父親は典型的な頭の硬い武士で、母親は夫の三歩後ろを行く良妻賢母。長子の兄は文武両道の神童、中間子の姉はとにかく美しかった。出来のいい兄と姉に比べて年齢の開きがあることを鑑みても、わたしは生意気で反骨精神の塊だった。そりゃ父親から気に入られるわけもないし、母親は溜め息もつくし、きょうだいがわたしを疎ましく思うのも仕方がない。共同生活の輪を乱すものが歓迎されるわけがないのだ。
 女なら淑やかになりなさい。あなたはお姉ちゃんたちと違うんだから——。
 母は、わたしの髪を櫛で梳かしながら繰り返し説いた。母は物腰が柔らかい穏やかな人だったが、時々癇癪を起こしてはわたしに当たり散らした。物を投げたり暴力を振るう。それも数ヶ月に一度のことで、いつスイッチが入るかわからない。そして、スイッチが入ると止まらない。
 幸いというべきか、母は箸より重いものを持ったことがないというお嬢様で、その細腕で打たれても大きな怪我になることはなかった。面倒なのは、スイッチが切れた直後のことだった。暗くて狭い埃まみれの納屋で、わたしを打ったあと、母はさめざめと泣くのだ。
 ごめんね、ごめんねと、細い肩をまるで己が被害者のように震わせながら。
 そして、わたしを打った翌日は、何事もなかったかのように振る舞う。あなたはお姉ちゃんたちと違うんだからと言いながら。
 父も兄も姉も、すべてを知っていた。しかし、誰も母を止めようとはしなかった。病んでいく母に目を向けようとしない父。父の真似事をして、居丈高に振る舞う兄。人が打たれている様を陰で嘲笑う姉。ろくでもない家族だった。
 特に姉は、わたしを邪険にしたがるきらいがあった。姉の片想い相手が、わたしに好意を寄せていた時期はそれが顕著だった。子どもらしい地味な嫌がらせだったが、それは降り積もるほどに、わたしの心を静かに苛み、やがてわたしは反発も抵抗もしなくなった。
 しかし、今思えば、家を追い出されたのはある種の救済だった。

「なかなか苦労したんじゃのう」

 辰馬はわたしの鬱屈とした幼少期からの過去を乾いた温度で簡潔にまとめた。家族に対する不平不満は誰もが持つものだ。だからこそ、殺人や傷害事件は親族間で最も起こりやすい。
 わたしは故郷の影すら見えない遠い地で空を仰ぐ。足首まで浸かった川の水が冷たくて気持ちいい。

「わたしがもう少し可愛げのある子どもだったら、まだマシだったんじゃないかと思うよ」
「そうかのう。ナマエは美人じゃ思うが」
「話聞いてた? そういうんじゃなくって、わたしがクソ可愛くない子どもだったっていうのは見た目じゃなくて」
「こらっ、女子がクソとか言うんじゃありません! めっ!」
「よく言うよ。ふんどしまで洗わせといて」

 辰馬はそれを言うなと身を縮こまらせた。山間の清流、人気は無く、穏やかな鳥の囀りが聞こえてくる。淡い陽の光が木々の葉を照らしていた。
 昨晩のことである。辰馬は持ち前の口のうまさでどこかから大量に酒を持ち帰ってきた。戦時中に疲弊した兵を潤す大切な酒だ。一気に呑むのではなく少しずつ嗜めばいいと言ったが、結局歯止めが効かずに全員泥酔するまで酒を流し込み、一晩で一升瓶を何本も開けた。
 酔い潰れた兵士を介抱するような殊勝さを持ち合わせていないわたしは、早々に自室で眠りについた。が、朝になって控えめに戸を叩かれ、起きてみれば大きな体を丸めた辰馬が立っていた。まだ朝陽も昇り切らない時間で、青褪めた辰馬はぼそぼそとしゃべった。いつもの無駄に大きな声はどこへやらだ。

「ゲロ吐いちゃった」

 最低最悪だ。しかも自分の着物だけではなく、あの高杉の服にまで。胃の中のもの全部ぶちまけたのかと思うほど、大量に。つい鼻を摘んだ。

「ほんと愉快だわ」

 嫌味たっぷりに言ってやった。辰馬は顔をくしゃくしゃにしている。

「おんし、さては鬼畜じゃな」

 わたしの足の下には辰馬の着物とふんどしがある。川の水は澄んでいて、水流に合わせて白い布が揺蕩う。
 辰馬は高杉のジャケットを必死に洗っていた。ばれる前に戻りたいと言っているが、洗ったところですぐには乾かない。勘のいい高杉のことだ。すぐに何があったか察するだろう。まあ、高杉本人も相当呑んでいたのですぐには起きないだろうけれど。

「折り合いが悪うて、出てきたがか?」

 話が戻る。私は足踏みをしながら首を横に振った。

「誇り高い侍の国を取り戻せって棒切れ一本渡されたんだよ。国のために死んでこいと」
「しかし、本音はわからんじゃろう」
「どうだか。おまえは剣の腕はあるからとか何とか御託並べてたけど、体よく追い出したいだけだったのよ。まあ今となっては良かったと思ってるけど。どのみち、首一つ、指の一本になったって戻る気はない」

 辰馬は「過激じゃなあ」と笑った。しかし、紛うことなく本音だった。もうあの家の敷居を跨ぐことはない。

「まあ、わしら誰も、生まれる場所は選べん」

 急に真剣な口調になる辰馬を見遣る。ジャケットがゆらゆらと水面下で揺れている。

「でも、生きる場所は選べる。それはいつになったって、遅うない」
「……そうかねえ」

 辰馬は大仰に頷き、白い歯を見せて笑う。

「そうじゃ。今は望んだ場所でなくても、ナマエにもいつか、そういう場所ができる。わしが約束する」
「アンタと約束しても……あっ」

 足を着地する場所を間違えた。ふんどしが川に流されていく。辰馬は「ああっ!」と喫驚して立ち上がった。その拍子に高杉のジャケットも手から離れて流れていく。重ねて「ああ!!」と辰馬が叫んだ。

「わしと高杉の一張羅が!」

 ばしゃばしゃと水飛沫を上げ、辰馬は川の中を不恰好に駆けていった。わたしはなんともバカくさい姿に思わず笑った。
 ていうか、一張羅って。もしかしてノーパン?


 ふんどしは下流に流されてしまった。しかし、高杉のジャケットを守れたことだけは僥倖だった。
 辰馬は濡れたジャケットを振り回して乾かしながら山道を歩いていたが、無駄な足掻きだった。屋敷に着く頃になっても、それは濡れたままだった。辰馬の着物の裾から足が覗くたび、わたしは目を逸らした。ノーパンなのかは確かめてない。
 朝陽はとうに昇っている。ほとんどの仲間たちは起床していた。もちろん高杉も起きていた。青筋を額に浮かべ、濡れたジャケットを握り締める辰馬に殴りかかっていた。わたしは遠巻きにそれを眺め、縁側でヅラの握ったおにぎりを食べた。梅干しばっかり。

「植えたら木が生えると思う?」

 種を出して訊ねてみた。たわいない世間話のつもりだったが、傍のヅラはごく真剣な顔で答えた。

「何年先になるか知れんが、芽が出れば木も育つだろう。梅の花はそれはいい香りがするぞ」
「花は興味ないな」
「花より団子か」
「あー団子食べたい」
「貴様、俺の作ったおにぎりを食っておいて団子とは」
「だって梅干しばっかり飽きるわ」
「ワガママ言うな! 全くもう、最近の若い子は」

 ぶつくさ文句を言いながらヅラは屋内へ戻っていった。自分だって十分若いくせに。
 二つ目のおにぎりを食べ始めたところで、隣に人が座った。白くてふわふわとした髪が目に入る。銀時だった。寝起きなのか欠伸をしている。
 そういえば銀時も昨夜はみんなと一緒に呑んでいた。どんちゃん騒ぎをして酔い潰れ、重なるようにして全員寝ていたのでいちいち気に留めなかったけれど。
 隣から漂う酒の匂いに顔をしかめる。

「くさっ、水浴びしてきたら?」

 手で匂いを払うと、銀時は悪びれもせず酒臭い息をわたしに向かって吐き出した。

「オメー昨日部屋出るとき俺の手ぇ踏んづけたろ。ちゃんと知ってんだかんな」
「えっ、踏んじゃいけなかった?」
「いいわけあるか!」

 坂田銀時という男は、一言で形容するなら掴めない男だった。初対面からずけずけとものを言い、口は悪く態度も悪い。全く信用できない男かと思えば、仲間からの信頼は厚く、いつも人に囲まれている。そして戦場に出れば恐ろしく強い。その強さは敵軍からも一目置かれ、白夜叉と異名をつけられるほどだった。平時には死んだ魚のような目が、眼前に敵を捉えたときには獣のように光る。

「人を合法的に踏んでいいのはSMクラブの女王様だけだ」

 とは言え、普段は浮浪者のような言動が目立つ。酒癖は悪く女好き。ろくでもない男であることは違いないが、妙な魅力があった。

「そういう趣味?」
「俺は組み敷くほうが好き」
「聞かなきゃよかった」

 溜め息をついておにぎりを頬張った。塩のついた指を舐める。銀時がちらりとこちらを見たのがわかった。ん? と首を傾げると、ついと目を逸らされた。何か言いたげに見えたけれど、気のせいだろうか。
 辰馬が半べそをかきながら「怒られたぜよ」と歩いてくる。頬が腫れている。当然の報いだ。大して心配もせず慰めすらしないわたしと銀時に、辰馬は不満げに頬を撫でた。

「冷たい奴らじゃのう」
「オメーが悪いんだろうが。よりによって低杉くんの」

 空き缶が飛んでくる。それは銀時の額にまっすぐにぶつかり、銀時は背中から倒れた。庭には空き缶を振りかぶったばかりの高杉がいる。
 今度は銀時と高杉の口喧嘩が始まる。この光景は既に何度か見ている。寄ってたかって喧嘩して、けれどすぐに何事もなかったかように笑いあったり、肩を並べて戦ったりする。不思議な人たちだ。
 わたしたちは戦場にいるはずで、幾度も血を流して傷付いて、やっとの想いで帰ってくる。今日も生きていた、と眠る前にいつも思う。なのに、こうしていると心が凪いでいくのを感じる。
 やがて見兼ねた辰馬が仲裁に入り、二人の拳を辰馬が受け止めて喧嘩は終わった。辰馬はへろへろになってわたしの横に倒れた。半べそどころか泣いている。

「大丈夫?」
「無理じゃ……手当てして」

 めそめそと泣く大男。面倒臭かったが、いつまでもそこに居座られても邪魔なので渋々腰を上げる。すると、銀時が「手当てなら俺がする」と声を上げた。
 きょとんとして振り返る。辰馬は眉間に皺を寄せていた。

「なんじゃあ、珍しい。ありがたい申し出じゃが、女子にしてもらったほうが治りが早い」
「おまえな、あんまりそいつをオンナオンナって言うな」
「なぜじゃ」

 辰馬はますます眉間の皺を深くした。わたしも似たような顔になっていたと思う。性別は女だし、性転換手術までして男になりたいとも思ってない。だからと言って丁重に扱われたくはない。腫れ物扱いもされたくない。面倒な立場にあると自覚はしている。けれど、感情の揺れはいつも想定できる範囲に収まるわけではない。
 銀時は口籠もっている。銀時がわたしを女と見ていないことは薄々感じていた。平気でSMだ組み敷くだと言うのだ。いや、意識されていては一緒に戦うこともできない。それでいいのだ。
 何も言わない銀時に痺れを切らした辰馬が、急にわたしの肩を抱く。頭の天辺に辰馬の息がかかる。

「どう見たって女子じゃろうが! ほれ、げにまっことこんまいじゃろうが!」
「ちょっ、でかい邪魔。てかパンツ履いてる?」

 ついに訊いた。腰の辺りに股間が触れているのが気になった。すると辰馬はあっけらかんと言った。

「履いちょらん」
「やっぱり!」

 肩を掴む手を退けようとすると、銀時が辰馬の顔面を思い切り掴んだ。強制的に辰馬は引き剥がされ、そのまま銀時に連行されていった。痛い痛いと繰り返す辰馬の声がずっと聞こえていた。今日は彼の厄日だったのだろうか。少し気の毒になった。
 高杉は濡れたジャケットを腕にかけていた。切れ長の目が二人を見送る。

「きな臭いな」

 高杉が呟く。高杉とはあまりまともに話したことがない。端正な顔立ちと凛とした佇まいが近寄り難かった。しかし銀時同様、彼が率いる部隊、奇兵隊の兵士は高杉に全幅の信頼を置いていた。そのカリスマ性は本物だ。

「何のこと?」
「おまえ、刀を研いでねえだろう」

 わたしの質問を高杉は黙殺し、逆に問いかけてくる。こういうところが、あまり好きじゃない。

「なに、藪から棒に」
「切れ味の悪い得物じゃ力を存分に発揮できない。刀と一緒に腕まで鈍らせるな」

 淀みなく言って、来い、と高杉は顎をしゃくった。

「研ぎ方教えてやらぁ」

 言外に腕はあると言われたような気がした。気のせい、かもしれないけれど。
 先に歩き出した高杉のあとを追う。有無を言わせない態度だったから、ついていくしかなかった。
 高く晴れ渡る空を見上げる。空気は澄んでおり、風も水も、いつもやさしくわたしを包み込む。いつ死ぬとも知れない場所だというのに、ここはひどく息がしやすくて泳ぎやすい。
 いつか、この場所を去るときがきて——そのときは、わたしは、自分で望んだ場所にいるのだろうか。
 想像してみたけれど、未来など何一つ、浮かんではこなかった。





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