英雄は死んだ
その路地裏に男が一人、女が一人いた。
女は右腕を先ほど失った。切断面からどくどくと血が溢れ出ており、火傷の痕が残っている左腕でそこを抑えている。
しかし、抑えたところで、血が止まることはない。このままでは大量出血で死ぬのだろう。
死にかけの女を男はただ見下ろすばかりだった。彼は決して彼女を助けることはしないのだろう。
何故なら、この男こそが女の右腕を斬り落とした張本人……曽我明無良だったから。
「……見逃してくんないかなぁ。どうせこのままほっといたら死ぬんだし」
「いいや、悪党は必ず死ななければならない。根絶やしにするために、その根が腐り落ちるところを確認しなくちゃな」
「……そうかい」
女はこれから自分が死ぬ運命だと言うのに、口角が少し上がっていた。笑っているようである。それは歓喜の表情ではなく、どうしようもない状況でもう笑うしかない状態というものだった。
窮地に陥りこのような表情になる者達を明無良を幾千人と見てきた。
しかし、その誰もが笑っていながらも、怯えの表情を残していた。それがこの女の場合は……どこか安堵というか投げやりというか。とにかく、自分の死に何を思うこともなさそうな感覚があった。
だから、明無良はここまで女を殺さずに取り逃がした。あまりに下賤な悪党らしくない女だったから。
まあ、だからといって振り上げた刀を納める理由になりえはしないのだが。
「首を落とす」
「ちょっとちょっと、待っておくれよ」
「命乞いを聞く気はない」
「違うって。遺言を聞いて欲しいんだ」
「興味もない」
「私のいた組織と繋がりのある他の悪党の情報を渡すと言っても?」
「……」
明無良はその言葉にぴくりと反応した。
彼は今現在、たった一人で行動をしている。情報を集めてくれる仲間など誰一人としていない。ただ、見かけた悪党を惨殺して回っている通りすがりの厄災のような男だ。
女の所属していた組はたった今、明無良が壊滅させた。生き残っているのは彼女一人だけ。
明無良は悪党を殺す、という考えしかなかった為に情報を吐かせるという発想はなかった。
大体、情報を聞き出すかわりに生かしておいてやる……なんてことを嘘でも言うつもりは毛頭ない。
そんな彼に情報を渡すような存在など居るわけないだろう、とはなから諦めていたのだ。
しかし、この目の前の女は自分の死を受け入れながらも明無良に、決して己の利もない情報を提供するというのだ。
聞いたとしても明無良が思い止まってくれる様なものにもならぬ……独り言のような遺言を残したいがために。
「手短に話せ」
まあ、情報が手に入るに越したことはない。女が変な動きを見せれば即座に首を落とせるよう、明無良は刀を下ろさずそのまま女の言葉を待った。
「嬉しいよ。流石は英雄様だ、お優しいね」
「手短にと言ったはずだ」
「はいはい」
女は浮かべていた笑みをすっとおさめたかとおもえば、自分の身の上話を始めた。
*
何から話すかな。えーと……そうそう、この私の左腕だね。この火傷さ、私のクソ親父が熱湯かけて出来たやつなんだよね。実の娘を強姦しようとしてさ、それで抵抗したらぶっかけられた。全くもって酷い話だよ。
その親父はね、その後すぐに私の母に包丁突きつけられて死んだんだ。母が私のことを守ってくれたんだよ。
でも、親父がもっとクソなことがあってさ。怪しいとこから金借りてたんだよ。母がベランダから逃がしてくれたから私は無事だったんだけどね。裂けるように傷む左腕を抑えながら、薄れる意識の中で、死んだ親父の代わりに母が連れ去られていくとこを見てたんだよ。
あの時ばかりは自分の貧弱さを呪ったね。動け動けこの役立たずって、暴言ばかり埋め尽くされる脳内に対して体は全く動かなかったんだ。
その組は何処かって? 英雄様はとことん悪党に興味津々だね。でも、残念。もうないよ。
何故分かるって……いやいや、何言ってんのさ。
「その組はたった今、英雄様が潰したばかりじゃないか」
……ああ、そうか。私がそこにいたのが不思議なんだね。母を攫った組にいるなんて、とんだ親不孝者だってことか。そりゃそうもなるよ。
でもね、私の目的は金を稼ごうだとか弱者を甚振ろうって考えではないんだよ。母を取り戻そうと思ったんだ。奴らは私の顔なんて見ちゃいないからね、なんとかして組に潜り込んだんだ。あの時は苦労したなぁ。
「でもさ、母って私が組に入った時点でもう死んでたんだよ」
身体を擦り切れるまで売られて売られて売られまくって。使い物にならなくなったら今度は臓器を切り分けられて物理的に売り払われた。今頃、その母達は何処にいるんだろう。取り戻すことなんて私には出来っこないよ。その後はもう、私には復讐しかできないよね。虎視眈々とその機会を伺っていたよ。私に残った生きる理由なんてそれだけしかなかったしね。
「その生きる理由さえも、ついさっき英雄様に横取りされちゃったわけだけど」
まあ、英雄様にそんなこと言っても何にも同情の心は生まれないだろうね。それでいいよ、悪いことならいくらでもしてきたから。
私はね、人のためになろうだなんて思ったことないよ。母を取り戻すためならどんな奴らだって殺してもいいし毟り取ってもいいと思った。母以外の奴らなんてどうでもいいから。
でも、こんなに弱者の気持ちが分かるのに、なんで弱者を嬲る立場になることに躊躇がなかったのかなぁ、私ってやつは。やっぱり、血かなぁ。あのクソ親父の娘だもんね。それなら納得なんだけど……でもね、おかしいことがあるんだよ。
「だって、あんなに心優しい母もあのクソ親父の血が流れてるのに」
あ。不思議そうな顔。初めて英雄様の人間らしいとこ見えた、儲けー。
あんね、私のクソ親父って同時に私のジジイでもあったの。母はジジイの実の娘。ジジイは母を孕ませたんだよ。その時にデキたのが私。その上で私のことまで犯そうとしたんだから始末に負えないよ。ああ、始末したのは母か。
ねえ、英雄様。私はヤクザで人殺しの悪党だよ。私の母も父親を殺したさ。私も母も血縁を自分の性欲の捌け口としてぶち犯そうとする悪党の血が流れてるんだ。
「ならさ、私は生まれてこなきゃよかったの?」
悪党の血が流れてるから?
悪党の娘は悪党だから?
じゃあ、ママは死んで当然だったの?
命を賭して私を助けてくれようとしたあの優しいママが?
「そんなひでぇこと言うなよ、英雄様……」
嗚呼、いけね。涙が出てきた。もう泣かないって決めたのにさ。血も涙もねぇ悪党になろうと思ったのに、結局私は中途半端だったわけだ。だから、復讐も果たせない。
あーあ、せっかくママが繋いでくれた私の命……無駄にしちゃったよ。復讐も果たせなければ善行も出来なくて、結局悪い事にしか使えなかった。生きる価値も意味もないや。
遺言は終わったかって? 焦るなよ、最後に聞かせて欲しいんだ。
ねぇ、英雄様や。アンタは今まで殺してきた悪党の数は覚えているかい?
……覚えてるわけないよね、そりゃそうだ。
じゃあ、さ……。
「今まで救ってきた弱者達のことは?」
……覚えてない、か。流石は英雄様だ、数えきれない程の人達を助けてきたんだね。憧れるわぁ。
だからだろうね。
「アンタの耳には悪党の声も弱者の声も届かないんだ。悪党であり弱者でもある私の声も、アンタはきっとすぐに忘れる……きっと英雄ってそういうもんなんだろうね」
よかった。だからアンタに話したんだ。
何度もこのみっともない弱音を吐き出したくはあったけれど、こんな恥の多い無様な一生なんて、誰にも覚えておいて欲しくはないからね。
最後に私の我儘を聞いてくれてありがとう。
じゃあ、約束だ。
あの組織の東棟、三階にある303号室の机。上から二段目の引き出し。そこには私のママの臓器が売り払われたルート、その仲介に入った組織が全部記録されてる。私にはそれを調べることしかできなかった。
「だからその悪党全員アンタが代わりにぶち殺しておいて」
頼んだよ。
後は適当に花葬しといてくれや。
私には入る墓なんてないからね。
*
その路地裏には右腕が欠損した女の死体があった。
不思議な事に、コンクリートで出来ているその場所で、その死体や周りにだけは夥しいほどの菖蒲の花が咲きこぼれている。まるで彼女の肉に種でも埋め込まれていたのかと思えるほどにだ。
悲惨な状態で一目見ただけで生きていないと分かるが、首がくっついたままの顔はとても安らかな顔をしていた。なんの未練も残っていないような、安堵したような表情だった。
そんな彼女の身体に縋り付いて泣き喚く少年と、その少年の背中をさすりながら静かに涙をこぼす女性がいた。
「お母さん、この人だよ。この人の左腕に同じ火傷の痕があるもの」
少年は嗚咽の混じった声でそう言った。
「この人が僕達をあのヤクザ達から逃がしてくれた英雄だよ……!」
その声が女の耳に届くことはなかった。