部屋の隅に、影を背負っている大きな背中がある。これ見よがしに深い溜め息と共に肩を落とす局長。その背をしばらく見ていたが、意気消沈しておりこちらに気が付く気配がない。仕方なく声をかけた。
「局長」
「うわ! なんだミョウジか。驚かすなよ」
なんだとはなんだ。わたしは局長室の机を一瞥する。アクセサリーのチラシが置いてある。たまにある百貨店の催事のものだ。ダイヤだかパールだか、マネキンの首に飾られたそれは繊細に輝いている。引っ張ればすぐに切れてしまいそうだ。「お妙さんにですか」と局長が片思いをする女性の名前を出すと、局長は項垂れ頷いた。
「そうなんだが、店に入る手前で追い出されてしまってな……こんなに厳しい戦いとは思わなんだ」
どうせキラキラ空間に後ろめたくなって不審者みたいにうろついたんだろう——とは言わない。落ち込んでいるときの局長は繊細で傷つきやすい。局長は隊服を脱ぐとただのゴツいゴリラ、もとい侍だ。百貨店の店員からすれば敬遠したい存在だろう。店前を右往左往していた局長が、警備員に連行されていく姿は想像に容易い。
ただ愛する人のためにアクセサリーを買いたいというだけなのに、ままならない。生きにくそうだと他人事ながら思う。
「世知辛い世の中ですね」
「トシについてきてって言っても付き合ってくんねえし、総悟はああいうの興味ないだろ?」
副長は今日は仕事だし、沖田くんは確かにアクセサリーには関心がなさそうだ。同じ光物なら鎖のほうが好きだろう。そもそも彼らは女性人気こそあれど、女性に迎合するような質ではない。その必要もない。小細工しなくても女が寄っていくのだ。まるで誘蛾灯だ。
局長はじっとわたしを見た。
「ミョウジも……興味なさそうだよな」
「きれいなものは好きですよ」
「え、意外」
「嫌いな人はいないでしょ」
宝飾品は見ている分にはいいが、自分で身につけるかと問われれば否だ。仕事の邪魔だし、動くたびにちらちらと揺れては気になって仕方ない。局長が恋心を寄せるお妙さんも、どちらかといえば飾り物にこだわるタイプではないように思う。彼女が身に付けるものなんて、せいぜい簪くらいではないだろうか。そもそも彼女は美人だから余計に飾り立てなくてもいいくらいなのだ。
「簪だったら、下町でも可愛いものがたくさんありますよ」
職人が手ずから生み出したものはこの世に二つとない。勧めるが、局長は腕を組んで眉根を寄せた。
「簪はなぁ……プロポーズのときに渡すって決めてるから」
こっ酷く振られ続けているのに求婚するのはやめない。不屈の精神には感心さえする。
「でも、ネックレスを贈るのも束縛したいとかあるらしいですよ」
「えっそうなの?」
束縛か、と局長はなぜかにやける。何か良くないことを考えているなと察しはつくが、見て見ぬ振りをした。他人の恋路に踏み込むのは良くない。
庭から騒ぎ声が聞こえてくる。わたしは局長室へ来た目的を思い出した。
「庭の連中、腹が減ったってうるさいんですけど」
人差し指を庭へ向ける。局長はもう昼かと部屋の時計を見遣った。
「食堂で適当に食ってもらえ。カレーだったよな」
「依頼料から天引きで?」
「今回は負けてやろう。未来の義弟に飢え死にされちゃ困る」
「職権濫用甚だしいですね」
「布石を打っていると言ってほしい」
物は言いようだなと苦笑いが漏れた。
局長室を出て、庭に降りる。透き通るような青空の下、陽光を浴びて動き回る三つの影。草むしりを頼んだはずだが、先程からわあわあと不要な応酬が止まらない。声をかけると、傘を差した神楽が真っ先に振り返る。
「ごはんアルか!?」
まず言うことがそれか。相変わらず食欲旺盛で何よりだ。育ち盛りの子たちが遠慮なくご飯を食べられる環境があるのは、とても嬉しい。駆け寄ってきた神楽に「カレー食べていいって」と告げると、目を輝かせて飛び上がった。
「キャッホウ! ごはんおかわり自由アルか!」
「一升まで」
しかし際限なしでは屯所の備蓄が空になる。彼女の胃袋はブラックホールなのだ。神楽は「ちぇ」と不満げに唇を尖らせる。その頭にはシロツメクサの花冠がある。
「どうしたの、それ」
「銀ちゃんが作ってくれたアル」
神楽はご満悦だ。ころころと変わる表情は眩しい。もう十四歳だというが、彼女は年齢よりも童心に満ちている。赤の他人の幸せを願うほど殊勝ではないが、この笑顔が曇ることがなければいいと思う。
食堂で駆け足で向かっていく神楽の頭の冠が揺れる。落とさないよう、白い手はそれを大事に支えていた。まだあんなもの作れるのかと、懐かしくなる。
◆
右手に小さな包丁、左手にじゃがいもを持ってわたしは空を仰いだ。清々しいほどの晴天で、鳶が上空を旋回している。傍の水を張った桶には、皮を剥いたじゃがいもがいくつも浮かんでいる。ぎゅうぎゅうに桶に詰まっていてかわいそうなくらいだった。
しばらくじゃがいもを眺めていたが、もう何日もその姿を見ているのでさすがに飽き飽きしてしまった。芋は食料の限られた戦場では貴重な栄養源だが、味を変えても芋は芋だ。
ふと、背中合わせで作業していたはずの銀時の姿がないことに気がつく。そこにあるのは空いた桶と、途中まで皮を剥いて放置されたじゃがいも。辺りを見渡すと、開けた草原の中に白い背があった。
「ちょっと、なにサボってんの」
食べ盛りの兵たちには食事の質はともかく、量が必要だった。短時間でたくさんの食事を用意しなくてはいけない炊事当番は誰もが避ける役割だ。それを持ち回りですると決めたのは銀時だったはずなのに、当の本人は芋の皮剥きさえしない。わたしは苛立ちを隠さずに溜め息と共に腰を上げた。
前屈みになった背から手元を覗き込む。銀時はシロツメクサを編んでいた。わたしは呆れて腰に手を当てた。
「腹の足しにもならない」
「情緒のかけらもない奴だな。自分ができないからって僻んでんじゃねえよ」
銀時はやれやれと肩を竦めた。わたしはむっとして「できる」と言い返す。花冠くらい、作ったことはなくてもなんとなくやり方はわかる。とにかく編めばいいのだ。
じゃあやってみろと促され、銀時の隣に座った。辺りにはたくさんのシロツメクサが咲いている。白と緑が陽光に照らされて輝き、時折上空の鳶が高い声で鳴く。
「ぷぷー、おたくソレ何? できてませんよ?」
小馬鹿にした態度で茶々を入れてくる銀時。歪な結び目。ただただ繋がっただけのシロツメクサ。まるで円形にならない。口元に手を当てて笑いを堪えている銀時を睨む。
「こんなのできなくても人生に支障ない」
「あっ、そういうこと言う? 強がりは見苦しいなー」
「うっさい」
「まあまあ機嫌直せって。誰にでもできないことはある。ま、俺はなんでもできちゃうけどね」
言いながら、銀時は完成した花冠をわたしの頭に乗せた。
「大事にしろよ。せっかく作ったんだから」
「……サボりたかっただけのくせに」
「バレた?」
銀時は少しだけ笑った。花冠は軽くてふわふわとしていて、すぐに飛ばされてしまいそうだった。
◆
次の日には茶色く変色していたっけ。枯れたそれをどこへやったか、憶えていない。
神楽に遅れて、新八と銀時が歩いてくる。新八は「ナマエさんこんにちは」と律儀にあいさつをした。わたしは「お疲れさま」とひらりと手を振った。彼は局長が片想いをするお妙さんの弟だ。今回、庭の整備を頼んだのは局長で、義弟の生活を慮る心遣いだ。つまり布石の一つだ。しかし、日頃の行いが輪を掛けて悪いので、彼の中の局長に対する好感度は地に近いだろう。
「給料もらってる?」
わたしもそれなりに彼らの生活を気にかけている。彼らとは、ちなみに銀時を除く子どもたち二人だ。普段はそれなりに三人で暮らしているようだが、なにせ社長があの銀時だ。下品で甲斐性がなく、金に汚い。心配しないほうが無理だ。
「かれこれ三ヶ月はもらってません」
おいコラ、と新八を制する銀時をじとりと見る。居心地の悪そうな銀時は慌てて弁明する。
「いや、先月焼肉食い放題行ったろうが!」
「残りで給料払うって言って、結局馬で擦ったじゃないすか」
「それは資金を増やそうとだな」
「もう当てにしちゃいませんけどね。今回の報酬は僕が預かりますから」
氷のような眼差しを眼鏡の奥で細め、新八は歩いていった。銀時は少なからずショックを受けているようだが、同情の余地はない。信頼は金で買えないが、金で信頼を失うことは容易い。
「自業自得」
銀時へ呟き、庭から廊下へ上がる。すると銀時がついてきて「なんかいい仕事ない?」と訊いてきた。家賃も数ヶ月滞納していて、今月払わなければコンクリ詰めにして海に沈めると脅されているのだそうだ。重ねて自業自得だと吐き捨てるが、銀時はしぶとく付き纏ってくる。
「コンクリ詰めよ? ひどいと思わない? 脅しがやくざだよ。あのババア、妖怪じゃなくてやくざだったんだよ」
「内臓売る仕事なら紹介するけど」
「オメーもやくざかよ!」
銀時の言うババア——お登勢さんとはわたしも面識がある。銀時が住居兼事務所にしている万事屋の一階のスナックのママで、かぶき町では顔役でもある女性だ。人情家で懐が深く、経緯は詳しく聞いたことはないが江戸へ流れ着いた銀時を拾った恩人でもあるらしい。そんなひとを困らせるようなことはするなと言いたい。
「奉行所に聞いてみる?」
廊下を進む足を止めて振り返る。くだを巻いていた銀時も止まる。
「うちは警邏もするけど、細かい事件とか相談事なら奉行所に集まる。奉行所の手伝いなら、大金にならなくても多少は足しになると思う。痴話喧嘩とか不良の取り締まりとか、ストーカー相談とかだけど」
「ストーカーって何。おたくのゴリラ捕まえれば解決じゃん。愛の狩人とか言ってっけど、アレ完全に狩られる側だからね。完全に檻の内側の住人だからね」
「ゴリラの話はいいから。やるなら知り合いに話つけておくよ。顔はいまいちだけど腕は確かだって言っておく」
「超男前って言っとけ。つーか腕って。力仕事?」
「荒仕事もある」
楽して大金を稼ぎたいという男だ。面倒そうな仕事はしたくないのが本音だろう。よくも新八や神楽は懲りずにこの男に付き合うものだ。けれど、銀時のそばに二人がいることに、わたしはどこか安堵している。
「荒仕事は得意でしょ」
事も無げに言うと、銀時は唇を結んで難しい顔をしたが頷いた。「背に腹はかえられん」とぶつぶつ言っている。
銀時は、時折わたしでもしないような大怪我を負っていることがある。戦のときには見慣れていたが、ここへ来て初めてその痛ましい姿を見たときは愕然とした。しかし、何があったのかと訊いてものらりくらりと躱すだけで肝心なことは一切言わない。仕事でちょっと、と曖昧模糊とした返事をするだけだった。そのうち訊くのもやめた。思えば、昔から銀時はそういう奴だった。
ヅラには、あれは奴の性分だからあまり責めてやるなと言われた。責められたことはあれど、責めたことなど一度もないと思う。
「沈められる前に頼むよ」
肩を叩く。食堂のほうから神楽の元気なおかわりという声が聞こえてくる。
「取り分なくなるよ」
「……はいはい」
後頭部を掻きながら、銀時は踵を返す。その背をしばらく見つめたあと、知人の与力に連絡を取るために携帯電話を取り出した。視界に映る自分の指。裾から覗く手首。そこに繊細な輝きを放つ宝石を飾るのは想像できない。接待の会食で光り物を身につけることはあるが、いつも落ち着かない気分になる。
きれいなものを見るのは好きだ。宝石も、眩しいほどの朝焼けも、流れる透明な水流も、あたたかな家族団欒も。けれど、聖域にも似たそれらに自分が触れるのは躊躇ってしまう。わたし自身に縁がなく、触れたことのないものだからだ。塞ぎようのない痛みや苦しみは、誰もが抱えている。それを新たな幸せで蓋をできるひとはいる。隣にある澄んだ湖を指を咥えて眺めることで、自分の不幸を愛でているひともいる。けれど、満たされ続けないことによっていつしか目は衰え、いずれ何が美しくて何が汚れているのか、わからなくなってしまうこともある。いつまで経っても自分を満たしてくれる水を求め、日常に倦み、枯れたようにただ息をする。そういうひとも、少なからずいる。
「ああ、いたいた」
気を抜いていたので気配に気付かなかった。電話帳を出したまま固まっていた指がぴくりと動く。振り返ると、局長がいた。
「ミョウジ、事件だ」
神妙な面持ちに緊張感が走る。「事件?」と訊ねると、局長は背筋を伸ばした。
「実はお妙さんが、店の客から猛烈なアプローチを受けているとタレコミがあった」
一気に脱力した。
「はあ、どこから」
「九兵衛くんだ。お妙さんは断っているらしいが、どうも相手の男が相当しつこいらしくてな。お妙さんの気持ちを無視して粘着質に付き纏っているらしい。全く、迷惑千万な野郎だ!」
ブーメランが局長の鳩尾にめり込んでいるが気付いていない。憤りに拳を震わせ、あくまでも真剣にお妙さんの身を案じている。恋は盲目と言うが、相手のことも見えなくなってしまうようでは叶う恋も叶うまい。局長とお妙さんが結ばれるかどうかはさて置き。
「そこでミョウジ! 任務を与える!」
「仕事があるんですけど」
「お妙さんに付き纏う男の素性を洗うのだ! 人間生きていれば汚点の一つや二つ、必ずある! 弱味を握り、お妙さんに近付くなと注意喚起し、更にお妙さんには俺という婚約者がいることを公にする!」
「暇だと思われるんでやめません?」
「よし、そうと決まれば指輪を買いに行こう! ミョウジ、後生だからついてきてくれ! 俺はあの白い目に一人で耐える自信がない!」
「堂々と言うことですかそれ」
局長は見た目はゴリラなのに、こうと決めると猪のように猪突猛進する面がある。もうわたしの言葉は聞こえていない。財布を持ってくると言って廊下を駆けていってしまった。
まだお昼食べてないのに。途中でハンバーガーでも買おうか。喫茶店のたまごサンドでもいい。頭にふわふわの分厚いパンと、こぼれんばかりに挟まれた黄色いたまごサラダを浮かべる。考え出すと口がすっかりたまごサンドを求めてしまい、腹の虫が鳴いた。
足音が聞こえた。しかし、そこにいたのは局長ではなく銀時だった。「忘れてたわ」と袂に手を突っ込んでいる。口の端にはご飯粒がついている。
「米ついてる」
「あ?」
「米」
「あーあった」
袂から出て来たのは、神楽の頭に乗っていたものより一回り小さい花冠だった。銀時は「ついで」とそれをわたしの頭に乗せた。軽くて頭の上から滑り落ちてしまいそうな、高価でもなく、輝くわけでもない冠。
「腹鳴らしてねえで、おまえもちったぁ花を愛でる余裕を持て」
「聞こえてた?」
「熊が唸ってるのかと思ったわ」
「熊……」
踵を返し、銀時が廊下を引き返していく。そんなに大きい音だったろうか。虫どころか熊がいるらしいお腹を摩る。
間も無くして局長が財布片手に嬉々としてやってきた。わたしの姿を見て、明るく笑う。
「お、なんだ、花なんか乗っけて。存外似合うじゃねえか」
存外は余計だ。頭から冠を降ろして小さな花を撫でる。結び目はきつく、きちんと結ばれていた。
けれどこれも、きっと明日には枯れている。
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