膠着状態が続いて数日。これを好機として、攘夷軍は拠点をひとが寝泊まりするのに不自由しない建家に移した。林の中に佇むだだっ広い空き家は隠れ蓑にはちょうどいい。裏手には開けた空き地もあり、井戸もある。難点は、夜になると蛙の声がうるさいことだろうか。
 空き地から建家の正面に回ると、男が玄関に凭れていた。夜空には無数の星が瞬いているが、男は何もない方向をじっと見据えている。長い髪を後ろで結わえたその姿に、声をかける。

「ヅラ? なんでいるの」
「ヅラじゃない桂だ。今日は俺が見張り番なのだから当然だろう」

 決まり文句を言って、ヅラは腕を組んだ。が、わたしが訊いたのはそういうことではなかった。
 遊郭行ったと思ったのに、と呟くと、ヅラが眉を顰める。

「見張りがいない隙に何かあったらどうする」

 林から離れた場所に、小さな遊里がある。呑み屋もあるので、兵たちは交代で毎夜のようにそこへ通っている。しかし、わたしが知る限り、ヅラはずっとここにいる。辰馬がしつこく誘っても乗らないのだ。堅苦しい口調と同様に頭も堅いのか、それともまさか男色なのか。ヅラは端正な顔立ちをしているので、モテないわけではなさそうだけれど。
 まじまじと顔を見ていると、涼やかな目がこちらを向いた。

「おまえは懲りずに墓参りか」

 視線がわたしの手に降りる。咄嗟に後ろへ手を回すが、ヅラはわたしがどこで何をしているかすべて気付いていた。指についた土を擦って落とす。

「毎夜墓が増えてるから、どうせおまえだろうとは思っていた」
「……呆れてる?」

 ヅラはかぶりを振った。わたしは少しの安堵と情けなさに、唇を引き結んだ。
 焼け野原に残った肉体や、彼らの身につけていたものをわたしは一人で回収していた。死んだ人間の体は重いのでひと一人を運ぶのは無理でも、肉体の一部を持ち帰ることはできる。それらを空き地の土を掘って、一つずつ埋めていた。墓石はその辺で拾った石ころで、手向けの花は名前も知らない小花だ。墓と呼べるほどのものではないが、ヅラはきちんと墓だと言った。徒労に終わると思っていた行為が、ほんの僅か、報われたような気がした。

「呆れているとしたら、墓が増えていくのを見ていることしかできん自分自身にだ」

 ヅラは前方を見据えていた。大地からまっすぐに伸びる細身の木々が整然と並んでいる。深い夜は、無条件に人の心を蝕む。

「ヅラは、ちゃんとやってるよ」
「ちゃんととはなんだ」
「わかんないけど……少なくとも、ヅラのおかげで助かった命はたくさんあるよ」
「……だといいがな」

 先日、一緒に戦争へ出てきた友人が死んだ。爆発に巻き込まれたのだ。わたしもすぐそばにいた。けれど爆発の寸前、わたしは銀時に手を引かれて救われた。目の前で真っ赤な炎が燃え上がり、身体は爆ぜ、彼はあっという間に意思を持たない肉塊となった。
 彼には帰る場所があったはずなのに。わたしだけが生き残ってしまった。何もできず、わたしだけが。
 ——死んだ奴は運がなかった。てめえはたまたま生き延びた。
 高杉の言葉が耳にこびりついている。たまたまの確率って、どの程度なのだろう。考えても仕方がないのに、やめることもできない。考え続けることをやめたら、薄れて、いつか消えてしまいそうだった。

「眠れんのか」
「目が冴えて……」

 ヅラが溜め息を吐く。

「眠れなければ羊でも数えろ。ちゃんと汚れは落とせよ。まだ冷えるから布団はかけて、あと鍵はかけろよ。おまえの部屋にはちゃんと鍵がついてるんだから。劣化してるから、ちゃんと閉まってるか確認をしてから……」 
「お母さんか」
「お母さんじゃない桂だ。というかお母さんはないだろう。せめてお兄ちゃんと呼べ」
「ええ、そういう趣味……?」
「違うわ!」





「ヅラぁ、今日こそ行くぜよ!」
「ヅラじゃない桂だ!」

 耳にたこができるほど聞き飽きた台詞が響く。
 日が暮れると、今日も男たちは遊郭へ繰り出す算段をしている。辰馬は顰めっ面のヅラの肩に腕を回し、美人がいるだのおっぱいのでかい子がいるだのと嬉々として語っている。
 女を抱きたいという気持ちは男によっては当然の感情であり、生理現象を治めるために必要なことなのだろう。況して、毎日むさ苦しい男に囲まれていれば、優しくていい匂いのする女性に会いたくもなるのかもしれない。が、そういうことは、普通隠れてするものなのではないのだろうか。堂々と仲間を引き連れて行きたいものなのだろうか。それが理解できない。
 玄関先で遊びに行く男たちが屯する様を、わたしは遠巻きに眺めていた。辰馬は毎度のことだし、高杉も銀時もいる。正直なところそこまでやりたいかと辟易するが、性欲を処理して明日も全力で戦えるのなら、必要なこととして目を瞑る。所詮、わたしには介入できない領域だ。

「今日の見張りはどうするのだ」

 ヅラは辰馬の腕を鬱陶しそうに避けながら言った。辰馬はおん? と返事をしたが、すぐに別の声が重なる。

「桂さん、今日は俺らが残りますんで、心配いらないですよ」

 任せてください、と胸を叩いたのは、二人の男だった。顔は知っているが名前までは知らない。おそらく特定の部隊に入っているわけではなく、その場で不足している部隊に入るだけの兵だろう。年齢はわたしと大差なさそうだった。

「おお、そうかそうか! 悪いのう、じゃあ今夜は任せたぜよ!」

 辰馬は上機嫌で彼らの肩を叩いた。ヅラは大義名分を失い、げんなりした表情をしていた。

「人妻プレイもしてくれるってよ」

 が、銀時の言葉に途端に目の色を変えた。人妻プレイとは具体的にどういうことだろう、と銀時に詰め寄っていく。堅物だと思っていたが、案外普通の男だった。しかも性癖が特殊だ。わたしはさっさと建家に戻った。

 里へ降りていった仲間を見送ってしばらく経った。高杉に教わった刀の手入れをしていたが、肩が凝って伸びをする。窓の外を覗くと、黒い空にオレンジ色の月があった。低い位置からこちらを照らしている。
 屋内に残っているのはほんの数人だ。皆寝ているのか、聞こえてくる蛙の声以外に音と呼べるものはない。静まり返る空間に、不気味な月明かり。人心地がつかず、刀を仕舞って早々に布団に潜った。
 瞼を閉じて間もなくして、不意に窓が揺れたので身体を起こした。しかし、窓の外には誰もいない。獣の影もない。風でも吹いたのだろうか。不思議に思いながらも再び布団に入ろうとしたところで、今度は部屋の引き戸が揺れ始めた。古い木製の戸が上下に激しく動いている。
 わたしは息を飲み、枕元の刀を手に取った。敵襲? 見張りは——?
 じっと揺れる戸を見つめる。錆びた南京錠が外力に負け、外れて落ちる。鞘から刀身を抜き、構えたそのとき、開いた戸から顔を出した人物と目が合った。見張りの男だった。

「うお、なに刀抜いてんですか」

 驚く男に拍子抜けした。体の力が抜ける。

「なにって……アンタこそ、なんで」

 声かければいいじゃない、と言おうとして、はっとした。男の後ろからもう一人、見張りの男が現れた。ずかずかと部屋に入ってきて、わたしの手を容赦無く爪先で蹴り飛ばした。離れた刀が畳を滑り、布団に引っかかる。背後に回り込まれ、背中からのし掛かられる。後ろ手を拘束する乾いた感触は、縄のようだった。

「なにをっ」

 暴れ回ると、猿轡を嵌められた。薄い手ぬぐいを何重にも重ねてある。
 仰向けにひっくり返される。背筋を駆使して勢いよく男の股間に蹴りを入れた。

「このクソアマ!」

 蹴られた男がわたしの髪を掴む。しかし、もう一人の男が「顔はやめろ」と制する。眼前にまで迫った拳がぴたりと止まる。男に忌々しげに髪を離され、頭を畳に叩きつけられた。

「足も縛れ。外行くぞ」

 抵抗は呆気なく制され、足首も縄で雁字搦めにされた。腕と足をそれぞれ掴まれ、外まで運び出される。
 濡れた風の匂いがする。呻くような声が虚しく口内に籠る。必死に目を回しても人っ子一人おらず、手ぬぐいを噛み締めた。
 建家の裏に回り、林の中をしばらく進んだ場所に放られた。地面に腰から落ちて顔を歪める。男を睨むと、嘲笑を向けられた。歪に吊り上がった口角と、爛々とした双眸が光る。ぞっとするような光だった。
 ひとりがわたしの腰に跨った。

「おい、一人ですんなよ」
「交代でいいだろ。三人でやんの?」
「おまえハメたら抜かねえだろ。上下一緒でよくね?」
「バカ、猿轡取ったらうるせえだろうが」

 すぐには会話の内容がわからなかった。ただ不快感と怖気が全身を駆け巡る。

「確かにそうか。口さえ開かなきゃいい女なんだよな」

 生温い掌が降りてくる。着物の合わせ目から素肌を撫でられると、身体がびくりと跳ねた。目を丸くして見上げると、男がにやりと笑った。競り上がってくる恐怖に、身体が強張る。

「いい顔だな。すげえ興奮する」
「しゃべってねえでさっさとやれ」

 帯を強引に解かれていく。喉に大きな石が詰まっているかのように声が出ない。耳元で生唾を飲む音がする。蛙の声が同じ高さで聞こえてくる。指一本、動かすことができない。着物の裾が捲られ、ぞわぞわと寒気がする。
 肌を滑る空気が生ぬるい。風はどこまでも湿っているのに、身体を這う手は乾いている。視界の端に、黒百合が咲いているのが見えた。
 目尻から視界が霞む。ぎゅうと強く目を閉じると、熱いものが滲んだ。そのときだった。

「何してんの」

 第三者の声に、全員が動きを止めた。目を開くと、月を背にした白髪が見える。
 わたしに跨っていた男が引き攣った笑みを浮かべている。もう一人の男は、狼狽した様子でよろめきながら立ち上がった。後退りし、声を上擦らせる。

「銀時さん、遊郭に行ったんじゃなかったんですか」
「何してんだって聞いてんだけど」

 銀時が繰り返す。ひどく冷たい声音だった。二人の男が唾を飲み込む。数拍の沈黙がやけに重く長く感じた。銀時は二人から目を逸らさない。目尻から落ちた雫が、土に染み込んでいった。
 口火を切ったのは、立ち上がっていた男だった。忙しなく身振り手振りを交えて口を動かす。

「いや、ちょっとした喧嘩ですよ。この女があんまりにも生意気なもんだから、ちょっと行き過ぎちまったっていうか、これはその、冗談で。別にそういうつもりじゃないし、一回痛い目遭わせてやろうと思っただけなんすよ」
「どうでもいいけど」

 言葉尻を聞く前に銀時が遮る。ゆらりと男に一歩詰め寄る。

「てめえら、そいつが俺の女だって知ってて手ぇ出してんの?」
「えっ?」

 二人の男が揃って素っ頓狂な声を上げた。

「そいつ、俺の女。わかってて、それ相応の覚悟があってやってんだよな? なぁ、オイ」
「……え、銀時、さんの」

 未だ跨っている男の肩を銀時が押す。男はぽかんと口を開けたまま、されるがままに退いた。
 銀時は膝を着き、わたしの猿轡の手ぬぐいを外した。肺いっぱいに酸素を取り込み、息を吐く。続けて銀時は腰の刀を抜き、わたしの腕と足に巻かれた縄を切り落とした。手首にはくっきりと縄の痕がついていて、皮膚は紫色に変色している。それを見つめていると、正面から羽織で包まれた。
 銀時はわたしの膝裏に腕を回し、軽々と抱き上げる。頼りない浮遊感に思わず銀時の着物の胸元を握る。銀時はわたしを一瞥し、二人の男に向き直った。

「今俺が言ったことを他言したり、またコイツに近付いたりしたときは、てめえら戦で死ぬまでもねえ。その汚ねぇ首と粗チン、この白夜叉が掻っ切ってやらぁ」

 二人が青褪めて震え上がる。銀時が歩みはじめると、眼下には墓石と、供えた花が見えた。落ちないように着物を握った手は、情けないほど小さい。そして、小刻みに震えていた。

「銀時」
「喋るな」

 すぐに制され、黙り込む。わたしを抱える手に力が籠もっていた。
 無言のまま建家に入った。涙を拭い、銀時の胸を叩く。

「歩けるから下ろして」

 床に下ろされ、羽織の中で着物を整えた。白い羽織を銀時に返し、「なんで戻ってきたの」と小さく訊ねる。銀時は「別に」と返した。

「……お気に入りの子が取れなかったとか」

 銀時が黙る。無言は肯定だろう。

「当たり」
「うるせえ」

 銀時は羽織を受け取り、部屋まで送ると言って廊下を先に歩いた。部屋の前で床に転がった南京錠を見ると、銀時は眉を顰める。元々わたしが寝床に使っている部屋は物置だったようで、三畳ほどしかない。壁には蜘蛛が巣を張り、天井にはシミができている。環境は決して良いとは言えないが、一人で使える部屋がここしかないので仕方がなかった。
 銀時はわたしを振り返り、きっぱりとした口調で言った。

「今日から俺の部屋で寝ろ」
「え……銀時は?」
「付き合ってるみてえなこと言っちまったし、同じ部屋のがいいだろ」

 それは同じ部屋で二人で寝るということか。当惑するわたしに銀時が眉間の皺を深くする。

「襲やしねえよ。俺はあのクズ共と違ってそこまで飢えてねえの」
「でも……」
「心配なら身動き取れないように簀巻きにしろよ。柱に縛りつけて目隠ししてもいいし」
「そ、そこまでしなくていい」

 想像した光景が妙に生々しく感じられてかぶりを振った。銀時は「そう?」と何でもないような顔で言って、じゃあ行くかと自室へ向けて踵を返した。
 大半の仲間は大部屋で複数人で寝ていることが多かったが、仲間内でもリーダー格の人間——ヅラや高杉もそうだった——は個室を持っていた。銀時は決まった部下を持っていなかったが、酒を飲むといびきがうるさいことや、夜襲を仕掛けることがあるので個室があった。

「俺が床で寝るから、おまえは布団使え」

 六畳ほどの部屋には、布団が敷きっぱなしになっていた。抜け殻のように掛け布団が空洞を作って盛り上がっている。家具は無く、窓もない。障子越しに月明かりが差し込んでいる。

「手首見せろ」

 銀時に言われ、手首を見せる。内出血の痣がくっきりと出ている。冷やしたほうがいいかと言って、銀時の手が触れそうになった。瞬間、わたしは鼠のように素早い動きで手を引っ込めた。あ、と思ったときには遅く、銀時は何も悪くないのに眉を下げた。

「やめとくか」
「ううん、ちがう。ごめ……」
「痕にはならねえだろ。もう寝ようぜ」

 障子を隙間なく閉める。銀時はこちらに背を向け、入り口前で横になった。わたしはごめん、ともう一度小声で謝ってから、そろそろと布団に入った。銀時に背を向けて枕に頭を乗せる。

「……くさい」
「なんか言いました?」

 苛立った口調で返され、少しほっとした。けれど、瞼を閉じる気にはなれなかった。
 目と鼻の先にある自分の指先を訳もなく見つめる。布団の中はまだ体温が移らず、薄ら寒い。自分の体を抱きしめ、足を折り曲げて丸くなる。押し止めたはずの涙が溢れそうになり、ぐっと堪えた。布団に頭まで潜り込み息を潜める。
 畳の擦れる音に、心臓が跳ねた。すうっと障子が開く音が続く。

「部屋の前にいる」

 一言残して、銀時は部屋を出ていった。布団の中から覗くと、黒い影が月明かりに照らされていた。





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