黒猫が目の前を横切ると不吉だという迷信がある。猫が不幸をもたらすのか、幸運を持った猫が離れていくから結果的に不幸になるのか。
(そんなことはどうでもええねんけど、これは間違いなく災難や)
朝一番に連絡をもらって、訪れた「瑞雲」
仁虎は自分が初めて作り上げた日本庭園を見て、その悲惨な状態に深い深いため息をついた。
修行先から独立して店を開いた当初、仁虎にはなんの人脈もなかった。花屋としてはそれなりに商売が成り立っていたが、庭師としてはからっきし。そんな時に「店の庭を任せたい」と依頼を持ってきてくれたのは瑞雲のオーナー、斎だった。
顔を布で覆ったその男を最初は怪しんだものの、店の様子や料理からその人柄が知れた。仁虎自身にとってもこれ以上ないいい話だったし、二つ返事で了承。
あれから3年。庭のコンセプトでぶつかり合うことはしょっちゅうだったし、無理難題を押し付けられることも多々あるが、斎から仕事先を紹介してもらえたこともあって庭師としても忙しくしており、感謝はしていた。
まあ、今まさにその無理難題の最中にあるのだが。
丹精込めて作り上げた庭。そのど真ん中に大きな穴が空いているのだ。大人ひとりが余裕で収まるくらいの大きな穴が。
「なんっっっっっっやねんこれ!!!!!!」
「いやあ、月餅と梅茶漬けがいたずらで落とし穴を掘ったらしくてね。味噌汁が落ちて大変だったよ」
2人はこってり絞り上げたんだけど、穴はどうにもならなくて。と苦笑する斎を睨み上げる。
斎もおかしければその食霊たちも滅茶苦茶な奴らが多い。普通、店の庭のど真ん中に大穴なんて掘らないだろう。こんな大穴を食霊たちが掘っていることに気がつかない斎も斎で、これは完全に監督不行き届きというやつではないだろうか。
「なんちゅうことしてくれとんねん!頭沸いてんか!」
「庭の真ん中に桜とか植えちゃう?春には華やかになるだろうねえ。いっそ穴を広げて池にしちゃってもいいなあ。川を引いて橋をかけるのも素敵だよねえ」
「マイペースか!無茶言うなや!」
「えー、だめ?」
・・・大きな枝垂れ桜はまあ、有りやな。
そもそもこの庭園は、東西南北で4つの棟に囲まれている。それぞれ回廊で繋がっており棟をぐるりと一周できる作りになっているので規模もそれなりに大きい。したがって庭園もまたそれなりの広さがあった。
四季や風情を演出するために仁虎がどれだけ苦心して心血を注ぎ込んだか。それを知らないわけもないのに、この店の連中はこうして事あるごとに無体を働く。
しかし、仁虎にはこれがチャンスのようにも思えた。
仁虎がこの庭を作り上げてから今まで、大きな改造もなく草木の手入れをするだけの日々。もちろん広大な敷地面積を持つこの庭の手入れだけでも十分な大仕事だが、そろそろ大きく手を入れたいと思っていたところなのだ。そこに降って湧いたかのような話に、仁虎は満更でもなかった。
もちろん大穴を開けたことは怒っているのだが。
「はーーーー。新しいことが出来るのはええねんけどな、そのかわりこっちの方は覚悟しといてや」
仁虎は右手の甲を下にして親指と人差し指で輪っかを作る。
「うんうん、仁虎ちゃんの新しい作品が見れるならそれくらいなんてことないよ。遠慮なくやっちゃって」
オーナーの許しも出たところでカバンからスケッチブックを取り出してイメージを書き出し始める。どうせならこの穴を利用したい。さっき斎が提案したように池を作るのも悪く無いだろう。
今あるのは仁虎が丹精込めて育てた木々や草花と東屋。ここに水辺を足すのはいい案だ。
「良い枝垂れ桜が手に入りそうやねん、お前んとこに持ってきたるわ。池作って、その真ん中に植えよか。ほんで橋渡して真ん中で茶会でも出来るようにしたら花見で客呼べるやろ」
どんどんスケッチブックに書き込まれていくイメージに、斎の面もわくわくと表情を変える。仁虎の手元を覗き込んで満足げに口元が綻んだ。
斎がこう言う顔を惜しげもなく晒すから、仁虎は仕事が断れないのだ。無茶苦茶で無理難題を持ってくるのは本当に困るのだが、やりがいのある仕事なのも確か。仁虎が仕事に取り掛かると、まるでクリスマス前夜のサンタクロースを心待ちにしている子供みたいな顔をする。
この顔に、仁虎は滅法弱かった。
「水鏡に映る桜や、水面に浮かぶ花弁なんかは幻想的だろうね。ライトアップして夜桜も楽しめるようにしよう」
「はいはい、言っとくけど次はないからな」
二度と今回みたいなことが無いように仁虎が釘をさす。斎はそれを軽く受け流して、にこにこと笑うばかりで、さすだけ無駄な気がした。釘が勿体無い。
「今後は気をつけるからさ、お礼にカレーでも食べていってよ。仁虎ちゃんの好きなポテトサラダもつけちゃう」
「・・・ほな、ご相伴にあずかろうかな。せやけどそれで許すわけちゃうからな」
「まったくケチだなあ」
今朝、仁虎の前を横切ったのは、不吉の知らせだったのかそれとも招き猫だったのか。とにもかくにも、仁虎にとって斎との仕事はなんだかんだ面白いのだ。
「私たちを悪者にするなんて酷いわ〜」
「まったくひどい話なの〜!落とし穴を掘れって言ったのは御侍様なのよ!」
斎と仁虎が立ち去った後の、落とし穴のそばで梅茶漬けと月餅がぷんぷんと怒っている。そのそばで味噌汁がとほほ、と肩を落としていた。自分が穴に落ちた元凶は我らが御侍だったのだ。
ある晩、梅茶漬けと月餅の手のひらに美味しいと有名な老舗和菓子屋の栗羊羹を乗せて斎はこう言ったのである。
「庭の真ん中に大きな落とし穴を掘っておくれ。そしたらきっと楽しいことになる」と。