彼は籠の中の鳥 1


「寒い。着てるもの、全部脱いで俺に頂戴」

「………」


無理に決まってるだろ。
口には出さないけど、心の中でそう思った。


…――それはある冬の日のこと。


隣でぶるると震えながら、マフラーに顔を埋めているのは俺の"御主人様"の一之瀬蒼である。

正直に言うと、ご主人様なんて思いたくはないのだが、今の蒼と自分の関係を表すとそんな感じに見えると思った。

その綺麗な顔を不機嫌そうにゆがませる蒼に、遠慮がちな目つきでこっそり視線を向ける。

住んでいる場所も、服も、靴も、食事も、”俺”自身も、全部蒼のものだから。

…俺のものなんか、ひとつもない。

口から出る白い吐息を見つめて、首にあるやわらかな感触に、ふっと頬を緩ませた。

巻いたマフラーが冷たくて、少しでもあったかくしようと息を吐いた。
吐息で一瞬あたたかくなったそれは、すぐに冷たくなる。


「えー」

「…ごめん、マフラーしかないから。これで許して」


俺の視線の意味を把握し、口の下にマフラーを下げて不満げにそう呟く蒼の首に、自分の首から取ったそれをぐるんぐるんと急いで丁寧に巻いていく。

マフラーが少し蒼の顔に当たって、鬱陶しそうに目を瞑った。

眉を垂れさせながらしょぼくれて歩いていると、途端に冷気が首の辺りに吹き付ける。

(うう、寒い…)

泣きそうになって、「全然あったかくならない」なんて文句を言う蒼に、ため息をつきながら歩く。

ただでさえそっちはマフラー二重まきで、こっちなんてマフラーないんだぞ。
そんなに文句を言うなら返せよと言いたい。

ちらりと俺の方を見た御主人様と目が合う。
不機嫌だった目が、細められる。


(い――っ)


やばいと思った瞬間には、手首を掴まれて思い切り握られた。

激痛が走るその場所に、泣きそうになりながら「痛…っ」と呻いて顔をしかめる。

蒼のその整った色の薄い唇が歪に笑みを作るのを見て、なんだか気分が悪くなってきた。


(そんなに俺の視線にムカついたのか)


俺の頬を軽く撫でるように触れて、恍惚とした表情を浮かべる蒼に、今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。


「泣きそうなまーくんも可愛いな」

「…っ」


身の毛もよだつおぞましいことを言われ、身体が反射的に震えた。
そんな俺を見て、ふ、と微笑む顔。


「嗚呼、そうだ。今日の夜、まーくんの知らない人に部屋に来てもらおうか」

「…え、」


揶揄うような、でも冗談には聞こえない口調に、一瞬思考が停止した。
答えない俺に、蒼の顔が不機嫌になる。


「……へぇ、嫌だって言わないってことは拒否しないんだ」


そう残してすたすたと歩いて行ってしまう背中に、全身から血の気が引いた。


(知らない人――、って)


つまり、顔も知らないやつに抱かれるってこと…なのだろう。

そんな途方もなく現実味のない言葉に、身体が一瞬動かなくなった。
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