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 ふと違和感が少年を襲う。少年の名は黒子テツヤ。つい最近WCで優勝した誠凛高校男子バスケットボール部の影である存在。中学での部活仲間との拗れた仲は少しずつ修復しているところだ。

 少年が感じた違和感とは、まず周りの景色である。いつも通りの部活帰りだったはずなのに、そこは黒子が知っている場所ではなかったのだ。まるで自分だけが違う世界に来てしまったかのような感覚に、黒子はいつものポーカーフェイスを崩してしまう。
 黒子が立ち止まってもその道は困らなかった。人通りが少ないのだ。どうやら住宅地のようで、車の通りがない。黒子はここが何処なのか確認しなければならないと理解していながら、その行動を起こすことが出来なかった。呆然としている黒子の隣を、まるで彼が見えていないかのように黒子の傍をサラリーマンらしき男性が通り過ぎた。

「あの、すみません」

 そのサラリーマンに声をかける。素直に迷ってしまったことと現在地を教えてもらうために。しかしサラリーマンは聞こえていないのか立ち止まることなく歩いていく。黒子が気付かれないのは良くあることだ。彼の影の薄さは生まれつきであり、更にはそれをバスケに活かすために出来るだけ目立たないようにしているのだ。むしろ気付かれないことが当たり前であった。
 しかし、その時ばかりは気付かれないことを不気味に感じていた。いくら影が薄いと言えど、声をかけて全く反応なしというのはさ流石になかった。声をかけて、その声が聞こえても何処にいるのか気付かれないことはないとは言わない。しかし、決して声が小さい訳ではない黒子の声自体が気付かれないことなど、ないのだ。
 
 言いようのない不安が少年を襲う。何かがおかしいのだ。それが何なのかはわからないが、おかしいのだと本能で理解した。部活帰りに無意識に見知らぬ道に入るなどありえるのだろうか。多少違う道に入っても、そこは全く知らない道ではないはずなのだ。
 一人であることが、更に不安を加速させた。ここで光と称される相棒がいたならば落ち着くことも出来ただろう。だが、黒子が一人であることは紛れもない事実であり、覆すことは出来ない。

 黒子はひとまず歩くことにした。ここに立ち竦んでいても状況が変わることはないと思ったからだ。交番でも見つけることが出来れば、現在地がわかるし帰り道も聞ける。例え、何故自分が知らない土地にいるのかわからなくとも。
 閑静な住宅地であることは、そこの独特な雰囲気と通行人の量でわかった。人がいる気配がする家もあるが、しない家もあった。単純に留守にしているのか、空き家なのか、黒子には判別がつかなかった。

 暫く歩くと、随分と大きな病院が建っていた。病院名を見ても、黒子の記憶にその名は刻まれてはいない。その時、病院を見上げて、一人の少女がこちらを見ていることに気付いた。病人だろう、パジャマを着ている。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。少女が3階にいることがわかった。彼女はその顔を微笑に変えると、少々細いように見える腕を小さく振った。
 外と断絶されたそこで、少女にとって久々に見た病院の外の人間なのだ。大きい病院と言えど人通りの少ないここでは、病院に用がある人間しか見ることはない。用もなく、病院に来る人などいないのだ。
 そんなこと知る由もない黒子は、少女に手を振り返した。知り合いでも何でもないが、彼女が手を振ったのは黒子なのだ。無視するのは罪悪感に苛まれかねない。彼女にそれはしっかりと届いたようで、嬉しそうに笑う。それはまるで花が咲いたようであった。

 少女はそこで誰かに呼ばれたらしい。振り返って、窓から離れていく。離れた場所からその様子を見る黒子に正確な情報は伝わらないが、何処かつまらなさそうに見えるので友人などではないのだろうと推測する。
 黒子は頭がいい訳ではない。学校での定期考査も平均点を超えたり超えなかったりと、極めて平凡である。しかし、人間観察を趣味としており、人の心情には敏感であった。また、読書を好むので頭の回転も悪くない。相手が誰かはわからなくとも、同年代に見せる表情でないことから大人であることがわかった。

 ここで交番の場所を聞けるだろうか。少し悩んでから黒子は病院の敷地内に足を進めた。あわよくばさっきの少女に会うことが出来ればと思う。

「すみません」

 黒子は受付で看護師の一人に声をかけた。ドラマで見たような制服に包まれた妙齢の女性であった。しかし、結果としてその女性も黒子の声に反応しなかった。先程のサラリーマンと同じであるが、今度こそ違和感の正体を黒子は察した。
 認識されていないのだ。透明少年、などと知り合いの先輩から呼ばれたことを、黒子は思い出した。その時は本当に見えていない訳ではないので所謂比喩のようなものだったのだろう。だが今回は、まるで本当に透明人間になったかのようであると黒子自身が思った。
 ならば、と黒子は思い付く。何故先程の少女は自分を認識することが出来たのだろうかと。声をかけても認識されていないのに、あんなに離れた場所にいた自分を認識したのだ。不思議に思っても無理はない。
 取り敢えず3階に行こうと決意した黒子は、白衣を着た男性と共にエレベーターに乗り込んだ。運良く男性は3階を示すボタンを押す。先程の彼女なら、声をかければ反応するかもしれない。影を薄くしているのは自分であるが、誰からも認識されない生活を送りたい訳ではなかったのだ。
 男性の後からエレベーターを降り、先程の部屋を探す。正確な位置まではわからないが、正面玄関側の部屋であることは確かである。角部屋でもない。後は虱潰しに確かめるしかない。

 三つ目の部屋が違うと確認出来て、次の部屋に行くために動こうと思った時だ。高すぎない、しかし低すぎない心地良い声色だった。「さっきの子だ」と。嬉しそうな色を混じらせた声に振り返れば、先程の少女であった。近くで見れば、学校で見る女子よりも痩せているように見えた。

「誰かのお見舞い?」
「……貴女が、見えたので」

 そこから、何と言えばいいのか黒子にはわからなかった。道を聞きたくて入ったのだが、下で聞けばいいのではと言われるだろう。今の状況を説明したところで、信じてもらえる訳がない。しかし嘘を言うにしても興味を持ったと言えば、病人であろう少女から見て印象が悪いだろう。他に言葉は見付からなかった。
 決して傷付けたい訳ではないことをわかっているのだろう、少女は黒子の言葉にフォローを入れるような言葉を紡ぐ。黒子は決して誤魔化すことはなかったのだ。興味を持ったとはっきりとは言わなかったものの、暇を持て余していた彼女にとって自分が見えたからという理由は嬉しいものである。人見知りをしない性格が、更にそれを助長させた。

「ふふ、じゃあ私のお見舞いってことにしていいのかな? 久し振りだなぁ」
「迷ってしまったということもあるんですけどね」

 少女の言葉に少し引っかかりを覚えた黒子であるが、追及はしなかった。例え思うことがあってもついさっき会ったばかりで、深く踏み込んでいいほど黒子と少女は仲がいい訳ではない。
 その代わりに少しだけ、今の状況を話す。先程自分の言葉にフォローを入れてくれたように、微妙な空気にならないよう誤魔化すのだ。それに周りに気付いてもらえないことは言えないが、迷ったことは事実だからだ。迷ったことを言うのに気恥ずかしさはあるものの決して言えないことではなかった。
 少女は少しだけ悩むようにして、それからにっこりと笑う。黒子にはその顔は病人には見えなかったのだが、怪我などしているように見えない彼女は何かしらの病気なのだろうと思考する。痩せているのは、単純にカロリー制限のせいか、病気のせいか。

「私の部屋でお話しない? 私のわかるところなら道も教えるから、話し相手になってほしいな」
「はい」

 黒子は薄く笑う。二人は自己紹介をした。少女の名前は佐久間華蓮。黒子よりも一つ年上であった。
 これが、キセキの世代と呼ばれる天才達を中心にバスケットボール部が経験する奇妙な体験の発端である。
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