好きだなあと思うところはたくさんある。人から見れば死んだ魚の目と揶揄される光のない目も、天然パーマと誹られる銀髪も、わたしには魅力的に映る。身長だって高いし、顔も世間一般からすると男前ではないが、崩れてる箇所はない。でも一番は、やはりあの包容力だと思う。
 怠惰な生活からは想像できないが、銀さんの身体はしなやかな筋肉に覆われている。その太い腕に引き寄せられ、厚い胸板に頬を寄せるようにすると、とても安心する。背中や腰に回った手が、包み込むようにしっかりとわたしを支えてくれる。そのときの幸福感といったら何ものにも代え難い。

「で、何が言いてえんだ」

 わたしの惚気を鼻をほじりながら聞いていた源外さんが、痺れを切らして話を遮断する。油と鉄の匂いのする工場でする話ではないことはわかっている。でも、もうこちらも我慢の限界だった。わたしは仁王立ちで人差し指と中指を立てた。

「二週間です」
「何がだ」
「二週間、会ってないんです」

 それがどうしたと言わんばかりに源外さんは鼻をほじり続ける。相当わたしの話がつまらないか、大きな獲物があるのか。どちらでも構わない。そんなことは然したる問題ではない。今は前置きの段階だ。

「珍しいことじゃないんです。山奥の旅館で泊まり込みの仕事って言ってたんです。でも、こんなに長いのは初めてで……なんていうか」
「浮気でも疑ってんのか?」
「ちょっとやめてください今デリケートなんで」
「浮気なら二週間も空けねえわな。だとしたらおまえさんが浮気相手ってことになる」
「わたしを傷付けて楽しいですか?」

 源外さんは「まあまあ」とようやく鼻から指を抜いた。指先の鼻糞を丸めて弾く。その仕草が銀さんに似ていて、一瞬錯覚する。相当重症だ。

「おまえさんがわざわざ俺のとこに来るなんざ、何か頼みがあるんだろう」

 ようやく本題。わたしは木箱にガニ股で座る源外さんの元にしゃがみ込み、声を潜める。

「金時さん、いるじゃないですか」
「ああ……だが、あれの股間はネジだぞ。人体との接触は避けたほうが」
「いや違う! なんか勘違いしてる!」

 それも、とんでもない勘違いだ。しかもいかがわしい方面。
 源外さんはきょとんとしていた。

「てめーを慰めるからくりが欲しいってんじゃねえのか」
「慰めるって、たしかにそう、なんですけど」

 徐々に勢いをなくし、頭を下げていくわたしを源外さんは怪訝そうに見ている。
 二週間。もう顔も見てないし、声も聞いてない。もちろん触れることもない。はじめは平気だと思っていた。これまでも、ふらりといなくなることはあった。今回は予告されたわけだけど、どうしてかとても恋しい。理由はいろいろ考えたけれど、好きな人に会いたいと思うことに理由などない。とにかくさみしい。

「人肌恋しい季節になってきたか」

 源外さんは工場の外を見遣る。抜けるような青空が広がっている。銀さんが「ちょっくら空けるわ」とあっさりと去っていったときは、まだ蝉の声があった。今はもう影すらない。この前まで夏だったのに、すぐに秋になってしまった。
 項垂れるわたしの様子を見兼ねてか、源外さんは鼻で深く息を吐いた。そして、ぽんとわたしの頭を撫でる。

「かわいい孫の頼みだ。聞かねえわけにはいかねえ」
「源外さん……」

 その手、さっき鼻糞取った手ですよね。





 焼肉は人間を幸福にすると思う。膨れたお腹を摩りながら帰路に着く。久しぶりの焼肉だったので、張り切って食べ過ぎてしまった。それもこれも、お妙さんが近藤さんという名の財布を煽ててたくさん頼むから——。でも、結果的にはわたしも恩恵に預かり、高級焼肉を堪能してしまった。たまには友人と外食をするのもいいものだ。近藤さんには、今度バナナでも差し入れておこう。
 銀さんと会わなくなり、一ヶ月が経とうとしている。相変わらず音沙汰はない。こまめに連絡をするタイプではないので期待はしていないけれど、言葉では言い表せないモヤモヤとした気持ちが胸の内を覆っていた。それは会えない時間が続いているだけではない。大方、自身の問題である。
 食事中は薄れていた靄が、一人になると再び顕著になってきていた。溜め息を吐きながら自宅の玄関を潜る。すると、背後に人が迫っていることに気がついた。

「よう」

 不意打ちだったので「うおっ」と声が出た。銀さんは一ヶ月前と変わらない装いで、季節の移ろいなど感じさせない出立ちだった。肌寒い夜にも関わらず、いつもの片袖を抜いた着流しスタイルだ。

「うおってなんだよ」
「びっくりして……えっ、今日帰ってくるって言った?」

 たしかあと一週間は帰ってこない予定だったはず。飛び跳ねた心臓を撫でるように胸を押さえていると、銀さんはむっと唇を尖らせた。

「なんだよ、嬉しくねーのかよ」

 拗ねる銀さんに大きくかぶりを振る。「嬉しい」と素直に言うと、銀さんはわたしの前髪をわしわしと撫でた。やめてと言いつつ、久しぶりの手の温度に心臓が大きく脈打っていく。銀さんだ、銀さんだと何度も頭で繰り返す。
 一頻り髪を乱したあと、「もう寝るだけ?」と銀さんが訊ねる。これは泊まりたいというサインだろうか。躊躇いながらも「うん」と頷く。

「上がっていい?」
「うん……あ、ちょ、ちょっと待って」
「あ?」
「お願い、すぐ済むから!」

 訝る銀さんを玄関先で待たせて、急いで部屋に入る。草履を脱ぐのも煩わしく、足を振って脱ぎ散らかす。
 暗い部屋に電気を灯すと、角に人体を模したマネキンが現れる。上半身に腕がついたもので、頭はない。服も着ていない。
 あれを見られたら、何を言われるか——。急激に酔いが醒めていく。冷めた目で引かれる結果しか想像できず、息を呑む。
 マネキンを抱きかかえ、クローゼットを開ける。衣類を押し退け空間を空けていると、誤ってマネキンの背中のスイッチを押してしまった。すると両腕が自動的に動き、わたしを包むように抱きしめてくる。

「わ、わ、ちょっと、今はいいんだって!」

 ぎゅうと抱きしめられ、逃げ場がない。肘を曲げ、マネキンの胸に腕を折り畳むような体勢になってしまったため、背中のスイッチに手を回せない。慌てふためいていると、足音が近付いてくる。まずい、銀さんが。

「銀さんっ、今はちょっと! 待って!」

 声を張り上げるが、あっという間に銀さんは室内に入ってしまった。マネキンに抱きしめられるわたしを見て、きょとんとしている。わたしはひくりと顔を引き攣らせ、苦笑いした。マネキンは無言で、腕を回したまま。

「どういう状況?」

 何が起こっているのかわからないという表情の銀さんに、順を追って説明しなければいけない。いや、まずは、マネキンを退けてもらわなければいけない。





 源外さん特製の誰でもハグ人形は、スイッチを入れると懐に入った人物を抱きしめてくれるという優れものだ。上半身の底面にあるレバーの引き具合で、抱擁の強さを調整できる。それだけではない。わたしが依頼したマネキンは、背丈、腕の太さ、胸板の厚さなど、すべて銀さんの寸法で作られている。本人は不在だったが、何せ銀さんのコピーである金時さんがいる。金時さんのあらゆる体のサイズを採寸すれば、それは完璧に銀さんの半身となった。下半身もつけるかと言われたが、倫理に反する気がして遠慮した。上半身だけを作った時点でそれなりにやばいことは、自宅で一人、マネキンと向かい合ってから気付いた。
 そうだ。やばいとは気付いていた。いくら寂しいからって、恋人と全く同じ半身のマネキンを作るなんておかしい。でも、せっかく作ってもらったし、使わないと源外さんに悪いし——などと言い訳をして、マネキンを迎え入れて三日後、恐る恐るスイッチを押した。結果、やはりそれは擬似的なもので、わたしの寂しさはちっとも満たされなかった。

「反省はしてます……」

 一時のテンションに身を任せる奴は身を滅ぼす、といつだったか銀さんが言っていた。本当にその通りだ。一度使ったあとも何度か使ってはみたが、やはり人間の体とは似ても似つかなかった。
 正座するわたしを尻目に、銀さんはマネキンをまじまじと見ている。まるで鑑定士のように。
 とても気まずい。気持ち悪いと思われただろうか。
 事情説明のあと、しばらく無言が続いた。居た堪れなくなり口火を切ろうとすると、「あり」と銀さんがこぼすように呟いた。見ると、マネキンの左腕が取れている。ただのマネキンではなくいろいろと機能をつけたからくりは、とても高額だ。わたしも大金を出している。その片腕が一本いくらするか。

「な、何してんの!?」
「取れた」
「取ったんでしょうが! 大枚叩いて買ったのに!」
「え、なに、タイ米?」

 銀さんが持っている左腕を奪う。質感は肌に近付けてあるので、まるで人間の腕そのもののように思える。
 もしも銀さんが気持ち悪いからこんなものは捨てろと言ったら、無論、捨てる気だった。けれどいざ壊れてしまうと、お金のことが先に浮かんでしまう。わたしの給料ウンヶ月分が——。元々自分の血迷った行動が悪いのだとはわかってはいるが、でも。でも、あんなにお金出したのに。
 がっくりと肩を落とす。銀さんは退屈そうに首筋を掻いていた。

「あのさあ、それってあれだろ、つまりオナペットだろ」
「オブラート!」
「おまえは銀さんに会えなくて、その人形で抜いてたってだけのことだろ」
「誤解! ていうか抜いてないし言い方! オブラート!」
「どっちみち、もういらねえじゃん」

 左腕が攫われ、ぽいと無造作に投げられる。硬い音と共に床に落ちる腕。うちは賃貸で床も壁も薄いので、衝撃には弱い。抗議しようと銀さんを振り返ると、頭を押さえられ、顔は胸板に沈められた。ぶふっと息が漏れる無様な声が出た。

「俺がいればいいってことだろ」

 腕が腰に回ってくる。密着するように抱き寄せられ、互いの距離はなくなった。
 衣擦れの音。分厚い胸の奥に感じる鼓動。僅かに動く指。不満も不安も寂しさも優に解す、体温。
 マネキンでは補えないはずだと思い知る。マネキンには、この温かさがなかったのだ。
 本当は少し文句を言いたかった。わたしが寂しい思いをしたことをぶつけてみたかった。銀さんは真剣に聞かないかもしれないけど、聞いてもらうだけでいい。たまには愚痴っても、バチは当たらない。
 しかし、単純なわたしはあっさりと丸め込まれている。文句なんか、ひとつだって出てきやしない。
 銀さんの胸に顔を擦り寄せる。後頭部を撫でた手が、髪を一房掬う。

「……おまえ、焼肉とか食った?」
「え、うん。お妙さんとか九ちゃんとか、ツッキーとかと……」

 間が空く。しばらくして、低い声で「へえ」と銀さんが言う。そして、徐々に腕の力を強めてくる。

「俺があくせく働いてる間に? 優雅に焼肉? へえ〜そうなんだァそりゃさぞかし美味かったろうなァ? いいなァ〜焼肉食いたかったな〜」
「い、痛い痛い背骨折れる!」
「うるせー全身粉砕骨折させてやろうか!」
「男の妬み嫉みみっともない!」
「人形で抜いてた女に言われたくねーわ!」
「抜いてないったら!」

 ドンドンドン、と壁が激しく叩かれる。隣室からの抗議に、ひっと身を竦めた。隣室にはちょっと怖いお兄さんが住んでいるのだ。たぶん堅気じゃない。
 わたしと銀さんは揃って固まり、壁の振動が治まるとほっと息を吐いた。そうして顔を見合わせ、また抱き合う。心地良さに安堵していると、背中の手が怪しい動きをはじめ、わたしは身構える。

「ぎ、銀さん?」
「一応言っておくけど、俺も相当溜まってるから」

 たぶん、おまえの比じゃないくらい——。ぎらりと光った目に、後退りしそうになる。足にぶつかった無機質な腕が、向きを変えて転がった。


 翌日、マネキンを抱えて源外さんの元へ行くと、バカップルのお膳立てをしただけのようだと呆れられた。ちなみに、マネキンはその後引き取り手が決まったらしい。長髪で眼鏡の美人だというが、どうにも知り合いな気がする。が、黙っておいた。
 わたしにはもう必要のないものだし、ほかで補えるものではないと、嫌というほど思い知らされてしまったので。





丸ごと愛して





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*匿名さん 坂田銀時
リクエストいただきありがとうございます。軽いテンポで楽に読めるものを書こうと思い、こんな仕上がりになりました。なんだかんだでバカップルみたいな話になりました。
これからもお暇なときに遊びにきてください。企画にご参加いただきありがとうございました!






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