快臨丸は最新設備を搭載する宇宙艦隊だが、医務室だけはすこぶる狭い。薬品棚と急患用のベッドを置けば人の居所はなく、わたしは正方形の小さな机の前で生活する。尤も、戦艦ではなくただの商船で怪我をする者などまずいないので、それほど不便もしていなかった。
 大事なのは、それほど、というところだ。困ることもある。

「ナマエ、すまんが急患じゃ」

 副艦長の陸奥さんがドアを開けて狭い通路を縫ってくる。彼女の細腕に引き摺られてきたのは、艦長の辰馬さんだった。辰馬さんは雑巾のように放り投げられ、床に倒れた。顔には青痣ができている。どうやら商談で失敗し、カタギでない顧客に手酷い扱いを受けたらしい。
 辰馬さんは身長百八十を超える大柄な男性で、狭い医務室のベッドでは足ははみ出るし、運ぶのも一苦労だ。なのに陸奥さんは彼を運ぶのを手伝ってはくれない。陸奥さんは辰馬さんを人間として信頼しているらしいが、何分日頃の鬱憤が溜まっているせいか彼に対して雑だ。

「これから大口の取引先と会談じゃき、動けんようにしておいてくれると助かる」
「商談? 辰馬さんいなくてもいいんですか?」
「その顔で出られちゃ契約破棄されても文句言えんぜよ」

 笠を目深に被り直し、陸奥さんは髪を翻して医務室を出ていった。相変わらずクールだ。快援隊は実質、副艦長の陸奥さんが実権を握っている。辰馬さんがいなくても大概のことはうまく回るし、寧ろ辰馬さんが持ち込む厄介事が無くなり、より商売が円滑に進む可能性さえある。それでも、辰馬さんの存在は唯一無二だ。
 わたしは辰馬さんの両脇に手を差し込み、やっとベッドに乗せた。気を失っている人間の体は重い。片足が落ちて下駄が脱げる。どうせだからと両足脱がせ、床に揃えて置いた。顔を覗き込むと、目元や頬に痣がある以外は外傷はないようだった。歪んだサングラスを外し、とりあえず氷嚢で冷ましておくことにする。
 氷嚢を頬に当てると、辰馬さんの目がぱっと開いた。「あ、起きた」と思ったままを言うと、辰馬さんが勢いよく起き上がった。氷嚢が飛んでいって床に落ち、わたしは驚いてたじろいだ。

「ナマエ? な、なんでナマエがここにおるんじゃ」

 辰馬さんは狼狽えながら訊ねた。なんでって、そもそも宇宙で派遣医師をしていたわたしを辰馬さんが呼んだのだ。常駐ではないが、月に一度くらいは快臨丸に来ている。
 床に落ちた氷嚢を拾い、埃を払う。

「陸奥さん、会談に行っちゃいましたよ」
「おお、そうか……」
「辰馬さんはまずその顔治さなきゃですね。あ、サングラス歪んでたので外しましたよ」

 蝶番がひしゃげているサングラスを渡す。辰馬さんは「すまんの」と言った。それは地球にいる高齢の祖父のことを思い起こさせるような、曖昧な口振りだった。はて、辰馬さんは以前はもっと快活な人ではなかっただろうか。初めて会ったときは、そういえばウチには医者がおらんぜよ、たまにでいいから来てくれんかのう、まあ怪我なんかするのは大体わしじゃき、と豪快に笑っていた。それが今は妙にしおらしい。
 サングラスの調子を確かめる辰馬さんの顔がやや俯いている。氷嚢を当てたいのに。身を乗り出し、辰馬さんの頬に右手を添えた。無理やりに顔を上げさせると、左手で氷嚢をひたりと当てた。一重のすっきりとした目がわたしを見上げる。かと思ったら、ベッドから仰向けに辰馬さんが転げ落ちた。彼は壁とベッドの隙間に折れ曲がって収まった。

「なっ何してるんですかもう!」
「わしは何もしちょらん! ナマエが……」
「何です?」

 辰馬さんが口籠る。わたしが何だと言うのだ。言わんとすることがわからず、ひとまず辰馬さんの腕を引いてベッドと壁の間から引っ張り出す。よろよろと立った辰馬さんは、しゃんとするとわたしを優に見下ろせる位置に顔がある。何か言いたげな顔でこちらを見つめるので見返すと、歪んだサングラスをかけて視界をシャットアウトしてしまった。何なんだ、いったい。

「な、なんでもないぜよ。世話になったのう」

 世話などしていない。辰馬さんがわたしの横を素通りして医務室を出て行こうとするので、呼び止める。

「下駄! 辰馬さん!」

 しかし、裸足の辰馬さんは戻ってこなかった。
 本当に、何なんだ。





 快援隊は宇宙を股に掛ける商社なので、もちろん地球に降り立つこともしばしばある。そういうときは、大抵わたしにも声がかかる。いつまでも独り身のわたしを心配する家族に顔を出す意味合いもあるが、目下の目標は不足する医薬品の買い足しだ。異星で買えるものもあるが、地球産ほど信用できる品はない。

「日本語安心する〜」

 薬局で商品を手に取っては籠に入れていく。何度か来ている店なので、店主とは顔見知りだ。わたしが宇宙を飛び回る医者だと知って酔狂な奴だと鼻で笑われたのは記憶に新しい。国境どころか星を越えていく馬鹿はおまえくらいだと言われた。

「相変わらず商船なんぞに乗ってるのか?」

 店主は昼食のカップラーメンにポットからお湯を注ぎながら訊ねた。白衣の下にある贅肉が窺えるふくよかな背中を見る。

「声かけてくれるし、お給与もたくさんいただけるし、悪くないですよ」
「地球に腰を据えりゃいいと思うけどなぁ」

 尤もな意見だと思う。家族にも帰ってこいと言われる。ターミナルができてから一般人でも宇宙旅行が容易くなったが、際限のない宇宙はまだまだ未知の世界だ。心配するのは当然だ。

「それが現実的で堅実だとは思うんですけどね」

 店主はカップラーメンの蓋を閉じ、キャッシュトレイを上に乗せた。がらんどうの店内には客はわたししかいない。
 地球はいいところだ。中でも生まれ故郷のこの国は、水はきれいで空気も美味しい。母の胎内を恋しく思うのと同様に、遺伝子にそう感じるよう組み込まれているのだろう。その証拠に、地球にいる間はとても落ち着くし、景色がよく見える。でも、わたしは夢見るように焦がれている。真っ暗な闇に浮かぶ、無数の星に。
 高く晴れた空を見上げると、無骨な船が飛んでいる。星はまだ見えない。往来には我が物顔で闊歩する天人もいれば、地球人もいる。人種も思想も入り乱れるこの世界で、成したいことがある。

「救いの手を待っている人がいるなら、そこへ飛んでいきたいんです。人間も天人も関係ない。わたしたちは全知全能じゃない。だから、手を取り合わないといけないでしょう?」

 店主はまた鼻で笑った。

「夢物語じゃねぇか。そんなの語ってるようじゃ、笑われて嫁の貰い手もねえぞ」

 一蹴され、わたしはむっとした。

「真面目に聞いてくれる人だっています」
「はいはい。じゃあちょっと俺ァ奥で飯食いながら多毛さん見るから。店番シクヨロ」
「古い……」

 死語どころかとっくに昇天した言葉を残し、店主は店の奥へ消えていった。わたしは籠を持ったまましばらく立ち尽くし、仕方がないのでカウンターの中へ入った。足元に籠を置いて丸椅子に腰掛ける。数度しか会ったことのない客に店番を任せるなんて、どういう了見だろう。よほど信用されているのか、それとも単にザルなだけなのか。
 テレビの音を聞き流しながら、店の外を通っていく人並みを眺める。船を降りてからは辰馬さんや陸奥さんとは別行動をしている。彼らには仕事があるし、他の船員たちも各々自由に過ごしている。わたしは買い物が終われば特に用事はない。今夜は泊まりだから、実家に連絡でも入れておこうか。携帯電話を懐から出していると、店先で大きな物音がした。
 道路に面した棚が盛大に崩れている。崩れているどころか、商品は雪崩れ落ちて棚が壊れている。チンピラ三人が笑いながら商品を踏みつけてじゃれ合っていた。壊れた棚には目も向けない。

「ちょっと、何してるんですか!」

 店の前に出ると、三人が一斉にわたしを睨む。

「あ、何? わざとじゃないんですけど」

 大方ふざけ合っていてぶつかってしまったのだろう。しかし、悪怯れる様子もないその態度はいかがなものだろう。人の店とはいえ、大事な商品を無惨に踏まれて腹が立つ。見下ろしてくる眼光に怯まないよう、自分を奮い立たせて毅然として立ち向かう。

「弁償しろとは言いません。直すのを手伝ってもらえますか?」
「はぁ? わざとじゃないのに?」
「あなた方が壊したんでしょ。わざとじゃなくても直すのが筋じゃないですか」
「俺たちが壊したの見たのかよ!」
「これじゃお客さんが困ります」
「オメーの店がどうなろうと知ったこっちゃねえんだよ! 第一客なんかいないじゃねえか!」
「た、確かにいませんけどそのうち来ます!」
「そのうちっていつだよ!」

 三人が下品な笑い声を上げる。通り過ぎる人々の視線を感じるが、それは当然のように通り過ぎていく。大変そうね、誰か助けてあげなさいよ——。他人事なのだから当たり前だ。そうして見て見ぬふりで過ぎ去って、誰もわたしの言葉に耳を傾けない。胸に秘めた夢だって、そんなのは綺麗事だとか、叶いっこないと決めつけて、まともに取り合ってくれない。
 でも——。正面から向き合って、聞いてくれる人だっていた。馬鹿にせず、ちゃんと聞いてくれる人がいた。

「すいません、これください」

 独特の土佐訛りが、笑い声に滑るように割り入ってくる。
 もさもさと膨らんだ髪に、ラウンド型のサングラス。赤いロング丈のジャケット。
 辰馬さんはチンピラたちが踏みつけた絆創膏を屈んで拾い、わたしに差し出した。土汚れのついたそれは、折れて破れている。
 呆気に取られるわたしに、辰馬さんがにっこりと笑いかけた。

「久しぶりの帰省っちゅうのに、ナマエは仕事熱心じゃ」
「えっ? いや、ここは人のお店で……」

 突然現れた大男に、チンピラたちはわたし以上に呆然としていた。が、すぐに目を見合わせ、一人が辰馬さんに詰め寄る。

「オイおっさん。俺たち、今この女に因縁つけられて頭きてんだよ」

 辰馬さんがチンピラを見遣る。笑顔が崩れないのはさすがだと思う。

「ほう、どんな因縁ですか?」
「見てもねえのに俺たちがこの店壊したって言うんだよ。ひでえだろ」
「あなたたちしかいないでしょ!」

 思わず語気が強まる。チンピラがわたしを睨む。

「このアマ、あんまり舐めたこと言ってると」

 チンピラが一歩踏み出し、わたしへ向けて手を伸ばしてくる。殴られる。瞬時に目を閉じる。が、衝撃はいつまで経っても来ない。そうっと目を開けると、目の前で拳が止まっていた。
 お客さん、と低い声がする。伸びかけた腕を辰馬さんが掴んでいた。掴まれた腕が小刻みに震えている。
 チンピラの顔が歪んでいくのと、辰馬さんの顔から表情が消えていくのは同時だった。消えた表情には、静かに怒りが滲んでいく。

「わしは商売人じゃき、お客さんの言葉には誠心誠意応えにゃならんと思っちょります。お客さんあってこその商売じゃ。当然のことです」
「クソ、離せっ」
「でも、人様の店のために怒る大事な仲間の声を、それよりも信じちょります。わしはナマエの言葉を、信じます」
「はぁっ?」
「それと、二度とこの女にクソなんて汚い言葉を使わんでください。睨むのも触るのもやめてください。彼女はわしらにとって、わしにとっては、何物にも代え難いほど大事な人です」

 チンピラはやっとのことで辰馬さんの手を振り払い、赤くなった腕を摩った。そして視線を右往左往させ、行くぞ、と言って去っていった。後を追うように、他の二人も去っていく。最後に「俺たちは客じゃねぇ!」と捨て台詞を残して。
 辰馬さんは「治安が悪いのう」と肩を竦めた。その表情からは既に怒りは消え、いつもと同じ飄々とした雰囲気に戻っていた。そしてやれやれと腰を落として、地面に散らばった商品を集めていく。わたしも慌ててそれに倣った。
 あの、と声をかけようとして、ふと店の奥の暖簾から店主がラーメンを啜りながらこちらを見ていることに気が付いた。目を細めてじいっとこちらを見たかと思うと、途端に破顔する。

「おお、坂本社長!」
「おん?」

 店主が大きな足音を立てながら出てくる。辰馬さんはきょとんとしていた。

「坂本社長じゃないですかぁ。いやはや、その節はどうも!」

 辰馬さんの手を握り、店主は一方的に挨拶をした。辰馬さんは店主が誰なのか、何のことを言われているのかわかっていないようで、はあ、と生返事をしている。その様子に気付いた店主が、ほら、あれですよと小指を立てる。

「社長のおかげで女房とヨリを戻しまして。いやぁ、今まで敬遠してたけどオモチャってのも案外」
「あーあー! あのときのですねぇ!」

 言葉尻を遮るように辰馬さんが大声を上げ、握手した手を振り回す。こめかみに冷や汗が見える。
 
「どうですか、また新商品があったら」
「そうですねぇ今は何とも言えんので!! その話はここではちょっと!!」

 普段から声の大きい辰馬さんが更に声を張り上げているので耳が痛い。話の流れがわからない。
 店主は片付けは自分がやると言い、辰馬さんとわたしを店の奥へ押し込んだ。なんで坂本社長と知り合いだと言わんのだと恨み言をおまけに。そういえば商船に世話になっていると言っただけで、社長の名前は話していなかった。宇宙は広いのに、世間は狭い。
 店舗から繋がる自宅の狭い和室では、お昼の人気番組が流れていた。お茶でも飲んでてくださいとおべっかを使われたので——わたし一人なら絶対にそんなこと言わない——、言われた通りにお茶を淹れた。ちゃぶ台に向かい合って座り、お茶を飲む。辰馬さんは胡座をかいて、膝を所在なく揺らしていた。

「あの、辰馬さん」
「なっなんじゃ、言っとくがいつもいつもいかがわしいもんを売ってるわけじゃ」
「なんの話ですか? ちゃんと聞いてください」

 狼狽えた辰馬さんが静かに体を落ち着ける。湯呑みを傾ける辰馬さんへ、静かに訊ねる。

「わたしをずっとそばに置いてくれませんか?」

 ブホッと辰馬さんがお茶を噴いた。サングラスをかけた顔面がびしょ濡れになっている。

「もう何してるんですか。タオル……」

 辺りを見回すが、それらしいものはない。辰馬さんはちゃぶ台の上の台拭きを手に取った。薄汚れているそれで顔をガシガシと拭く辰馬さんを見ながら、まあいいかと話を続ける。

「今までいろんな場所を点々としてたけど、快援隊にずっと置いてもらいたいんです。あ、もちろん辰馬さんがこれまで通り、ときどき来るだけでいいって言うならそれに従います」
「そんなこと言うわけないぜよ!」

 辰馬さんが勢いよく顔を上げる。真正面から目が合う。まっすぐな眼差しは揺らがない。
 そういえば、以前もそうだった。辰馬さんに、わたしの夢を話したとき。地球人だろうと天人だろうと、手を取り合って生きていきたい。この宇宙のどこかにわたしを待っていてくれる人がいるなら、どこへだって行く。辰馬さんは笑いもせず、馬鹿にもせず、自分も同じだと話してくれた。相手が誰でも手を取り合いたい。商いには人を繋ぐ力がある。わたしたちの目指すものは同じ場所にある。
 迷いのない言葉と眼差しに、ほっと息を吐く。

「よかった。断られたらしばらく立ち直れないと思ってました」
「断るわけなかろうが。わしはずっとそう思うちょった」
「はい?」
「だから、ナマエがずっとおってくれたらいいと……」

 取引先やお客相手にはつらつらとしゃべる辰馬さんが言い淀んでいる。手の中の台拭きを揉んだり広げたりする様は、とても詐欺師と称される人には見えない。ちぐはぐな様に、思わず笑った。
 辰馬さんの後ろのテレビでは番組のエンディングが流れている。噴き出したことで減ってしまった辰馬さんの湯呑みに、お茶を注ぐ。急須にお湯を足すために腰を上げ、電気ポットを押す。
 快活で豪快で、暗闇を星も月も、果ては石ころまでを拾い上げて進んでいく。そんな船の先頭を笑いながら行く。この人とだったら、分不相応だと揶揄された無謀な夢も叶えられるかもしれない。けれどそれは、とても時間のかかることだろう。もしかしたら、一生かけても足りないのではないだろうか。

「辰馬さん、一生お世話になるかもしれません」
「……もうわしは惑わされん。その手には乗らん」

 振り返ると、辰馬さんは顰めっ面をしていた。表情豊かで飽きないが、いまいち考えが読めない。急須を持って座り直す。

「一生は言い過ぎですかね。でも、悪くないと思うんですよ」

 辰馬さんは湯気の立つお茶を飲んでいる。サングラスが曇っている。

「わたし、辰馬さんのこと好きですから」

 ブホッと辰馬さんがお茶を噴いた。デジャヴ?





星を引き連れて





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*匿名さん 坂本辰馬
1周年お祝いありがとうございます!皆様の一言がすごく励みになってます……今後ものんびりやっていきたいと思います。銀魂はもちろん、図々しいですがこちらのサイトも楽しんでいただけると嬉しいです。
クールな夢主に片想い辰馬というリクエストでしたが、土佐弁然りキャラ然り辰馬が難しく……!でもキレる辰馬が書けて楽しかったです。ご期待に添えていればいいのですが……
これからもどうぞよろしくお願いします!リクエストありがとうございました!







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