「生きてるかー」
玄関から居間までを通る声。座布団の上で足を投げ出して仰向けになっていたわたしは、唸りながら半身を起こした。腰が痛い。
躊躇いなく襖を開けた坂田さんが眉を顰める。室内にはちゃぶ台くらいしか家具はなく、本来殺風景なはずだ。が、今はごみ袋やら雑誌やら仕事の資料やらが至る所に散乱しており、足の踏み場もなければ目も当てられない状態になっている。
埋もれていたわたしを認め、坂田さんは「おお、いた」とごみ袋を蹴飛ばした。進行方向にある障害物をどんどん退かし、わたしの元までやってくる。
「呼びましたっけ」
気休め程度に髪を整え、瞼を擦る。坂田さんは足で邪魔なものを避け、空いたスペースに胡座をかいた。
「お節介な上司が心配してたぞ」
「小銭形?」
「上司を呼び捨てにすんじゃねーよ」
根を詰めてぶっ倒れられりゃ困るって言ってな、と坂田さんはぐるりと周囲を見回した。閉められたカーテンは陽の光を通さず、室内は午前だというのに暗い。見兼ねた坂田さんが下ろした腰を上げ、カーテンを開ける。差してくる白い光に眩暈がする。穏やかな晴天を見るのはずいぶん久しぶりな気がした。
日差しに照らされたちゃぶ台の上にはパソコンと積み上げられた書類がある。根を詰めて倒れられたら困ると言ったが、そもそも小銭形さんが風俗通いで妙な女に引っかかって裁判沙汰にならなければ、わたしがこんなにも仕事を抱えることにはならなかった。普段は小悪党相手に仕事しているのに、小銭形さんのいないときに限って面倒な案件が増える。
「アイツはアイツで、おまえに悪いと思ってんだよ」
坂田さんは資料を眺め、肘をちゃぶ台に着いた。その拍子にパソコンの画面がぱっと明るくなる。機械音とともに動画が再生された。流れ始めたのは女性の裸体が艶めかしく蠢く姿。喘ぎ声を漏らす女。わたしは跳ね上がって四つん這いになり、坂田さんの膝を越えてパソコンの電源を連打して落とした。青褪めながら坂田さんを見上げると、白い目が向けられていた。
「おまえ、そういう趣味あったの?」
「ありません!」
「いや、女でも溜まるもんは溜まるし悪かねえと思うよ? ただ仕事してると思ってんのに一人でシコシコしてましたなんてさあ」
「してない! これも仕事の一環です! 最近違法ポルノが横行してて未成年者の映像が!」
「あーわかったわかった。で、これは押収品なわけね。もらってもいいやつ?」
「いいわけあるか!」
わあわあと騒いでいたら、急に腕から力が抜けた。坂田さんの膝の上に倒れると、うわ、と声がした。
「オイ、どうした」
「大きい声出したら立ち眩みが……」
「立ってねえじゃん」
肩を掴まれ、座布団の上に座らせられる。頭の中に靄がかかっているように朦朧としている。熱でもあるのかもしれない。額に手を当てようとすると、先に分厚い掌が額に触れてきた。坂田さんはじっと動かず、わたしも動けずに固まる。しかし、数秒すると掌は離れていった。
「熱はねえな。飯は?」
「……カップ麺を少し」
ちらりと辺りへ目を移す。ごみ袋の中にはインスタント食品の空容器が詰まっている。最近は家に缶詰め状態でろくに外へ出ていない。日がな一日仕事に明け暮れ、パソコンを開けばアダルトビデオ紛いの映像を見つめていた。自分でも疲弊していることは自覚していたが、抜け出す暇を作るという頭もなかった。
坂田さんは首の後ろを掻き、息を深く吐いてからわたしの腕を掴んだ。力強く引っ張られたかと思うと、米俵でも担ぐように肩に乗せられる。
「うぉ!?」
「もうちょっとかわいい声出せや」
「え、ちょっ、何ですか!?」
寝室に繋がる障子が開く。敷きっぱなしだった布団の上に放り投げられ、反論する間もなく掛け布団に包まれてしまった。布団から出ようとすると、坂田さんが馬乗りになってきた。見下ろす瞳に身が竦む。
「でっけえクマ飼ってんじゃねえよ。とっとと寝ろ」
唖然としていると、坂田さんは片手でわたしの頬を鷲掴みにして「寝ろ」と凄む。眠らせたい人の言動ではない。しかし、その迫力に小刻みに頷くしかない。
わたしが抵抗しないことを確認した坂田さんは手から力を抜き、あっさりと身を引いた。部屋から出ていく背を見送り、しばらく天井を眺めた。小銭形さんは、わざわざ坂田さんに依頼をしたのだろうか。自分の心配だけしてればいいのに。それか、ハジに来てもらえばよかったのに。でも、ハジ相手ならわたしが言うことを聞かないことを見透かされているのだろう。
居間から物音がする。ビニール袋の擦れる音。積んだ雑誌が倒れる音。気になるが、布団から出たら何をされるかわからないので、おとなしく目を閉じた。鼓膜を揺らす物音に耳を澄ましていると、呆気なく眠りに落ちた。
◇
「おーい、起きろ」
頭を小突かれて目が覚めた。寝ろと言ったり起きろと言ったり何なんだ。まどろみに片足を突っ込んだまま渋々瞼を押し上げる。がに股で腰を落としている坂田さんがわたしを見下ろしている。
「メシできたから食え」
「料理できたんですか?」
「銀さんにできないことなんてないから」
平坦な口調には自慢も驕りもない。会話を適当な軽口で躱すことが身に染み付いているようだ。
「バク転……」
「窓割れてもいいならな」
いいから来い、と坂田さんが部屋を出る。遅れてわたしも布団を抜け出た。重りを付けていたかのような体が軽くなっていた。
居間に出て驚いた。溢れかえっていたごみ袋も雑誌の山も、跡形もなく無くなっている。ちゃぶ台にあったパソコンと仕事の資料は部屋の隅に整然と置かれている。その隣には、洗濯したはいいものの片付けることもなく放置していた衣類が畳んであった。きちんと下着まで置いてある。血の気が引いた。見られた。パンツもブラジャーも。
「レース好きなの?」
微塵もデリカシーのない発言に坂田さんを睨む。坂田さんは台所から皿を持ってくるところだった。
「趣味は悪くないと思うけどね」と言いながらちゃぶ台に置かれたのは目玉焼きの乗ったチキンライスだった。ケチャップの香りが食欲を誘う。睡眠欲が満たされ、次は食欲。しかし、なぜチキンライスに目玉焼き?
「オムライスにしなかったんですか?」
「おまえ目玉焼き好きだろ」
「好きですけど」
「まあ食え。冷めるぞ」
スプーンを渡される。下着のことは気になるが、素直な胃が激しく鳴き始めていた。
まだ温かいチキンライスにスプーンを差し込み、口に運ぶ。ケチャップの酸味は控えめで、鶏の旨味がじんわりと口内に広がる。やさしい味わいに舌鼓を打っていると、マグカップに入ったコンソメスープが運ばれてきた。キャベツや玉ねぎが入ったスープは湯気が立っている。なんだろうか、この至れり尽くせりな感じは。
「坂田さんってお母さんみたいですね」
「お母さん?」
「実は優しいじゃないですか」
外はまだ明るかった。窓は少しだけ開いていて、静かな風がカーテンを揺らしている。日差しと温まってくる体が心地良い。一人でいたせいで吐き出すこともなく澱んでいた心のうちが、清流に覆われていくような感覚がした。陽光は心を健全にしてくれるし、食事は体を温めてくれる。そんな当たり前のことも忘れてしまっていた。
庭先に白い小鳥が飛んでくる。跳ねるように動く小鳥を見た先に、パソコンがある。何日も籠っているけれど、仕事は捗っていなかった。山積みになっていた書類がその証拠だった。
「小銭形さんが悪いわけじゃないんです」
「あ?」
頬杖を着いていた坂田さんが首を捻る。脈絡がないことはわかっているが、こぼさずにはいられなかった。
「うまくいかないんです。最近どうもいいことがなくて、塞ぎがちというか。あ、物理的な問題ではなくて」
坂田さんは耳をほじっている。聞き流してもらうくらいがちょうどいい。
「だから、坂田さんが来てくれてよかったです。少し元気出ました」
「少しかよ」
間髪入れずにツッコミが入り、思わず笑った。
チキンライスもスープも完食し、膨れたお腹を摩る。坂田さんは台所に立っている。我が家にはコーヒーしかないので、坂田さんの好きないちご牛乳はない。家事をさせっぱなしで申し訳なくなって、台所に顔を出す。
「坂田さん、お茶と甘いもの買ってきますよ。何がいいですか」
「いらねーよ」
「でも坂田さん、コーヒー飲まないですよね」
「コーヒー牛乳なら飲めますー」
「牛乳もないんで買ってきますよ」
「いらねえって」
坂田さんがコーヒーメーカーにフィルターをセットし、粉末を入れる。坂田さんはコーヒーなんか飲まないはずなのに、手慣れている。彼は手先が器用な上に地頭はいいのだ。先程のできないことなんてないという言葉は、あながち間違いではない。
水を注ぐと、デカンタに少しずつ黒い液体が落ちていく。芳醇な香りが漂ってくる。
「人生七転び八起きってよく言うじゃん?」
こちらに背を向けたまま、坂田さんが穏やかな声音で紡ぐ。
「でもさ、実際は十転んで九起きればいいくらいじゃん」
「最終的に転んでますけど」
「まあ聞け。起き上がりこぼしみたいに自分だけで立てる奴なんて、そうそういねえよ。俺なんて人生転がりっぱなしだから。坂道転んでばっかりだよ」
「救いがないですね……」
ガラスの容器にコーヒーが溜まっていく。水を注ぎ終えた坂田さんが、上部の蓋を閉める。
「そうでもねぇさ。前なんか見えてなくても、進もうとしてるうちは後ろからも横からも、意外に救いの手はあるもんだ」
「…………あれ? なんか励まされてますか?」
坂田さんはコーヒーを見つめていてこちらを向かない。できないことはないのに、意外に真正面から人を励ますことはできないらしい。つくづく不思議な人だ。そして、やっぱり優しいと思う。そんな人に何も返さないままでいるのは居た堪れなくて、踵を返す。お茶菓子のひとつもないままではいられない。
「なんか買ってきますね」
「いいって」
手首を掴まれる。振り返るとようやく目が合った。コーヒーメーカーがコポコポと音を立てている。
「おまえ鈍いよね」
「はい?」
「俺が下心もなしにここまですると思う?」
「小銭形さんの依頼じゃなかったんですか?」
「んなこと一言も言ってねえよ」
呆れたような表情を向けられる。言葉の真意がわからずにいたが、数秒後にはその意味がわかった。宿る熱は、下心に潜む愛に違いない。
潜む愛
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*純さん 坂田銀時
純さんこんにちは〜リクエストありがとうございます!坂田銀時でお世話をしてもらう話でした。目明かし夢主と恋人未満の銀さんです。前半下ネタですみません笑 余計な戯言を言いつつきっちり世話をしてもらいました。楽しんでいただけますと幸いです。
500mlのいちごオレですか〜!確かに紙パックはよくあるけどペットボトルは見かけないですね!相当な甘党しか買わないのではないでしょうか?もしくは自販機のメーカーさんに銀さん推しの人がいるのでは……?そんな身近に銀さんを感じることのできるものがあるのは羨ましいです……!
ちなみに私は一時森永のミルクたっぷりいちごラテにハマってました。甘すぎるものは苦手なんですが、たまに飲むと美味しいんですよね〜
夏も終わりに近づき、これから冷えてきますので無理せずお体どうぞお大事になさってください。またお暇なときに遊びに来てくださると嬉しいです。リクエストありがとうございました!
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