ふんわりといい香りがして、吸い寄せられるように足が向いた。緩やかな坂道、石塀の向こうに、おしること達筆で書かれた赤い幟が立っていた。朝食を食べ損ねていたのでまだ昼前なのに口内に唾が溜まり、嬉々としてお店に入る。こじんまりとした、御伽噺に出てくるような可愛らしい和菓子屋だった。
 いらっしゃいませ、と澄んだ声に迎えられ、人の疎らな店内を見渡す。こういうところによくいる人物の影を探す。幸い、いないようだ。

「ここで召し上がって行かれますか?」

 近付いてきたにこやかな店員に「はい」と肯く。続いて「お一人ですか?」という問いにも肯く。

「お席にどうぞ」

 窓際の二人がけの席に案内される。入り口側に背を向け座った。一人であることに後ろめたさはないが、入店してきたお客と顔を合わせるのは嫌だ。
 おしるこを食べる口になっていたが、ひとまずメニューを開く。大福、お団子、最中など定番菓子のほかに、季節限定メニューもある。今の時期だと、銀杏や栗といった秋の味覚を使ったものが多いようだ。しかし目的のものは変わらず、おしるこを頼んだ。
 窓の外を見る。うららかな日差しが住宅街を包んでいる。明け方はずいぶん冷えたが、今の時間は陽が当たって暖かい。道行く人が少ないのは平日だからだろう。本来なら、わたしもこの時間は仕事に出ている。けれど昨日、今日は有給を取っている。昨日はいろいろとあったけれど、今日はゆっくり過ごせそうだ。
 道沿いにあるイチョウの木を眺めていると、お待たせしましたと声がかかる。外で香っていた甘い匂いがすぐそこに来ていた。

「お汁粉です。こちらは駿河から取り寄せているお茶で……」

 照りのある小豆の海に、表面がきつね色に焦げた大きめのお餅が二つ。白い湯気が昇っている。店員は一緒に持ってきたお茶の説明をしている。透き通った淡い緑色は、陽光を受け覗き込むわたしの顔を反射させる。下から見る自分の顔は丸っこくて顎のラインをなぞる。最近太ったかもしれない。
 ろくすっぽ説明を聞かなかったが、店員は去っていった。お茶よりメインのことを言うべきなんじゃないだろうか。まあ、細かいことはいい。今はとにかく、お腹が空いた。
 スプーンを手に取って、手始めにあんこを掬い取ったそのときだった。

「ナマエ?」

 口を開けたまま固まった。振り返ると、銀時さんが驚いた様子で立っていた。わたしも驚いていた。今日は夕方まで仕事だと言っていたからだ。
 目をしばたかせ、銀時さんがスプーンを指差すのでひとまず掬ったあんこを口に入れる。味がしたのも一瞬のことで、鼻を抜ける匂いだけが鮮明だった。とろとろのあんこは咀嚼するほどのものでもなく、呆気なく喉を通っていく。銀時さんは少しその場に立っていたが、わたしの向かいに座った。

「仕事、早く終わってよ。神楽は遊びに行くし新八は姉貴と買い物だって言うし。やることもねえし、ふらふらしてたらいい匂いがしてさ」

 銀時さんは、こちらが訊く前にわたしの疑問に対する答えを言う。わたしは既に口内にはないあんこを噛み締めるように口元を覆う。思考が全く同じだ。

「甘党だっけ」
「うん、普通に、好き……。銀時さんほどじゃないけど」
「えっ」
「ん?」

 変なことを言っただろうか。銀時さんは目を丸くしている。わたしは自分の言葉を反芻し、はっとする。

「違う、好きなのは甘いもので、銀時さんほど甘いものが好きじゃないってことで、あっ、違う、銀時さんのことも、その、だけど銀時さんほど甘党ではないっていう意味で」

 必死に弁明するわたしを銀時さんはきょとんと見ていた。しかし、やがて苦笑いし、わかったわかったと椅子の背凭れに寄りかかった。全てを伝えられた気がしない。こういうとき、日本語の難しさを痛感する。いっそのことわたしがアメリカ人なら、ハグやキスで想いをぶつけられたはずなのに。
 歩み寄ってきた店員に、銀時さんはわたしと同じものを頼んだ。差し込む陽光が机上の銀時さんの手に降り注いでいる。木刀を握る無骨な指が目に入り、ついと視線を逸らしておしるこを食べる。他のことに集中しないと、銀時さんの顔を正視できない。

「ぜんざいが食いてえな」

 メニューをぺらぺらと揺らしながら銀時さんが言う。わたしは首を捻った。

「おしること違う?」
「ぜんざいは粒があるんじゃねえの。なんか地域によって違うとか聞いた気がするんだけど」
「粒あん派?」
「どっちもいける。小豆缶買ってこうかな」
「ええ、作れるんだ」

 意外に器用で料理ができるのは知っているけれど、おしるこやぜんざいまで作るとは知らなかった。あんこの中に浮くお餅をどう食べようか迷っていると、銀時さんは頬杖を着いた。

「食べに来る?」

 ヘっと間の抜けた声というより、音が漏れた。平行線を描く目がわたしを見ている。数秒見つめ合い、当惑で表情をうまく作れないまま言葉を探す。

「さすがに二日連続は、悪いので」

 控えめに言うと、銀時さんは黙りこくってしまった。お餅をスプーンで拾って頬張る。片頬を埋め、しばらく話せませんという意思表示をする。銀時さんは一旦は前傾になった姿勢を戻し、短く息を吐いた。おしるこが運ばれてきて、店員は例の如くお茶の説明を始める。それも終えると、また二人だけの空間に戻る。いや、店内にはまだ他に人がいるのだけれど、わたしからは銀時さんしか見えない。目のやり場がない。席取りに失敗した
 銀時さんは徐にスプーンを取る。

「これでも、心配してんだけど」

 まだお餅が喉を通らない。視線を上げると、口を尖らせる銀時さんがいた。

「昨日、けっこう遠慮なしにやっちまったし」

 唾を飲む。何を言い出すんだ——。

「一回目なのにわりと好きなようにしちまったっていうか……そんで急に仕事入って今朝もろくに話せなかったし、本当は朝飯一緒に食ったりとかさぁ……昼までダラダラしたりとかさぁ……」
「ぎっ、んときさん」

 ようやく口の中を空にして止める。銀時さんはいじけるようにスプーンでおしるこを混ぜている。わたしは顔が熱くて仕方がない。せっかく考えないようにしていたのに、思い出してしまう。
 スプーンをお盆に置く。依然どこかで詰まっているような気がする餅をお茶で押し流す。噎せそうになるのを堪え、深呼吸する。銀時さんはわたしが落ち着くのを待っていた。
 鎖骨の辺りを押さえ、きっと銀時さんを見る。

「なんでそういうことを今言うの」
「オメーが突っぱねるからだろうが。ゆうべは好きとか言ってたのにさっき言わなかったし」

 昨夜は言った。でも、それは雰囲気に流されて言っただけだ。素面なら恥ずかしくて言えない。そもそも、銀時さんのほうは一度だってわたしにそんなことを言った試しがない。自分が言わないことを相手に言わせようとするのは、いかがなものか。
 唇を結び、落ち着かずに椅子に座り直す。そのほんの僅かな動作さえ、銀時さんは逃さないよう目を光らせている。まだおしるこを半分も食べてないんだから、逃げるはずがないのに。

「昨日はちょっとふわふわしてたけど……あんまりああいうの、期待しないでほしい」
「は? なに、嫌だったの」

 銀時さんが眉を顰める。なんでそうなるんだ。嫌だったなんて言ってない。

「仕方なくやったの。俺が誘ったから?」
「違うよ、わたしだって一緒にいたかったから……」
「……から?」

 促す銀時さんに押し負け、語弊のないよう言葉を選ぶ。疑う余地などない気持ちがあるのに、どうしてもうまく言えない。ああ、本当にわたしがアメリカ人ならよかった。イタリア人でもなんでもいい。今、素直にさえなれたら。

「嫌々じゃないよ。本当に。ただ、少し……ていうかかなり、なんか今更になって恥ずかしくて」
「恥ずかしいことじゃねえよ、セッ」
「場所」

 銀時さんが発しかけた単語を反射で止める。浮きかけた腰を落とし、周囲の目が集まっていることに気付いて手で顔を覆う。どうして銀時さんが平然としていられるのかわからない。男の人って、そういうものなんだろうか。こちらが意識するほど引きずらないんだろうか。
 男の人——だった。四肢も胸も背中も、わたしのそれとはまるで違った。熱くて厚かった。滴る汗や、撫でる指や、耳に溶ける低い声。わたしを支配して理性を切り崩す、熱い息。間近で見る瞳が歪んだり、緩んだりする瞬間のこと。奥に見える、光のこと。
 再び頭が昨夜に飛びそうになり、ぎゅっと目を閉じてから手を開く。わたしを見ていた銀時さんは「ナマエ」と名前を呼ぶ。その声で、何度も名前を呼ばれた。今もどきっとしてしまう。昨夜の熱は、余韻となって今もわたしのどこかに潜んでいる。

「ナマエ」
「……聞こえてます」
「これからウチ来るだろ」

 そっと目を合わせる。銀時さんははじめこそ表情を動かさなかったが、徐々に目下の筋肉をひくりと動かし始め、口元を歪め、最後には大仰に溜め息をついて窓の外を見遣った。

「思い出すからやめてくんない、その顔」
「……思い出す?」
「俺だって、まあまあ引きずってんの」

 そっぽを向く銀時さんの頬は、陽光で淡く光っている。
 陽はまだ高い。この余韻を抱えたまま過ごすには、時間は有り余っている。
 ——さて、この先は、どうしよう。





余韻





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*雨さん 坂田銀時
労いのお言葉ありがとうございます!これからも長編、短編共にマイペースにやっていきます。長編は番外編も少しずつ更新してますので、読んでいただけると嬉しいです。
今回坂田銀時でリクエストいただきましたので、初めて一緒に夜を過ごした翌日のちょっと気まずい二人にしてみました。楽しんでいただけますように!
いよいよ秋も深まり、あっという間に冬になりそうですね。寒くなりますので、お体お大事にしてください。企画にご参加いただきありがとうございました!







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