通り過ぎるかと思われたヘッドライトがまっすぐにこちらを照らしたので、目を眇めた。車は路肩にハザードランプを灯しながら停車した。運転席の窓が一定の速度で下り、顔を出した土方さんは平淡な声色で訊ねる。
「取り込み中か」
「い、いえ、とんでもないです」
反対にわたしは上擦った声で応え、掴まれていた手首を振り払った。突如現れた白と黒の誰もが知る車体と、これまた有名人の真選組副長に呆ける同僚は手が離れていったことにも気付いていないようだった。これ幸いと距離を取る。
土方さんは「送るから乗れ」と助手席を顎で指した。わたしはこくこくと頷き、助手席に回り込む。ドアを開ける前、未だにその場に突っ立っている同僚と目が合った。言わんとすることがわかり、質問はされていないが先んじて告げる。
「付き合ってるひとです」
同僚の唖然とした顔が、バックミラー越しに消えていった。
◇
同僚の姿が見えなくなった頃、恐る恐る声をかけてみた。なんとなく機嫌が悪いのは察していた。長年というほどの付き合いはないが、気が短いのはよく知っている。
「運転、珍しいですね」
「あ?」
「いつも誰か一緒にいるから」
「……あぁ」
走り出して間もなく窓は閉められていて、重い空気が車内に充満する。剣呑な空気を垂れ流す土方さんだが、本来、不満があるのはわたしのほうのはずだった。はて、土方さんに会うのは何週間ぶりだろう。
多忙なことはわかってたし、交際する前に事前に予告もされていた。仕事で会える時間はまず少ないし、緊急の呼び出しがあればどこにいても置いていかなければならない。旅行もデートも満足にできない。男女交際なんて呼べるものかどうかも怪しい——それでもいいと言ったのは、わたしだった。
理解ある恋人でいようと、土方さんが忙しいときには極力連絡を控えていた。たまに会うと怪我をしているときもあったが、深くは追求しなかった。守秘義務というものがあるだろうし、わたしに事件の云々を話しても無駄だ。とにかく土方さんが無事でいてくれただけでいい。一緒にいられる時間は僅かだけれど、その間に彼を癒すことができるように努めた。土方さんは照れ屋で淡白なので、性行為にはあまり積極的ではなかったけれど、たまに求められるときの嬉しさといったら何物にも代え難いものがあった。が、濃密な時間を過ごした翌朝に冷たい布団で目覚めると、案の定、虚しさも倍増する。
最後に会ったのは、と頭の中でカレンダーをなぞる。一カ月前だろうか。たしか仕事終わりに連絡も寄越さずふらりと家に来て、夕食を食べていったのだ。わたしは既に食事を済ませたあとだったので、何も食べ物がなかった。仕方なく冷やご飯でチャーハンを作ると、彼はマヨネーズをかけてがっついた。味わかるのかなあと思いつつ、けれど会いにきてくれたことが単純に嬉しかった。
そう、もう一カ月。時の流れの速さを実感すると共に、放置されていた期間の長さに驚く。連絡も一度もなかった。大怪我でもしたのかと心配したこともあったが、テレビの生中継で見る彼は無傷で健康体そのものだった。不摂生な生活をしているくせに肌艶もいい。
「忙しかったんですか?」
「……あぁ、まあな」
「電話もできないほどですか」
思い起こしていたら次第に腹の奥が疼いてきた。嫌な言い方をしている自覚はあったが、そろそろ限界だ。理解ある恋人はかりそめの自分で、本当のわたしは見栄っ張りなだけの、余裕のない女なのだ。
夜道は人通りもなく、たまにすれ違う反対車線の車のライトがいちいち眩しい。窓の外へ視線を向けながら、土方さんの言葉を待つ。窓に映る自分の顔は、むくれていて不細工だった。
「それは……悪かった」
土方さんがぼそぼそと小声で呟く。棘のある空気がほんの僅か治まっていく。自分に非があると思い直したのだろうか。しかし、「おまえだって」と続く。
「なにも言ってこなかったじゃねえか」
「それは土方さんが忙しいと思って」
遠慮したんじゃないですかと言いかけて咄嗟に口を噤む。恩着せがましい態度を取るところだった。けれど、ほぼ半ば言ってしまったようなものだった。土方さんは前方を見据えていた目でこちらを一瞥した。わたしはあくまで車窓を見つめる振りをする。彼の端正な顔立ちにわたしは滅法弱い。顔だけで好きになったわけではないが、それも要因だった。
車は一直線にわたしの自宅に向かっていた。屯所から離れた住宅地だ。江戸の中でも隅にあるので治安は悪くない。
目前の信号が赤になり、車は徐行運転をしながらやがて停車した。土方さんが運転する車に乗るのは初めてだが、意外に穏やかな運転をする。警察車両が堂々違反運転をしていては問題だけれど、どうもこの車は所構わずバズーカを撃つ非常識な印象が拭えない。いつだったか呑み屋でそんな話をしたときに、それは総悟だと土方さんが初めて部下の名前を出した。口の減らないクソガキでな、と憎々しげに、しかし腕はいいんだと誇らしげに語る横顔は、今もよく憶えている。
酔いが回ると彼は真選組の仲間の話をぽろぽろと話してくれた。近藤さんが女に振られたとか、山崎がミントンとカバディの話しかしないとか、原田と映画に行ったとか、小姓ができたとか——それが、この人の世界の中心なのだ。
「さっきの男」
誰も渡らない横断歩道を蛾が一匹飛んでいく。向かいの道路の街灯に吸い寄せられている。
「職場の男か」
急な話題の振り方に、車窓から土方さんへ目を映す。表情に変化は見受けられない。
「ええ、二つ上の先輩で」
「言い寄られてたな」
「……見てたんですか?」
「見てねえよ。なんかそんな感じだったろ」
「……土方さん、そういうのわかるんですか?」
「バカにしてんだろてめー」
てめー呼ばわりである。今更気には留めないが、久しぶりで新鮮だった。
信号は青に変わり、蛾も横断歩道を渡り終えたところで車は発進する。法定速度を遵守するので、ゆっくりと。
「で、本当に言い寄られてたんだな」
「そんな大層なものでは……会社の飲み会で一緒になって、それだけですよ」
苦笑いしながらシートに背をくっつける。今夜はたまたま職場の飲み会があって、皆が二次会に行くというところでわたしと同僚は帰宅することにした。帰路の途中で、よかったら二人で飲み直そうと誘われた。無論断ったのだが、しつこく食い下がられ、あの状態になった。
助手席の窓が開いていく。きょとんとしていると、運転席側も少し開いていた。夜風が吹き込んできて、車内の空気を攫っていく。それは肌寒く、しかし寒いと言うこともできなかった。土方さんの機嫌が再び傾いているせいだ。
車は直進することをやめ、左折する。まっすぐに進めばすぐに自宅だったのに、左手に森林公園が見えるところで停まってしまった。ライトが消え、低く唸るエンジン音も止み、辺りは静まり返る。
土方さんはハンドルから手を離し、煙草に火を灯した。窓の外へ向けて紫煙を吐き出す。
「仕事辞めるか」
「えっ、辞めるんですか!?」
「俺じゃねーよおまえだよ」
「あ、ですよね……え、わたしですか?」
「あの男、煙草吸うのか」
二転三転する話に「はい」と訊かれたことにだけ返事をする。すると土方さんは振り向き、煙を浴びせかけてきた。潰れた蛙のようにぐぇっと噎せ返る。おまけに目に染みる。土方さんは一緒にいても煙草を控えることはないが、こんなあからさまな嫌がらせをするような幼稚な人ではなかった。
「なにするんですか!」
「鼻につくんだよ、甘ったりィ匂いなんざ」
土方さんは吐き捨て、窓枠に肘を着き煙草を吸い続ける。丸い後頭部を恨めしく睨む。短く揃えられた黒い髪が風で少し靡いていた。
「そもそも、あんな軟弱そうなヤローのいる職場なんざいるだけ無駄だろ」
「切り捨て方がひどい」
「おまえ一人くらい養える」
突飛な発言に目を丸くする。本気だろうか。しかし、土方さんが軽々しく冗談を言うようには見えない。きっとそれなりに考えてくれてのことなのだろう。ただ、そこにいるのは今までの聞き分けのいい振りをしていたわたしだ。「ありがたいんですけど……」とおずおず様子を窺う。
「わたし、今までけっこう無理してまして」
「無理?」
「土方さんの迷惑にならないように連絡を控えたりしてたんですけど、本当はもっと一緒にいたいし、怪我してたら心配するし……」
土方さんと一度目が合って、ついと逸らした。せめて昼間なら、道行く人だったり漂う雲だったり、目のやり場もあったのだけれど。ひたすら広がる暗闇には何も映るものがない。薄らと滲む下弦の月がサイドミラー越しに見えるだけだった。
風は止んでいるのに煙が流れてくるので、土方さんがまだこちらを向いているのがわかる。
「おまえがそう思ってたとは知らなかった」
「そりゃ……言ってないですから」
「そうだな」
それきり土方さんは何も言わない。居た堪れず無音に耐えきれなくなる頃、土方さんが動いた。携帯灰皿で煙草の火種を揉み消す。そのとき、車内に搭載されている無線機が雑音を立てはじめた。のんびりとした声が車内に響く。
「土方さーん、どこまで行ってるんですかィ」
土方さんは答えない。聞き憶えのある声だが、誰だったかは検討がつかない。
「ったく、鉄のヤロー、あとつけろって言ったのにすぐ撒かれやがって。あーあ、やっぱ俺が行きゃよかった。土方さんが一人でフラフラするなんざ女に決まってんのに」
無線機が赤い光を点滅させている。どのくらいの音なら向こうに届くのだろう。とりあえず土方さんに倣い無言を貫く。
「遠回りしてまで顔見に行くなんざ、相当入れ込んで」
断線を思わせるほど唐突に無線機は切られた。土方さんの手が無線機から離れていく。わたしはその音とあまりに素早い土方さんの動きに固まっていた。
「くそ、あとで付き纏われるな」
舌打ちした土方さんがぼやく。そしてわたしをちらりと見て、溜め息を吐く。
「腹が立ったのは、おまえが知らねえ男といたからじゃねえ」
窓は指二本入る程度の隙間を残し閉められた。車内の空気は入れ替えられ、明澄としている。
「ひと月、顔も見られねえし声も聞けなかったってのに、おまえがツルッとしてやがったからだ。挙げ句の果てにあんなヤローと」
「怒ってるじゃないですか」
間髪入れずに突っ込む。やっぱり気に入らなかったんじゃないか。しかし、土方さんは黙殺して二本目の煙草を懐から出して咥える。咥えただけだった。寄せた眉根からまた不満が滲み出ている。
「とにかく連絡しなかったのは悪いとは思うが、俺はけっこう、この一カ月は」
土方さんが一旦言葉を切る。窓枠に肩肘を着き、土方さんは歯に挟んだ煙草を上下に揺らした。
「けっこう…………堪えた」
エンジンが嘶く。前方をライトが照らし、道路が途端に明るくなる。見慣れた道順なのに頭にその先を浮かべることができない。
考えもしなかった。理解ある恋人でいようと努めることで、土方さんに逆に壁を作ってしまっていたこと。当然のように受け身の姿勢を取ってしまっていたが、それは自分から何も発信しないのと同じだった。口にしなければ想いは伝わらない。触れ合わなければ、交流の一切を絶ってしまえば、二度と会わなくなることだってある。土方さんは、それを免れるためにここまで来てくれたのだ。自分の行いを顧みて、仕事の合間に来てくれた。わたしはただ待つばかりだったのに。
車は自宅より一本奥の道に入ったので、迂回しなければいけなかった。それでも三分とかからない。話したいことがたくさんできたのに、あっという間に家まで着いてしまった。躊躇いながらシートベルトを外す。
「あ、上がっていきますか?」
勇気を出して訊ねる。土方さんはやや考えて「まだ仕事だ」と言った。そういえばパトカーだった。
「あ……そうですよね、すいません」
「明日ならいい」
ドアノブに手をかけたところで止まる。土方さんは咥えっぱなしの煙草にようやく火を点けた。火種が燃え、ふっと灰色に変わる。
「明日なら非番だ」
揺蕩う煙が窓の隙間から抜け出ていく。土方さんはわたしを一瞥し、目を右往左往させて俯いた。
「連絡する。だからおまえも気にすんな、いつでも電話しろ。時と場合によっちゃ出られないが善処する」
「……わたし、わりとうるさいけど、いいんですか?」
「こっちがそうしろって言ってんだ。おまえが思ってるより、俺はおまえを内側に置いてる。それに、うるせえのは慣れてる」
土方さんがゆるやかに微笑むと同時に、無線機が鳴る。土方コノヤローどこで油売ってんでィとまた同じ声。土方さんは鼻を鳴らし、無線機を取る。これから戻ると一言返すと二言三言、嫌味が返ってくる。
わたしは助手席に座ったまま、土方さんの言葉を噛み締めていた。彼の内側と外側の境界線はどこにあるのだろうか。けれど内側というのは、彼の世界のどこかに、わたしがいるということだろうか。土方さんの中に、存在しているのか——。
居ても立っても居られなくなり、逃げるようにドアノブに手をかける。しかし、降りようと片足を車外に出したところで身体が動かなくなった。手首をぐるりと覆うように掴まれていた。しかし、一方で土方さんは無線機に向かって意地になって言い返している。何やら口論になっている。ふと思い出す。口の減らないクソガキ。そうか、彼が総悟くんか。
降りるに降りられないまま、半端な体勢になっていた。やがて応酬が終わると、土方さんはわたしを車内に引き摺り戻し、あと五分と小さく告げた。
あと五分、どんな顔をして過ごせと言うのだろう。迷っていると、顎を掬われ、口付けをされる。目を見開くわたしに、土方さんが渋い顔を作る。
「なんだよその顔。言っただろうが、堪えたって」
まだ火を点けたばかりの煙草が灰皿に押し込まれる。顎を滑る指は、撫でるように横髪を耳にかけていった。
「五分じゃ足りないですよ……」
「あぁ、同感だ」
アラゴナイト
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*なんさん 土方十四郎
1周年お祝いコメントありがとうございます!拙い文章ばかりですが日々の活力となっているのであれば幸いです。
土方さんで甘い話とのリクエストでしたが……ちゃんと甘くなってますかね?大丈夫でしょうか?設定はベタですが、銀魂の大体の男性陣は愛の言葉なんか言わないので土方さんの精一杯のデレはこんな感じだと思ってます。近藤さんくらい好きです結婚してくださいとかわかりやすく言ってくれればいいんですけどね〜でもそこが愛おしい……
最後になりますが、不安定な気候が続きますのでお体お大事になさってください。リクエストいただきありがとうございました。またぜひ遊びに来てください!
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