※転生/3Zパロ
夢を見る。疲れているわけでも、眠りが浅いせいでもない。三日に一回くらいのときもあれば、数ヶ月見ないときもある。
夢の中で、銀八は眼鏡をしていない。白衣ではなく着物を着ている。裾には流れるような波の模様がある。腰には誂えたかのように馴染みの良い木刀を差している。
男は船の飛ぶ空の下、時代劇に出てくるような街並みを歩いている。そこには人間もいれば、面妖な様をした怪物も歩いている。それらは例えるなら、B級映画に出てくる悪役とか、特撮ドラマに出てくる化け物のような出立ちをしている。
男は、銀八とそっくりな風貌をしている。他人とは思えないほど。目覚めるときになっても、その姿形、不思議な街はとても鮮明に憶えている。におい、形、喧騒——まるで知っているかのように全てがクリアな世界なのに、ただ一つ、共に夢に出てくる女の顔だけがおぼろげだった。
皺の寄ったシーツから体を起こす。隣を見ると、愛犬の定春が古びたタオルケットの上で寝ていた。新しいものを与えても、定春はそれをいたく気に入っていて手放さないのだ。
目覚めの一服に煙草に火を付ける。ベッドサイドの眼鏡をかけると、視界は広がる。見知った部屋にいる。
夢を見た朝は、決まって喪失感がある。なにか大事なものを忘れているような気がしてならない。けれど、何が欠けているのかわからない。それがどうしようもなく気持ち悪い。
部屋の窓を開ける。ひやりとした風が吹き込んできた。
□
カアン、という音に、銀八は窓の向こうを見た。雲一つない空に、白い点が放物線を描いて飛んでいく。キャップを被った少年たちがグラウンドを駆けている。ボールが地面に落ちるまでの様を見送り、紫煙を吐く。
「先生、定春元気?」
呼びかけに視線を正面へ戻す。分厚いレンズ越しに、大きな青い瞳が銀八を見ていた。銀八はキャスター付きの事務椅子を滑らせ、横着して窓の前まで行く。窓を閉め、煙草をデスクの灰皿で揉み消した。
「元気過ぎて参るわ。餌代が嵩んでしょうがねえ」
「今日会いに行ってもいいアルか?」
「補習終わったらな」
神楽は顔を綻ばせ、プリントに意気込んで向かった。さっそく間違えているが。
留学生の神楽は、会話は流暢なのに現代国語の成績が壊滅的だった。赤点を取るたびに銀八が補習を見ている。担任だからという理由もあるが、神楽が銀八を慕っているせいもあった。男として惹かれているのではなく、父のように無邪気に懐いている。銀八の周りには、そういう生徒が多かった。
定春は、元々捨て犬だったところを神楽が拾った。しかし、神楽の家には病で伏せがちな母と喧嘩好きな兄しかおらず、犬の世話をするのは難しい。父は単身赴任をしている。父親とは一度だけ面談に来たので会ったことはあるが、目線をすっきりとした頭部に向け過ぎて怒られた。娘思いの古い親父という印象だった。
犬を飼う余裕はない。しかし、動物好きの神楽は放っておくことができず、困って銀八を頼り、結局、定春は銀八の元で飼われている。濁りのない白い体毛が特徴の中型犬だ。おそらく雑種だろうと銀八は思っている。動物病院でも雑種とされている。種別のつけられないものは、皆雑種なのだ。
「先生!」
まだ若い、高い少年の声。学校には先生が溢れ返っている。自分のことではないにせよ、つい反応する。
閉めた窓の外を見る。キャップの少年が一人、肩を押さえて蹲っていた。銀八が立ち上がるとほとんど同時に、少年の周りにチームメイトが集まっていく。その中に向かって、白衣が走っていく。
「何アルか? あ、ナマエちゃん」
神楽も人集りに目を見張る。先生と呼ばれたのは、銀八ではなかった。養護教諭のミョウジだった。保健室は国語準備室の並びにあって、グラウンドが一望できる。たまたま外に出ていたのか、窓辺にでもいたのか、その動きは迅速だった。
「大丈夫かな」
心配そうに神楽がつぶやく。銀ちゃん? と訊かれ、銀八ははっとする。銀八は怪我を負った生徒ではなく、ミョウジを見ていた。
□
銀八の自宅は二階建ての一軒家だった。一階には大家であり赴任している銀魂高校の校長、お登勢が住んでおり、銀八は下宿する形で間借りしている。古い家だが立地も居心地も悪くなく、お登勢とは遠慮なく悪態をつきあう仲ではあるが不仲でもない。寧ろ、銀八は貧乏公務員に寝る場所を与えてもらっているだけありがたいと思っており、血縁はないが母の日には毎年花を贈っている。照れ臭いが、理由がなければ日々の感謝など伝えられやしないのだ。
銀八は、定春の様子を見にきた神楽と散歩に出かけた。その後神楽を自宅まで送り届ける頃には、外はとっぷり暗くなっていた。無数の星がきらめく夜空を見上げると、吐息が白く昇った。足元の定春は立ち止まる銀八に合わせて足を止める。はじめは犬なんて、と思っていたが、飼ってみると案外可愛いものだ。世話は大変だが、もはや家族の一員である。いつか神楽が定春を自分の家で飼うと言い出したら、寂しいかもしれない。そんなふうに思うくらいには、情が湧いてしまっている。
ジャケットのポケットに入れていたスマホが振動した。見るとお登勢から煙草を買ってこいとメールが入っていた。そういえば自分の煙草もないのだと銀八が気付く。銀八は「寄り道するぞ」と定春に声をかけ、道を逸れた。定春は銀八の足の向く先についていく。
狭い住宅街を抜け、煌々と光るコンビニへ向かう。駐車場には車は一台もなく、男の店員がゴミ出しに出ていた。
店前のポールに定春のリードを繋げ、店内に入る。真っ先にレジに向かえば用は済むが、なんとなく一周してしまうのが銀八の癖だった。そして、必ず目ぼしいものを見つけては買ってしまう。
飲み物の冷蔵庫でミルクセーキを取り、新作のスイーツにも目を通す。生憎、棚はほとんど空だったので買うものはなかった。ミルクセーキだけを持ってレジに並び、煙草を二種類と、小腹が空いたので肉まんを買った。若い女の店員が肉まんを出している間、ふと横へ目を向ける。自動ドアが開き、店に入ってきたのはミョウジだった。
目が合い、「あ」とミョウジがこぼす。疲れた顔に、笑みを浮かべて。不意打ちに銀八は年甲斐もなくどきりとした。
「こんばんは。今帰りですか?」
「いや、俺はとっくに終わって。散歩……犬の散歩で」
会話の間に会計も終わった。しかし、銀八は店員に「もう一個肉まんください」と言った。校外で同僚に会うのは珍しいことではないが、三駅先に住んでいるミョウジと会うことはほぼない。この機会を逃すわけにはいかなかった。
「あ、あそこにいたの、先生の子ですか」
「まあ、はい。あっ、ミョウジセンセ、これ一緒に食いましょ」
包んでもらったばかりの肉まんを軽く掲げる。断られるかと思ったが、頷いてくれた。
先に店を出た銀八は、定春のリードを持って店先のベンチに腰掛けた。背中に感じる明かりを振り返ると、ミョウジがレジに立っていた。何を買ったんだろう。自宅から離れたコンビニで。想像して、まさか男の家に泊まるのかと過ぎる。胸が嫌な騒ぎ方をはじめ、がむしゃらにミルクセーキを啜った。
半分ほど吸い上げたところで、ミョウジが出てきた。ミルクセーキを飲む銀八を見て、「ビール……」と袋から缶ビールを出す。
「いらなかったですか?」
「もらいますもらいます」
ミョウジはほっとしたように微笑んで銀八の隣に座った。ビールと肉まんを交換し、いただきます、と断りを入れるミョウジにどうぞと返す。銀八はその横顔を盗み見る。白い頬に、風で靡く髪がかかる。その髪を華奢な指が払い、ふっと目線が上がる。視線がかち合いそうになると、銀八は目を逸らした。
「名前は何ていうんですか?」
ミョウジは定春を見ていた。定春は先程から物欲しそうに、つぶらな瞳で肉まんを見ている。
「定春です。定めるに春で。うちのクラスの神楽が拾った犬なんすけど、訳あって俺が飼ってます」
「へえ。可愛いですね」
優しい顔でミョウジが定春の頭を撫でる。警戒心の強い定春は他人に易々と体を触らせないが、肉まんに気が向いているのか、嫌がることはなかった。
銀八は飲み終えたミルクセーキをレジ袋に入れ、缶ビールのプルタブを押し上げた。
「あの、夕方の野球部の生徒。どうなりました?」
あのあと、生徒はミョウジに付き添われて病院へ向かった。脱臼だったらしい。ミョウジは肉まんを飲み込み、ビールで流して少し声を落とした。
「前から違和感はあったようです。幸い、ひどいものではないみたいですけど、しばらくは静養することになりました。ただ……精神的なもののほうが大きいかも」
「ああ、そうすか」
「力にはなりたいですけど、難しいんですよね。男子生徒とは、なかなか仲良くなれなくて。スクールカウンセラーの先生にも話はしてみようかなと思ってます」
ミョウジは肩を竦める。ミョウジは二十代の女性だ。教員の中では若手に入るが、十代の男子生徒からすると立派な大人の女性で、目の前にすると緊張してしまうのは仕方ない。それを仲良くなれないと嘆くのは若干ずれていると銀八は思ったが、ひとまず黙殺する。次に会話の一手を探していた。
「先生は生徒ともすぐに打ち解けられますよね」
「なめられてんですよ」
「でもみんな楽しそうにしてます。きっと先生の人柄ですね」
「はは……そんないいもんじゃないですよ」
煽てられ、つい口角が緩む。これは社交辞令なのだろうか。しかし、褒められて嫌な気はしない。銀八はいい気分でビールを飲んだ。誘ってよかったと心底思いながら。
ミョウジはビールを飲み、小さな口に肉まんを詰め込んでいく。手早になった動作に、銀八は気取られないよう腕時計を見た。終電には早い。
「すみません、今日はこれで失礼します。ごちそうさまでした」
ミョウジは頭を下げ、「ゴミ捨てていきますよ」と手を出す。その手を見つめ、銀八は腰を上げたミョウジを見上げた。無言の銀八を怪訝に思ったミョウジは、どうかしたのか、問うような眼差しで銀八を見返す。
目の奥で、何かが痛んだ。頭に針を刺されたような刹那的な刺激が走る。思わず顔を歪めると、ミョウジは心配して再びベンチに座った。定春も主人の異変に足元に立ち上がる。
「先生?」
銀八は眼鏡を外し、目頭を揉む。覗き込んでくるミョウジの顔が、ぼやけていてよく見えない。しかし、その顔はどこか遠い地で見たような気がした。あの、夢の中で。
「先生、大丈夫ですか?」ミョウジが顔の前で手を振る。その手を掴んだ。冷たいが、滑らかな肌の感触があった。
「どこ行くんすか、そんなに慌てて」
「……え?」
視界が明瞭としないが、それはそれで好都合だった。ミョウジの声色から、彼女が戸惑っていることだけはわかった。
男の家ですか。付き合ってる奴がいるんですか。銀八は喉から出かかった言葉を飲み込んだ。眼鏡をかけ直し、手を離す。ちらと見たミョウジは、案の定困った顔をしていた。銀八は苦笑いして、「送ります」と言って立ち上がった。
「いえあの、人を迎えに行くだけなので大丈夫です」
「夜道は危ないんで、俺も行きます」
銀八の言葉にあからさまにミョウジが表情を曇らせる。それに銀八は苛立ちを憶える。
「いないほうがいいですか?」
「そうじゃありませんけど」
ミョウジの返答の早さは、ほとんど反射的に出たものだった。それを銀八は甘んじて受け入れる。
「じゃあいいでしょ」
強引に話を進めた。有無を言わさず先を進む。定春は呆れたように主人を見上げていた。
□
駅まで行くのかと思ったが、ミョウジは「そっちじゃないです」と道を外れた。銀八は「はあ」と間の抜けた返事をし、ミョウジのあとに続く。その立ち位置にはあまり慣れず、違和感があった。
駅前の飲食店の通りに入り、喧騒が響く路地を進む。食べ物の匂いに定春は鼻をひくつかせている。
ミョウジの背を見ていた銀八だが、どこに向かっているのか全くわからずついに訊ねる。
「あの、どこ行くんすか?」
「酔っ払いを迎えに」
苦笑いと共に見えた横顔は優しかった。その笑顔に胸が締め付けられる。ミョウジははっきりとしたことを言わないのに、銀八は勝手に相手が男だと決めつけていた。なにせ、ミョウジは男性職員の中では一番人気だ。職員の集まる飲み会では毎度隣に座るのは誰か、男同士でこっそり揉めている。
可愛らしいし、雰囲気は柔らかくて人当たりも良い。しかし、銀八の好みとはまた違ったタイプだった。なのに、会えば胸は高鳴るし、遠くにいても目で追ってしまう。それがなぜなのか、理由はわかっている。惹かれているのは認めざるを得ない。けれど、どこかで自分の制御できない部分があり、それが不安でもあった。十代の頃に味わった、周りが見えないほどの恋とは違う。知らぬ間に手繰り寄せられ、足を掴まれているような錯覚を憶える。
やがて、ミョウジは赤提灯の店の前で足を止めた。ビニールカーテンの向こうにある店内からは品のない笑い声が漏れ出ているが、ミョウジは躊躇いもなく店の中へ入っていく。銀八は「えー」と独り言をこぼしていた。店には中高年のオヤジしかいない。まさかの老け専かと少し引いていると、「おおう、ナマエ!」と嗄れた声が聞こえてきた。ほら、じいさんじゃねえか——。
「じいさん……」
ずきりと頭の奥が痛む。後頭部を押さえ、痛みに耐える。浅い呼吸を少し繰り返し、顔を上げるとナマエが老夫に手を貸して店から出てきた。
「先生、すみません。私の祖父です」
「なに、先生? どーも、うちのナマエが世話になってますぅ」
赤ら顔の老夫は舌足らずな口調で言った。華奢な足は寒々しく、ビーチサンダルを履いている。年齢はお登勢とあまり変わらないように見えた。
呆気に取られていた銀八は、「ああ、こちらこそ」とようやっと返事をした。脳内を祖父という言葉が回る。その顔には見覚えがあった。
「どこかで会いましたっけ」
つい訊くと、老夫は「はあ?」と虚ろな目で銀八を見た。そして大声で笑い出す。
「先生、ナンパなら相手が間違ってるぞ。ナマエ、面白い先生だなぁ」
「おじいちゃん、失礼。ごめんなさい、だいぶ呑んでて気が大きくなってるんです。もう駅まで行くだけなので、ここで大丈夫です。ありがとうございました」
ミョウジは恭しく頭を下げる。その他人行儀さが息苦しい。いや、他人には違いない。ただの同僚として、ミョウジは当然の態度を取っている。それがどうしてこう、苦しいのか。
千鳥足の老夫を引きずるようにしながら、ミョウジが駅へ消えていく。定春が銀八の足元で鼻を鳴らしている。
ミョウジの姿が見えなくなるまでを見届け、銀八は溜め息を吐いた。白い息が断ち消え、耳を滑る寒風に身震いする。
「帰るか」
定春に言い、踵を返す。夜道を歩きながら、夢に見る女のことを考えていた。
おぼろげな記憶にある笑顔と、少し冷たい指先。あの女の名前を知っているような気がするのに、かけらも思い出せない。なのに、急き立てられるように手を伸ばしたくなってしまう。それはミョウジを前にしたときと似ている。
「……いや、許可なく触ったら犯罪だから。懲戒免職待ったなしだから」
自制心を高めるために呟く。ふと目の前に、白い粒が舞い降りる。見上げれば、真っ黒い空から雪が降り落ち始めていた。
視界がぼやけ、眼鏡を外して瞼を押し揉む。霞む世界は、夢で見るちぐはぐな世界に似ている気がした。
楔
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*たまごさん 坂田銀時
リクエストいただきありがとうございます。三人称は慣れないので時間がかかってしまいました。お待たせしてすみません……!
連載の3Zパロとリクエストいただいたので花実のほうでいいかな〜と思い書きました。設定を引き継いだ転生ものになりました。楽しんでいただけますと嬉しいです。
すっかり寒くなってきましたので、お体にお気をつけてお過ごしください。サイトにもまたお暇なときに遊びにきてください。ご参加ありがとうございました!
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