クリスマスは家族と過ごすもの。そんなものファンタジーだと、そう思っていた。
この時期は千耀も忙しくしていたため、斎のそばにいたのはこの世の塵芥を詰め合わせたような人間ばかりで、クリスマスを真っ当に過ごそうなんて輩はいなかった。
だから12月25日はなんでもない日。どうやら今年もそうなりそうだった。
「御侍ぃ?いい加減その辛気臭い顏やめなさいよ」
斎が経営する料亭、瑞雲の執務室で辣条が呆れたようにため息をつく。
どこぞで言われた聞き覚えのある台詞に斎の口からもため息が漏れ、煙管から吸い込んだ紫煙がふわりと室内に広がった。
勝手に期待して勝手に落ち込んでいるだけだ。ギルバートが悪いわけではない。彼には彼の譲れないものがある。
クリスマスに一緒に過ごすような家族がいない斎にも、家族と過ごしたクリスマスの思い出を大事にする気持ちは理解できたし、そういうギルバートを好きになったのだから文句などあるはずもなかった。
ただ、期待してしまった自分を愚かだと思うだけだ。
一番になりたいと思った。一番になれると思った。少し、欲張りになっていたようだ。
「だいたい辛気臭い顔ってなんだよ。見えてないだろ」
「痛めつけ甲斐のない顔、面じゃ隠しきれてないわよぉ?」
「ああそう」
とん、と煙管から灰を落とす。
遠い昔に千耀から贈られたものだった。煙草も酒も服装も立ち居振る舞いも、全部千耀から教わった。斎はいわゆる千耀のコピーと言っても過言ではない。
(だから好きになったのだとろうか)
父親を認めて千耀を、そして千耀に似ている斎を。
たかだかクリスマスに一緒に過ごすことを断られただけだというのに、斎の思考はどんどん深みにはまっていく。荒唐無稽な妄想と言える内容でも、今の斎には真実のように思えた。
(それでもいいんだけどね、この手に落ちてきてくれたんだから)
くるり手の中で煙管を回す。
いつか自分を見てくれたら、それでいい。待つ覚悟はある。
クリスマス当日になると、街はいよいよ活気で溢れんばかりになって盛り上がりのピークを迎える。
気温も例年よりぐっと冷えこみ、今晩はホワイトクリスマスが見込めるそうだ。
ギルバートはクリスマスの雰囲気に飲まれた教会で、今晩のミサの準備をしながら普段以上に凝り固まった肩を落としていた。
今年は斎とクリスマスを過ごす。
千耀と話してそう決めたのに、今日のための準備に忙殺されて斎に会いにいくことすら叶わなかった。
いつもは斎から動いてくれていた。
ふたりの関係を進展させようと「好きだ」と最初に一歩踏み出してくれたのも、「待ってる」と言ってくれた斎に甘えて、うだうだと二の足を踏んで前に進めないでいたギルバートの背中を押したのも、逢瀬のためにナイフラストにアパートを借りてくれたのも、仕事の合間を縫って会いにきてくれるのも、いつも斎。
斎ばかりが動いて、ギルバートが斎に会うために桜の島に足を運んだことは一度もない。
(僕はいつも与えられてばかりだ)
店や教会、子供たちがいるから動けない。そう言うのは簡単だ。
でも忙しいのは斎も同じで、店の規模だって違う。料亭を切り盛りするのは一筋縄ではいかないだろう。
「やあ、ギル坊」
「あ、千耀さん・・・。こんにちは」
ギルバートの思考を中断させるように、扉の開く重たい音が響く。
ぴしりと糊の効いた高級そうなスーツとステンカラーコートを着こなした彼は、颯爽と風を切るようにギルバートへと歩を進めた。
ギルバートの前で足を止めて、帽子を脱ぐとにこりと笑う。寄った笑い皺が彼の生きてきた時間の長さを表していた。
「メリークリスマス」
今日何度目かのお決まりの挨拶を交わす。
「ずいぶん無理をしているんじゃないかい?」
心配そうに頬に添えられた千耀の手は暖かくて、人を安心させるものだった。心の重りを取り払ってくれそうな、ふわりと浮かび上がらせてくれるような、そんな気がする。
ギルバートはともすれば優しい手に甘えてしまいそうになってしまう心を振り払って、「大丈夫です」と答える。
「本当に?恋人にクリスマスを過ごすように強要されてるんじゃないだろうね?」
「そんなまさか!僕があいつと一緒に過ごそうって決めたんです。・・・でもそのことをまだ伝えられてなくて・・・」
「何故だい?」
千耀が小首をかしげる。
ギルバートの息がぐっと詰まった。思わず一歩下がって、その問いかけから距離を置いた。後ろめたい思っている確信に触れられそうだったからだ。
斎のことは好きだ。だぶん、そばにいてくれる人の中では一番。
でもそれを伝えたことはなかった。面と向かって好きだなんて言えたことなど一度もないような気がする。
その分斎が伝えてくれていた。言葉と態度で馬鹿みたいに真っ直ぐに。それがビームみたいにギルバートの心に突き刺さって、じんわりと熱を放って暖めてくれるのだ。
今年のクリスマスはどこも例年より気温が下がる。あの寒がり屋を暖めてやりたいと思った。
「僕やっぱり行かなくちゃ」
「行くってどこへ?」
「僕好きなんです!だからーーーーーー」
教会になにかが落ちたような音が響いたのはその時だった。
千耀とギルバートが音のした方に目を向けると、渦中の人物が呆然と立ち尽くしていた。その足元には綺麗にラッピングされた箱が、冷たい床に転がっている。綺麗に結ばれていたリボンがひしゃげた。
どこから聞かれてしまっただろう。
頭から足の先まで血の気が引いていく思いだった。斎の反応を見ればとんでもない誤解を生んでいるのはまず間違い無いだろう。
ふらり、斎の体が傾く。一拍置いて、ふらりと反対側へ。
そうして一歩一歩おぼつかない足取りでふたりの前に来た斎。声をかけなければと思うのに喉が緊張で張り付いて、ギルバートの口からは掠れた空気しか出てこなかった。
「今の聞いていたのかい?」
千耀の問いかけに、ごくりと喉を鳴らしたのは斎だったのかギルバートだったのか。両方だったかもしれない。
斎の面はいつも通りだったが、その奥から困惑と不安が入り混じった雰囲気が煙を燻らすように漂う。
面の奥を見なくてもそれくらいのことは察することができるようになるほど、ふたりは時間を積み重ねてきた。
「ギルはこの男のことが好きなの・・・?」
わなわなと震える手が千耀を指差す。
ギルバートがそれに返事をする前に、がつんと荒々しい音がして、千耀が綺麗に並んだ長椅子にその身を転がらせた。
「随分、手荒だな」
「こうなる覚悟はあっただろ。俺が本気なのは知ってただろうが」
横たわったままの千耀の体を跨いで、再度拳を握る斎。
慣れたようなスムーズな動作に、ギルバートが慌てて止めに入る。少し自分よりも大きな体に、怒りに支配されたそれを止めるのは困難なように思えた。
それでも止めようと必死に腕にしがみついて奮闘するが、意にも介さないように視界に入ることすら出来ず、ギルバートの胸は無力感で張り裂けそうだった。
「ちが、違うんだ!あんた誤解してる!」
「この男を庇うの?」
「そんなんじゃ・・・!」
全く聞く耳を持たない斎に思わず制止の手が緩んで、また聞こえてくる骨と骨がぶつかる音。殴り、殴られる音。
千耀の唇が切れて血が滲むのが見えた。
日々、堕神と戦いの中で鍛錬を続けて鍛えているとはいえ老体にはあまりにも酷い仕打ちで、見ていられずに思わず神父服の胸元を握りしめる。
止めなければ。止めなければ。
なんとかして斎の怒りを鎮めたくて、意を決して斎と千耀の間に身を滑り込ませる。
千耀の胸ぐらを掴む斎の手を握って、面の奥の目と視線を合わせた。
「僕が好きなのはあんただから!!!」
ぐわんぐわんと声が響いて、壁から跳ね返ってくる自分の声とともに羞恥心が波のように押し寄せて来る。顔が真っ赤になりそうなほど、熱くてたまらない。変な汗まで出てきて、心臓は今にも張り裂けそうだった。
斎の頭の中では鈍器で殴られたような衝撃と音が、ギルバートの声と一緒に反響して止まらない。繰り返し脳内で再生される台詞と、脳みそを揺さぶられるような感覚に襲われていた。
面の奥を必死で捉えようとする緑を見つめ返して、真っ赤に染まった頬に手のひらを寄せる。しかしそれは触れ合う前にぴたりと動きを止めて、残り数センチの僅かな距離を埋められないでいた。
躊躇うように静止した手のひらに、ギルバートがそっと苦笑を零して距離を詰める。
埋まった隙間から伝わる斎の体温は、冷たくて氷のようだった。
「・・・本当に?」
「僕があんたに嘘ついたことある?」
ギルバートの眉が下がった笑顔に、斎の硬く尖った雰囲気が緩やかに解けていく。
斎の口元が柔らかく綻んだのを見て、ギルバートもほっと胸を撫で下ろした。
「まったく、君たちもなかなかに厄介だよね」
よいしょ、と立ち上がる千耀にギルバートは申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、頭の少し上から舌打ちが聞こえてきて微かな違和感を覚えた。
先ほどと同様に、いつも穏やかだった斎の態度や雰囲気が一瞬で荒々しいものに変貌する。
それは、それなりに付き合いが長いと思っていたギルバートの知らないもので、千耀に取られまいと必死にギルバートを抱き寄せる様子は今までにないものだった。
ぎりぎりと千耀を睨みつけて威嚇する斎と、それをさらりと受け流して気にも留めない千耀。
今にも唸って吠え出しそうな斎に千耀はにこりと笑顔を作って見せ、何年もそうすることが決められていたかのように躊躇いなく拳を振り上げた。
がつん。
何度聞いても肝が冷えてしまう音が、こだまする。
「いってえなあ!なにすんだクソジジイ!」
「阿呆、当然だろうが。痛くなかったら意味がないだろう」
第二ラウンド開始のゴングが鳴り響くかとギルバートが身を固めたところで、千耀がため息を吐き出して一瞬凍った空気を溶かしていく。
それから気を取り直すように着衣の乱れを整えて、コートの端を翻しふたりに背を見せた。
「不名誉な誤解を受けたんだから、ギル坊もその馬鹿を一発くらい殴ってやんな」
来た時と同様、颯爽と立ち去る千耀にギルバートは心の中で感謝を告げた。それと謝罪を。
ばたんと教会の重たい扉が閉まって、ギルバートは斎の腕の中でくるりと体を反転させる。向き合うように抱き合って、千耀が与えてくれるそれとはまた違う安心感に包まれる感覚を覚えた。
斎の首元に顔を擦り付けて堪能するように肺いっぱいに息を吸い込む。
煙草と香水、その奥から確かに香る斎自身の気配。
斎は、すりすりと鼻を密着させて甘えるようなギルバートの旋毛に口づけを贈って、抱き締める腕に力を込めた。
あまりにも珍しい、ギルバートの甘える態度に困惑しつつも笑みをこぼす斎。しかし、久しぶりの甘い雰囲気もそう長くは続かず、斎は身を凍らせることになる。
「あんた口が悪かったんだな」
「えっ」
底冷えするようなギルバートの冷たい声に、千耀を前にして迂闊にも乱暴な口調になってしまったことに思い至った。
隠していたわけでもないし、偽っていたつもりもなかったが、いつも穏やかな態度で接していたため、なんとなく気まずい雰囲気が流れる。
今の口調や態度が自然になってもう何年も経つが、千耀の前ではどうしても柔和な姿勢を貫けないのだ。昔の斎を知る千耀にそういう態度を取るのはなんだか気恥ずかしい気がして。
逆にギルバートの前で優しい態度を崩さないのは好きだからだ。愛しい人を蝶よ花よと甘やかして可愛がりたいのに、乱暴な口調や態度で接するわけがない。真綿にくるんで閉じ込めてしまいたいと思っている。
「僕に隠し事してたんだ」
「そ、んなつもりは・・・」
しどろ、もどろ。
あわあわと慌てふためく斎の様子に思わず笑いが堪えられず、ふっと息が漏れる。
「あの、わかってほしいんだけどそんなつもりはないんだよ。どっちも俺の、」
「わかってる、大丈夫だから」
「んんんん、ありがとう」
ギルバートの額に唇を寄せて感謝の気持ちを表す。
一度だけでは伝えきれずに何度もリップ音を立てると、ギルバートの手によって額を覆い隠されてしまった。残念に思いながらも、最後にと赤く染まった頬にキスを贈ってお互いの体を離す。
「で、あの箱はなに?」
「あああああ!落としちゃった!中身が無事だといいけど・・・!」
急いで床に転がる箱に駆け寄る斎。
ギルバートはその後ろをついて行って、背中越しに斎の手元を覗き込む。ラッピングは少しよれてしまっているようだが、箱自体は無事のようだった。
ごめんね、と申し訳なさそうに頭を掻きながら差し出されたプレゼントを受け取って、ふたりで近くの長椅子に腰を下ろす。
誰かからプレゼントをもらうのは久々だった。
誕生日もクリスマスもずっとひとりで過ごしてきたし、何かしたいという食霊の申し出も断ってきた。
膝の上に箱を置いて丁寧にラッピングを外していく。するりとリボンが解けていく感触に年甲斐もなく胸が高まった。
それから破れないように慎重に包装紙を剥がして、箱の中から姿を現したのは小さな瓶。透明に輝くガラスの中に白いクリームがたっぷり入っており、蓋を開ければ覚えのある香りがギルバートの鼻腔をくすぐった。
「これ、あんたと同じ香りがする」
「うん、アロマハンドクリーム。俺の香水を混ぜてあるんだ」
いつでも君のそばにいたくて。・・・重たいかな?
苦笑する斎に、ギルバートはふるふると首を振って否定する。
「嬉しい、ありがとう。毎日つける」
「そうしてくれると俺も嬉しいよ」
ギルバートの手の中から瓶を取り上げてクリームを掬うと、より一層香りが強くなる。それを斎の手で塗り込んでもらうと、心が暖かいなにかで包まれるようだった。
嬉しそうに笑う相手の顔に、斎の心も同じように暖かくなる。
ギルバートの手が自分と同じ香りに包まれることに幸せを感じるなんて、我ながらなんて単純なのか。
(喜んでもらえてよかった)
恋人に断られたクリスマスに、しつこいとは思いつつも押しかけてしまったが、これでよかったのだと思えた。この顔が見たかったのだから。
「それじゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「ちょっと待って・・・!」
立ち上がった斎の袖口をぎゅっと握って慌てて止める。
浮かせた腰を再度、椅子に落ち着かせて「どうしたの?」と斎がギルバートの顔を覗き込むと、右へ左へ右往左往する瞳が意を決したように斎の視線とばちりと合った。
「あ・・・あの、さ!」
できることなら今夜二人で。
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