある。原田は腕組みをして得意げに笑みを浮かべた。

「表の切り込みは沖田隊長の一番隊だ。裏はミョウジたちが張ってる。ネズミ一匹逃さん体勢だ」
「ミョウジ隊長、昼飯食い損ねたって超機嫌悪かったけど大丈夫かな」
「気の立ってるアイツはおっかねえからな。テロリストもちびるかもしれんぞ」

 隊長ね、と俺は心の中で繰り返した。真選組の中では既に馴染みのある呼び名も、俺には耳馴染みがない。黒い隊服を着ている姿には最近ようやく見慣れてきた。はじめのうちは違和感があったが、何度も見ているうちに似合ってくるのだから不思議だ。
 相槌ひとつ打たない俺を山崎が見遣る。

「旦那、ミョウジ隊長と仲良かったですよね?」

 周囲の物々しい雰囲気には合わない呑気な口調だった。ガキ同士のたわいない探り合いのようで、しかし面と向かって訊かれたことのないことだった。瞬時にナマエの言動を思い起こす。ナマエが真選組に対して俺のことをどう話しているかよく知らない。しかし、山崎は勝手にしゃべり続けている。

「たまに飲み歩いてるらしいじゃないですか。うちの隊士が見かけたって言うんですよ」

 その程度の認識か。しかし、呑んだあとはホテルか連れ込み宿になだれ込むのが常で、そこまで見られていたらどうしようか。頭の片隅で考えながら当たり障りなく答える。

「まあ奢ってもらえるし」
「隊長、ちょいちょい外泊するんですけど、まさか旦那といるわけじゃないですよね?」

 まさか! と声を張り上げたのは原田だった。

「あの女が旦那みてえなのとダチにこそなれど、男として見てるわけねえだろ! ありゃどっちかっていうと若い男が好きだろ」
「おいコラハゲ。さりげにおっさん扱いしてんじゃねえよ」

 条件反射で口を挟む。正確な年齢など訊いた事もないし興味もないが、どのみち俺とナマエにそう歳差はないはずだ。しかし、山崎は「それもそうか」と得心したように頷いた。なぜそこで納得するのかは追求しない。

「でも隊長の男関係って謎だよ。あのひとが隊長に就任したとき、散々マスコミで取り上げられたじゃん。初の女隊長とか美人幹部とか。中身こそ荒っぽいし気は強いし、剣の腕も一流でそんじょそこらの男には負けないけど、確かに美人だろ」
「仕事ばっかりで男と遊んでる暇なんかねえだろ。それに人間は見た目じゃねえ。大事なのは心よ、心」

 ホテルの中では斬り合いだか撃ち合いだか緊迫した状況が続いているだろうに、目の前の男たちは井戸端会議に夢中だ。俺は呆れ半分、興味半分でその話を聞いていた。今、ナマエの身近にいる連中がナマエをどう見ているのかを聞く機会はそうそうない。
 中身は荒っぽいし気が強い。剣の腕も確かだ。間違っていない。荒くならざるを得なかったし、剛毅でなければ生き抜けなかった。今のナマエを形成する、青くて大きな時間を共に過ごした俺は知っている。ナマエは強くて脆い。表面は硬いが、ある一定の場所を打てば容易く崩れる。そういう危うさを持っている。誰しもが脆い部分はあるが、表層を固めている分、ナマエはわかりにくくて面倒だった。
 上階から爆音が響く。窓ガラスが割れ、黒煙が飛び出してくる。地上に降ってくるガラス編を腕で遮る隊士たちと、身を屈める一般人。テレビカメラが何台も上向きになる。リポーターが見てください! と大声を出してホテルを見上げている。
 真っ白い霧は空を隠し、黒煙に覆われても尚、広がっている。晴れない霧を見ていると、否応にも思い出す。





 幕軍が天人から仕入れた強力な爆材によって、仲間たちは大量に死んでいった。援軍が来るまではまだ日を要する。ヅラは援軍が来るまで待機するべきだと言った。体制が整うまで無闇矢鱈に敵軍に乗り込んでは、余計な犠牲を出すだけだ。しかし、高杉はそれこそ幕軍の思う壺だと異を唱えた。戦力を削られた今、幕軍は俺たちが攻めてくることはないと高を括っている。敵の備蓄量を考えれば、向こうは既に爆材を使い切った。

「接近戦で遅れを取ることはねえ。前線は鬼兵隊が請け負う」
「早まるな、高杉。死んだ仲間の無念、一刻も早く晴らしたいのはわかるが、ここは一旦冷静になるべきだ」
「俺ァ冷静に戦況を見てる。事実、あれから奴らに動きはない。向こうも戦力を削がれてるんだ。攻めるなら今しかねえ」
「銀時、貴様も何か言ってやれ」

 俺は腕の包帯を巻き直しながら「あ?」と気の抜けた返事をした。右手の指が火傷でぼろぼろで、うまく力が入らないので仕方なく歯で包帯を引っ張る。

「俺は今回はやめたほうがいいと思うけどね」
「んだと、テメェ。ここまできて」

 高杉が噛み付くような視線を向ける。俺は障子に背を預け、その視線をいなした。

「どっかのボンボンのレゴブロックで正面突破できるとは思えねえ。向こうが機を待ってるなら、こっちもそうさせてもらおうや」

 おそらくヅラは俺が高杉の意見に同調することはないと見越していた。その思惑にまんまと引っかかるようで癪だが、本音だった。鬼兵隊だけではヅラの言う通り犠牲を増やすだけになる。俺の手だって、爆発の熱風を浴びて無惨に爛れている。これではろくに刀を握ることができない。
 高杉が反論しようと口を開けたとき、廊下から辰馬の大声が聞こえてきた。何やら焦っている様子で、それと一緒に明らかに憤慨している足音が響いてくる。俺たちは顔を見合わせるでもなく、その気配に揃って集中した。
 間も無くして障子がスパンと勢いよく開く。凭れていた俺の背に障子が当たり、「いてっ」と顔を歪めた。その声に、部屋に割り込んできた人物が目を向ける。俺の顔を見るなりずかずかと歩み寄ってきて、胸倉を掴む。頬を拳で打たれ、鈍い音が鳴った。ヅラと高杉は呆気に取られていた。しかし俺には、ああ、やっぱりと想定内の出来事だった。しかし拳で来るとは思わなかった。せめて平手だろう。

「なんでわたしを助けた!」

 ナマエががなる。胸倉を突き放されて畳に右手を着いた。爛れた指が擦れて鋭い痛みが走った。遅れて頬を重い痛みが襲い、元々切れていた口内を血の味が埋めていった。気の済まないナマエは、俺を見下ろして再び拳を振り上げる。それを数歩遅れてやってきた辰馬がナマエを羽交い締めにして止めた。

「やめんかナマエ! おまん、まだ傷も塞がっちょらんと言うとろうが!」

 大柄な辰馬に押さえられれば、ナマエの抵抗など子どもの癇癪と変わらない。唸るように息を荒げていたナマエは、それでも鋭い眼差しのまま俺を睨み続けていた。どうして高杉といいナマエといい、俺を親の仇みたいに睨むのだ。そんなに嫌われる謂れはない。畳の上に溜まった血を吐き出した。
 勢いを削がれたナマエは徐々に体から力を抜いていった。それでも辰馬はナマエを離さない。俺のためではなく、ナマエが暴れて傷が開くことを懸念している。辰馬とナマエは同じ船に乗って戦場までやってきたから、俺たちよりも親交が深い。とはいえ、特別仲が良いとかそういうわけではないし、ナマエは土佐出身ではないらしかった。このときの俺は、まだナマエの為人をよく知らなかった。脱力したナマエは眉根を寄せ、静かに訊ねた。

「わたしが弱いから助けた?」

 呆然としていたヅラや高杉は事態を把握し、静観を始める。

「女だから? 非力だから? かわいそうだから助けた? もっと戦力になる奴がいっぱいいたのに、なんでわたしだったの? 助けるべきだった奴が、他にたくさんいたでしょ」

 怒りを滲ませているのに、懇願するような切実さも見える。わたしじゃない人を助けてほしかった。なんで、どうしてと繰り返し、ナマエは項垂れた。
 ついさっきまで動き、話していた人間が瞬く間に肉塊へと変わる。凄まじい威力と巧妙な罠によって数え切れないほどの仲間が、原型すら留めず散っていった。硝煙と共に人間の焼ける匂いが荒野に広がっていた。亡骸さえ拾うことができなかった。
 爆弾は放ってしまえば数秒後には爆発する。放たれた瞬間、僅かな違和感を感じた瞬間、ほんの数秒で人間ができることなど限りがある。戦場では刹那の判断が命を左右するのだ。ヅラだって爆弾は使うが、せいぜい目眩しのためだ。殺傷能力に秀でたものではない。
 命をかけた刹那、爆炎の中で掴んだ手は、今俺を殴ろうと掴みかかり憤りで震えている。なんでおまえだったのかなんて、答えがあるだろうか。

「自惚れんな」

 閉口していた高杉が言い放つ。

「あの混乱の中、いちいち助ける人間を選別できると思ってんのか。死んだ奴は運がなかった。てめえはたまたま生き延びた。それだけだ」

 ナマエは唇を噛んだ。俺が出し得なかった答えを高杉はいとも容易く打ち出してしまった。戦争なんてそんなものだ。強かろうと弱かろうと、護るものがあろうとなかろうと、悪運の強い者が生き残る。明日は誰が死ぬとも知れない。生き残った者は、また戦に向かう。その身に咎を重ね続けていくしかない。
 ナマエは辰馬を振り払い、俯いて部屋を出ていった。辰馬が名前を呼んでも振り向かなかった。
 室内に雨の匂いが吹き込んでくる。俺は打たれた頬を撫でた。かさついているのは、火傷した指のせいだ。

「高杉ィ、もうちっくと優しくしてやらんか」

 辰馬が非難するように唇を尖らせる。しかし、高杉は聞く耳を持たない。

「あんなこともわからんようならおウチに帰りゃいい」
「いやぁ、ナマエは半ば追い出されたようなもんじゃき、行くところなんかどこにも」
「じゃあどっかの男の嫁にでもなればいい」
「おまん、知らんがか」

 高杉は眉を顰める。辰馬はナマエの消えた先を一瞥し、声色を落とした。

「昔馴染みが一緒に戦に来とったんじゃが、その男、爆発に巻き込まれて死んでしまったんじゃ。好き同士だったんかは知らんが、あの無愛想なナマエがその男にはよく笑ってたのを、わしは見ちょる。恋人でないしにしても、大事な男だったことに違いないぜよ」

 部屋が静まり返った。高杉もヅラも目線を落とした。仲間を犠牲にし、大事な人間を見殺しにしても、護るべきものはある。俺たちが斬り殺した幕軍の人間一人一人にも家族がいて、護るべきものはある。奪い合い、憎しみ、悲しみは連鎖していく。不毛だ。俺は真っ赤に染まる掌を握り込んだ。
 腰を上げ、部屋を出る。拠点にしている山中の古い屋敷には広々とした庭があった。数日前まで空っぽだった池には雨水が溜まっていた。霧が立ち込める庭の中、ぼんやりとナマエの姿が浮かび上がっていた。池の前に裸足で蹲り、頭を垂れている。咽び泣く嗚咽が僅かに聞こえる。霧に溶けてしまいそうなその姿を、俺は見つめることしかできなかった。





「あー了解っす。はい、はい」

 無線機で山崎が話している。緊張感のかけらもない辺り、事件は解決したらしい。ものの数分後には、ホテルの裏口から繋がれたテロリストたちが大勢出てきた。カメラのシャッター音とフラッシュが瞬く。わあわあと各局のリポーターが好き勝手にしゃべっている。
 続々とパトカーに押し込まれていく男たち。黒い隊服が野次馬を追い払い、各々滞りなく動いている。
 どこかの隊士が、隊長、と呼んだ。目を向けると、裏手からナマエが出てきた。傷一つない。怒っているでも笑っているでもない。歩み寄っていった隊士に指示を出しているのがわかる。
 実を言うと、俺はナマエが真選組にいることを再会するより前から知っていた。山崎が言っていた通り、ナマエは初の真選組の女隊長として就任時から話題になっていたからだ。テレビでは美人隊長として持て囃され、週刊誌では真選組も時代に迎合——男女平等へ——などと本人の意思が微塵も感じられない記事が載っていた。その後もナマエは善行悪行関係なくマスコミに取り沙汰され、とにかく目立っていた。一部の女性層からの支持は厚いが、それと同時に、女が侍なんてと退廃的な意見も少なくなかった。俺の周囲にはそもそも男女の格差について気に留める連中がいないので、話題には昇らなかった。たまに新八や神楽がニュースを見て話していても、俺は素知らぬ顔をしていた。取り立てて話すようなことはない。それだけだ。
 ナマエがホテルの前へ出てくると、案の定、カメラはナマエへ向いた。慣れているのか煩わしいのか、ナマエはそちらには一瞥もくれない。あんな態度、あとで高飛車だとか横柄だとか書かれるに決まっているのに。しかし、愛想を良くするという心遣いはナマエとは無縁だ。らしいっちゃらしい。
 パトカーが一台、二台と走り去っていく。それを見ていたナマエの目が、ふとこちらを向く。目が合って三秒。再び隊士がナマエの元へ駆け寄り、目は逸らされた。次に見覚えのある若い女——土方に惚れてる女だったと思う——が近付く。彼女は困った顔でナマエに頭を下げている。ナマエはようやく笑みを浮かべている。その様子を山崎が安堵したように見ていた。

「隊長、機嫌直ったみたいですね。よかったよかった」
「相当悪いぞアレ」

 山崎の「え?」と言う言葉を無視して、ひらりと手を振って踵を返す。

「飴玉のひとつでもくれときゃ、ちったあマシになるだろ」

 腹が減ると機嫌が悪くなる。飯を食うまでは直らない。
 女に笑みを向けるのは、アイツが女に対してきつく当たれないからだ。絶縁状態の実姉との確執が要因だ。
 背中には黒子がある。消えない傷痕がいくつもある。
 唇と舌が厚くて柔らかい。舐めるのも舐めさせるのも気持ちいい。
 女にしては低い声がコンプレックスらしい。甲高いよりはマシだと思う。
 若い男は好きじゃない。好きな芸能人は舘ひろし。
 打たれ弱くて情に脆い。意固地。仲間の死を悼み、ひとりで悲しみに暮れ、いつまでも死者に想いを馳せる。後追いするように地獄の淵に立っている。そのくせ、耳に届いた声には懸命に応え、目の前のものを何がなんでも護ろうとする。何かのきっかけですぐに情緒不安定になり、迷子の子猫のように蹲る。しち面倒くさい女だ。放っておければ楽なのにと何度思ったか知れない。
 再会したとき、ナマエは自分に警察なんて似合わないと言っていた。正義や街のために剣を振るう質ではない。だが、仲間を護り、目の前の人間を自らの手が千切れようとも救おうとする。自分が傷つきたくないがためのエゴだとしても、その気持ちに偽りはない。仲間のために本気で怒り、悲しむ。根が腐り切れない奴なのだ。
 それを伝えられなかったのは、少し悔やんでいる。もしかしたら、まだあのときの俺はナマエが俺と同じ場所に留まっているのだと思いたかったのかもしれない。おまえも忘れられないはずだと信じたかった。痛みも苦しみも慟哭も、今も息衝いているはずだと。案の定、ナマエの足は未だに錨で繋がれ、海底と地上でもがいていた。救い出せるのは、たぶん俺じゃない。
 人混みを抜けて振り返る。しかし、もうナマエの姿は見えなかった。 





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