植物を愛する父は、自慢の庭の手入れに余念がない。定期的に庭師を呼び、自らも立ち会って細かく指示を出す。しかし、あらかじめ言っておくと父は植物を愛してはいるがその生態に詳しいわけではない。プロである庭師の仕事の仕方に口を出すほど、理解があるわけではない。なぜなら父はただの呉服屋だからだ。
 愛想笑いを浮かべる庭師を横目に、わたしは帳簿を閉じた。穏やかな風の吹く午後三時。お茶でも飲みたいとぼうっと考えていると、廊下から使用人の老婆が顔を出す。

「ナマエ様、少しお時間よろしいですかな」

 彼女の手には数枚の端切れがある。わたしは意図を察し、微笑んで快諾した。が、内心では辟易としていた。明日か明後日には飽きもせず釣り書きが来る。その先の憂鬱な時間を想像し、溜め息を吐きたくなった。
 姿見の前に立ち、老婆が端切れをわたしの襟元に一枚ずつ当てていく。石竹色、藍白、霞色、若芽色——。老婆は数度同じ動作を繰り返し、石竹色の端切れを当てて頷いた。

「やっぱりナマエ様にはこの色ですねぇ」
「わたしは緑のが好きなんだけど」
「顔色がよく見えるのはこちらのほうですよ。呉服屋の娘が似合わないものを着てはいけません」

 わたしの意見は最初から聞き入れてもらえず、老婆は一人納得して部屋から出て行ってしまった。その背を見送り、未だ庭で話し込んでいる父と庭師を見遣る。いいかげん庭師も笑顔が引き攣ってきている。
 そこへ助け舟を出したのは兄だった。父に何か用事を言って、一緒に屋敷に戻ってくる。わたしはいそいそと帳簿を開き直し、乾いた筆を墨に浸けた。何食わぬ顔で筆を動かし、廊下を歩いていく二人をやり過ごす。お互いに一瞥もくれず、足音が聞こえなくなったのを確認して再び筆を置いた。
 紙面に羅列した数字から目を逸らして天井を見上げる。後ろ手を着いてようやく溜め息を吐くと、天井板が一部外れた。現れた銀髪の男と目が合う。数秒の間を空けて、ようやく訊ねる。

「何してるんですか、銀時さん」
「いや、ネズミ退治の途中なんだけど、ケツが嵌まって抜けなくなっちまって、ってぅお!?」

 銀時さんの体重に耐えきれなくなった天井板が外れた。彼は盛大な音を立てて部屋に落下し、腰を強打した。





「っはー怒られた怒られた。あのババア、説教が長過ぎる」

 腰を摩りながら銀時さんが部屋に入ってきた。何の断りもなく入室してくるのは、父か兄か、銀時さんくらいのものだ。はじめは無礼な言動に戸惑ったが、すぐに慣れてしまった。
 使用人の年長である老婆に散々叱られたあとの銀時さんは疲れた様子でどかっと畳の上に座った。そして躊躇いなく着物と黒いジャージを脱いでいく。あっという間に現れた肌色の背中に呆気に取られる。ぽかんとしていると、銀時さんはわたしに「貼って」と湿布を差し出した。ああ、そういうことかと内心で頷く。
 青く変色し始めている腰に恐る恐る湿布を貼る。出っ張った背骨。分厚い肉体から、温度を感じる。古い傷痕もある。勝手にどきどきしているのが申し訳なくなって、照れ隠しに少し浮いた湿布を叩いて馴染ませた。

「痛! えっ、なんで叩いた?」
「なんでもありません」
「なんでもないのに叩く?」
「叩きたくなったので」
「ひとの背中でストレス発散すんのやめてくんない」

 唇を尖らせ、銀時さんが衣服を纏っていく。身体に馴染む流水紋の着流しが、ふわりと揺れた。
 銀時さんは、最近我が家に出入りしている短期バイトの使用人だ。かぶき町で万事屋を営んでいて、新しい使用人が見つかるまで我が家で働くことになっている。が、それももうすぐ終わりになる。父の友人の娘が使用人として働くことになり、遠方から出稼ぎに来ることになったのだ。銀時さんは、その娘と入れ替わる形でここを離れることになる。
 着流しの片袖を脱ぐ独特の着こなしをして、銀時さんは「そういえば」とわたしを振り返った。またその着方をするのかと眺めていたので、予期せず目が合ってしまい心臓が跳ねた。

「ババアたちが話してたけど、お見合いするんだって?」

 心臓と一緒に跳ね上がった体温が、波が引くように奪われていく。他の誰に知られても構わないが、銀時さんには知られたくなかった。

「お見合いなんて、そんな」
「やれ着物を用意するだ、やれ料亭の予約がどうだ聞こえたんだけど」
「い、いつものことで」
「ふーん。いつもあるんだ」
「いつもっていうのは、いつもお断りしてて」
「お断りするほど話があるってことだろ?」

 創業ウン十年の呉服屋のお嬢様だもんなぁ、と銀時さんは寝転んだ。腕を枕代わりにし、瞼を下ろしている。言葉のわりに行動に遠慮がない。そのお嬢様の私室で、臨時雇用されているだけの使用人が、なぜ堂々と寝る姿勢に入っているのか。父が見れば卒倒するような光景だろう。
 銀時さんの言う通り、お見合いをするのは初めてではない。これまで幾度も席を設けられている。相手は由緒正しいお家柄の子息だったり、幕臣だったり——。とにかく互いの家の名前に傷がつかない程度に裕福で、真っ当な職を生業にしている男性だった。けれど、毎度丁重にお断りしている。わたしにはもったいないくらいの縁談であるとはわかっているが、気持ちが固まらない。一匙ほどの好意もない相手と結婚する勇気も、本当に好きな人を諦める気概もないのだ。
 お見合いのことを銀時さんにだけは知られたくなかった。肩を落としていると、のろのろと銀時さんが起き上がる。後頭部を掻きむしっている。

「そんなに憂鬱なら親父にガツンと言やいいだろ」
「……何様だとどやされますよ」

 父は家督は兄に継がせ、わたしのことは商売を円滑にするための駒だとしか思っていない。きっと今回の相手も、名前を出しても恥ずかしくない人物を選んでくる。散々断り続けてきたが、そろそろ断る理由もなくなってきた。なんとなく嫌だでは許してくれない。

「結婚する気はありませんって言うだけだろ」

 事も無げに銀時さんは言う。しかし、わたしは唇を歪めて口籠る。

「そんなこと言ったら、家を追い出されます。わたしにはここを出たら何も残らないし、何の取り柄もないし……」

 俯くと、黒い膝が見える。呆れられてしまっただろうか。でも、本当にわたしが持っているものはこの家があってこそのもので、自分で築き上げたものはないのだ。あの庭と同じ、父に逐一口出しされ、言われるがままに育ってきた。余計なものは削ぎ落とされ、見目だけ整えられている。
 きっと銀時さんは、ここを出ればかぶき町で自由に過ごしているのだろう。自分で積み上げた暮らしをしているのだ。自らの足で歩いて、信じた道を進んでいる。わたしもそこへ行きたいだなんて口が裂けても言えない。
 長い溜め息が聞こえる。そっと顔を上げると、頬を摘まれた。少し痛い。

「暗い顔ばっかしやがって」
「ふぇっ」
「もうすぐ銀さんもここ終わりなんだからよぉ、せめて笑顔でお別れにしてくれや」

 手が離れていくと、頬がしばらく熱かった。
 もうすぐ終わり——。その言葉が、鉛のように胸に沈んでいった。





 身体が重い。会席料理と少々のお酒が胃の中に岩よろしく鎮座している。
 姿見の前にぺたりと座り込んだ。石竹色の着物を纏ったわたしの浮かない顔が夕陽に照らされている。
 今日のお見合い相手は、六代続く和菓子屋の御曹司だった。古くから江戸に店を構えており、古き良き菓子を受け継いでいる。しかし、わたしが会った次期七代目は古きを廃し、新しい挑戦を試みたいのだと熱心に語ってくれた。夢があって、前向きで、とてもいい人だと思う。
 ——ナマエさんは和菓子はお好きですか。
 ——おはぎが好きです。昔、祖母が作ってくれたものがとても好きでした。
 ——お祖母様ですか。おはぎは昔ながらのものですからね。
 うんうんと頷き、それは素晴らしいですねと相槌を打たれた。何をそんなに肯定されているのかよくわからなかった。
 ——昨今では、菓子も見た目がきれいなものが好まれる傾向にあるんです。僕の店では、おはぎや饅頭の類ではなく、色形にこだわった練り切りなどに力を入れています。若い世代にこそ和菓子の良さを知ってほしいですから。
 晴れ晴れとした笑顔から、悪気はないのだと感じた。聞いていた話だとまだお店はあなたのものではないはずだけれど。わたしは会話を中断することもなく、適当な笑顔でその場をやり過ごした。おかげで表情筋が突っ張って疲れた。
 いつまでこんなことをしなくてはいけないのだろう。帰りのタクシーの中で、わたしは銀時さんの言葉を思い出していた。父に自分の本音をぶつけたことなんてない。でも、ぶつけてみる価値はあるんじゃないだろうか。早鐘を打つ心臓を押さえるように胸元で手を握り、意を決して声を振り絞った。

「わたし、結婚する気はありません」

 車窓を眺めていた父の顔がゆっくりとこちらを向く。太い眉の下の目が、鋭く細められた。

「ならば娘でいる価値はない」

 薄々、そんなふうに返されるのではないかと予想はあった。けれど実際に聞いてしまうと、鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。結局、父にとってわたしは駒でしかなかったのだ。そして、そんな一言で切り捨てることができるくらいに、軽い駒だった。
 父は再び車窓に目を移した。わたしは自分の膝下を見下ろし、顔中に血液が集まっていくのを感じた。情けないことに、そこでタクシーを降りることも、返す言葉も出てこなかった。

「すみません……」

 出てきたのは消えそうな謝罪だけ。それから言葉を交わすことはなかった。

 障子の向こうで夕陽が沈んでいく。夕方のチャイムが街にこだましている。鏡の前で髪留めを一つずつ外していく。輝く飾り。頬紅に、口紅。彩り、着飾って、本音の一つも言えない自分がほとほと嫌になる。素顔のわたしはどこへ行ってしまったのだろう。
 見下ろした床に並べた飾りに、塵が降ってくる。天井を見上げると、板が音を立てて揺れていた。先日、銀時さんが壊した場所だ。
 じっとそこを見ていると、板が外れた。顔を出したのは、やはり銀時さんで——。

「いいとこ見つけた。たぶん、おまえの親父も兄貴も知らねえとこ」

 不敵に笑った銀時さんが、天井から手を伸ばす。わたしは導かれるように文机に乗って、背伸びをして手を上げた。その手を銀時さんが掴み引き上げる。太い腕にしがみつき、わたしは天井裏に誘われた。
 暗くて狭く、埃っぽい空間には無数の柱が並んでいた。銀時さんは四つん這いになって、あっちだと進み始める。わたしは辺りを見回しながらあとを追った。外から見ると広くて豪勢な屋敷も、中から見れば柱があって、たくさんのものに支えられて建っているのだ。

「ここから屋根に出られる」

 銀時さんが止まる。大きな身体を縮めて腰から木刀を抜き、柄で天井板を叩いた。出られると言うより、壊しているんじゃないだろうか。わたしは冷や冷やしながらその様子を見ていた。
 二度、三度と突かれると、板が外れた。四角く夕陽をこぼす隙間から銀時さんが屋根へ出ていくので、わたしも続く。
 瓦の屋根に上がり、吹き付ける風で前髪が靡く。開けた視界に広がる景色に、思わず感嘆の声が漏れた。
 流線型の雲を燃えるような夕陽が赤く染めている。ターミナルが光を反射し、鈍色に光っている。眼下の丘を覆う草原に咲いたネモフィラが、風で一斉に揺れる。赤色と青色が混じり、それは美しい紫色になっていた。
 我が家は店とは別にある小高い丘の上にある一軒家で、近隣にはほとんど建物がない。しかし、平家なので見渡せる景色といえば裏の山か庭先くらいだった。家を出るときには草原を過ぎていくが、こうして見渡したことはなかった。もちろん屋根の上にも上がったことはない。

「な、いい場所だろ」

 にやりと銀時さんが笑う。笑みを返すと、銀時さんは満足げに景色を眺めた。その横顔を見つめていると、じわりと目頭が熱くなってくる。
 銀時さんは、今日、ここでの仕事を終える。あの夕陽に飲まれる街へ帰っていく。
 溢れそうになる涙を堪え、口内を噛む。

「見合い、どうだった」

 どうしてそんなことを訊くのだろう。前を向いたままの銀時さんへ、わたしは息を漏らして笑った。

「すごくいい人でした。明るくて前向きで、一緒にいたら、楽しそうな」
「ふーん……」
「なんですか?」
「いや、よかったね」

 銀時さんはゆるやかに笑みを作った。夕焼けはいつまでも続かない。風が徐々に冷たくなり、銀時さんはそろそろ戻るか、と踵を返した。その腕を握って引き止める。銀時さんは僅かに目を丸くした。

「なに?」
「……銀時さん」

 一緒に行きたいです。結婚なんてしたくありません。あの人はいい人だったけど、将来有望なのかもしれないけど、わたしが一緒にいたいのは、胡散臭くて図々しい、銀時さんなんです。裕福じゃなくても、真っ当じゃなくても、わたしはあなたが好きなんです。

「……どうした?」

 口を開けては閉じてを繰り返す。そうしているうちに顔を覗き込まれそうになり、首を大きく横に振った。

「なんでもありません」
「なんでもないのに」

 銀時さんが視線を腕に下ろす。わたしは彼の腕を掴んだままだった手を慌てて離した。
 笑ってお別れ、笑ってお別れ——。繰り返して、なるべく自然に笑った。

「短い間でしたが、お世話になりました。ありがとうございました」

 笑顔でお別れにしようと言ったのは銀時さんのほうなのに、銀時さんの表情は微妙なものだった。





 和菓子屋の御曹司と再び会うことになった。彼は多趣味で、盆栽や植物にも造詣が深いらしい。父と意気投合し、屋敷に招いて食事をして、一緒に庭を回ることになった。憂鬱だと息を吐いても、もう見たことのない景色へ連れ出してくれる銀時さんはいない。わたしは自分で自分の憂さを晴らさなくてはいけない。が、どうすればいいのか、具体案は今のところ見つかっていない。
 食事をしながら、上滑りな彼の話を聞いていた。父は終始笑顔だったが、内心では小童の戯言とまともに取り合ってはいないだろう。呉服は伝統を重んじるものだ。新しいものに飛びつくような彼の浅薄な言葉は響いていないに違いない。
 食事を終え、縁側から庭に出る。今日も庭師が来ている。何もこんな日に呼ばなくてもいいのではないかと思ったが、おそらく庭師にあれこれと要望を出す姿を彼に見せつけたかったのだ。見栄っ張りな父も、十分浅はかだ。
 先を歩く父と彼の後ろを何となしに進む。あの花はああで、この木は取り寄せたもので、と父がしゃべっている。彼は相槌を打っている。どうでもいいが、わたしは彼の本当に聞いているのかいないのかわからない、適当な相槌が好きではない。聞いていないならいないで、いっそのこと無視してもらったほうがいい。
 ふと目に入った菖蒲に足を止める。紫色の花弁は、あの日に見たネモフィラを想起させる。形は似ていないのに、ずいぶん引きずっているな、と自嘲する。

「オイ、何してるんだ!」

 父の激昂した声に反射的に顔を上げる。見ると父が庭師に怒鳴っていた。

「どうしたんですか?」

 凄まじい剣幕の父の後ろに立ち尽くす彼に歩み寄る。彼は狼狽しながら庭師を指差した。

「切ってはいけない枝を切ったようで」
「枝?」

 指差された先を見遣り、息が止まった。格好こそ庭師だったが、頭に巻いた紺色の頭巾から覗いている銀髪を見紛うことはない。
 その人は高枝用の剪定鋏を持って、鼻をほじっていた。

「あー切っちゃいけないやつでしたぁ? すいません新人なもんでぇ」
「ぎ……」

 出かかった声を父が遮った。

「そういう問題じゃないだろう!」

 見たことがないほど顔が真っ赤になっている。怒りで声が上擦っている。父は握った拳を震わせ、銀時さんへ詰め寄った。

「わたしが何年、この庭に手をかけてきたと思っている! 手塩にかけ、愛情を注ぎ、描いた通りに、ここまで来るのに一体何年かかったか!」
「手塩にかけて愛情をかけて描いた通りに?」

 銀時さんが繰り返す。父は口を挟まれると思っていなかったのか、眉を顰めて閉口した。
 ぐるりと庭を見回し、銀時さんは薄ら笑いを浮かべた。

「なるほどねぇ。確かに、木だの草だの花だのは何にも言わねえもんな。自分の思った通りに必要なもん残していらねえもん切り落とせば、それで終いだ。愚痴も文句も口答えもしない。それがアンタの愛情だってんなら結構だよ。俺には関係ないから好きにすればいい」

 滔々と銀時さんが語る。表情を歪めていた父が怪訝な様子で訊ねる。

「なんだ貴様、何が言いたい」
「別に言いたいことなんざねえさ。ただ、てめーを満たすためだけのお飾りや、ものを言わねえ手駒が欲しいんなら、そりゃ娘だろうと思い通りにならないなら、いらないだろうと思ってな」
「……なんだと?」

 御曹司がわたしを振り返る。わたしは銀時さんを見つめていた。何のことを言っているのか、すぐにわかってしまった。銀時さんは笑みを消して頭巾を解き、父を見据える。

「普通、親父ってのは娘がかわいくてしょうがなくて嫁になんざやりたくねえもんだと思ってたが、アンタはそうでもないようだな。何たって半べそかきながら見合いするような娘を放置プレイできるんだもんな」
「貴様、何を」
「てめーの話には興味はねえ。俺が訊きたいのは、てめーの汚ねぇ声じゃねえ」

 銀時さんの目がこちらに向く。ナマエ、と名前を呼ばれる。面と向かって名前を呼ばれたことなどあっただろうか。その声音に、聞き慣れたはずの自分の名前に色が付く。

「選べ。このまま死ぬまで誰かのお飾りや駒でいたいのか、それとも、ここを出て、てめーの足で泥だらけでも、小汚くても生きていくか。自分で選べ」

 その場にいる全員の双眸がわたしへ向かっている。父の責めるような眼差し、御曹司の戸惑いを隠し切れていない眼差し、そして、銀時さんのまっすぐに光る眼差し。
 わたしは今、自分の言葉を求められている。躊躇っている時間はない。わたしが願うのは、他の誰でもない、わたしがわたしでいられる場所。何もかもを無くしても、ありのままのわたしを受け入れてくれる場所へ行きたい。それはどうか、どうかあなたのいる場所がいい。
 絞り出した声は小さく、けれど、紛れもなくわたしの言葉だった。
















「あの天然パーマ、今日こそ海の藻屑にしてやろうかね」

 煙草のフィルムを剥がしながら、お登勢さんは苦々しげに言った。今月で家賃滞納五ヶ月を超える。お登勢さんが般若のような面構えになるのも止むを得ないだろう。わたしは苦笑した。
 店の奥では、最近スナックで働きはじめたキャサリンが煙草を吹かしている。彼女はお登勢さんに拾われた身で、最初こそ甲斐甲斐しく働いていたが時間を経るごとに次第に厚かましくなっていった。たぶん、今の彼女が素の顔なのだろう。取り繕われているよりはいいけれど、態度が大きすぎるんじゃないかと思うことが多々ある。

「悪いけどナマエ、アンタ取り立ててきてくれるかい。言い訳は聞かなくていいよ」
「わかりました」

 スナックを出ると、二階から大きな足音が響いてきた。階段を降りて現れたのは神楽ちゃんとペットの定春だった。散歩に行ってくると言う彼女たちを見送り、わたしは二階の万事屋へ向かう。
 インターホンを鳴らしたものの、返事がないので引き戸を開けた。玄関には黒いブーツが一足あるだけだ。居留守を使うならブーツは隠さないとだめだろう。頭隠して尻隠さずと言うか、詰めが甘い。
 草履はないので、新八くんは不在のようだ。従業員を入れても拗れて、結局は一人仕事をしていた彼が従業員、しかも未成年を雇ったときはどうなるかことかと心配した。しかし、今では新八くんたちは万事屋に於いて必要不可欠になっている。だめな大人を叱咤してくれる稀有な存在だ。

「銀時さーん?」

 ガタガタと窓際の机が揺れた。日の差し込む机の下から、銀時さんが顔を出した。安堵したように溜め息を吐いている。

「なんだ、ナマエか……」
「なんだってなんですか、失礼だなあ」
「ババアとか猫耳年増だったら何か引き千切られるだろ」
「家賃、払ってください」
「早速それかよ。オメーもすっかりババアの手先だな」
「わたしをここへ連れてきたのは銀時さんでしょう?」
「そうだっけ……てか、あのさ」

 じっと見つめられる。首を傾げると、ちょっと来いと言わんばかりに手招きされた。おとなしく歩み寄っていくと、腕を引かれて抱きすくめられた。

「銀時さんっていうの、やめろって言ってんだろ」

 胸板に顔を埋める。少しだけ甘い匂いがする。不思議なことに、銀時さんはとてもいい匂いがする。お酒の匂いや汗の匂いがすることもあるけれど、どれもこれも心地良い。補正がかかっているのかもしれないが。

「銀時さんは銀時さんだから」
「銀さんでも銀ちゃんでもいいって。あ、語尾にハートが付く感じで」
「おやじくさい」
「あ、傷付いた。ガラスのハートがヒビいったよ、どうしてくれんの」

 身動ぎすると、腕の力が弱まっていく。言葉とは裏腹に傷付いた素振りはなく、銀髪の隙間で赤い瞳がやさしくわたしを見ている。
 爪先に力を入れて背伸びをする。唇を合わせて、ほんの二秒。足を下ろして見上げると、銀時さんが瞬きを繰り返している。

「なに、そういう気分ならやぶさかでもないけど」

 腰に回された手に力が籠る。わたしは銀時さんの胸を押して距離を取る。

「なんでもありません」
「なんでもないの? え、本当になんでもないの? エッチな気分とかじゃなく?」
「なんでもないので家賃払ってください」
「何これ、新手の取り立て? こんなんならウエルカムだしむしろ一生家賃払わねえけど」
「払えないんですね。わかりましたお登勢さんに言ってきます」
「えっナマエちゃん!? ちょ、待って待ってお願い! 俺まだ死にたくないんだけど!」

 銀時さんを振り払い、万事屋を出る。透き通るような晴天を太陽が照らしている。
 決して高くない、見渡せるものは見慣れた景色。けれど、街を行く人々は皆思い思いの場所へ向かい、自分の足で進んでいる。草花は大地に力強く咲いて、木々は根を張る。好きな色の着物を着て、ありのままのわたしを受け入れてくれる人たちと、大好きな人と一緒にいる。
 小さくて大きなこの庭が、皆が自由に息をできる場所であればいい。好きな形に彩って、好きなものを飾ろう。歪でも、ちぐはぐでも、きっとそれが、わたしたちの庭になる。





箱庭





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*匿名希望の30歳さん 坂田銀時
いつも楽しみにしていただいてありがとうございます。長編は練り込んで書き始めるタイプなのでまとまった時間を取れればまた新しいものを書き始めたいですね〜。気長にお待ちいただけますと嬉しいです。
ブラインドケーブ・フィッシュですがこちらオムニバス形式みたいな形で続きものにするために準備してます!書きたい場面やラストも頭の中とメモにあるんですが、最後には少し光があるような感じで終わる予定です。合間にも暗い話ばかりではなく平和と少しの甘酸っぱさを入れられたらいいなとは思ってます。
リクエストいただいた話ですが、まとまらなくて長くなってしまいすみません。お嬢様にお花要素も入れてみましたがいかがでしょうか……雰囲気を決めてから話を書き始めることがあまりなかったのでドキドキでした。楽しんでいただけたら嬉しいです。
暑くなってきましたがお身体にお気をつけてお過ごしください。今後もマイペースでやっていきますのでどうぞよろしくお願いします!








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