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珍しく、高熱を出した。
頭痛がする。寒気もする。
「…っ、は、」
熱い。
怠い。
身体を起こしただけで節々が軋み、咳き込む。
この程度、自分一人なら無視できるレベルだけど、夏空様がいるからそうもいってられない。
ただでさえ人より体の弱い御主人様に万が一でも風邪を移して、辛い思いをさせるわけにはいかない。
「…早く、夏空様の朝食の準備をしないと…」
きっとあの人のことだ。
俺がこんな状態であることを知れば、心配する。慌てふためいて、酷く泣きそうな顔をするだろう。
だから早く朝食を作って、いつもより早い時間に学校に送りだそう。
そうすれば、なるべく接近せずに、風邪を移すかもしれない危険性を減らせる。
「…はやく、」
朦朧とした意識のまま、ベッドからおりようとした脚は膝から力なく崩れおちた。
…気づけば、床が目の前にある。
それによって、意識が数秒飛んでいたのだとわかった。
(…何をやってるんだ、俺は)
夏空様のために、
…俺のこの身はすべては夏空様のためにあるのに、
こんな、こんなくだらないことで、
「…あの人に、…泣きそうな顔だけは、させたくな…」
熱のせいで震え、上擦る声は、
…再び襲ってきた睡魔によって、中途半端に途切れて消えた。
―――――――――
………
…………………
「……と、」
子守歌のような優しい声が、聞こえる。
…声に惹かれるように自然と瞼を持ち上げ、
「………え、」
思わず、驚きの声が漏れた。
(…な、んで、)
すぐ目の前に広がる光景に、心臓がひっくりかえりそうになる。
いや、そんなはずがない、なんで、だって、でも、
脳内がパニックに陥り、けれど、
「相変わらず、ツンデレの甘えん坊さんだな。咲人は」
「…っ、」
…俺に膝枕をしている彼の、…夏空様に瓜二つな顔をしているその人の言葉で、すぐに悟った。
泣き笑いにも似た笑みを浮かべ、唇を歪ませる。
「…は、は、」
途切れ途切れに、引き攣ったように笑う。
(―――嗚呼、これは夢だ)
一瞬で消えてしまう、とても儚い…夢。
だって、そんな顔で君が俺の髪を撫でているから。
古い屋敷の縁側で、…着物を着て大人びた顔をしているから。
…夏空様では、ないのだと…すぐにわかった。
最初は、夏空様がいきなり成長したのかと思ったけど、昨日の今日でそんなに変化するはずがない。
「…咲人」
優しくて、…耳に心地よい声が…酷く愛おしそうに俺の名前を呼ぶ。
照れ臭くて嫌がる俺に無理やり膝枕をして、…ゆっくりと気遣うように頭を撫でてくれている。
「……っ、」
(嗚呼、泣きそうだ)
……コク、と喉が大きく震えた。
途方もない悲しみが、喜びが胸を痛いほどに締め付けて、…苦しめて、…みっともなく叫びたくなった。
「―――……」
熱く痙攣する喉でその名を呼び、すがり付いて、…全身で君を求めたくなる。
けど、
「……、」
夢の中の俺は何も言えなくて、
声どころか指の一本すら動かせなくて、
この幸せな夢を、永遠に終わらせたくなくて、
俺は、――
「…っ、さっくん!!」
「…ッ、」
突然耳に大きく響いた声に、心を揺さぶられ、目を覚ます。
「っ、さっくん!!大丈夫か?!氷、氷持ってきたけど、これでいいのかな、さっぐん、死なないで、さっぐん…っ、」
大慌てで、涙目な…というか最早泣いている御主人様が俺に抱き付いていた。
ぶんぶん揺さぶられる。
しかも、知らない間に氷が頭の上からそのまま乗せられていた。
(…すごく冷たい)
頭部がその氷のせいで異様に冷えて濡れて痛い。
しかも中途半端に服も脱がされていて、その手に持っているタオルで上半身がべちゃべちゃに濡れている。
汗をかいていたから拭こうとしてくれていたんだろうということはわかるけど、全身寒くて余計に悪化しているような気がする。
けど、
「…っ、はは…っ、」
おかしくて、微笑ましくて、笑ってしまう。
きっと、夏空様なりに、一生懸命俺を看病しようとしてくれていたのだろう。
「一体、どれだけ俺を嬉死にさせれば気が済むんですか、貴方は、」
「…っ、さ、っくん…?」
頬を伝う涙に、喉を震わす感情に、笑いながら泣いた。
戸惑い、目を見開く夏空様を抱き締めながら、密着する体温とあたたかな感触にまた瞼の裏が熱くなる。
「…っ、大好きですよ。貴方が、大好きです…」
夏空様がここにいるんだってことを確認したくて、
不安でどうしようもない心をどうにかしてほしくて、
安心するために同じ言葉を返してほしくて、
――――今日も、その言葉を吐きだした。