けれど近頃はなぜかもわからないまま、ずっと空腹感を抱えているような気がして。
「あれ、神山さんじゃん。好きなものとか特にないって言ってたのに、珍しくない?」
「進路とかのストレスかな?あ、でも神山さんって……確か、もう私立大学に推薦もらってるんじゃなかった?」
クラスの女子達が言うようにストレスなのだろうか、それはわからない。けれど、ただただ満たされないような気がして――元々部活をやっておらず風呂もトイレも最低限だったこともあり、特に授業も何もない暇な時間は学食に足を運んでしまっていた。
好物を見つけることで周りが言う『人間』に近づきたいなどと、そんな確かな動機があるわけでもなく。無駄に予定を入れて忙しさの濁流に身を置くことに充足を感じる人々の如く、ただその質量に内側を埋め尽くしてほしくて、味わうこともなく目の前の食物を身体に詰め込んでいく手は止まらない。まるで、プラスチックビーズがぎっしりと詰まったクッションにでもなった気分だ。
けれど、そうしているうちに結局身体の方が限界を迎えてしまって。心に反した身体に押し返されるようにトイレに行く間もなく吐き気に襲われた私は、男女共用の洗面台へと駆け込んだ――ところで。
「う……っ、」
「……神山?」
「?……わっ、ちゃん……?」
その声は、他でもない――私の幼馴染・『わっちゃん』こと牛島若利のものだった。
母親同士が知り合いだったことで今もこうしてなんとなく一緒にいるようになった彼だけれど、普段は部活のチームメイト達と一緒にいる印象の強い彼が1人でこんなところにいるのはなんだか珍しい。ましてやわざわざ私を見つけて駆け寄ってきたようにも思えないのに、何故彼はここに現れたのだろう。
「お前が最近よく食べるようになったと聞くから、少し気になってしまってな……あのときの五色みたいな理由でもあるのか?」
「ぁ……少し、ね。……わっちゃんが、心配しなくても、」
「だが、現にお前は吐きそうにしているだろう?幼馴染だし、放っておけないんだ」
曰くわっちゃんの部活の後輩だという五色くんは、彼に張り合うように2皿のハヤシライスを彼の目の前で食べるも結局食べきれずにお腹を壊し、ロードワークの列を外れたことがあるらしい。尤もわっちゃん本人は圧倒的な足の速さゆえにロードワーク以降の五色くんは見ておらず、あとは副主将だという大平くんから聞いた話らしいのだが――それとはおそらく事情が違うとはいえ、私の様子をいち早く察知したらしいわっちゃんはわざわざ探しにきてくれたのだろう。
けれど、彼が心配してくれたところで吐き気がおさまるなんてことは、あるはずもなく。
「ぅ……げほっ、」
「……とりあえず、吐くだけ吐いたほうが楽になるんじゃないか?」
言われるがまま舌を出せば後ろから左手を回され、そのまま人差し指と中指を入れられる。舌の奥を指で押し下げられた途端に込み上げる嘔吐感に胃の中身を吐き出せば、口の中に不快な酸っぱさが広がる。
そのまま何回か吐き出せば次第に胃の中が空っぽになっていく感覚がして、おかげで吐き気は治まっていた。けれど生理的な涙で視界が滲んでよく見えないものの、彼の左手に少しかかってしまっているのが見えて。
「あ……ごめ、わっちゃ、」
「気にしなくていい。洗えば落ちるからな」
幼馴染である私は、わっちゃんの左手が守られた事情もある程度は知っている。
曰く、彼の祖母と母親が矯正させようとしているところに、少しでも人と違うモノを持っているというのはきっとこの子の力になるからと彼の父親が直談判したのだとか――そうやって父親に守られたというギフトを今現在私が吐瀉物で穢している罪悪感が、余計に私を苛んでいく。
わっちゃんは私のことを純粋に心配してくれているだけだというのに、それで余計に苦しめられるだなんて、彼だってそんなことは望んでいないだろう。
「……ごめん、わっちゃん。ごめんね、」
「何を謝られているのかよくわからないが、このくらい大したことじゃない」
「うん。……でも、」
「満たされたくて、というのなら……俺も、付き合うから」
顔色の優れない私を気遣ってくれたのだろうわっちゃんが差し出してくれた水を受け取り、ゆっくりと飲み干す。少し落ち着いたところで改めて謝罪するが、わっちゃんは心底不思議そうな顔で首を傾げているだけだった。
どうして――どうして、幼馴染というだけでここまで私に尽くしてくれるのだろうか。
自分に尽くせないセッターはいらないとまで断言していたらしい彼が、どうして私にはここまでしてくれるのだろう。いくら幼馴染とはいえ私は彼に何もしてあげられていないし、今もこうして彼の厚意に甘えることしかできていないというのに。
「もう大丈夫だから、謝るな。それより、具合は?」
「うん、私ももう大丈夫。ありがとうね、わっちゃん」
「それならいい。……無理はするなよ」
あくまでも私の身体のことを思って言っていることがわかるだけに何も言えずにいると、わっちゃんはそのままその場を後にする。わざわざ買いに行ってくれるというなら申し訳ないけれどお願いしてしまおうかと思いつつずっと彼の後ろ姿を見送っていれば、しばらくして帰ってきたわっちゃんから経口補水液と共に『胃の調子が回復したら食べるように』と、地元の食物を使ったというドロップを私に渡してくれた。
舌に残る苦みは未だ消えないままだけれど、目の前のそれは私が食堂で口に放り込んだ何よりも、確かに私を満たしてくれるような気がして。それがわっちゃんから貰ったものだからなのかは、まだわからないままだけれど。