暗闇の中、タバコの火だけが明るくて、蛍みたいだと言うとフィンクスはキョトンとしてなんだそれと言った。蛍を知らなかったらしい。枕元の携帯を使って調べたページを見せて上げると、フィンクスはタバコを片手に持ちながら文字を追いかけた。
「でもよ、この虫、光っても煙は出さねえだろ?」
 私が思わず笑ってしまうと、フィンクスは少しムッとした顔をしながらも恥ずかしそうにそっぽを向いて煙を吸い込んだ。吐き出された煙は宙に消えていく。手を伸ばしたところで留めておくことはできないと知っていたのにそれを追いかけた。

 大人になって誰かに気持ちを伝えるのはとても勇気のいることだった。冗談だと思われてはいけないし、かと言って笑い飛ばされたくもない。声が震えたり、言い出したのはこっちなのに目が合わせられなかったり。喉になにかがつかえたように言葉が出なくなって、でも、フィンクスは辛抱強く聞いてくれた。それから、私を恋人として隣に置くことはできないのだとはっきりとした口調で言った。悲しくないと言えば嘘になるけれど、どこかで断られる予感はしていたから涙は出なかった。
「お前が嫌だってわけじゃなくて、お前を守ってやれる自信がない」
 フィンクスは私には隠して言おうとしなかったけれど、きっと人には言えないような仕事をしていた。連絡が取れなくなることはよくあった。ときどき、鉄臭い、血のような香りがすることがあった。大きな怪我をしていることも。
「私、フィンクスがどんな仕事をしているのか、なんとなく知っているよ」
「だったら、余計にお前とは付き合えない」
「それは恋人として? それともこれからの友人として?」
「どっちも」
 大きな傷を負ったとして、誰かを傷つけていたとして、フィンクスはそれらについて後悔しているようには見えなかったし、そういう事実があったとしても私はフィンクスが好きだった。
 途中でやめられるような恋ならはじめからしていなかった。好きになってしまった人がそういう人だった。それはどうしようもないことだった。
「じゃあ、もう会えなくなってもいいから。これで最後でもいいから」
「なんだよ」
「一晩を私に欲しい。そうしたらもう会わないから。連絡もしない。探したりしない。だから、お願い」
「それって、お前が傷つくだけだろ」
「変な優しさを見せられるよりも、傷つけられた方がマシな時ってあるんだよ」
「……優しさなんか見せた覚えはないし、見せるつもりもねえよ」
 フィンクスが私の腕を掴む。
「お前も、俺もバカだな」
 重ねた手の大きさ、辛くないか聞いてくれること、汗で髪の毛がぐしゃぐしゃになったこと、何度も好きだと言ったこと、その度にキスをされたこと。その瞬間の私はきっと世界で一番幸せで、世界で一番報われない恋の終わりを迎えた。
 
 蛍は私の故郷にいる虫だと教えると、フィンクスはタバコみたいなんだろと、と言った。私は、本物はそれよりも綺麗で、いつか見せてあげたいと言おうとしてやめた。もう、いつかはこない。フィンクスが煙を吸い込むたびにタバコの先がぼんやりと光る。短くなっていくタバコは私たちの時間がもうあまりないことを知らせているようだった。
「怪我には気をつけて」
「なるべくな」
「あんまり悪いことし過ぎないで」
「それは難しいな」
「死なないでね」
「当たり前だろ」
 フィンクスが最後に大きく煙を吸い込み、短くなったタバコは灰皿に押し付けられた。唯一の灯りが消えるとすっかり暗くなった部屋ではお互いの顔を確認することもできなかった。
「お前こそ泣くなよ」
 フィンクスに抱き寄せられるとほのかにタバコの香りがする。フィンクスを忘れてしまわないように、その温もりを覚えていられるように、手を握った。握り返されることが余計に寂しかった。
 いつか人は死ぬとして、この先の人生で私はまだまだ幾多の人と出会う。その中には勿論喫煙者もいるかもしれない。そして、どこかで煙臭くて苦いこの香りに触れるたびにどうしようもなく苦しくなるのだろう。いつか、恋をしていた日を思い出して。


2023.04.16 おくら様へ捧げます。


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