万事屋従業員Sの話
稀に見る当たりの依頼だった。依頼内容は家出息子を探してほしいというありきたりなものだったが、報酬は破格の金額だった。二つ返事で了承し、そして依頼は難なく完遂した。代金を受け取り、更に食事までご馳走になることになった。依頼主は丸いお腹の見た目通り、太っ腹だった。
案内されたのは、路地の隙間にひっそりと佇む小料理屋。神楽ちゃんは焼肉がよかったとぽつりと呟いた。悲しいかな、僕らの貧乏舌は質より量を重視する。せっかく連れてきてもらってるんだから、と窘めはしたものの、僕も同感だった。
店内は外から見た通りの広さだった。カウンターがあり、席が五つ。しかし、無駄な装飾は一切ないので狭くは感じない。極限まで不要なものを省いた、といった感じだった。殺風景な空間をあたたかな色の照明が包んでいる。
カウンターの奥から、依頼主、銀さん、神楽ちゃん、僕の順で座った。僕の位置からは、厨房に繋がっているのだろう、通路と暖簾が見える。
「ここの板前さんが、若くて別嬪さんでね。もちろん腕もいいんだが、彼女目当てに来る客も多いんだよ」
依頼主は、僕は嫁さん一筋だけどね、と茶目っ気たっぷりに付け足した。しかし、銀さんは別嬪さんという言葉にしか反応していない。尻が浮かんばかりの勢いで食いつく。
「じゃあ一発、じゃねえや、一杯酌してもらわねえとな」
「いやぁ、彼女は温和に見えて案外頑固だから、そう簡単にはねぇ」
銀さんと依頼主が話していると、暖簾の奥から足が見えた。現れたのは割烹着姿の女性だった。若くて別嬪さん。すぐにこの人が板前の女性だとわかった。
「いらっしゃいませ。ごめんなさい、お出迎えもせずに」
「いいよ。早く着いてしまったのはこっちだから」
依頼主は鷹揚に手を振った。板前の女性は相好を崩し、柔らかく微笑んだ。しかし、すぐに席を見渡して首を傾げる。
「四名様じゃありませんでした?」
えっ、と声が出た。席は、奥から依頼主、神楽ちゃん、僕——。銀さんがいない。つい今し方まで、依頼主と神楽ちゃんの間に座っていたのに。
神楽ちゃんは身を屈めてカウンターの下を覗いた。「何してるアルか、銀ちゃん」と怪訝な様子で訊ねる。僕も覗くと、そこには頭隠して尻隠さず状態の銀さんがいた。銀さんの突拍子もない行動には慣れているつもりだが、こんな立派な店で何をしているのやら。
「何してんですか、銀さん」
気まずそうな尻がもぞもぞと動く。呆れていると、頭上で声がした。
「銀さん?」
顔を上げる。板前の女性が、目を丸くしていた。そして、もう一度「銀さん」と声に出す。僕と神楽ちゃんは顔を見合わせ、揃ってカウンターの下を覗いてみる。やはり、銀さんの顔は見えなかった。見えるのは、やはり居心地が悪そうな尻だけ。
◇
万事屋従業員Kの話
銀ちゃんの様子がおかしい。かれこれ一時間、真っ暗闇の窓の外をジイっと見ている。ジイっと、というより、ぼんやり。
私が「銀ちゃんのプリン食べるアルよ」とこれ見よがしにプリンを掲げても、「おー」とか「んー」とか言うばかり。金にも甘味にもがめつい銀ちゃんなら、いつもならすかさずプリンを奪い返しにくるのに。明らかにおかしい。
冷蔵庫を閉め、プリンの蓋を捲る。プラスチックのスプーンは簡単にプリンを裂く。食べながらソファに戻り、テレビをつける。ピン子のドラマをやっている。銀ちゃんも欠かさず見ているけれど、こっちを全然見ない。私は少しつまらない気分でプリンを三口で食べ終えた。
そういえば、帰り道から銀ちゃんは上の空だった。今日の夕飯は、小料理屋? というところだった。狭くて小さなお店で、でも味はまあまあ。茶碗蒸しと、蓮根のお団子がおいしかった。デザートはサービスだと言って、甘夏のゼリーを出してくれた。甘くて酸っぱくて、ちょっとだけほろ苦かった。もしかしたら、あれがよくなかったのかもしれない。銀ちゃんはデザートは甘いものだと思ってるのかもしれない。いい年してガキみたいなところがあるから。
そう思うと、プリンを食べてしまったことが申し訳なくなった。これはヤツのお楽しみだったに違いない。
「……銀ちゃん、プリン買ってくるアルか?」
「おー。ウンコなら我慢すんなよ」
「……誰がそんな話したんだヨ、ウンコ侍」
無駄な気を遣った。ふんと鼻を鳴らして座り直す。どうせパチンコとか競馬とか、そんなことを考えてるだけだ。気にするだけ損だ。背を向け合っている私たちを定春が不思議そうに見ていた。
ドラマの中では、息子が浮気をしたと大問題になっている。さめざめと泣く若い嫁。ピン子はこんなときでもしゃんとして、嫁を宥めている。
——昔の恋人なのよ。
——信じられないわ。もう何年も前に別れて、音信不通だった女をまだ好きだと言うのよ。
息子の浮気相手は元カノ。どう見ても、嫁より元カノのほうが美人。でも、浮気なんて許されない。そういえばパピーはマミー一筋で、浮気のうの字もなかった。……モテないだけか。
ガタッと音がした。銀ちゃんが社長椅子から立ち上がっていた。私と定春は揃って立ち尽くす銀ちゃんを見る。
銀ちゃんは急に足早に歩き出す。和室に入り、しばらくすると出てきた。俯き気味だったから顔は見えなかった。
「どうしたアルか」
「……ちょっと呑み行ってくるわ。戸締りちゃんとしろよ。歯磨いて寝ろよ。それから」
「わかってるヨ、何アルかいきなり」
そうか、と言って、銀ちゃんは出ていった。定春が心配そうにその背中を見送った。
画面は切り替わって、浮気相手と旦那のシーンになった。まだ好きなの、と泣きそうな顔で女が言う。旦那の目がぐらぐら揺れていた。
◇
からくり家政婦Tの話
今夜のスナックお登勢は、大変繁盛していました。つまみの材料が無くなり、私は買い出しに出ていました。お登勢様に渡されたメモの通りに買い物をして、帰路に着いていたときのことです。橋の上に銀時様が立っていました。欄干に腕を乗せ、頬杖を着いています。
いつになく憂いを漂わせる佇まいに、声をかけたほうがいいのか考えました。ですが、素通りする理由もなく、「銀時様」と名前を呼びました。
「おお、たまか」
「どうされたんです? 家出ですか?」
「この年で家出とか、どんだけイタイ男だと思われてんだ俺は」
銀時様が力なく苦笑しました。目の奥に表皮の温度がデータになって表れます。体調が悪いわけではなさそうです。
「元気がありませんね」
「俺が元気溌剌だったことある?」
「ありませんね。逆に銀時様が元気溌剌だったら心配します」
「ひでえ奴だな」
ふっと気になるデータが映ります。銀時様の着物の袂、一カ所だけ冷たいものがあります。
「何を持ってらっしゃるんですか?」
銀時様は私の視線を追い、溜め息を吐きました。
「おまえに隠し事はできねえな」
銀時様が袂に手を入れます。出てきたのは櫛でした。細かな花を掘ったそれは、見るからに高級そうでした。おおよそ、銀時様の収入では買うことが出来なさそうな代物です。
「窃盗は犯罪です」
「盗んでねーわ!」
「冗談です。いくら社会の最底辺を這いつくばる銀時様でも、人道に反する行いはしませんよね」
「ぶん殴られてーのかてめーは」
「どなたかへの贈り物ですか?」
口元をひくつかせていた銀時様が、唇を引き結びます。口が軽い銀時様が何かを言い淀むときは、話したくないことを話すときではありません。本当に言いたくないことは、銀時様は素知らぬ顔で躱します。処世術というのでしょうか。
銀時様は簪を手の中で弄びます。水面までは届かない光も、私の目には眩しく映ります。
「昔、渡し損ねた」
櫛を男性に渡すとは考えられません。女性であると予想はつきますが、銀時様に親しい女性がいたとは、失礼ながら考えにくいです。ちゃらんぽらんで下品で、その上、天邪鬼なのでとてもわかりにくい愛情表現しかできない人です。私はからくりなので人の愛の育み方を本当の意味ではよく知りませんが、銀時様にとってそれは簡単なことではないはずです。それに、櫛を渡すという意味は——。データはあっさり出てきますが、銀時様とは縁遠いもののように感じます。
銀時様は、私に語りかけるというより、思い出を並べるように滔滔と話し始めました。
「俺にはもったいないくらい、いい女だったんだよ。商売始めたばっかりで、何も軌道に乗らねえ時期でよ。ふらふらしてたときに知り合って、食うに困ってるって話したら、メシ食わせてくれた。まあ心配になるくらい、底なしのお人好しだった。コイツ、この街でやっていけんのかな、大丈夫かなって思って、なんとなくちょこちょこ会うようになって、でも俺ァ金もねえし仕事もねえし甲斐性なしだったし」
「今も変わってませんが」
「うるせーな。今よりひどかったんだよ、そんときは」
話の腰を折ってしまいました。珍しく銀時様が自分のことを話しているのに、惜しいことをしました。銀時様は過去の自分を思い浮かべるように遠くを見つめ、ゆるゆると続けます。
「ちったあマシな人間になろうと思って、そんで、そいつとも、縁を切りたくなかったから。男らしく、ガツンといこうと思って、仕事探しまくって、金貯めて、これ買ってさ」
川面には月が映っていて、水流に合わせて形を変えています。漂う月が、薄く光っていました。
「……どうして渡さなかったんですか?」
「そいつ、板前になるのが夢でよ。急に言われたんだよな、京に修行に行くって。何年かかるかわかんねえし、帰ってくるかもわかんねえって。……引き止めるわけにいかねえだろ。努力してんのは知ってたし、況してや、何の目標もなくぷらぷらしてるだけの俺が、アイツの夢ぶっ壊すわけにいかねえだろ」
「……その彼女は、今は?」
「夢叶えてたよ。まったく、いつまで経っても追いつけねえんだもんな」
銀時様の指が、力を抜いていくのが目に見えてわかりました。咄嗟に私が手を伸ばし、辛うじて川に落ちかけた櫛を掴み取りました。冷たかったはずのそれは、銀時様の体温を移して温かくなっていました。
銀時様が目を丸くしています。私は櫛を握り締め、銀時様の手に乗せました。こんなにもまだ温かい気持ちを、あっさりと川に流してしまうのはもったいない。それを彼女に知らせずに終えてしまうなんて、あってはなりません。
「余計なお世話かもしれませんが、今からでも渡すべきではないでしょうか」
銀時様が眉を顰めます。小言を聞く前に追い討ちをかけます。
「銀時様は、自分の想いを彼女に言ってないのでしょう。勝手に終わった気になって、逃げているだけではありませんか。終わるなら、彼女にこれを渡して、潔く振られてきてください」
「えっ、振られる前提?」
「女性というのは男性よりも過去を引きずらない傾向があります。彼女が銀時様の顔を忘れている可能性もありますが……」
「発破のかけ方が辛辣すぎるんだけど」
「それも、会ってみなければわかりません」
銀時様の手を握り、櫛を無理矢理に持たせます。銀時様は掌を見つめ、夜空を仰ぎました。川面の月と違い、それは揺らいでいません。
◇
万事屋社長Gの話
暖簾の下げられた店の奥、薄らと明かりが灯っている。手汗を着流しで拭い、拳を作る。この戸を叩けば、彼女が出てくる。出てくるんだろうか、本当に。
心臓が痛いほど鳴っている。なんで昔の女に会うのに、こんなに緊張しなくちゃいけないのだろう。何の前触れもなく、道端ですれ違うだけのほうが余程気が楽だ。こうしてわざわざ会いにくるなんて、何か理由でもなければありえない。——理由なら、あるのだけれど。袂に仕舞い込んだ櫛の所在を確かめた。
拳が小刻みに震える。深く息を吐いて、手を下ろす。それを何度か繰り返した。
修行は何年かかるかわからないなんて言っておきながら、案外早かった。いっそのこと江戸に戻ってこなければ、彼女のことを忘れられていたかもしれない。しかし、そんなに都合良く人生は進まない。進むどころか、後退している。三歩進んで二歩下がるどころか、三歩進んで四歩下がっている。一生下がりっぱなしだ。
この店の中で、彼女を知覚した途端になぜ隠れてしまったのか、今では後悔している。新八や神楽に引っ張り出されて見たときの、彼女の驚いた顔が忘れられない。たまは彼女が俺のことを忘れているかもしれないと言っていたが、あの顔は忘れていなかった。でも、やはり女というのはドライだ。すぐさま仕事の顔に切り替わっていた。俺ばかりが彼女の一挙一動に気を取られていた。
サービスだと言って出された、甘夏のゼリー。昔、彼女が実家から送られてきた大量の甘夏の処分に困って、いろいろと食べ方を模索した中の一つにあった。ゼラチンで固めるだけの安上がりなものだったが、二人でいけるな、と言いながら食べた。
袂の櫛を出してみる。銀木犀の花が掘ってある。初めて会ったのが、銀木犀の木の下だった。名前を訊かれたので答えたら、俺にぴったりの名前だと笑った。よく覚えている。
路地は閑散としており、人気がない。店の前で何をするでもなく立ち塞ぐ俺は、傍から見れば不審者だ。再び滲んできた手汗を拭い、拳を作る。そのとき。足からぞわりと寒気がした。不意打ちに体が跳ね上がり、前のめりに倒れかかった。その拍子に、拳が店の戸を勢いよく叩いた。ガァンと激しい音が静寂を打ち破る。足元には、野良猫がいた。
真っ青になりながら猫を追い払う。しかし、すぐに足音が店の中から近付いてくる。狼狽し、しかし狭い路地に逃げ場などない。
——勝手に終わった気になって、逃げているだけではありませんか
たまの言葉が過ぎる。猫は室外機の上に飛び乗り、急ぎ足で去っていく。俺の足は動かない。
「どなたですか?」
戸の向こうから声がする。昔は、玄関から声をかければ相手を確かめもせずに開けていた。不用心だと言うと、銀さんだと思って、と警戒心のかけらもなく微笑んだ。そういうところが俺のような輩に付け入る隙を与えるのだと叱っておきながら、満更でもなかった。
数拍、黙り込んだ。しかし、明かりの中の影は動かない。意を決して「……俺」と呟く。
アホか、そんなのでわかるか——と思った矢先、戸が開いた。呆然とする俺の目には、彼女の少し焦ったような表情が。その表情の意味がわからない。一歩踏み出すこともできない。
「銀さん?」
眉を下げた彼女の口からこぼれる名前。瞬く間に双眸が、波紋が広がるように波打つ。
「銀さん」
彼女の頬に、ほろりと涙が落ちる。ぎょっとして固まる。彼女の体が埋もれるように胸に飛び込んできた。どぎまぎしつつ、宙に浮いた腕をそろそろと背中に回すと、嫌というほど思い出す。匂いも肌触りも、分け与えられてきた愛しさも。澱が溜まり、荒んだ心のうちを溶かしてくれた、何の悪意も敵意もないやさしさ。彼女はいつでも俺を受け入れてくれていた。
銀さん、と呼びかける彼女の体を強く抱きしめる。終わってなどいなかった。いや、離別した日に俺たちは一度終わったのかもしれない。しかし、また始めることもできる。出会いと別れを繰り返し、そしてまた、日々を重ねていく。
回した腕を動かし、櫛を出す。彼女の前にそれを差し出すと、涙をこぼしていた瞳が瞬きを繰り返す。
「……悪い。本当は昔、渡したかった」
「……ずっと持ってたの?」
「女々しいだろ」
櫛を受け取った彼女がかぶりを振って笑う。ありがとう、とまっすぐにお礼を言われると、胸の辺りが痒くなった。そう、彼女は恥ずかしくなるほど素直だった。そして鈍かった。櫛を贈るという意味を、彼女はたぶん知らない。それでいいと思っている。
「店、持ててよかったな」
照明の明かりが漏れる店を見遣る。彼女が顔を上げ、嬉しそうに顔を綻ばせる。しかし、すぐに目を伏せる。何かを思案している様子だった。「あのね銀さん」と目を向けられると、俺は逃げ出したい衝動に駆られた。なぜだかわからない。俺と彼女の間には、何かを明るみに出す、決定的なものは何もなかった。彼女がそれを、今、口に出そうとしているような気がした。
「わたし、自分の店を持つのと、もうひとつ夢があったの。あったというより、今も思ってるんだけど」
腕を掴まれ、動けなかった。彼女は変わらず穏やかな口調で、けれど俺を逃がさないように確かに捉えている。
「銀さんと同じ未来を見たい。銀さんの未来に、わたしも……いたら、だめかな」
夜風が彷徨う狭い路地。行き場をなくした風が、空へ上がっていく。言葉を失う俺を正気に戻すように、どこかで野良猫が鳴いた。
まさか逆に告げられるなんて、思ってもみなかった。彼女は何も言わない俺を不安げに見ている。答えは決まっているのに、口が動かないのだから返答しようがない。代わりに、思い切り彼女を抱き寄せた。
俺が言えなかった言葉をいとも簡単に告げてしまうのだから、やっぱり俺は、ずっと彼女には追いつけない。
未来図
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*BTさん 坂田銀時
楽しみにしていただいてありがとうございます〜!尊敬なんて恐れ多い……たくさん褒めていただいて恥ずかしくて嬉しいです。ありがとうございます。
コインランドリー、短編の中でも好きだと仰ってくれる方が多いのでありがたいです。付き合う前の男女のじれったい雰囲気が最高に好きなので、ついそんな話を書きがちになってしまいます。これからもそんな話が増えるかもしれません。
リクエスト、昔交際(いい感じだった)していた女性と再会して、動揺する銀さんとのことで、ちょっとカッコつかない銀さんになりました。ビシッと決めてくれる銀さんもいいけど、もたつく銀さんもいいかなーと……楽しんでいただければ幸いです。
これからもお暇なときに遊びにきてください。リクエストありがとうございました!
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